第三十五話 詩子の隠された力
人間の記憶なんて曖昧で、真実の半分は、自分の思い込みでできている。
だから、目の前に詩子が現れても、どうやってここに来たのか、どんな気持ちなのか、どこにいたのか、なんて考える余裕もなかった。
「う、詩子……どうしてお前がここに?」
「七海……殺されたんですよね? 話、聞こえてました……」
詩子は物憂げな顔で、電話を見せる。
神条との会話を含めて、全て聞かれたと思うべきだろう。
覚悟を決めた顔で詩子は、一歩踏み出す。
「私も手を貸します! 七海の仇を討ちたいんです!」
「ダメだ。お前を巻きこむわけにはいかない!」
真剣に言う詩子に対して、交渉の余地も与えない否定。
自分でも、どうしてだかわからないほど、反射的なものだった。
詩子は憂いを帯びた顔を見せる。
「ど、どうして、どうしてですか? そんなに……私って頼りないですか……?」
「そうじゃない! そうじゃないけど……本当に危険なんだ……」
理由を聞かれてもよくわからない。だけど、巻きこみたくない。
そう言う思いしか出てこないのだ。
「だったら……どうして、雪城先輩を連れ出すんですか? 危険なんですよね? 雪城先輩は死んでもいい……そういう話なら納得します」
詩子はまっすぐに俺を見つめてくる。俺が頷けば、それで終わる話だ。
だけど、玲菜が死んでもいいなんて思っていない。
むしろ、逆に守りたいと思っている。だから、頷けない。
考え込む俺に、詩子が哀しげな目で言葉を付け足す。
「……違うなら、理由くらい、教えてください……」
危ないとか、怪我するとか、そう言うコト以外での理由を求めているのだろう。
しかし、それ以外に理由はない。
けど、なんで玲菜は良いんだ。この答えが見つからない。
「そんなの、頼りないからに決まってるじゃない?」
答えを出せない俺の代わりに答えたのは玲菜。
呆れるような顔で肩を竦めていた。
「あ、あなたには聞いてません! 勝手に口を出さないでください! 私は先輩に聞いているんです!」
「他に理由があるなら言ってるわよ。でも、言わないってコトはそういうコトでしょ? ねえ、春馬」
「そ、そうなんですか? 先輩……」
玲菜と詩子が同時に俺を見つめてきた。
これはどっちに合わせても、修羅場になりそうだ。
だけど、詩子に嫌われたとしても、巻きこむよりはマシ。
「ああ、玲菜は強いと思っているから……そういうことだろう」
「それなら問題ありません! だって、私の方が雪城先輩よりも強いですから!」
全くもって意外な答え。いや、いつも詩子はそう言い続けているか。
どこからそんな自信が来るのか不明だ。
だったら、詩子も戦えば良いんじゃないのか、そう思ったとき、強烈に過去の記憶が蘇る。詩子が傷つき倒れた、五年前のあの日が……詩子が戦いに加わって欲しくない本当の理由ともに。
「それでもダメだ……もう見たくない」
「なに……をですか?」
チカチカと目の前がちらつき、目眩と一緒に記憶がちらつく。
思い出したくなくて、封印し続けた記憶。
「五年前のあの日、俺はお前を守れなかった。……お前が傷ついて倒れるのを、黙って見ていたんだ」
俺の言葉に詩子は目を丸くする。
それから逡巡すると、ニコッと微笑んだ。
「……違いますよ。それは違います」
「そんなはずない! 俺の目の前でお前は倒れて――」
「だって、最初に守ってくれたのは先輩なんですよ? 殺されそうになった私を、必死に守ってくれていたんです!」
詩子の楽しげな声に、過去の記憶が呼び覚まされる。
※ ※ ※
五年前の夕焼けの帰り道、詩子と化け物に襲われた。
あまりにも人間離れした異形な姿で、それがなんのか、子どもの俺にはわかるはずもない。
隣で泣き叫んでいるのは、幼なじみの詩子。
ひどく脅えた顔で、体を丸めて震えていた。
俺はそんな詩子を守ろうと、必死になって拾った棒を振り回す。
けど、手も足も出なくて、どうしようもなかった。
そいつが爪のような何かで、一方的に俺を切りつけていく。
全身は傷だらけで、血が噴き出し、いつ死んでもおかしくなかった。
それでも詩子だけは助けたくて、俺はそいつの前に立ちふさがり続ける。
だけど、そんな俺を詩子は押しのけ、自分から怪物の前に姿を投げ出した。
まるで俺を守るように――
そして、詩子は全身を切り刻まれて、倒れた。
