第二十三話 相澤の変貌
次に目を開けると、そこは工場の外だった。
正確には、部屋全体が吹き飛んで外になったと言うべきか。すさまじい破壊力。玲菜が守ってくれなかったら、死んでいたに違いない。
「ふ、みんな……無事?」
俺たちを包んでいた水が消えると、玲菜が疲れ果てた声で聞いてきた。
「お、俺は平気だ」
「私も平気です」
嫌そうな顔をしながら、七海も頷いた。
よかった。全員無事だった。玲菜のおかげだ。
玲菜にお礼を言おうとして、その様子がおかしいことに気がつく。
ふらふらと今にも倒れそうなのだ。
もしかして玲菜は怪我とかしたんじゃないのか。
「玲菜!? お前こそ、大丈夫なのか?」
「へ、平気……とは言えないわね。さすがに触媒も魔方陣もなしに使う魔法じゃなかったわ……」
玲菜は足の力が入らないのか、そのままへたり込んだ。
背中が血で滲んでいる。爆風を一人だけ受けたような感じだ。
「玲菜……なんで……」
その様子を見た七海が、噛みつくように声を上げる。
「こ、こんなことして、あたしが感謝して許すと思ってるんですか?」
「……そんなこと考えてないわよ。あなたもそこにいただけ。それだけよ。……気にしない……で」
「……くっ」
七海は口惜しげに唇を噛み締めた。
助けられたことがよほど癪に障ったのだろう。
玲菜は息を整えながら、何かの魔法を唱えはじめた。すると玲菜の体から白い光が溢れる。全身の傷が少しずつ治っているようだ。
ホッと一安心したときに、また、下世話な声が辺りに響く。
工場の中から相澤がこちらに向かってやってきている。
「あはははっ! すごいね。生きていたか。……まあいい、君らの張った罠で仕留めようなんて、都合の良いコトを考えていたわけでもないからね」
ニヤケ面の相澤に立ちふさがるように、俺は一歩近づく。
「てめぇ、いい加減にしろよ。お前は神器をなくして戦線離脱したはずだろ?」
「そうだね。何も知らない僕に君らは二人がかりで襲って来た。卑怯だと思わないかい? だから、僕も力を付けてきたんだ――こんな、ね!」
目の前から相澤が消えたと思った瞬間、腹部に鈍い痛みが走り、俺は大きく蹴り飛ばされていた。
魔法使いでもない相澤だからと、油断していたところはある。だが、今の動きは明らかに、魔法使いの強化による攻撃だった。
「神器のソードを握っていなければ、この程度も避けられないのか? 」
見下したような笑顔を見せながら、相澤がゆっくりと俺に近づいてくる。
そこに割って入ってきたのは詩子。
「せ、先輩に、なにを――っ! 許さない!」
詩子はポケットから取り出した髪留めを前髪にはめると、相澤に向かって駆けていく。まずい、詩子のヤツ、目の前が見えなくなっている。
相当怒っているんだ。
「ま、待て、詩子!」
俺の声に反応するコトなく、詩子は相澤に光の矢を放つ。天井や壁のない自由な空間では、光の矢は自由自在だ。
神器すら持たない相澤では防ぐことも出来ずに、後ろに下がるだけだった。
容赦ない詩子の攻撃。相澤は石に足を取られ、お尻から地面に転がる。
そこに詩子が一気に近づき、腹を踏みつけた。
「――がはっ!」
相澤の鈍い声が辺りに響く。見事な攻撃に俺は思わず息を呑む。
怒った詩子は容赦ない。
「もう二度と先輩を狙ったりしないで! 次はないですからね!」
ふん、と鼻を鳴らすと、詩子は相澤の背を向けて、こちらに戻ってくる。
詩子の無事な姿にホッと息を漏らした。
しかし、相澤はふらつきながらも懲りずに起き上がる。
「ふ、痛いね……実に痛い。おまけに意見が一方的だ。これは、少しお仕置きが必要かな」
「もう手加減しませんよ――?」
詩子が振り返ろうとして言葉を止めた。
相澤がメガネを投げ捨てると、着ていた制服が破れはじめ、堅い鱗が隙間から見え始めるのだ。姿が見る見ると別の何かに変貌していく。
奇妙な鱗に覆われた化け物に変わった。
「な、なに……その姿は……」
「ふん、これからが本番だよ。僕はすごい力を手に入れたんだ」
相澤は手をニギニギとし、鱗が完全に出来たのか、ニヤリと笑う。
トカゲのような鱗を全身に纏った相澤が、一気に詩子に向かっていく。
迎え撃とうとするが、さっきまでとは次元の違う速度。瞬間移動のような動きで、詩子は為す術もないままに、吹き飛ばされる。
さっきとは真逆の展開。
「詩子っ!」
