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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第一章 DAY BEFORE
22/51

第二十二話 恋人、そして、復讐

 詩子が本気で俺に怒ったことは、数えるほどしかない。

 どれも俺が無謀で危険なことをしたときだけだ。

 だから、何も考えずに扉を開いたなんて言ったら、きっと詩子はキレてしまうだろう。それでもいい。詩子が無事でいてくれたら、それだけでいいんだ。

 だが、部屋の中には誰もいなかった。

 部屋の中は教室ほどの広さではあるが、隠れる場所もほとんどなく、小さな窓がいくつかあるだけで、外への逃げ道ない。もちろん、他への扉もだ。

 坂上がこの部屋に入るのを確かに見たのに、誰もいない。どういうことだ。

 狐に化かされたかのような怒りと焦りがこみ上げてきて、俺は深く考えもせずに部屋の中に躍り込む。


「坂上、坂上! どこに隠れた! でてこい!」


 大きな声で叫び、隠れられそうなところを片っ端から探りを入れる。

 だが、やはり誰もいない。くそ、どこへ行ったんだ。

 乱暴に物を動かしている俺の肩をしっかりと掴んだのは玲菜。


「無駄よ。いくら探しても、いないものはいないわ。さっさと現実に目を向けなきゃ死ぬわよ?」


 玲菜はチラリと入り口の方を見た。


「わざわざこんな場所に誘い込んだんですもの。罠よ」


 その言葉に俺は慌てて辺りを見回す。

 俺たちは部屋の一番奥まで来ており、ドアまでの距離はおおよそ十メートル。

 もしも、罠がしけられていたら、二人とも無事ではすまないだろう。

 下手すれば全滅。俺が取り乱したせいだ。

 何も起こらないコトを願いつつ、慌てて部屋の外に向かおうとすると、ドアから人影が顔を覗かせる。それは意外な人物だった。


「な、七海!?」

「見事に引っかかってくれましたね。先輩方」


 先ほど、帰ったはずの七海が、なぜかドアの前で楽しげな顔をしている。ぞわっとするような嫌な予感。無関係であるはずがない。口惜しげに七海を睨む。


「俺たちを殺すつもりか?」

「……安心してください。先輩には危害を加える気はありません。あたしの望みは――その女。雪城玲菜の命だけですから」


 七海は腕を伸して、ハッキリと玲菜を指す。

 急展開に頭がついていかない。驚いている俺の横を玲菜がすり抜けていく。

 玲菜の髪を軽く払うと、甘い匂いが辺りに広がる。


「らしいわ。……春馬、申し訳ないけど、下がっていてもらえるかしら?」

「なんだよ、どういうコトだよ! お前たち初対面じゃないのか?」

「初対面……? いえ、前に食堂で会ったわ。でも、似たような関係ね」


 玲菜は逡巡して、そう答えた。

 なんだよそれ、どう考えても、命を狙われるような関係じゃない。


「はあ? だったら、なんで恨まれてるんだよ?」

「私が……彼女の恋人を殺したからよ」

「なっ――」


 俺はものすごい勢いで七海に視線を向けた。

 恋人を殺した人間に殺意を抱くには十分な理由だ。


「さっき話した大崎信也の恋人が――渋谷七海さん、彼女なのよ」


 穏やかだった七海が、憎しみと悪意の籠もった眼に変わっていく。


「なんだ、知ってたんだ。……あ、そうか、だから、さっき、あたしに絡んできたのね。わざわざ演技して損した」

「当然でしょ。誰かを殺して身辺を調べないほど、ぬるい人生は送ってないわ」


 七海の悪意を玲菜はまっすぐに受け入れる。けっして目をそらさない。

 最初から玲菜はわかっていたんだろう。だから、七海が頼ってきたときから、ずっと玲菜の態度はおかしかったんだ。

 殺した相手の彼女なんて、どうやっても怪しい。

 俺が余計なコトを言わなければ、こんな状況にはならなかったはずだ。


「ふん、それにしては、見事に罠に引っかかったものですね? バカなの?」


 七海は玲菜を蔑むような顔で肩を竦めた。これも俺の責任。