気が狂いそうだった。何もかもが禍々しくておぞましく見えた。
俺は雄叫びを上げて、そいつに突っ込んでいった。勝てるはずもないのに。
だが、最終的に俺たちは助かった。奇跡が起きた。神様はいた。
駆けつけてきた男女が、俺と詩子を助けてくれたんだ。
※ ※ ※
思い出した。確かにそうだ。
あの頃の記憶が曖昧なのは、思い出したくない記憶だからだろう。
「どうして……詩子はあの時……?」
「私のせいで先輩が死にそうだと思ったら、体が勝手に動いたんです……」
「勝手にって……」
全身を切り裂かれた詩子は、死にかけて長期入院することになった。
そうだ。あれからだ。俺が誰かに守れるのがイヤなったのは。
入院して辛そうにしている詩子を見て、耐えられなくなったんだ。
「守れなくてごめんって……ずっと謝りたかった。だけど、俺……入院しているお前を見てるのが辛くて……」
「わかってます。先輩は本当に優しい人ですから、私が傷ついたのを自分のこと以上に、傷ついてしまったんですよね」
詩子は全てを見透かしたような、柔らかい笑みを見せた。
その笑みが、逆に俺の心をグサリと突き刺す。
何もできなかった自分が情けなくて。
「だったらわかるだろ! もう、お前が傷つくところなんか、見たくない! だから、戦いには関わって欲しくないんだ!」
「……同じですよ。私だって……先輩が傷つくところ、見たくありません!」
信念の籠もった詩子の声。多分、考えていることは同じなのだろう。
互いに相手を守ろうとしている。だから、互いに譲れない。
話は平行線のまま、時間だけが過ぎていく。
なぜか玲菜が時間を気にして、イライラとした素振りを見せている。
何か用事でもあるのだろうか。
そんな時、魔力を発しながら、こちらに向かってくる二人組の姿があった。
黒いローブに身を包んだその姿は、どう見ても魔闘師。
悠然と俺たちの前に、その二人は立ちはだかった。
フードの下から見える顔は、二人とも若い男だ。
「いつまでもこんな場所にいて、俺らに殺されるとか思わなかったのか?」
明らかに厄介事を持ってきた感じだ。
全身に魔力をみなぎらせている。
もしかしたら、俺たちを殺そうとしているのかしれない。
玲菜が自然と俺たちの前に立つ。
「なによ。まさか、戦いを挑もうってコト? 大した実力者には見えないけど、アンタらが、代表のうちの二人ってコトで良いのかしら?」
「俺たちは独断で動いてる。代表とは関係ない!」
「ふーん、神条の言うこと破っていいの?」
玲菜が冷たく質問を投げると、二人は一度だけ顔を見合わせる。
「こんな極東までやってきて、何の手柄も立てられないなんて、我が家の恥だ。なんとしてでも、お前たちを殺して――」
話しているところに玲菜が魔弾をぶち込んだ。
不意を突かれたらしく、一人の魔闘師が吹っ飛んでいく。
岩壁に頭を激しくぶつけ、ピクピクと体を震わせる。
一発で気絶してしまったようだ。相変わらず容赦が無い。
「ごめんなさい。――時間ないのよ。さっさと始めましょう!」
謝りながらも、全く悪びれた様子のない玲菜。
残ったもう一人の魔闘師が、玲菜に向かって襲いかかる。
戦闘は玲菜が優勢に進めていく。
しかし、気絶していた魔闘師が立ち上がり、玲菜を襲おうとする。
さすがに二人を相手にするのは厳しいだろう。
俺はソードをとりだし、立ち上がった魔闘師に向かっていく。
だが、ソードの力で『強化』しようとして、悪手だったことに気がついた。
「クソっ……神器が使えない」
玲菜は俺たちが戦えないと言うことをわかっていたんだ。
だから、すぐに俺たちの前に立ち、有無を言わさずに攻撃して、ターゲットを自分だけに絞らせたのだ。
玲菜の努力が水の泡になるコトをしてしまった。
チラリと詩子を見るが、詩子もバレッタが使えない以上、ただの女子高生だ。
俺だけでなんとかするしかない。魔闘師はニヤリと口角を上げる。
魔力の強化さえしない俺なら、楽勝だと思ったのだろう。
遠慮なしに魔弾を放ってくる。
「なめんなよっ!」
俺はさっき魔界で覚えたばかりの魔法障壁を展開した。
相手の魔法自体は軽く。防ぐのは容易。だけど、攻撃ができない。
ソードが使えないというのが、どこまでも痛い。防戦に一方になったところで、魔闘師は詩子に目がめて魔法を放とうとする。