俺は無我夢中で詩子の元に駆け寄り、止めを刺そうとしている相澤にソードを振り下ろす。しかし、それは軽々と避けられる。
「ふん、遅いな……そんな攻撃じゃ当たらないよ」
そのままカウンター気味に、俺は蹴り飛ばされた。
木に思いっきり背中から打ち付けられ、激しい痛みが襲う。
重い、どこまでも重い一撃に、俺はそのまま崩れ落ちた。
「おいおい、弱すぎだろ。さっさと本気になりなよ。それとも……まだ僕を舐めているのか? だったら、また雪城生徒会長を……」
相澤はそう言って、俺から視線を逸らす。
ゲスな笑みを浮かべながら、詩子を放置して、相澤がまだ治療中の玲菜に近づいていく。言葉から察するに玲菜を傷つけると言うことだ。
このまま行かせられない。
だけど、立ち上がろうとしても、体が痛みでうまく動かせない。
そうこうしている間に、相澤は玲菜の目の前にきていた。
「治療は終わったかい? 悪いが先に君からやらせてもらうよ? 雪城生徒会長」
「ふ、ふん。やれるものなら、やってみなさいよ」
明らかに強がった声の玲菜。
まだ回復の途中らしく、苦痛の色が顔に浮かんでいる。
玲菜の顔を見て、相澤もそれを察したようだ、呆れた笑顔を見せた。それから、玲菜の隣で立ち尽くしている七海に目を向ける。
「なら……君にしておくか……」
「あ、あああ……」
相澤に睨まれ、七海が恐怖に満ちた声を上げた。相澤の姿に完全の呑まれている。七海は戦う意思など見せようとしない。
そんな七海に怪訝な顔を浮かべる。
「何か君を見ているとイライラするよ。……昔の何も出来なかった自分を見ているみたいでね」
ひっ、と七海が掠れるような恐怖の声をあげた。
相澤の目は本気だ。七海は首を横に振りながら、後退るだけだった。
面倒くさそうな顔をして、相澤は手の平に魔力をため込み、放つ。
地面を揺るがすような振動。強烈な魔弾が七海を襲う。
「な、七海っ!」
七海の死を予感したが、その魔弾ははじき飛ばされた。
玲菜が二人の間に割り込み、飛んできた魔弾をはね除けたのだ。
「ちょっと! ボーっとしてると死ぬわよ!」
「ど、どうして、何度もあたしを……」
「目の前で死なれちゃ気分が悪いでしょ――それより、戦えないなら、早く逃げなさい……じゃないと……」
そこまで言って、玲菜の膝が崩れ落ちた。
まだ体を動かすのは、無理だったんだ。
「玲菜にだけ無理をさせて、なにやってんだよ俺は……」
自分自身の情けなさに怒りがこみ上げ、俺は無理矢理に体を起こす。
「玲菜!」
俺は急いで、玲菜の元に駆け寄ろうとした。
しかし、相澤が鋭い目つきでこちらを見て、地面に向かって手を振ると、横一直線に亀裂が走る。
「勝手に動かないでくれるかな? 君にはもっと本気になってもらわないとつまらない」
「あ、相澤……てめぇ、いい加減にしろっ!」
小馬鹿にした笑みを俺に向けたあと、相澤の視線が厳しくなる。
玲菜に向かって一気に相澤が襲いかかった。
手刀による振り下ろしを、玲菜はすんでの所でかわし、魔弾を放出して、相澤を攻撃する。
しかし、まったく効いた様子もなく、相澤が反対の手で玲菜を殴りつけた。
玲菜は左腕で咄嗟にガードしたが、それでも勢いを殺せずに吹き飛ばされる。
そこに突っ込んでいく相澤。
その時、上空から光の矢が、何本も相澤を襲う。
「はぁぁぁぁっっ――!」
長い話の間に詩子は気を取り戻していたらしい。
詩子の叫び声と共に放たれる光の矢。相澤はそれをまともに喰らう。
地面から土煙が舞い、相澤の姿が見えなくなり、詩子は魔法を止めた。
一陣の冷たい風が吹き、土煙を飛ばしていく。
そこには全く無傷の相澤が立っていた。
詩子はすぐに次の光の矢を放とうとしたが、それは相澤が許さない。
相澤は詩子にターゲットを映し、襲いかかっていく。
横から、完全に不意打ちのように玲菜の魔弾が炸裂する。
しかし、それさえも全く効果がない。
「おやおや、なんだい、君らはこんな攻撃しか出来ないのかい?」
玲菜も詩子も本気で魔法を放っている。
普通の魔法使いなら、たった一発でも吹き飛ばされるほどの魔法だ。
だが、相澤には、それを何発打ち込んでもまるで効いていない。
一体どうなってるんだ。
「くっ! な、なんなのよ、その障壁は……」
「ふはははっ! 君の力でも破壊出来ないみたいだね」
