第二十五話 五年前の襲撃者
日付変わって水曜日、諏訪との約束最終日。
あの後、七海を見送っていると、玲菜がいきなり倒れた。
急いで連れて帰ってアヤに見てもらったところ、かなりの魔力を消耗しているが問題はないようだ。
それから一晩過ごしたが、朝、学校に行く時間になっても、玲菜は眠ったまま。
メル曰く、魔力の充電中なので、魔力が戻れば目を覚ますらしい。
「先輩、そんな人放っておいて、学校に行きましょう」
相変わらず身も蓋もない詩子の提案。
念のため昨晩も泊まっていた詩子は、朝から非常に元気だ。詩子も限界近くまで魔力を使ったはずなのに、玲菜との違い。
詩子の回復力が異常なのだろうか。
「ほら、先輩、早く早く!」
詩子に誘われるがまま、俺は学校へ向かう。
学校を休んで神器の捜索も考えたが、ソードも依然として魔力が戻っておらず、小さくすることも出来ない。
メルに魔力の補充をお願いしてみたが、玲菜が眠っている今は無理なようだ。
何か手がかりだけでも見つけなければ。気持ちだけが焦ってくる。
通学途中、俺は隣で楽しげな顔を浮かべている詩子に目を向けた。
「詩子。神器かマスターの情報、持っていたら教えてくれないか?」
「……すみません。何もありません。私が髪留めを使いこなせるようになってから、おそらく一度も発動させていないと思います」
申し訳なさそうな顔で詩子は頭を下げる。
ウソを言っているようには見えない。
俺はがくりと肩を落とす。
「……そうか……もうお前だけが頼りだったのに……」
「っ! ですよね! 雪城先輩より私の方が頼りになりますよね! ちょ、ちょっと待っててくださいね、先輩! 街全体を探ってでも情報を手に入れますから!」
詩子は顔をらんらんと輝かせると、急いで学校に向かって行った。
街全体って、アイツ授業どうするのだろうか。
疑問が湧くがこの際許してもらおう。強力な助っ人になってくれそうだ。
※ ※ ※
昼休みになっても、詩子から連絡はない。
捜査は難航しているようだ。
俺は詩子に話を聞こうと、詩子のクラスへ向かう。
歩きながら、これまでの情報を整理しておこう。
諏訪との約束はおそらく深夜零時、日付が変わる瞬間までだろう。
それまでに集められなければ、おそらく魔闘師がやってくる。
諏訪と同程度のレベルと言うことなので、単独ならともかく、複数人もいたら戦って勝つのは難しい。
なんとか、今日中に全ての神器を揃えて終わらせたいところだが、その情報が何一つない。
一度も発動させていないと詩子が言っていたことから、完全に隠れてやり過ごす気だ。そんな奴、『観察』でも探すのは困難に違いない。
そんなことを考えながら、三階の渡り廊下を歩いていると、反対側から坂上先生がやってくるのが見える。
俺が切りつけた腕はもう治っているようで、包帯は外していた。
坂上先生はニコニコして俺の前で足を止める。
「こんにちは、赤羽君……今日は一人ですかぁ?」
昨日、あっさりとローブを渡してくれたとは言え、油断は出来ない。
この人は最初から俺だけを狙っていたのだから。
「……俺に何か用か?」
「いやですねぇ、そんなに構えないでくださいぉ。何もしませんよぉ、ただ、雪城さんの顔を見ないので、何かあったのかなって」
「アイツ、今日休みだ……これで満足か?」
俺が坂上先生の横を通り過ぎようとする。
ちらりと横目に俺を見て、坂上先生は楽しげに声を上げた。
「五年前、この美沢市に謎の魔法使いが現れたって話、ご存じかしら?」
突然、坂上先生の口調が変わり、俺は身構える。
「いや……知らないけど……」
「……ふふふ。それは知らないんじゃなくて、忘れたのじゃなくて?」
挑発的な物言い。
「何が言いたいんだ?」
「二人の子どもが襲われたわ。……あなた達、二人じゃなかったかしら?」
「あなた達……?」
俺が慌てて振り返ると、そこに詩子の姿があった。
「はぁ……はぁ……せ、先輩に……何の用ですか?」
走ってきたのか、胸に手を当てて、少しだけ苦しそうだ。
それでもしっかりと詩子は坂上先生を睨んでいる。
「あら、白峰さん、こんにちはぁ」
「何の用かと聞いているんです!」
詩子は完全に感情むき出し。