 だが、玲菜は俺を責めるコトもなく、微笑を浮かべ、華麗に髪を払った。


「ええ、あなた程度の魔力しかない人間なら、どうとでもできると思ったのよ」

「……あはははっ! 強がりは聞きたくないかな。あたしがこの部屋の扉を閉めたら、罠が発動して、二人はドカーンと爆発して死ぬんだよ?」

「それはそうね。口が悪くてごめんなさい。……それで何が望みなの?」


 途中まではかっこよかったが、素直に謝るところが玲菜らしくない。

 だが、この場で七海を挑発すると、どうなるのかは理解したようだ。


「……あたしはあの人の仇が討ちたいだけ、黙って死んでくれません?」

「それは無理。アイツは無関係な人間を何十人も殺したのよ? 殺されて当然じゃない?」

「――っ! だったら、もういい! あの人の仇を討つんだ……」


 七海はそうつぶやき、ドアを閉めようとした。やばい。

 しかし、俺が止めるよりも早く、七海はハッとした顔をして、手を止める。

 明らかに誰かを見ているような目つきだ。

 通路に他の誰かがいるのか。慌てた顔で七海がこちらを見る。


「そ、そうだった。別に赤羽先輩には恨みはありませんし、傷つけたくもありません。……ねえ、先輩は黙ってこの部屋から立ち去ってくれませんか?」


 七海の意図はすぐにわかった。

 俺が部屋から出たら、罠を発動させて玲菜を殺す気だろう。

 俺がここまで状況を悪くしたのに、そんな話に乗れるはずもない。


「断る。玲菜だけおいて、部屋から出るわけにはいかない」

「……だったら、手を出すのだけは止めてくださいね。手を出されたら、先輩の命も保証できませんので、お願いします」


 なぜかわからないが、七海は俺を巻きこまないようにしている。

 なら、俺の立ち回り方次第で、戦いを避けられるのではないだろうか。


「いやだ。玲菜がやばくなったら、絶対に手を出す。俺に手を出されたくないなら、こんなコトやめてくれないか?」

「ふざけないで! あたしは別に先輩が傷ついてもかまわない! 先輩が邪魔をするなら、あなたも一緒に殺しますから!」


 違和感のある言葉だ。俺を傷つける気はないが、傷ついても構わない。

 俺が傷ついても構わないなら、玲菜共々、罠で殺した方が楽なのに、なぜそれをしないのだろうか。考え込む俺に玲菜が声をかけてくる。


「もういいわよ。春馬。アンタの気持ちはうれしいけど、あのコに癇癪を起こされて、罠を発動された方がやばそうだわ」

「で、でも、玲菜……お前が危険になったら……」

「余計な心配よ。あの程度の魔力の人間に負けるはずがないもの」


 玲菜はそう言って凜とした目を七海に向けた。

 その顔を見て、七海の表情は険しくなる。


「ば、バカにしないで! あたしだって戦える力があるのよ! ――おいで|耳飾り!」

「――やっぱり、マスターだったのね……」

「そうだよ。あたしが全部仕組んだの。坂上先生や詩子の分身を作ってね……すごい力だよね。このピアスって!」


 この部屋に坂上や詩子がいなかった理由は、そういう事だったのか。

 ピアスの『分身』の力を使えば、容易に実現可能。

 最初から騙されていたわけだ。

 七海が大きく息を吐くと、先ほどまではほとんど感じられなかった魔力がみなぎっていく。

 何十倍にもふくれあがった魔力を実感したのか、七海が楽しげに玲菜を見る。


「これでも大したコトない魔力って言うの?」


 七海からの問いに玲菜は、小さく笑みを浮かべて、頷く。


「ピアスの力を借りて、その程度の魔力でしょ? 恐れる必要もないわ」

「な、なんですって!」

「最初っから本気できなさい。……あなたが全部仕組んだって言うなら、さっきのゲスな人形もあなたなんでしょ?」

「言われなくてもそのつもり。あたしの全てでお前を殺してやる!」


 七海は覚悟を決めた顔で、部屋の中に足を踏み入れてくる。

 その後ろから六体の人形が続いてきた。

 玲菜の前に立ち、七海が手を伸すと、ガシャンガシャンと人形のカラクリの音が響き、ずるずるといびつな動きで玲菜の周りを囲んでいく。