相澤が玲菜に向けて手を伸す。それは死を予感させる魔力。
どす黒い塊の魔法が玲菜に向かって放たれた。
完全にその魔法に呑まれているのか、玲菜はそれを避けることが出来ない。
「れ、玲菜っ!」
俺は夢中で駆け寄り、黒い塊をソードで防ぐ。
吹き飛ばされそうなほどの威力。ソードを離したら死んでしまうのがわかる。
俺は必死になってソードを掴み、魔法に耐えていると、雷光が辺りを照らす。
詩子が相澤に向かって光の矢を放ったのだ。
相澤が一瞬、それに気を取られる。その隙に俺は魔法を跳ね返す。
ふん、と相澤は鼻を鳴らすと、俺たちから大きく距離を取った。
俺は少しだけ振り返り、玲菜の様子を見る。
「大丈夫か、玲菜?」
「も、もう、無茶しないでよ……」
そうは言いながらも、玲菜はすでにいっぱいいっぱいな状況。
「先輩! お怪我はありませんか?」
急いで駆けつけてくれた詩子も、魔力をかなり消耗している。もうこいつらに、戦わせるわけにはいかない。
「あとは俺に任せろ。ソードの力をここで解放する――」
「だ、ダメよ! 無茶、いえ、無理だわ。あの障壁をソードの力だけで突破できるとは思えない」
「けど、もう他に方法はない。俺がやるしか」
「方法ならある……でも……多分、アンタが反対すると思う……」
よほどやばい作戦らしく、玲菜が目を伏せた。
しかし、どんな作戦であれ、他に方法がないなら、やるしかない。
「とりあえず言えよ。話はそれからだろ?」
「……そうね。全身に魔力を集めて、障壁に激突すれば、相乗効果で相当な威力に変わる。あの障壁だって壊せるはずよ……」
「よし、だったら、それでやろう」
俺は大して考えることもなく賛同する。だって他に方法はないのだ。
しかし、玲菜がそれを許さない。
「待って、話は最後まで聞きなさいよ! 魔力を高めて障壁に突撃する。そこにものすごい威力が発生するの……突撃した人はどうなると思ってるの?」
俺が首を傾げると、玲菜は言いにくそうな顔を見せた。
「多分……死ぬわ。生き残れる可能性は低い」
神風特攻隊。そんな単語が頭をよぎる。
玲菜が言いたがらなかった理由はそれか。
誰かが死ぬような作戦、俺が賛成するわけがないと。
「……他に方法はないんだよな?」
「あったら、こんな作戦提案するわけないでしょ? 私たちの誰一人、あの障壁を壊せるだけの高出力の魔力は持ってないのよ」
それは誰かを犠牲にしなければ、倒せないと言うことだ。
あんな化け物と戦う必要などあるのだろうか。逃げる。そんな考えが頭をよぎったとき、相澤が呆れた声を投げつけてきた。
「おいおい、まさか、逃げる算段をしているのかい? まあ、完全に僕から逃げる間に、三人は殺せる自信がある。四人の中で誰が生き残るんだろうね」
相澤は自分の速度に相当な自信があるのだろう。
力の差はそれだけある。三人とは少なめに言っているだけかもしれない。逃げるのは危険だ。ならどうする。
ソードのセカンドを発動させたとして、制限時間は一分。ソードの魔力が切れれば、その後は殺されるしかない。
そして、俺が殺された後、相澤は三人ところへ行くだろう。
だとすれば、誰か死ぬとわかっても、玲菜の案に乗るしかないようだ。
俺は覚悟を決めると玲菜を見る。
「わかった。だったら俺が突っ込む。その隙をついてくれ」
しかし、玲菜はあっさりと首を横に振った。
「ダメよ。アンタはフィニッシャー。障壁を破った後にソードの力が必要なの」
ガーンと、何かで頭を殴られたような感覚だ。俺は誰かを犠牲にしなければ、生き残れない状況にある。それは俺が一番嫌いだった展開のはず。
なんだよこの展開。嫌だ。こんな展開は絶対に嫌だ。
「だから、私が行くわ。全力で障壁をぶっ壊すから、後はお願いね、春馬」
玲菜の覚悟を決めたような声。
誰も高出力の魔力を出せないからって、命を賭ける。そんなバカな提案だ。
玲菜は最初から、自分がやるつもりで提案したのだろう。
そんなの受け入れられるか。
「れ、玲菜……だ、ダメ――」
「わかりました! 派手に死んできてくださいね!」
「……よろしくお願いします。死んでくれると嬉しいです!」
俺の考えとは逆に、詩子と七海は玲菜の意見に賛成している。
もともと玲菜を殺そうとしていたんだから、そうなるのも無理はない。
少しは止めろよ。
――でも、止めたとして、誰にやらせる?
