第十九話 こじれていく関係
電話の後、俺たちは、玲菜の家に集まることになった。
髪留めのマスターについては、まだ聞いていない。会ってから話したいそうだ。玲菜の意思はわからないが、俺もその方がいいと思う。
応接室にいた玲菜は非常に落ち込んだ顔をしており、メルに関しては目を合わせようとしない。なぜだか、空気が非常に重い。
もう何日も泊まった家なのに、今日はまるで別の家に来たかのようだ。
俺がソファーに腰掛けると玲菜が口を開く。
「この間、食堂であなたと一緒にいたコは、幼なじみの白峰詩子さん、で間違いないわよね?」
「ああ、そうだけど……詩子がどうしたんだ?」
玲菜が顔をしかめる。ここに来たのは、バレッタのマスターの話を聞くためだ。なのになぜ、詩子の話をしているのだろう。
ざわざわと背筋が騒ぐ。
「……落ち着いて聞いてね?」
俺が頷くと、玲菜は一瞬だけ眼を閉じ、小さく息を吐いた。
「髪留めのマスターは、あなたの幼なじみ。白峰詩子よ」
頭の天辺から足下まで全身がしびれたような感覚が襲ってくる。
自分でも心当たりがあっただけに、衝撃はより大きいものだった。
だけど、同時にその事実を否定したい気持ちも出てくる。百パーセントの証拠を突きつけられるまで、素直には認めたくないのだ。
きっと犯罪者を庇う身内ってのは、こういう心境なのだろう。
「は? そ、そんなわけないだろ? だって、バレッタのマスターって、魔法使いじゃないか。詩子は魔法なんて使えないぞ?」
「どうして、そう思うの?」
「だって、使えたら……あんな目には遭ってねえよ」
俺の頭に五年前の事件が呼び起こされた。
あのときの詩子が魔法を使えていたら、誰も傷ついてなんかいない。
「……そのあとに魔法使いになった可能性もある。優れた師と才能があれば、一年程度で魔法使いになれるわ」
玲菜は完全に詩子がマスターだと決めつけている。
相談の余地などそこにはなかった。頭に血が上る。
「だったら、その魔法使いってどこにいるんだよ! 最低でも一年は潜んでいるんだろ? っていうか、お前は一年以上も魔法使いを見逃して来たのかよ!」
「なっ、何よ、その言い方? ケンカ売ってんの!」
俺に煽られたらしく、玲菜は身を乗り出し、声を荒げた。
「だってそうじゃねえかよ! 詩子の師匠ってのは、魔力隠して忍んでいたわけじゃない。堂々と魔法を使って教えていたんだ。それを見つけてないって、どう考えてもお前の不手際だろ!」
「――っ! わかったわ。そうね、そういうことになるわね」
玲菜は悔しそうな顔を見せ、ソファーに身を預けた。
場を覆う一時の無言。頭を落ち着けると俺は玲菜に聞く。
「なあ、実際にあり得るのか? 魔法使いまくって……一年以上お前に見つからない。そんなこと可能なのか?」
玲菜は少しだけ怪訝な面持ちを見せ、首を横に振った。
「不可能よ……って、言いたいところだけど、白峰さんが魔法使いである以上、出来たんでしょうね」
言って玲菜は肩を竦めた。
自分自身を貶めてでも、詩子犯人説を曲げないようだ。
反論を考えていると、玲菜が言葉を続けた。
「……いくら議論しても無駄。彼女が学校で魔法を使ったのは間違いないのよ。おそらくさっきでしょうね。身に覚え……あるんじゃない?」
玲菜の言いたいことはすぐにわかった。ローブのマスターと戦っているときに放たれたあの一撃。あれで結界が反応に違いない。
「……っ、俺を助けるために魔法を使った……」
「やっぱりそうよね。だったらなおさらじゃない? アンタを二度も助けるなんて、他人じゃないわよ、絶対に」
信じられなくて、首を横に振った。玲菜はため息交じりに俺を見る。
「彼女がどうして、あの時間まで学校に残っていたのかはわからない。けど、あなたの危機を『観察』で知って、魔法を使ってしまったのよ。結界の存在を忘れるほど慌ててね」
健気なものよね、と玲菜が皮肉ぽく付け足した。