 それを怪訝な目で玲菜が眺め、七海を見る。


「これで全部なの? 出し惜しみしていると一瞬で終わるわよ?」

「できるならやってみなよ!」


 七海の叫びに合わせて、人形が一斉に玲菜に向かって跳びかかる。

 全方位を囲まれて、玲菜は絶体絶命。


「玲菜っ!」


 俺は思わず玲菜の身を案じ叫んでしまう。

 しかし、玲菜は表情一つ変えていない。

 臆することなく、両手を軽く開くと、魔力が急激にふくれあがった。

 周囲の空気が玲菜の魔力で、びりびりと音を立て、飛びかかってきた人形は一斉に弾け飛んだ。あまりの出来事に七海の表情は固まっていた。


「ね? 一瞬でしょ?」


 余裕のある顔で七海に目を向ける玲菜。

 玲菜の言うとおり、一瞬で消滅させられたらしく、人形の姿が消えていた。

 完全に玲菜の勝ちと思ったが、七海が口角を上げる。


「あははははっ! 舐めていたのはそっちだったね!」


 人形を全て消されたはずの七海が大きな声で笑う。

 その瞬間、玲菜のすぐ目の前に人形が姿を見せ、襲って来た。


「う、そ……くっ!」


 腹部を手刀で切りつけられ、痛みに顔を歪めながらも、玲菜は素早く魔弾を放ち、人形を吹き飛ばす。

 傷は深くないようだが、何が起こったのか、さっぱりわからないという表情。

 消したはずの人形がいきなり目の前に現れたのだ。焦らないはずがない。


「出し入れ……自由な人形なの?」

「さて、どうでしょうね」


 からかったような声で七海はそう言うと、手を横に伸す。すると、また人形が六体ほど姿を見せ、玲菜を取り囲む。


「なっ――」


 何がどうなっているのか、さっぱりわからない。玲菜もジッと、七海を睨み付けたままだった。


「次はそんなもんじゃすまさないから!」


 七海は勝ち誇った顔で、人形たちに攻撃を指示しようとした。危ない。玲菜の危機を察しては、黙っていられない。俺は飛び出そうとする。


「来ないでください! それ以上動いたら、罠を発動させますよ?」


 飛び出すよりも早く、七海に叫ばれ、俺は足を止めた。

 そうだ、この部屋には罠が仕掛けてあり、いつでも発動させられるのだ。

 どうすればいい。俺は玲菜に視線を向けると、玲菜は俯いていた。

 玲菜は諦めてしまったのだろうか。

 しかし、顔を上げるとその顔は勝ち誇っていた。


「春馬、もう大丈夫よ。心配しないで」

「なに? この状況で強がり? かっこ悪いよ?」

「そう思うならかかってきなさいよ。今度こそ、一瞬で終わらせるわ」


 ギリッと七海は歯を鳴らし、それから人形たちに指示を出す。

 ――殺せと。

 一斉に人形が玲菜に飛びかかる。さっきも見た光景。

 だが、玲菜の行動は全く違っていた。飛びかかってくる人形に視線を向けていない。まるでその場にはいないものだと考えているかのように。


「お、おい! 玲菜っ!」

「諦めたの! だったら、そのまま死んで!」


 七海の勝利を確信した声が響いた瞬間、玲菜が七海に向かって魔弾を放った。

 マトモに魔弾を受け、七海が派手に吹き飛ばされる。それと同時に、玲菜を襲うとしていた人形たちの姿が消えた。

 残ったのは一体だけ、その一体に玲菜が魔弾を放ち、軽々と破壊する。

 よろめきながら七海が立ち上がり、玲菜を睨み付けた。


「ど、どうして……」

「答えがわかれば、簡単なものね。『分身』させてるだけでしょ?」


 ピアスの力か。なるほど、実在しない人形を何体か出しておき、それに紛れて本物の人形で攻撃する。単純な方法ではあるが、数が多ければ視覚的効果は高い。


「不意打ちをするなら、一撃で終わらせることね。まあ、この程度の人形じゃ、難しいだろうけどね」


 魔弾をまともに受けた七海は体をふらつかせ、悔しそうな顔だ。

 玲菜は七海に近づいていく。


「さあ、もう投降しなさい。二度とこんな真似しないなら、命までは取らないわ」

「絶対に嫌! 死んでも嫌! 彼の仇を取るまで絶対に諦めないから!」