玲菜、詩子、七海、誰がやっても死ぬことになるのだ。
俺以外の誰かを指名しなければならない状況。なにか他に方法はないのか。
考える俺の目の前では、話はすでにまとまったものとして、次の話題に移ろうとしていた。思わず声を荒らげる。
「勝手に納得するなよ! そんなの却下だ。絶対に認めない!」
「は、はあ? 他に方法なんてないのよ?」
「それでもだ! それでも認めない。誰かが犠牲になる勝利なんて、素直に喜べるかよ!」
「だったらどうするのよ! あんな化け物みたいな障壁、私の魔法でも白峰さんの魔法でも無理よ!」
どちらの魔法でも壊せない。
そう考えた時、思わず、笑いがこみ上げてきた。
解決方法は目の前にあったのだ。一人で無理なら――
「いやいや、あるだろ。もっとマトモで、マシな作戦がな」
「え?」
「一人の魔力で足りないなら、集めれば良い。――みんなでやればいい。それだけだろ?」
俺の声に玲菜、詩子、七海の三人は各々に相手の顔を覗き込んだ。俺が言わんとしていることがわかったのだろう。難しい話じゃない。
一人で足りないなら、みんなの魔力を一人に集中させれば良いだけだ。
「玲菜。お前なら、みんなの魔力を一つにまとめられるよな?」
「……そ、それは、できるけど……」
「お前たちの魔法で障壁を破壊して、俺が止めを刺す。それでどうだ? 成功したら誰も死ななくてすむ!」
「け、けど……二人が……私に……」
玲菜は詩子と七海の顔を盗み見る。
おそらく、詩子と七海が協力してくれないと心配しているのだろう。
殺したいほど憎い相手。そんなヤツに自分の魔力を分けるなんて気分の悪い話だ。
だけど、力を貸してもらうしかない。
「詩子、七海。お前たちにも思うところが、色々とあるかもしれない。だけど、頼む。お前たちの力を貸してくれ!」
詩子と七海は目を丸くして、顔を見合わせた。
それから、二人して頷くと、詩子が一歩前に出た。
「わかりました。でも、雪城先輩。あなたが失敗して、先輩に何かあったら私、絶対に許しませんから!」
「ふん、余計なお世話だわ。私の失敗よりあなたのミスの方が心配だわ」
うぐぐ、玲菜と詩子はにらみ合った。
それを止めようとしていると、七海が俺の裾を掴む。
「力、貸してもいいですよ。その代わり、必ず成功させてください。そして、さっきの約束守ってくださいね?」
約束とは、玲菜との件だろう。
これが無事に終われば、それも進展しそうだ。
「ああ、わかった。二人ともありがとう!」
話がまとまったところで、玲菜が俺を見つめる。
「いい、春馬? 私たちが防壁を破壊できなければ、そのまま突っ込んでも死ぬだけよ。……もし、破壊できたとしても、ソードで倒せなければ、もう倒す方法がなくなるわ。チャンスは一度しかないの。わかってる?」
「わかってる。必ず、倒してくる」
俺は頷くと、詩子、七海と順番に見回す。
「じゃあ、みんな、よろしく頼む。アイツを必ず倒そうぜ!」
「はいっ!」
全員の声が揃う。準備は整った。後はやるだけだ。