第十八話 再戦返り討ち
穏やかな午後の授業も終わり、放課後になっていた。
バレッタの話を聞くために、俺達は相澤のクラスに向かう。
だが、今日は休みのようで学校に来ていなかった。
「しかたない。直接、相澤の家に行きましょう。……とその前に生徒会室へ行かなきゃ」
「え? なんで?」
「なんでって、生徒会長だし、それに戸田が待ってるかもしれないし……」
「戸田? なにかあるのか?」
「ほら、昨日、会議するって冗談で言ったから、それでよ」
「まさかぁ。アイツ、そんなにマメな奴じゃないぞ?」
「そう? 私はいると思うわよ」
玲菜は自信ありげに小さく笑う。
生徒会室の中に入ると、教室同様に派手に散らかっていた。
しかし、驚いたのは、その中で一人、大人しく戸田が待っていた事だ。
俺たち、いや、玲菜に脅えた眼を向けている。
「戸田! アンタもう帰っていいわよ」
玲菜の声に一瞬呆けた後、パッと表情を明るくする。
「まじ? やったぁ、助かったぁ!」
「……あんな冗談を本当に、真に受けてるんだな」
「当然でしょ? 冗談でも口にしたことは守らせるように躾たから」
「躾たって……お前、恐ろしい女なんだな……」
戸田は俺たちに興味深いと言った目を向けて来る。
俺たちのことよりも、この部屋の散らかりようを気にして欲しい。
しかし、いまだに結界の三番の影響か、戸田はこの状況をおかしいとは思っていないのだろう。
「お前達、最近一緒だな。で、これからどこ行くんだ?」
戸田から質問をされ、玲菜の眼が急激に細くなる。
「付き合ってるから当然でしょ? けど、余計な詮索をするなら、会議……するわよ?」
「――あ、そ、そうだったな。じゃ、じゃあな! 俺もう帰るわ!」
叫び声を上げ、慌てて帰る戸田。
なるほど、確かに付き合ってるって言葉は便利だな。一緒にいるのに、なんの説明もいらない。
戸田を見送っていると、一人の女性が生徒会室に入ってきた。
二十代後半。黒髪のロングでほんわかとした表情。
顔は整って綺麗にも見えるのだが、大きめの眼鏡が残念な感じだ。
身長は高めですらっとして、足は結構長い。地味なスーツを着ており、おそらく新任の教師だろう。おどおどしていて、どこか頼りなく見える。
「あらあら。戸田君、帰っちゃいましたぁ?」
おまけに残念なほど、バカっぽいしゃべり方。
初対面のはずだが、声に聞き覚えがあった。
「今日は生徒会の活動は終了でお願いします」
「……もしかしてぇ、赤羽君とお出かけですか? デート?」
「はあ? そそそんなんじゃありません! 相澤風紀委員のところです」
玲菜は言って、しまった、という顔を見せた。
女性は興味深そうに身を乗り出す。
「……あらぁ? なにしにですかぁ?」
「お見舞いついでに、訊きたいコトもあるので……」
「そうですかぁ。でしたら、お大事にと、お伝えくださいねぇ」
「わかりました。では、戸締まり、よろしくお願いします」
「はーい。先生はこの部屋を片付けてからでますね」
坂上先生は元気な声を上げると、生徒会室を片付け始めた。
その姿に妙な違和感を覚えつつ、廊下に出る。
「今の人……誰だ?」
「え? 坂上先生だけど……非常勤の英語教師にして、生徒会の副顧問よ。一年をいくつか受け持っているわ。まあ、私たち二年とはあまり関係ないから知らなくても当然か――って、変な目で見てるんじゃないでしょうね!?」
「変な目ってどんな目だよ!」
「厭らしい眼に決まっているでしょ! 相手は教師なんだから、アンタなんて相手にしないわよ!」
「そんなんじゃねえよ。知らない教師だったから訊いただけだ」
「……そ、ならいいわ。さっさと行きましょう。相澤の家に……」
相澤は俺が玲菜の家に泊まったのを、翌日には知っていた。
つまり、髪留めのマスターを知っている可能性が高い。
それを聞き出そうと、相澤の家を訪問したのだが、状況はますます悪くなってしまった。