玲菜の態度はともかく、その意見でつじつまが合うのは確かだ。さきほど一撃分しか助けられなかったのは、結界が派手に反応したからだろう。
詩子は慌てて逃げたのだ。
そんな詩子に俺は何をしてやればいい。何が出来るんだ。
悩んでいると、玲菜は立ち上がり、支度を始める。覚悟の決めた顔だ。
「ちょっと待てよ。戦うしかないのか? 他に方法はないのかよ?」
「……それは白峰さん次第よ。けど、無理でしょうね。お昼のことを考えたら……」
明らかに玲菜だけを狙って攻撃してきた。神器が目的ではないと言うことだ。
神器が目的なら俺を狙わない理由がない。となると、単純に玲菜が気に入らないのだろう。一体なぜ……。
支度が終わった玲菜は俺を見つめる。
「ねえ、春馬……もしも、私か白峰さん。どちらかしか助けられなかったら……その時は絶対に私を助けるって、誓えるかしら?」
そんなこと誓えるはずがない。もちろん玲菜は大事だ。
けど、詩子だって同様に大事なのだ。十年近い付き合い。それは決して簡単に捨てられるはずもなかった。
どっちも選べない。どっちにも助けてもらった。
返事をしない俺に呆れたのか、玲菜が言葉を続ける。
「悩むならいい。今のアンタにはこの背中を任せられない。むしろ、背中から切られそうな気がするわ」
玲菜は悲しげな目で、自虐的に笑った。
だが、その顔には決して冗談など混じってはいなかった。
心がズキズキと痛みを発する。
「れ、玲菜……俺……」
「こうなる、と思ったから……口にするのが、恐かったのよ……」
哀しげな眼で玲菜はそう呟いた。
裏切られたような気分なのだろう。玲菜を守る。そう言えばよかったのに、言えなかった。何をやっているんだ俺は。
俺の望みはどちらかの味方をしたいわけじゃない。
俺が本当に望んでいるのは、二人が傷つかずにすむことだ。
「俺に……時間をくれないか? 一度、詩子と話をしたい」
「どういうつもり? アンタが話をすれば、素直にバレッタを返してくれるって言うの?」
「……わからない。けど、できれば、そうしたいと思っている」
「そ、なら、一度だけチャンスをあげるわ。……でも、私も一緒に行くわよ?」
詩子がなぜ玲菜を狙っているのか、その理由がわからない限り、玲菜を連れて行くのは危険だ。いきなり攻撃をされるかもしれない。
俺だけで話してくるのが一番だろう。
「いや、だめだ。俺だけで行ってくる」
「はあ? 何言ってるの? 私だって譲るんだから、アンタも譲りなさいよ!」
「頼む。俺だけに任せて欲しい!」
「……ずいぶん自分勝手ね。自分のわがままだけ押し通すってわけね……だったら、私は姿は見せずに近くで待機する。それなら文句ないわね?」
玲菜のこめかみにはっきりと青筋が浮かんでいる。
これ以上の条件付けは厳しそうだ。
俺はコクリと首を縦に振った。これで詩子と話が出来る。何とか説得して神器を返してもらうのだ。
※ ※ ※
俺は詩子に返しきれない恩がある。
五年前、普段通り詩子と遊んだ後の帰り道。
突然、夕暮れに紛れて、決して人間ではない、『何か』が襲ってきた。
むせかえるような血の臭いを漂わせ、そいつが長い爪で俺を殺そうとする。
その時、詩子が俺を突き飛ばし、代わりに切り刻まれたのだ。
詩子は俺の目の前で、血を吹き出し、倒れていく。
それでも俺を見て笑ったんだ。
――『無事でよかった』って。
※ ※ ※
詩子は俺の命の恩人だ。何があっても放ってなんかおけない。
傷つけられるとわかったら、何が何でも助けたい。この命を賭けてでも……
昔のことを思い出しているうちに、気がつけば詩子の家の前にいた。
チャイムを押そうとすると、詩子の家の扉が先に開く。
詩子が顔を見せた。その顔は満面に気まずさが見えている。
「先輩……やっぱり来たんですね……」
「……やっぱりってコトは、やっぱり、お前だったんだな」
詩子はキュッと桜色の唇を噛み締める。
「……場所変えませんか? 親が来ると先輩も気まずいと思いますから……」
