第四十三話 メルとの対立
戸田が仲間に加わり、俺たちは玲菜の家に戻っていた。
辺りはすでに暗く、六時過ぎだ。
応接室のソファーに腰掛け、玲菜たちと今後の話をしていると、全身から力が抜けていく感覚に襲われる。そして、次の瞬間、メルが応接室に姿を現した。
その姿は薄く透明なのは、魔力体だからなのか。
唐突な出来事に、その場は騒然とする。
それを制するように、メルが大きな声を上げた。
「誰も動かないでください!」
メルは魔力を溜めた右手を、俺たちに向けて構えている。
むしろ、玲菜に向けていると言うべきか。
「なにが――」
あったんだ、そう言おうとした瞬間、俺は脱力感に耐えきれず、テーブルに前のめりに倒れた。
「赤羽!」
「先輩っ!」
戸田と詩子の声が聞こえるが、それに応えることは出来ない。力がどんどん抜けていて、指を動かすのもやっとだ。
メルが俺を横目にチラリと見て、呟く。
「申し訳ありません、赤羽様。地下の結界を経由して魔力をお借りしています」
さきほど、神器を使えるようにするために、なんらかの契約を結ばれた。メルはそれを逆に利用しているのだろう。
恐ろしい勢いで魔力が抜けているのは、メルを具現化させるためか。
メルが少し動く度に、激痛が駆け抜けていく。体中が魔力で爆破しているような感覚だ。痛みでもがく俺を見下ろし、メルがつぶやく。
「時間はあまりなさそうですね……」
「な、なんで……こんな、こと……を?」
「――死にたくなければ、そのままテーブルに伏しててください」
メルは口早に返答し、ジッと玲菜を見据えた。
暴走とも思えるメルの行動に、玲菜は腕を組み、怒りを露にしている。
「メル。どういうつもり? 返答によっては許さないわよ?」
「これは失礼いたしました。……ところで、お体に異常はありませんか?」
「? ないわよ。こっちの質問に答えなさい」
「…………では、失礼ながら、地下室へお越しいただいてもよろしいでしょうか?」
「なによ。なんで?」
「来ていただければわかります」
玲菜は疑うような眼差しを向け、返事をしようとしない。
しばしの沈黙の後、メルが首を傾げる。
「……何か問題でもありますか?」
「いえ、特にないわ。でも、今は行きたくない」
「なぜですか?」
「それ以上に理由なんてないわよ!」
二人の言い合いが続く。
珍しくメルも意見を曲げようとしない。
感情的な玲菜に対して、メルは終始淡々と言い返している。
その度に体が痛い。これが魔力を吸われる感覚なのだろうか。
「いい加減にしてくださいっ!」
見かねたように、詩子が大きな声を上げた。
玲菜とメルは詩子に視線を向ける。
詩子は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「地下室までたったの数分なんですから、さっさと行って、先輩を解放してください! 先輩がとても苦しそうで、見てられません……」
正論に対して玲菜は顔をしかめて、詩子とメルを交互に眺める。
「……っ、そうね。わかったわ」
玲菜は親指を強く噛む。まるで納得していない様子。
危害でも加えられると思っているのだろうか。
だけど、あのメルが玲菜に危害を加えるはずがない。
メルは玲菜の同意を得られて、サッと踵を返す。
「では、参りましょう。……赤羽様、立てますか?」
いきなり話を振られて焦る。無理すれば立てるような状況だが、かなり厳しい。
高熱でフラフラの時にトイレに行くよりも辛い。
立ち上がろうとする俺に、詩子が心配そうな眼差しを送る。
「ちょっと待ってください! 私たちが雪城先輩を連れて行きますので、先輩を解放してください。このままじゃ……」
言葉こそ柔らかいが、詩子の表情は険しい。
今にもメルに襲いかかりそうだ。メルは逡巡して頷く。
「……では、お任せします。必ず玲菜様を地下室まで連れてきてください。どんなに嫌がったとしても……無理矢理にでも……お願いします」
そんな意味深な言葉を残し、メルの姿は薄くなって消えた。
その瞬間、体がウソのように軽くなる。まるで錘がなくなったかのようだ。