一方の坂上先生はケラケラと笑う。
「やだなぁ、そんなに怒らないでぇ、別になにもしませんよぉ?」
「先輩……行きましょう。こんな人の話を聞かないでください」
詩子が俺の袖を引いて、その場を去ろうとする。
どうやら、俺が坂上先生と話をするのを避けたいようだ。
「ふん、ずいぶん身勝手ね」
坂上先生がそう言った瞬間、後ろから炎の塊が飛んできた。
「マスター、気をつけろ!」
「大丈夫です。わかっています」
とん、と詩子は後ろに跳び、俺の背に回る。
そこで手を伸ばし、炎の魔法を受けとめた。
バレッタの力だろうか、炎はいともたやすく消える。
「だから最初に言っただろう、この女狐は信用できないと……」
ここにはいない誰かの声、おそらくバレッタのものだ。
「あら、ずいぶんな言いぐさね。裏切って情報を売ったのはそっちでしょ? 不可侵協定じゃなかったかしら?」
詩子はチラッと俺を一度だけ見て、すぐに視線を戻した。
「私は先輩に手を出さない間は……とハッキリ返事しましたけど? あなたはその約束を破った。手を切られて当然じゃないですか!」
どうやら、この二人は手を結んでいたらしい。それが先日、破棄された、そんなところだろう。どこかしら二人の雰囲気は悪い。
しかし、もう争う必要はないはずだ。
「ちょっと待ってくれ、坂上先生はもう神器は持ってないんだろ? だったら、もう争う理由はないんじゃないのか?」
俺が止めに入ると、詩子が困った顔を見せる。
「私はそのつもりです……でも、相手がそうは思ってないのでしょうね」
「そうね。少々調子に乗ってるようだし、お灸、据えたいわね」
詩子はキッと睨み付ける。
「奇遇ですね。私も近づくなと言った先輩に平然と近づく、あなたを思い知らせたいですね」
バチンッと、二人の魔弾がぶつかり合った。
軽い挨拶のようなものだろう。二人は微動だにしない。
「マスター、本気か? ここでは君の得意魔法は使えないぞ? 使えばこの渡り廊下ごと破壊することになる」
「向こうがやる気なのですから仕方ありません。無駄口叩いてないで、弱点でも『観察』してください」
「どう考えてもマスターが、ケンカを売ったような気がするが……」
「バレッタ。もう一度言わないとわからないの?」
「了解だ。マスター、勝手にくたばれ」
バレッタの悪態で、二人の会話が終わる。
坂上先生はそれを楽しげに笑う。
「バレッタの言うとおり、引いた方が良いんじゃなくて?」
「先生が二度と先輩に近づかないのでしたら、そうさせてもらいますが?」
「……そう、交渉は決裂のようね」
さきほどよりも遙かに大きな音が轟き、二人の魔力がぶつかり合う。
渡り廊下の窓ガラスがカタカタと振動をあげる。
一触即発、いや、すでに魔力比べは始まっているのだろう。
「坂上先生、このまま戦いになるなら、俺は詩子の味方をする。いいか?」
「ふふふ。ソードもないあなたは別に怖くないわ。好きにしてちょうだい。でも……その場合、あなたの命も保証しないわ。よく考えて行動することね」
坂上先生の冷たい声、警告。
戸惑う俺を尻目に詩子は坂上先生に手を向ける。
「えいっ!」
かわいい声で詩子は魔法を放った。
飛んできた魔弾を坂上先生は容易く防ぎ、反撃をしてくる。
詩子はそれを防げずに吹き飛ばされた。
今のやりとりだけ見れば、坂上先生の方が魔力は上。
得意の光の矢も使えないと考えると、状況は厳しそうだ。
手伝いたくても、ソードもない俺では出来る事なんて限られている。
「詩子、逃げるぞ!」
俺は詩子の手をとって走り出した。
人のいる場所に逃げれば、きっと坂上先生も攻撃をやめるはずだ。
周りを見るが、さっきから明らかに人の気配を感じない。
「逃げても無駄よ。すでに人払いを発動させているわ。この三階以降には誰も近寄らない。そして――」
俺は下の階に逃げようとしたが、足がそこで止まってしまう。
階段の踊り場では苦しそうに倒れている何人もの生徒がいた。
「三階から二階への階段部分は命を削ることになるわよ」
下へも逃げられない。だとすれば上しかない。
飛んでくる魔弾を詩子が防ぎつつ、俺たちは逃げ続ける。
くそ。ソードさえあれば。
絶望的な状況、そこに俺の携帯が音を奏でる。