 苦しそうな顔をしながらも、七海は玲菜に敵意を見せていた。

 恋人を殺されている以上、簡単に諦めることは出来ないだろう。

 下手したら、差し違えてでも殺そうと思っているに違いない。

 玲菜はため息を吐き睨み付ける。


「しかたないか、あなたも人形のために、こんな工房作って……たくさんの人間を傷つけてきたんだから、死ぬ覚悟はあるわよね」


 先ほど見たあの不良たちの無惨な姿が思い出された。

 確かに玲菜の言うとおりだ。俺たちをここにつれてきたと言うことは、アイツらにあんなコトをしたのは七海だろう。


「し、しかたないじゃない! あたしには力なんて、何もなかったんだから! 例え、悪魔に魂を売ってでも、お前を殺したいんだ!」

「だからって、他人を巻きこんでいいわけないわ! 最初から私だけを狙えば良かったのに……」


 玲菜は手を掲げると、魔法の詠唱をはじめた。言葉を紡ぐ度にその手の平に魔力が集まっていく。それはあまりにも膨大な力。

 圧倒的な魔力に七海は尻餅をつく。

 あんなもの喰らったらただじゃすまないのは俺だってわかる。

 玲菜は血が滲みそうなほど唇を強く噛み、悲痛の窺える顔でゆっくりと手の平を七海に向けた。

 ――七海を殺す気だ。

 その瞬間、大崎を殺したと話したときの玲菜の悲しい笑顔が蘇る。

 ダメだ。ここで七海を殺してしまったら、玲菜の心がまた傷ついてしまう。

 半年前に殺した大崎を殺したコトだって、未だに昇華できてない。昇華できてないからこそ、人形を見ただけで動揺してしまったんだ。

 玲菜は誰かを殺して平気でいられるほど、心は強くない。

 強がって見せるが強くはないんだ。止めなきゃ。

 俺はすぐに玲菜の元に駆け寄り、その手をしっかりと掴む。


「は、春馬!? 邪魔をしないで!」


 玲菜が嫌々と首を振り、俺の手を振りほどこうとする。


「止めろ、玲菜! もう止めるんだ……」

「――っ、だったら、どうすればいいのよ! 見逃したらまた同じコトをする。 今度は本当に誰かを殺すかもしれない!」


 あまりにも意外な言葉だった。

 俺は驚いた顔のまま、七海を見る。


「え? お前って、まだ誰も殺してないのか?」


 俺の質問に七海はキョトンとした顔を見せ、おずおずと小さく頷く。いきなり人形に殺されかけた俺としては、とても信じられない。


「ま、マジかよ! 玲菜、お前、なんでそんなこと知ってるんだ?」

「彼女が人形使いとして活動したのは……アンタとコンビニで会った日よ。その後、街に出てきたけど、すぐに始末した。誰かを襲う暇なんてないじゃない?」


 それ以前に人形が暴れていたなら、あの夜、玲菜が焦ることはなかった。

 大崎が生きていたなんて、あの日玲菜が思うはずがないのだ。


「そうだったのか……」


 だったら、玲菜が心に傷を負ってまで、殺す必要なんてない。

 七海はまだ引き返せるんだ。いや、意地でも引き返らせてみせる。俺は玲菜の手を掴んだまま、七海に視線を向けた。


「お前は本当に自分が死ぬまで、玲菜に挑み続けるのか?」

「当たり前だよ! そうしなきゃ、あの人は納得しない! 雪城玲菜が生きている限り、仇を討たない限り、絶対に……」

「仇、仇って……アイツは虐殺をした人間なんだぞ? 悪いのは――」

「関係ない! あの人がどんなコトをしても、どんな人間だったとしても、あたしには優しかった。大事にしてくれた。大好きだったの……」


 今にも泣き出しそうな七海の声。

 大好きな人を失って、辛かった気持ちが嫌でもわかってしまう。

 玲菜のコトばかり考えていたが、七海には七海なりの譲れない理由がある。

 復讐の解決方法なんて殺すことしかないかもしれないけど、それだけは選ばせたくない。復讐はまた新しい復讐を生むだけだ。

 納得しない七海を納得させる方法、なにかないか。

 今の俺に出来ること――


「七海。お前が復讐をしたい気持ちはよくわかった。だったら、相手が違うんじゃないのか?」

「――え?」