「先輩! 大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない……」
魔力を急激に抜かれたせいか、多少の目眩はするが、行動に支障はない。
メルの意図はわからないが、言われたとおりにしよう。
「地下室まで連れて行くけど……問題あるか?」
「…………ないわ」
玲菜は口惜しげな顔を見せ、さっさと部屋から出ていった。
俺は慌ててそれを追いかける。
「待ってください。私も行きます」
そう言って、詩子がついてきて、その後ろから困った顔の戸田も続く。
応接室から地下室までたったの数分。
簡単なコトに思えたが、どうしてメルはあんなに念を押したのだろうか。
※ ※ ※
俺たちは応接室から地下室へ向かっていた。
肩を怒らせ、重い足取りの玲菜。
俺と目が合うと、思い詰めた表情を見せてくる。
「やっぱり行きたくないわ。メルの態度、おかしかったし……」
「急ぎの用事でもあるんじゃないのか?」
「……そうかもだけど、裏がありそうで……」
煮え切らない玲菜の言葉。まるで――
「メルを疑っているのか?」
玲菜は戸惑いながらも、コクンと頷く。そういうことか。
でも、メルが玲菜を騙すなんてないと思うのだが。
「重要な話かもしれないし、行くだけ行った方がよくないか?」
軽いフォローのつもりだったが、玲菜の表情が豹変する。
「春馬! 私よりもあの女の言うコトを聞くの?」
怒声をあげ、玲菜が詰め寄ってきた。なんだか悲しくなる。
玲菜が怖いことよりも、その言い方が引っかかった。
それほどまでに行きたくないというのか。
どうすればいいのか考えていると、戸田が暢気な声を出す。
「メルって人のコトをよく知らないからだけど、雪城の言ってることの方が正しく聞こえるぞ。いきなり来て、理由も言わずに連れてこいって、おかしくないか?」
客観的に考えるとそうなるかもしれない。
俺はメルのコトを信じていて、無条件に信じてしまっていた節がある。
詩子に視線を向けると、驚いた顔をして首を横に振られた。
「私にはわかりません……先輩の判断に任せます」
実に無難な意見だ。俺にだってわからない。
玲菜とメル。どうすればいいのだろうか。
「お願い、春馬……私を信じて……」
眼にいっぱいの涙を溜めて、玲菜が俺を見上げる。
あまりにも可愛らしく儚い仕草に胸が痛む。
俺がメルを信じていたのは、玲菜が信じていたからだろう。
その玲菜が、メルを信じられないと言うなら――
「わかった、戻ろうぜ。話があるなら、またくるだろう」
メルの元に行かないと決めて、応接室に戻ろうとする。
その瞬間、玲菜が俺の手を強く取り、しゃがみ込んだ。
「ば、バカ言わないでっ! め、メル……がっ、メルが……私を裏切るはずない……メルが絶対に正しいのよ――っ、やぁぁぁぁっぁああっぁぁ――っ」
玲菜は口早に言い、自身を抱いて体を丸める。
汗がダラダラと流れ落ち、どう見ても普通じゃない。
「玲菜! 玲菜ぁっ!」
「…………は、早く……メルのところ……に…………」
激痛に耐えているのか、蚊の鳴くような囁きを漏らす。
状況が飲み込めず、オロオロしていると、すぐに玲菜が立ち上がった。
ケロッとして、何事もなかったかのような顔だ。
「さあ、早く戻りましょう。あの女の話なんか――」
「お、お前……大丈夫なのか?」
おかしいほど態度が違う。俺は思わず遮ってしまった。
「……? なに言ってんのよ。私は普通よ?」
玲菜は首を傾げて、可愛らしい笑顔を浮かべる。
心弾むような笑顔だったけど、偽物っぽく感じた。自信は全くない。
でも、俺の知っている玲菜は、メルを『あの女』なんて呼び方、絶対にしないはずだ。それも二回も。
強く俺を拒否したさっきの玲菜。あれが本当の玲菜なのではないだろうか。
何が起こっているのかわからないけど、そんな気がした。
だったら、どうすればいい。
『早く……メルのところ……に……』
――アイツが望んでいたのは、メルのところに連れて行かれること。
その言葉から、全く別の真実が見えてきた。
メルが玲菜の異変に気づいていて、それを説明できない状況だったら?