名前を見て、逃げつつも電話に出た。
「玲菜っ! 目を覚ましたのか?」
『ええ、一時間ほど前にね……で、なにやってるの? 学校から……すごい魔力を感じるんだけど……』
完全に状況はバレているようだ。
学校内で激しく魔力を垂れ流していたので、以前、玲菜が仕掛けた結界に反応したのだろう。俺は今の状況を玲菜に説明する。
『だったら、屋上に行きなさい。そこで――』
玲菜から聞かされたのは、結界の話。
俺と詩子は階段を駆け上がり、屋上へ向かった。
※ ※ ※
玲菜の言うとおり鍵のかかっていない屋上の扉を開ける。
空には晴天が広がっていた。
結界はもうすぐだ。屋上に踏み込み、足を止める。
すでに屋上には先回りした坂上先生がいたのだ。
「遅かったわね。待ちくたびれましたよ」
ぷかぷかと空に浮かんでいる魔法の片鱗。すでに準備は万端。
一斉に魔法が襲ってきそうだ。
結界まであと少し、気を逸らして、何とか近づけないだろうか。
おそらく彼女が話したいのは、五年前の魔法使いの話。
遠い昔の記憶だ。それを活用させてもらう。
「五年前、襲ってきたのはお前だったのか?」
「違うわよ! そんなわけないでしょ。私がこの地に来て、せいぜい一年よ。五年も前の話なんて知らないわ」
だとすれば、坂上先生の目的は一体。
考えている素振りをみせ、俺は少しずつ、屋上の結界の場所に近づく。
それに気づかないのか、坂上先生は笑顔のまま言葉を続ける。
「その魔法使いが現れて、ほどなく、この地からあるものが消えたわ。それがどこにあるのかを知りたいのよ」
「な、なんだよそれ……」
「考えればわかるんじゃない? 雪城さんがずっと探しているのに見つからない物――聖印よ」
ぞくりと寒気が体中を襲う。
いろいろと繋がらないことが一つにつながっていくそんな感覚。
ちらりと横を見ると、青い顔色で詩子が俺を見ていた。
「先輩、あの時のこと……覚えていますか?」
「ああ、ぼんやりとな。なにかすごい相手に襲われて、助けに来てくれた人がいることくらいだ」
俺の返事を聞いて、詩子は小さく笑う。妙に引っかかる笑みではあったが、その意図はつかめなかった。
俺に同意を求めるような顔で、詩子が口を開く。
「……もしかして、襲ってきたのは、雪城先輩のご両親なのでしょうか?」
詩子の意見に頭がくらくらとしてくる。
俺と詩子が襲われたのが魔法使いで、俺がレガリアを持っているかもしれないと言うことは、襲ってきた奴、もしくは助けに来てくれた男女、どちらかが玲菜の両親なのは間違いない。
そして『五年ほど前に死んだわ。ある戦いでね……』と、両親の話をした時、玲菜がそう言った。
それが俺たちが襲われた時の戦いであるなら、俺と詩子が無事だった以上、殺されたのは襲ってきた方だ。
逆ならば、俺たちはその場で殺されていたはずだ。
つまり、こんな仮説が立てられる。
俺たちを襲ってきたのが、玲菜の両親で、それを助けに来て人間が何かのきっかけでレガリアを手に入れてしまった。
そして、それを知らずにかわざと、今も隠している。
だから、どんなに玲菜が探しても見つからない。
嫌な現実を突きつけられ、俺は小さく舌打ちをした。
「……お前の役目って、この地でレガリアを探すことだな? 他にも情報はないのか?」
「ふふふ。私に勝ったら教えてあげるわ。その代わり私が勝ったら、全て吐いてもらうわよ」
ならば、倒して話を聞いてやる。俺はちらりと地面に目を向けた。
さきほどから、話をしながら少しずつ、場所を移動している。
ここまで来ればあとは、突っ込むだけだ。
あと数歩に踏み出せば、結界を発動させられ、戦況は一変する。
「回路変換!」
俺は魔力を全身に走らせ、駆け寄り、地面に手を置く。
すべての魔力をその手の平に集めた。
――しかし、何も起きなかった。
何度、何度も魔力を走らせても地面に変化はない。
顔を上げると、坂上先生が笑みを浮かべている。
「残念ね、結界は発動しない。術者がこの学校にいないんですもの。これくらいの妨害は容易いわ」
坂上先生が指さした先には、ナイフが刺さっている。
おそらくあれが結界の発動を阻害しているのだろう。
「く、くそ……」
俺はじりじりと後退る。