「玲菜を殺してしまったら、それで終わりだ。自分と同じ気持ちを与えたいなら、玲菜の親しい人を殺す方がいいんじゃないか?」

「な、なに……を?」


 七海の表情に戸惑いが生まれる。俺は自分の胸をドンと叩いた。


「俺を殺せ。玲菜の一番大事な人じゃないけど、唯一、名前で呼ぶ男だそうだ。他のヤツよりも特別だと思っているはずだぞ?」


 今の俺に出来ること。それは玲菜の代わりになることだ。

 七海は疑うような眼差しで、玲菜を見た。

 すると、玲菜が顔を耳まで赤くして声を漏らす。


「ちょっ! あ、アンタ、なにバカなコトを言ってるの!? アンタのコトなんか、な、なな、何とも思ってないわよ!」


 見事に思惑は外れ、玲菜からの激しい否定。俺には全く気がないようだ。

 作戦失敗らしい。俺はしょんぼりと七海に目を向ける。


「すまん、俺を殺しても、意味ないかも……」


 けれど、意外なコトに七海は首を横に振った。何か違った感想を持ったようだ。真剣に考えた後、七海は小さく呟く。


「……無駄ってわけでもなさそう……ううん……それどころか……」


 囁くようにそんなコトを七海が言い、玲菜の顔をチラチラと眺める。

 それから、何かを考えた後、七海は俺を見た。


「確かに先輩の言う通り、本人を殺すより、一番親しい相手を殺した方が復讐になりますね……誰が一番なんですか?」


 七海の不気味な笑み。

 その目には、深い決心と覚悟が見て取れる。


「あ、アンタね――っ」


 玲菜の表情に怒りが籠もった。玲菜が誰を大事にしているのかわからないが、このままでは別の人間が標的になってしまう。それでは意味がない。

 別の誰かが殺されたら、今度は玲菜が復讐を考える可能性だってあるのだ。


「それなら! 俺が玲菜の一番大事な人になる。いつか必ずそうなるから、それまで待っててくれないか?」

「そんなのダメです! 私が許しません!」


 ハッキリとした否定が響く。だけど、それを言い放ったのは七海ではない。

 肩を怒らせて、凄まじい形相で部屋の中に入ってきたのは、まさかの詩子。

 でも、詩子は捕らわれているはず。いや、それ自体が七海の自演なのか。

 どこにいたとか、どうやってここにとか、全ての疑問を無視して、詩子はズカズカと俺の前までやってくる。目つきがすごく恐い。

 俺は言葉を選び、慎重に詩子に声をかける。


「詩子、お前、無事だったのか? 良かった!」


 ピクッと詩子の眉が上がった。

 気に入らない言葉だったようだ。


「――先輩っ! どうして、その女のために、バカな提案をするんですか! 殺されるってわかってるんですか?」


 詩子は普段、ニコニコしているだけあって、本気で怒らせると大変。

 目の前が見えなくなるし、人の話も聞かなくなる。何を言っても無駄なのだ。


「わ、わかったから、とりあえず落ち着けって!」

「落ち着けませんよ! そんな女のために命を賭けないでください!」


 ものすごい剣幕で詩子が俺に迫ってくる。

 俺が玲菜に目で助けを求めると、玲菜も大きく頷く。


「その女、そんな女って、言いたい放題ね……でも、まあ私も白峰さんに賛成。アンタの命がかかってるなんて、賛成できないわ」


 おそらく二人は、俺が犠牲になると心配しているのだろう。

 だけど、俺には考えがあった。

 これは誰も傷つかずにすむアイディアなのだ。


「待て待て、なあ玲菜、お前が俺に惚れて、メロメロになるのか?」

「は、はあ? な、ないわよ! そそ、そんなこと絶対にないわよ!」


 耳まで真っ赤にした玲菜の目は泳いでいた。もう少しやんわりと否定してくれるかと思ったが、やはり、ありえないコトなのだろう。

 まあ、俺だってそう思う。玲菜が俺に惚れるなんてありえない。だから、この提案なのだ。俺だって別に死にたいわけじゃない。

 七海は俺が一番になるまで復讐はしない。そして、玲菜の一番に俺がなるコトもない……。


「なら、ベストな解決方法だろ? これ以上誰も傷つかない」

「――っ! ……私が……つく……わよ……」