無理矢理にでも地下室へ連れて行くしかない。
簡単なコトなのに、メルがあえて念を押したのは、そのためだったのか。
※ ※ ※
俺は玲菜を気絶させて、地下室まで運んできた。
メルがいる魔方陣のそばに玲菜を寝かせると、メルが睨んでくる。
「緊急時とは言え、背後から殴るとは……次は許しませんよ?」
メルの話さえ聞かない玲菜の説得は、最初から諦めていた。メルにできないものを、俺が出来るわけがない。
玲菜を油断させ、ソードで後ろから殴りつけた。
「……まあ、俺と言うより、ソードがやったんだけどな……」
俺の気持ちを察したソードが、自動で動いてくれたのだ。
そのおかげで、一撃で気絶させられた。
後が怖いが、緊急時なので許してもらおう。
「玲菜様が正常に戻られたら……そのように言い訳をしてくださいね」
玲菜の無事がわかってか、メルは小さく笑みを見せた。
メルの態度を見て、俺の中の疑惑が確信に変わる。
「やっぱり玲菜がおかしいって、気づいていたのか?」
「はい。魔力が不自然に揺れて不安定でしたから……本来そのような状態で、『体に異常』を感じないはずがないのです」
たったそれだけの発言から、全てを見通しての行動だったようだ。
「やっぱりすごいな。メルは……」
「いいえ。それだけしかわからなかったので、あの場でなんの説明も出来なかったのです。指摘することで、玲菜様が暴走するかもしれませんし……」
メルは玲菜に気づかれることなく、解決したかった。
だから、何も言わずに、ここに連れてこようとしたんだ。
「で、玲菜の状況はわかったのか?」
「はい。何者かによって精神に割り込まれていますね。いつ玲菜様が術にかけられたのか、心当たりはありますか?」
おそらく、スネークを逃がす前のあのやりとりの時だろう。
俺の考えを聞いて、メルは頷いた。
「蛇のような顔……では、邪眼でしょうね。魔力を解放して無防備な状態になったのであれば、何を仕込まれていてもおかしくはありません」
「……元に戻せるんだよな?」
「はい。問題ありません。かかりやすいものは、解除も容易なはずです」
「よかった……」
穏やかな顔で気絶している玲菜を見て、ホッと息を漏らす。
「しばらくお時間をいただけますか?」
「わかった。じゃあ――」
ここで待っている、と言おうとしたが、体から急に力が抜けた。
さきほど、メルに魔力を抜かれたことと、ここにくるまで少し力を使ったことで、疲れてしまっているのだろう。横になって休みたい。
「無理はしないでください、赤羽様。終わったらお伝えしますので、他の皆様と一緒に応接室でお待ちください」
「……わかった。そうさせてもらう」
メルに任せておけば大丈夫。俺は勝手に安心していた。
事件が起こったのはそれから一時間後。
応接室で休んでいた俺の耳に、大きな爆発音が聞こえて来た。
地下室にいる玲菜とメルの様子が気になり、俺と戸田、詩子は急いで地下室へ向かう。部屋の直前まで来たとき、中から勢いよく人が飛び出してきた。
電灯の少ない夜の廊下で顔は見えない。
俺たちと鉢合わせになった闖入者は、辺りを見回し、窓ガラスを割り、素早く窓枠に手をかける。窓から零れる月明かりが闖入者の姿を照らし出す。
その姿に俺は大きな声で叫ぶ。
「れ、玲菜っ!」
窓から外に飛び出そうとしていた玲菜が振り返る。
瞬間、ゾクリと俺の全身悪寒が走った。月の光に照らされた玲菜の右の眼が、不気味に妖しい緑色を放っていたのだ。なんだあれは……
眼を逸らしたくなるような無機質な輝きに、言葉をなくす。
「…………っ、春馬……み、見ないで…………」
消え入るような玲菜の囁きが聞こえ、俺はハッと我に返る。
玲菜はもう振り返ることもなく、窓から夜の闇に消えていった。
キラキラと光る、一粒の涙を溢しながら……。
「玲菜っ! 待てよ!」
窓から顔を出すが、全力に近い魔力を放出しているらしく、あっという間に見えなくなった。
俺は急いで後を追おうとして、シャツを引っ張られる。
「先輩! 待ってください! 何があったんですか?」
「わかんねえよ! だけど、放っておけないだろ!」