少しでもそこから離れようとしていた。
「悪あがきは終わりかしら? なら、終わりでいいかしら?」
「……ああ、終わりだ。――俺たちの勝ちでな!」
キョトンとした顔を見せる坂上先生。
そこに突然、風を切り裂く音が空から振ってくる。
俺の目の前に姿を見せたのは、一筋の刀。
坂上先生と俺との間に割り込み、地面に突き刺さった。
「お待たせしました。マスター」
ソードの声が響く。
俺が魔力を発した場所に向かって、玲菜がソードを転移させてくれたのだ。
俺は手を伸ばす。
「助かったぞ! 来てくれ、ソードっ!」
「させるものですか!」
坂上先生が俺とソードの仲を邪魔しようとするが、それよりも早くソードは俺の手元にやってきていた。
しっかりと手に取ると、溢れんばかりの力がこみ上げてくる。
どうやら、メルが魔力の補填をしてくれたようだ。
第二段階の発動も可能だろう。これなら負ける要素はない。
俺はソードを坂上先生に向ける。
「形勢逆転だな。この間の続きするか?」
坂上先生は肩を竦めると、呆れ顔を見せた。
「……やめておくわ。ソードとバレッタ、二つを相手にするのは、さすがに骨が折れそうだもの」
俺はソードを向けたまま、坂上先生のそばに寄る。
「じゃあ、話してもらうぞ。この学校に聖印があるのか?」
「私はてっきり、あなたたちが持っているのかと思っていたんだけど? ……特に赤羽君、あなたがね」
先日の俺と玲菜の推測は正しかったようだ。この学校にレガリアがある。
坂上先生はそれを狙っていた。
神器争奪戦にかこつけて、俺を狙っていた本当の理由。
どおりで簡単にローブを手渡すわけだ。
「残念だったな。俺は何も持ってない」
坂上先生は逡巡し、真摯な目を向けてくる。
「……負けておいて、こんなこと言うのは何だけど、あなたを調べさせてくれないかしら? 本当に何も持っていないかどうかをね」
「だから、俺が持ってるわけないだろ!」
ハッキリと否定しても、坂上先生はまるで納得しない。
「少なくとも、白峰さんは持っていなかったわ。だとすれば、もう一人の被害者であるあなたと考えるべきじゃないかしら?」
詩子は完全にシロ。
それを判断する方法を坂上先生は持っているのだろう。
「調べれば持ってないって、ハッキリするのか?」
「確実ではないけれど、高い確率でわかるはずよ」
坂上先生の言うとおり、この学校にあるのは間違いないと思う。
だとすれば、調べてもらうのは好都合だ。
もしも、気づかないうちに俺が持っていたら、神器を集める状況を打破出来るのはずだ。だとすれば、悩む必要なんてない。
「……わかった、調べてくれ」
あっさりと認めた俺に驚いたのだろう。
坂上先生は一度だけ目を丸くした。
「せ、先輩っ!」
隣で詩子が止めようとしたが、俺はそれを無視した。
どうしても真実を知っておきたかったのだ。
※ ※ ※
詩子、立ち会いの下、俺の調査を行った坂上先生。
捨て台詞を残し、去っていった。
「こんなのウソよ……まさか、あなたも持ってないなんて……」
やはり、俺は持っていなかったようだ。やはり、俺たちを助けてくれた『誰か』が持っていったのだろう。
結果を聞いて、半分安心して、半分は落胆した。
そして、あとの半分は……焦燥感だった。
「先輩? それって、半分じゃないですよね?」
「そうだな、三分の一と言うべきだな」
とにかく、気持ちはいろいろと複雑だ。
玲菜の両親は、何のために俺たちを襲ってきたのだろう。
二人の直接の死因に俺が関係しているとなれば、玲菜はどうするだろう。
レガリアは一体どこにあるのだろう。頭がぐつぐつと沸騰し、嫌な汗が背中を伝っていく。一度、どこかで落ち着いて思い出したい。
記憶に触れる必要があるようだ。
そんな俺の思考を邪魔するように、携帯がけたたましく鳴り響く。
ディスプレイを見ると、発信者はやはり彼女。
「玲菜。ありがとう、お前のおかげで――」
お礼を言おうとする俺を遮って、玲菜が口を挟む。
その声は焦りに満ちていた。
『終わったなら、ソードを持って急いで帰って来て! メルが倒れちゃったのよ!』
どうやら、ゆっくり考えている暇はないようだ。
今回の話、玲菜にどう伝えるべきだろうか。