俺ではラチがあかないと、何もできない詩子を狙ったのだろう。
まずい。俺は飛び込むように詩子の元に駆け寄った。
俺は精一杯、手を伸ばし、詩子の腕を掴む。だが、体勢は崩れている上に、魔弾は目の前。とてもじゃないが、魔法障壁は間に合わない。
「詩子っ! お前だけは俺が守る!」
俺は詩子をしっかりと抱きしめ、体全身を使って守ろうとした。
だけど、その抱擁を詩子は自ら外そうとする。
「ほら、先輩。こうやって、私をいつも守ってくれるんですよ?」
詩子はいつもの和やかな笑みを浮かべたまま、俺の手をスッと抜けた。
飛んできた魔弾に前に体をさらし、詩子は両手を前に出した。
五年前の詩子の姿がフラッシュバックする。ダメだ。
また詩子が傷ついて倒れてしまう。
「詩子っ!」
絶対に詩子が傷つくと思った。どうしようもなく体中が震える。
詩子は背中越しにはっきりとした声を出す。
「先輩、あの時の私は弱かったんです。だから、みんなが傷ついてしまった。……でも今は――違います!」
壮絶な爆発音を立てると、飛んできた魔弾を詩子は軽々とはね除ける。
全身から放たれる圧倒的な魔力。信じられない光景だった。
「詩子……?」
「雪城先輩より強い証拠、見せますね。――私は戦えます」
楽しげに笑った詩子は、まるで水を得た魚のように、優雅に動き、あっという間に魔闘師を倒した。使った魔法も二つ程度。
詩子の完勝と言わざるを得ない結果だった。
※ ※ ※
俺たちが駆けつけると、玲菜の方も戦いを終えたところだ。
相手の魔闘師は地面に伏している。
「そっちも無事だったみたいね」
割と余裕のある表情で、俺たちを見つけた玲菜が笑みを見せた。
詩子は倒れている魔闘師を憎らしげに睨む。
「殺さないんですか?」
「いきなり物騒なことを言うなよ!」
「七海の仇ですから……」
詩子は悔しげな顔で唇を噛み締めた。
確かにそうだ。これはもう雪城家を守るという話だけではない。
だけど、コイツらを殺しても意味がない。
「なら、主犯格をつぶさないとな」
「そうですね。七海を殺した犯人に伝えてください。――絶対に殺しますから、ってね」
ゾクッとするほど、冷たい笑顔を詩子は見せた。
体をひきづりながら、魔闘師はもう一人を担ぎ、去っていく。
それを見送り、俺はさっきの疑問を詩子にぶつける。
「どうして、お前にこんな力が……? 神器だって使ってないんだろ?」
詩子は言いにくそうに顔を背ける。
まるで、最初から魔法が使えたかのようだった。
どういうことだろう。
顎の下に手を当てて考えていた玲菜が、ポンと柏手を打つ。
「そうか。私たちは誤解をしていたのよ。神器のせいで魔法使いになったってね。でも違う。神器と契約をしても魔力は高まらない」
「え? でも、神器の力を解放すれば、魔力も高まるぞ?」
ソードを握るといつも体中が魔力に満ちあふれていた。
魔力が高まらないなんて、とても思えない。
「だから、それが勘違いなのよ。ソードの固有能力は『強化』体力も筋力も魔力も全て、強化させる。知力は残念だけど……」
「その最後の下りいらなくない!?」
まるで俺の頭がどうしようもないみたいじゃないか。
玲菜がコホンと咳をする。
「アンタが四つの神器を使ったときもそう。ソードがメインで魔力を高めるから、他の神器との相乗効果で能力が何倍にもなったのよ。……知力以外は」
「同じネタ、なんどもやめて!」
知力が強化されないことはわかった。だけど、それが一体何だというのだろうか。神器がなくなった以上、魔力が無いことには変わりない。
玲菜は鋭い目を詩子に向ける。
「白峰さん……あなた、最初から。いえ、バレッタと契約するよりも以前から――魔法、使えたわね?」
玲菜の質問に詩子は言葉を無くす。
それを横目に見て、玲菜は俺の方を向く。
「春馬の魔力が強化されるからずっと誤解してたわ。神器を発動させると魔力が高まるってね。だから、白峰さんが私と同等……はないか。近いくらいの力があってもおかしくはないと……」
「同等をわざわざ言い直すところがキモいです。むしろ私が上ですよ?」
こんな時でも突っ込みを忘れない詩子は見事だ。
でも、さっきの力は玲菜よりも凄かったかもしれない。
玲菜は髪をいじり、詩子を横目に見て、俺の方を向く。
「神器は魔力を増強なんてしてくれない。相澤と戦った春馬ならわかるでしょ?」