「だったら、雪城先輩は私が『観察』で追います。先輩はメルさんのところへ向かってください。まずは話を聞くべきです」
俺は拳を強く握る。詩子の言うとおりだ。
玲菜は自分の意志でここを出た。
考えもなしに玲菜を追っても、どうしようもない。
「玲菜にもしもの時は……『光の矢』で守れるのか?」
詩子の得意な超長距離からの連続攻撃魔法。
魔力を失った今の詩子でも、使えるのだろうか。
「完全な再現は難しいですが……足止めならできます。任せてください。先輩!」
「無理言ってすまない。時間稼ぎ頼んだぞ!」
ニコッと微笑み、頷く詩子。
俺は嫌な予感を噛み締め、メルの元に急いだ。
※ ※ ※
地下室の中は派手に散らかっており、まるで戦いの後のようだった。
そこに戸田も遅れてやってくる。
「うおっ! なんだこりゃ……」
辺りを見回すと、魔方陣の傍にメルが倒れていた。
俺はメルに近づき、声をかける。
「メル! 大丈夫か? 何があったんだ!?」
「……や、やられました。まさか、解除することで、本当の邪眼が発動するなんて……二重に邪眼を仕掛けられていたようです……」
窓から飛びだす前に見たあの緑色の眼。
「……玲菜の眼がおかしかったのは、もしかして、その影響か?」
メルはこくりと頷くと、ややふらつきながら、ゆっくり立ち上がった。
「おそらくは邪眼の刻印だと思われます。魔石の一種でしょうね」
「魔石? 眼の中に石を埋め込まれたのか?」
「そうなります。ここにある結界を利用して生み出された魔力の鉱石。それが魔石です」
「ちょっ、ここにある結界? どういうことだ?」
「……誰だかわかりませんが、この雪城家の結界に熟知した人間ということです。そうでなければ、ここの結界を利用した術式を組めるはずがありません」
スネークがこの雪城家と何らかの関係があったと言うコトか。それとも……
わからないことが多いが、詳しく聞いている暇はない。
こうしている間にも玲菜に危機が迫っている。
「その魔石を取り除けば、玲菜は元に戻るんだよな?」
「はい。取り除ければ……ですが。下手に取り除こうとすれば、最悪、死んでしまいますし、よくても脳に障害を残してしまうでしょう」
「じゃあ、どうすれば……」
俺の質問にメルは何も応えない。方法が思いつかないのだろう。
しばしの沈黙後、俺は踵を返す。
「とにかく玲菜を捕まえてくる! 話はそれからだ!」
考えていても答えがないなら、行動するしかない。
俺は声を上げて、急いで向かおうとする。
「危ねえ! 赤羽!」
戸田の緊迫した声が響く。
振り返ると、メルが魔力の籠もった手をこちらに向けている。
「勝手に動かないでください。赤羽様……」
「なんのつもりだよ! 邪魔をしないでくれ!」
「玲菜様をどうされるおつもりですか?」
メルの声はひどく低くて、殺気のようなものが感じられる。
「もちろん。助けるつもりだけど……」
「……どうやってですか? 魔石が眼に埋まっているのですよ?」
「わからない。だけど――」
魔石を取り出す方法を提示できない俺に、メルは落胆の息を漏らす。
「方法がないなら……行かせられません。玲菜様を傷つけて欲しくないのです」
「ま、待てよ! それじゃ、スネークの言いなりになってもいいって言うのか?」
「よくはありません。ですが、玲菜様が傷つくことに比べれば……」
冷徹とも思える冷たいメルの声。
メルは玲菜が死ぬことが、何よりも問題だと考えているようだ。
そして、現状から全ての状況を踏まえて、一番安全なのが、俺を止めることだと結論づけたに違いない。
スネークが玲菜を殺す気だったのなら、最初から殺しているはず。
操っているということは、生かしておく価値があると言うことに他ならない。
つまり、差し迫っての命の危機はないと言うことだ。
――だけど、スネークは厭らしい目つきで玲菜を見ていた。
玲菜が陵辱される姿を想像して、怒りがこみ上げる。
「玲菜がひどい目に遭ってる中で死ぬよりマシ。なんて思えるか!」
「……考えの相違ですね。私はそうは思いません。死んでしまったら、もう二度とやり直すことは出来ないのです」
記憶が完全になくなるのであれば、それでも良いかもしれない。