俺が頷くと、詩子は家族に一言伝えて家を出る。向かった先は学校だ。
広い運動場があった方がいいと詩子からの提案だった。
重い空気の中、俺たちは誰もいない運動場に立っていた。
「正直に答えてくれ。お前が髪留めのマスターなのか?」
「私が正直に言ったら、先輩はどっちの味方になってくれますか?」
どっちとは考えるまでもなく、玲菜のことだろう。
玲菜にされた質問と同じ。さっきは返事が出来なかった。
でも、詩子にはハッキリと返事ができる。
「――玲菜だ。お前がマスターなら、俺は玲菜の味方をする」
「っ! ど、どうして……ひどい……」
期待を裏切られたといった様子で詩子は拳を握り、小さく体を震わせた。
「お前を戦いに巻きこみたくない……なあ、詩子。マスターを大人しく放棄してくれないか?」
「……っ、そこまで言うなら、別にいいですよ」
「ほ、本当か!」
「その代わり、先輩も一緒にマスターを捨ててください。雪城先輩のコトなんか忘れて……普通の高校生に戻りましょう?」
突然の甘い誘惑。全てがそれでうまくいきそうな甘美なものがあった。
全てを破棄して、普通の高校生になれたら、どれだけ楽だろうか。最善にも思えて頷きかけた俺。それを破ったのは、玲菜の声だった。
「残念だけど、あなたと春馬は違う。いえ、ソードとバレッタは違うと言うべきね」
「玲菜っ! お、おい、なんで出てきたんだよ!」
ジロリと俺をにらみ、玲菜はプイッと横を向く。明らかに怒っている。
俺が頷きかけたのがバレていたのかもしれない。
「ふん、やっとでてきましたか。コソコソ隠れてゴキブリみたいですね」
「ゴキブリは言い過ぎでしょ! ……けど、私がいるって気づいていたみたいね」
詩子は当然といった様子で鼻を鳴らす。
詩子ってこんなキャラだっけ。玲菜の前だからか明らかに態度が悪い。
「そんなことより、ソードとバレッタが違うってどういうことですか?」
「言葉通りよ。バレッタはあなたが戦う意思を破棄すれば、諦めてくれるわ。……けど、ソードはそうじゃない」
「先輩をとられたくないから、そんなコト言うんですよね?」
玲菜は呆れ顔で肩にかかった長い髪を手で払う。
「少し考えればわかることよ。春馬が自分の意思でこの戦いに参加してるって思ってるの? 彼は最短でマスターをやめようとしたわ。でも、無理だったのよ」
言われてみればそうだ。
ソードを玲菜に返そうとしたが、受け入れてはもらえなかった。
「なっ! なんですかそれ! どうして? どうしてですか!?」
「ソードが認めないのよ。……でも安心して、バレッタは認めてくれるわ。あなたが諦めればね。ウソだと思うなら、バレッタに聞いてみれば?」
「――っ、だったら、私もマスターはやめません。先輩を守るのは、私の役目ですから! 誰にも譲らない!」
詩子が睨み付けるように玲菜を見た。何から俺を守るのって聞いたら、寸分の迷いもなく玲菜だと答えそうな雰囲気。
なんだこれ、なんか趣旨が変わっている。
「じゃあ、交渉は決裂ね、実力で奪い取るわ……春馬、文句はないわね?」
そんなこと言われても頷けるはずがない。
考えろ。どうすれば、戦わずにすむのかを考えるんだ。
俺が返事をするよりも先に、ゆらっと、詩子が一歩前に出た。
「さっきから何回も……先輩を呼び捨てにして……死にたいんですか?」
さっきまでも充分恐かったが、さらに迫力のある低い声になった。
十年以上付き合いがある俺でも正直引いたほどだ。
詩子が右足を少し持ち上げ、思いっきり踏む。それと同時にズガン、と玲菜の足下の地面が砕けた。
玲菜はすばやく後ろに跳んで逃げる。
「う、ウソ……地の魔法? ど、どうして……」
「私、遠くが見えるんです。あなたが先輩に教えているところを盗み見て覚えたんですよ」
「……ウソよ。私、春馬に魔法教えた覚え、ないもの」