相澤は魔法に関してなにも使えなかった。
アミュレットがそばにあったのにだ。
つまり、玲菜が言っていることは正しい。悪魔契約をする前の相澤。
あれが一般人がマスターになった典型と考えるべきだろう。
「さて、何かいいわけがあるなら聞くけど?」
「別に……雪城先輩にはありません。というか、どう思われても構いません……私が気にしているのは……」
詩子はそう言って言葉を濁し俯く。
玲菜に言いにくいのではなければ、この場にいるのは俺だけ。
俺に言いにくいことなのは間違いない。
「え、と。俺がここにいない方が話しやすいなら……」
「そんなことはありません! ただ、先輩が気にするかもしれないので……」
「なんだよ。どういうことだ?」
詩子は逡巡し、それから、思い切った表情を見せる。
「私がこの力に気がついたのは、五年前の事件のあとです……」
「俺たちが怪物に襲われたあの日か?」
詩子は小さく首を傾げ、頷く。
「はい……あの日、私を守れなかったこと、先輩がずっと悩んでいたの知ってます。……だから、こんな力に目覚めたなんて言えませんでした……」
言えば俺が、もっと気にすると思ったのだろう。
確かにあの頃の俺はひどく弱っていた。
知ってしまったら、さらに自分を責めたような気がする。
詩子の話に納得していないのか、玲菜が眉間にシワを寄せた。
「でも、魔力があっても、魔法なんて使えないわよ? 師匠もなしに魔法語はどうやって覚えたの?」
俺が魔法を使えないのは魔力が無いからではなく、魔法語と言うヤツを覚えていないからだ。母国語さえ苦手な俺が、一つの言語をマスターできるはずがないと、玲菜の気配りだろう。
ひどく失礼な話だが、間違ってはいない。
「不思議と言葉が頭に浮かんでくるんですよ。あとはそれを魔法として紡ぐだけ。それだけで何年も修行されている雪城先輩よりも強くなれるんです」
「だから、私の方が強いわよ! 勝手にねつ造しないで!」
「えー、さっきやられそうだったのに、ですか?」
「――っ、結局、勝ったじゃない!」
玲菜の突っ込みを詩子は素知らぬ顔で無視して、俺を見つめてきた。
何かを信念の籠もった顔だ。
「先輩、これでも私、力になれませんか?」
間違いなく力になってくれると思う。でも、安全かどうかという質問なら、答えは別だ。しかし、それを言ったところで詩子は納得しない。
俺が迷っていると、隣から大きなため息が聞こえてくる。
「いいわ。時間もないし、戦う力があるなら、手伝ってくれると助かるわ」
「おい、詩子を巻き込む気はないって、言っただろ!」
「私は急いでるの……だったらいいわよ。先に行くから。アンタたち二人でやり合ってもらえる?」
あまりにも素っ気ない言葉に、玲菜の行動を思い出す。
魔闘師に絡まれる前から、玲菜は落ち着かない様子だった。
何か急ぎの用事でもあるのだろうか。
「……どうしたんだ急に?」
「メルが消された理由がわかったかもしれない……学校へ急ぎたいの!」
どうやら、すでに次の目的地が決まっているらしい。
チラリと詩子を見ると、絶対について行くという顔をしている。
魔力で強化すれば、移動は早くなる。
ソードもない俺では、巻くことはできないだろう。
「もしかして、ここに来るのが早かったのは、魔法を使ったからか?」
詩子はコクンと頷く。詩子の家は俺の家のそばだ。
俺の家から玲菜の家まで、徒歩で二十分ほど。猛ダッシュしても、十分程度はかかるだろう。それなのに、詩子は数分もかからないで到着している。
間違いなく詩子は魔法使いなんだ。それも数年前から。
仕方ない――
「わかった。だったら、詩子、絶対に無理はするなよ? ……あと、俺を庇って傷つくのもやめろ。いいな?」
「はいっ。努力します!」
満面の笑みを見せて、詩子は俺の腕を掴んできた。
詩子の豊満な胸がプニプニと腕に当たる。本当に詩子は胸がでかい。
思わず、俺の顔もにやけてしまう。
「な、なな、なにしてんのよ! 一緒に戦うのは許したけど、イチャイチャするのを許可した覚えはないわ。離れなさい!」
玲菜の表情が鬼のように強ばっていた。
そんな玲菜に怯むことなく、両目をつぶり、べーと舌を出す詩子。
「雪城先輩の許可なんて、最初からどうでいいですよーだ!」
ムキィーっと、玲菜の絶叫が響く。
次の目的地は学校。メルが消された理由とは一体……?