だけど、最後に玲菜が振り返った時、俺を認識していた。
意識は多少ながらも残っているかもしれない。だったら、ダメだ。
「死ぬよりも辛いコトなんて、この世にはいくらでもあるだろ! 自殺したくなるようなトラウマを、植え付けられる可能性だってあるんだぞ!?」
「トラウマなんて、生きていてさえいてくれれば、何年かかってでも私が癒やします。それが五年前のあの日から、私に課せられた使命なのですから……」
強い決意のある声だった。メルの本心を垣間見た気がする。
五年前、メルは玲菜の両親を殺した。
それからずっと、玲菜を守る事を第一の使命にしているのだろう。
玲菜の命だけは何があっても守る。全ての悪を自分が背負ってでも……
狂信的と思えるその理由に俺は納得――できない。
今まで一緒に戦ってきた仲間。それは玲菜だけじゃなく、メルだってそうだ。
メルにだけ何かを背負わせるような真似、させたくない。
「そんなの玲菜だけじゃなく、お前まで傷つくだろ! 仲間にそんな思いさせられるか!」
「……だったら、安全に魔石を破壊する方法を提示してください」
成功する可能性、失敗するリスクを天秤にかけることもなく、メルは失敗するリスクのみを考えている。でも、どんな作戦だって、失敗するリスクはある。
メルにはそこが見えていない。だとすれば、成功率を上げる提案じゃダメだ。
失敗しない提案でなければならない。
「魔石を破壊する以外にも助ける方法はある。術者を倒せばいい!」
「……操られた玲菜様が邪魔をしてきます。それでも、玲菜様を傷つけずに術者だけ倒せますか?」
確かに、玲菜を助けに行くと、操られた玲菜が襲ってくるだろう。
玲菜を傷つけずに、スネークを攻撃するのは難しい。
だけど、他に方法はない以上、やるしかないのだ。
「可能性があるなら、その方法に賭けるしかないだろ!」
ため息をつき、メルはがっかりとした顔を見せる。
「……愚かですね。もっとも愚かな答えです」
「なにっ!」
「可能性の話をするなら、あなたが何もしなくても、このピンチを玲菜様が自力で対処されるかもしれません」
「――っ、今の玲菜がそんなこと出来るのか?」
「もちろん。でも、限りなくゼロに近いと思いますが……」
「だったら――」
「あなたの言っている話と、そう変わらないのではないですか? 希望的観測……という意味では」
「――っ」
返す言葉を見つけられずに、グッと奥歯を噛み締める。
メルは落胆を色濃く見せ、一歩踏み出した。
「痛めつけられてから諦めるのと、最初から諦めるのは、どちらを選びますか?」
「……いや、もう一つ選択肢はある。お前を倒すことだ」
「それが出来ると思っているのですか?」
ルーミアやレンマースが同格以上に考えているメル。
普通なら勝ち目なんてない。だけど、それは完全体での話だ。
今のメルは、マトモな体を持っていない、魔力だけの存在。
勝ち目はあると思う。だけど、問題はそこじゃない。
魔力体であるメルをソードで攻撃したら、メルが消えてしまうかもしれない。
そうなったら、玲菜を助けることができても、玲菜は決して喜ばないだろう。いや、むしろ、深く傷ついてしまうかもしれない。
自分のせいでメルが消えてしまったと……
ダメだ。力尽くでまかり通るわけにはいかないようだ。
説得もダメ、力で押すのもダメ。
あとは具体的なアイディアだが、そんなものは浮かばない。玲菜を傷つけずに、魔石を取り除く方法も、スネークを倒す方法も、何ひとつ。
俺は苛立ちを隠せず、強く頭を掻いた。
「ああっ! もう! 玲菜を傷つけずに魔石をぶっ壊す方法。何かないのか!」
「ぶっ壊すだけでいいなら、俺の神器が使えそうだけどな……」
いきなり話に入ってきたのは、ずっと黙っていた戸田。
戸田は言って、胸元から首飾りを取り出す。
ネックレスの固有能力は『破壊』。
公園の地面を派手にえぐったあの力だ。あんなのを玲菜に向けて使ったら、魔石だけじゃなく、顔まで吹っ飛んでしまう。
「バカ言うな。あんな力を玲菜に向かって使えるわけないだろ!」
「だ、だよな……」
戸田は苦笑しながら、言葉を濁した。
意味のないアイディアを出したと気がついたのだろう。