 玲菜がぼそぼそとつぶやき、口惜しげに立ち上がると親指の爪を噛む。

 何が不満かわからんが、条件としてはかなり破格なものだと思う。

 俺が玲菜に振られるという、悲しい現実を除けば。

 ややヘコむ。いや、かなり。

 何も言えなくなった玲菜を七海は眺め、詩子に目を向けようとする。

 そこで、不意に響く落胆した聞き覚えのある男の声。


「ここまでお膳立てして、こんな痴話喧嘩みたいな茶番で終わりなのかい? お粗末きわまりないね……」

「あ、相澤!? な、なんでお前が?」

「まあいいや。とりあえず、死んでもらおうかな」


 クスッと音がするほどのさわやかな笑顔を相澤が浮かべ、部屋のドアを閉めようとする。


「や、やめてぇ!」


 突然、七海が慌てた顔で相澤に向かって手を伸ばす。

 しかし、その声はドアによって遮られた。

 ――ガチャン。金属の高い音が響く。

 その瞬間、魔力が暴発したかのように部屋の中が急激に熱くなり始める。

 隣にいる玲菜も目を丸くして、状況のまずさを伺っていた。

 七海が言っていた罠が発動したのかもしれない。絶対にやばい状況だ。

 詩子が扉に向かって光の矢をお見舞いするが、ドアを壊すどころか、傷一つつけられない。


「やっぱり無理ですね……」

「あなたたち一体なんてものを、ここに仕込んでいるのよ!」

「ど、どうなるんだ?」

「爆発するわ。この部屋ごと。見て――」


 言っては玲菜は足下を指さす。

 ハッキリとした魔方陣が浮かび上がってきて、今にもやばそうな状態だ。


「解除する方法はないのか?」

「ありません。解除できるのは外からだけ……中から解除するのは、不可能です」


 そうでなきゃ、罠にはならない、と口惜しそうに詩子がつぶやく。

 実際にあれだけの光の矢をぶち込んでびくともしないんだ。

 中から壊すのは不可能だろう。


「爆発までの時間は?」

「ドアを閉めて一分後……もうすぐです」


 考える時間さえもない。

 玲菜が舌打ちをして、俺たちを見回す。


「ああ、もうっ! しかたないわね。みんな、私に抱きついて!」

「はあ? な、なんで……」

「いいから早くしなさい! 死にたいの!?」


 玲菜に触れるなんておこがましくて、恐れ多い行為だ。

 だけど、睨まれてしまってはしかたない。

 ゲス顔混じりに俺は『しかたなく』玲菜の体に後ろからしがみつく。ほんのりと玲菜の甘い匂いがして、頭がくらくらとしてくる。

 決して喜んでいるわけでないぞ。あくまでも渋々だ。

 腕にポニョポニョする物体が当たっているが気にしてはいけない。


「ひゃっん! へ、変なところ触らないでよ!」

「さ、触ってねえよ!」


 明らかに下乳に腕が触れているのだが、それを認めるわけにはいかない。

 認めたら殺されかねない。


「そこから少しでも上に動かしたら、殺すからね!」


 認めなくても殺されるかも。


「先輩が雪城先輩の体なんて好き好んで触るわけありません。触って欲しいからって勝手な想像しないでください!」

「してないわよ!」

「ふんっ!」


 詩子は悪態をつき、俺が掴んでいる玲菜の体の間に無理矢理自分の腕を押し込んできた。あまりにも強引だ。ああ、玲菜の下乳の感触が……。


「渋谷さん! あなたも早く!」


 玲菜の叫びに七海は嫌そうな顔を見せる。だが、周りの状況を見て、本当にやばいのがわかったのだろう。大人しく玲菜に従った。


「行くわよ。私の周辺に結界を張る。少しでも私の体から離れたら、効果が弱まるから、何があっても絶対に離さないでね!」


 俺と詩子が頷くと同時に、玲菜の体が水に包まれていく。いや、水になっていくと言うべきだろうか。冷たくどこまで冷えこんだ不思議な水だった。

 その水が俺たちの体に移ってきた時に、部屋が真っ赤に染まり、派手な爆発音が辺りに木霊する。俺は必死になって玲菜の体を抱きしめた。


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