「そうでしたか。だったら、あなたの家でいつも何やってたんですか? コソコソコソコソ……色目使って先輩を誘惑して……本当に嫌な女。このビッチ!」
「なっ! ビッチって、それはないわ!」
「ウソ言わないでください! お風呂で先輩が来るまで裸で待ったりして、ラッキースケベイベント狙いましたよね?」
「ななな、なんでそれを……って、別に狙ってないわよ!」
玲菜が顔を真っ赤に染め、青色の魔弾を放つ。それを詩子が炎を纏った弾で迎撃した。激しい風が突き抜け、砂埃が辺りを駆ける。
「裸を見せたことは、否定しないんですか?」
「――覗かれたのよ!」
「だから、わざとじゃねえって!」
やばい、シリアスな空気なのに、思わず突っ込んじまった。
ギロリと血走った二人の女の目がこちらに向けられる。
「覗き魔は黙ってて!」
「変態は黙っていてください!」
「突っ込んじゃうから、悪意のあるルビ振らないで!」
俺の突っ込みなど無視して、また二人はにらみ合う。
びりびりと張り詰めた空気。玲菜が口を開く。
「……土の次は火って、あなたの属性ってなんなの?」
「さあ、目覚めたばかりだからよく分りません。それにそんなこと、どうでもいいんです。あなたはここで死ぬんですから!」
詩子の叫び。今までの魔法が穏やかに感じられるほど、激しい魔力によって産み出された水が、洪水のように押し寄せてきた。
「ば、ばかっ!」
玲菜が踏ん張り、その水を凍らせる。
そうしなければ、学校は津波に飲み込まれ、見るも無惨な姿になっていただろう。
「ふーん。凍らせることにかけては、優秀、と言ったところですか……」
玲菜が手を横に振ると、氷となった水は砕け散り、辺りに結晶が散る。
まるで雪が降っているような幻想的な光景だった。
「……学校をつぶす気だったわけ?」
「先輩に裸を見せて喜ぶ人間がいる学校なんて、なくなっちゃえばいいんですよ!」
「よ、よよよ、喜んでなんかいないわよ! ……けど、もう手加減は無用ね。この学校の生徒会長として、アンタを叩きのめしてやるわ!」
「雪城先輩にそんなことが出来るんですかぁ? 多分、私の方が強いですよ?」
「四属性すべて扱えるからって言いたいんでしょうけど、平均より特化が強いってこと教えてあげるわ!」
「クスクスっ、それは楽しみですね」
二人は同時に詠唱を開始した。
どちらも何を言っているのか全くわからない不思議な言葉。
魔法が生まれようとしている。
玲菜は両手を肩の高さに掲げる。言葉を紡ぐ度に辺りに蒼い光が浮かび、まるで幾多の蛍が舞っているようだ。力強い青の発光は体感温度を下げていく。
碧く照らされた玲菜を見ているだけで、凍り付きそうだ。
一方の詩子。両手を胸の前で重ねている。
その手が詠唱と共に、透き通った橙色を奏でる。暖かみがあり、見ているだけで気持ちが休まる。夕焼けに照らされているように、ほんのり詩子の体を赤黄色に染めていく。
玲菜、詩子、互いの詠唱が終わったのか、二人同時に手を伸ばす。
玲菜は右手を、詩子は両手を突き出した。
そこから弾かれる二つの魅力溢れた幻想的な魔法。
だが、その姿とは対照的に、あまりにも凶悪な魔力を秘めていた。
これではどちらかがケガをしてしまう。
いや、下手をすれば両方が死ぬかもしれない。そんなのは絶対に嫌だ。
俺はソードを発動させ、二人の間に駆け込む。
「ま、マスター、危険です! 今すぐに回避してください!」
危険なのは百も承知。だけど、どっちにも傷ついて欲しくない。
玲菜にも詩子にも助けてもらった。返しきれない恩がある。
「絶対に二人とも守るんだ! ソード、俺に力を貸してくれ!」
蒼と橙の光に俺の体を割り込ませ、両手を広げた。
その瞬間、体中が爆発で粉々になったかような激痛が襲う。
全身からの激しい出血、そして鉄の味が口の中に広がった。
俺は二人を守れたのだろうか。
「春馬っ!」
「せ、先輩っ!」
二人の声が響き、視界がくらっと揺れる。
俺は地面に倒れこみ、どこまでも暗い、昏い闇に落ちていった。