誰もが考え込み、言葉を無くしたところで、メルがハッとした顔を見せる。
「いえ、ネックレスの力、使えるかもしれません!」
戸田の思いつきに、まさかメルが乗ってくるとは。
しかし、どうやって使うのだろう。
首を傾げる俺たちを見て、メルは言葉を続ける。
「『破壊』の力は、無機質なものにしか効果がありません。玲菜様を傷つけずに、魔石だけ破壊出来るかもしれないのです」
以前、玲菜から聞いた話を思い出す。『破壊』は生物には効果がなく、戦闘には向かないと言っていた。
「じゃ、じゃあ!」
「はい……ですが、もしも、魔石が眼の中に埋まっていたら、『破壊』は発動しません」
眼自体は生物であるため、その中にあると、魔石を破壊できないのだろう。
「埋め込まれている可能性は?」
「……ゼロではない。と言ったところでしょうか」
「だったら、いけるな……最悪、眼を切りつけて、魔石を表に出せばいい」
玲菜の血塗れの姿が連想され、ゾクリと体が震える。
メルの目つきがスッと細くなった。多分、メルも同じ想像したのだろう。
「……玲菜様を傷つける行為は、許さないと言いましたよね?」
脅すようなメルの声。
だけど、恐れるわけにはいかない。はっきり言うのだ
「メル。それは違うだろ。お前はさっき、玲菜がどんな目に遭おうとも、死ななければいいって言った。つまり、眼を失っても良いってコトだ!」
「――っ、そ、それはそうですが……」
メルは自分の言葉を思い出し、表情を歪める。
苛めているようで気まずい。俺は小さく咳を払う。
「そんな顔しないでくれ。俺だって、玲菜の眼を切るような真似はしたくない。それは最終手段だ」
メルは何も言わない。返す言葉がないのだろう。
ただジッと俺と視線を合わせていた。俺の決心を試すかのように。
そこに、落ちつきなく詩子が入ってくる。
「先輩! 雪城先輩は街外れの廃ビルに隠れて――って、どうしたんですか?」
見つめ合っている俺とメルを見て、詩子がキョトンとした声を出す。
もう時間がない。もうすぐ玲菜は目的の場所につく。
そこにはきっとスネークがいる。急がなければ。
「必ず玲菜を助けてみせる。信じてくれないか? メル」
「無理、ですね。……私はあなたを信じられない」
目的も方法も覚悟も話したのに、ハッキリとした拒絶。
がっくりと肩を落としそうになる。
もう、やるしかないのか。
ソードに手をかけようとした俺に、メルは小さく笑みを溢す。
「でも、きっと玲菜様はあなたを信じるはずです。ですから、私は玲菜様を信じます」
「メル……」
「玲菜様のコト。よろしくお願いします」
メルは直角になるほど丁寧に頭を下げた。
本気で玲菜を心配しているのが伝わってくる。
「もちろんだ。絶対に正気にもどして、連れ帰ってくる!」
俺は急いで振り返り、戸田を見る。
「戸田! 悪いが付き合ってもらうぞ!」
「も、もちろんだ! お前を手伝うために俺はここに来たんだからな!」
俺の言葉で戸田は明るい顔になった。
慌てたそぶりで、詩子が声をかけてくる。
「せ、先輩っ! 私も行きます!」
「……詩子はここで待っていて欲しい」
「なんでですか? ほとんど台詞のない戸田先輩よりも、役に立ちますよ?」
「会話してるから! 裏でたくさん話してるから!」
戸田は突っ込みつつ、期待した顔を俺に見せる。
「いや、そんなに会話をしている覚えは――」
「いらねえよ、その突っ込み! そうじゃねえだろ!」
俺の記憶に残ってないだけで、裏で話しているのだろう。
そもそも、台詞に関しては詩子もあまり変わらない。
追求するとまずいコトになりそうだ。
「台詞がないのはともかく、詩子には『観察』で援護に回って欲しい。なにかあったらすぐに連絡してくれ」
「で、でも……」
「これはお前にしか出来ないことなんだ。頼む」
詩子はキュッと唇を噛み締めると、笑顔で頷く。
「わかりました……先輩、くれぐれも気をつけてくださいね?」
俺は戸田の腕を掴むとソードを解放する。
全身から魔力が吸い出されていくような感覚だ。
普段とは明らかに違う状態だが、そんなこと今はどうでもいい。
一刻も早く、スネークの魔の手から玲菜を救うのだ。