※ ※ ※
十八時。俺たちは落ち込み気味に街に戻っていた。
「ずっと家に帰ってきてないですって……」
家族の話では、先週の土曜日から帰っていない。俺たちと戦った後から行方不明のようだ。
問題になるのを避け、休みだと教師がウソの連絡をしただけとのこと。
実際にはすでに捜索願も出されているらしい。
「なにか事件にでも巻きこまれたのか?」
「さあね。わからないわよ。神器を奪った後は、完全にノーマークだったんだから」
「すまない。もっと早く俺が気づいていれば……」
「……いいえ、あなたのせいじゃないわ。……完全に私のミスよ」
玲菜にしては珍しく自分を責めた。
正直、俺のせいにされると思っていただけに驚きだ。
「じゃあ、互いに自分を責めても意味ねえな。とにかくどうするか考えようぜ」
「そうね。その方が建設的ね……」
俺は玲菜と顔を合わせ、しばし見つめ合う。
おそらく考えていることは二人とも同じ。
「……バレッタのマスターに攫われちまったかな?」
「考えたくないけど、その可能性が一番高いわね……」
バレッタの固有能力『観察』。
その能力を使えば、相澤が俺たちに敗れたことは先刻承知のはずだ。
「すでに市外……いや、県外、下手すると海外に運ばれているかもな」
「安心して。少なくともマスターは、この美沢市を離れていない。それは断言できるわ」
「なんでそんなこと言い切れるんだ? 休日に遠出するくらい、高校生なら余裕だろう?」
「そうじゃないわ。……そうじゃない、でもわかるの。そうじゃないってね」
「……? 言いたいことがわからねえよ」
「あのね、神器がこの美沢市を……っていうか、ある一定の距離を離れてしまうと反応するのよ。けど、そんな反応はまだないわ」
「……反応? 結界かなにかか?」
「まあ、そんなところ。神器を置いてまで遠くへ行く危険を冒すとは思えないわ」
なんだか話が腑に落ちない。
ウソは言っていないが、なにかぼやかしている。そんな感じだ。
前も神器はこの街から出ないみたいなことを言っていたし、何かある。
しかし、玲菜が隠す以上、俺が知る必要は無いのだろう。
「わかった。だったら、マスター以外の人間が、相澤を連れ出したっていう可能性は?」
「それもないと思うわ。そんな手間をかけるくらいなら、殺す、と思わない?」
言われて見るとそうだ。
バレッタのマスターは魔法使いだ。殺しても諏訪のように死体を消滅させるのは容易に違いない。
だとすれば、わざわざ危険を冒してまで外に運び出すだろうか。ひと思いに殺した方が、後々楽になるのはわかりきっている。
つまり、相澤が生きているなら、まだこの街にいる。
「……だったらどうする?」
「決まってるじゃない。見つけ出すのよ。街中を探索してね」
「……だよな。でもさ、考えたくないことだけど……殺されていたら?」
「本当に考えたくないわね。……だけど、彼のためには、殺されたなら殺されたと把握してあげないとね」
諏訪に消されたあの女性が、不意に頭をよぎった。いまだに彼女は行方不明のままなのだろう。
誰にも死んだことを知られないままに……。あまりにもかわいそうだ。
「そうだな。死んだ痕跡だったとしても、見つけようぜ」
玲菜は俺を見て、少しニヤケ顔を見せる。
「死んでたほうが、ヤキモチ焼かなくてすむから?」
「もう、そのネタは勘弁して!」
俺たちは、相澤を見つけるために動き出した。
※ ※ ※
それから変化があったのは、一時間後の十九時だった。
「春馬! 相澤がいたわ!」
繁華街の中央部で、相澤が歩いているのを見つけたのだ。だが、玲菜が指さした方向は、俺とは全く真逆の方角。
俺も玲菜と同じで、相澤を見つけていた。
「え? いや……相澤はこっちに――」
「急いで!」
俺の話を遮り、玲菜は駆け抜けていった。
だが、視線の先に相澤がいる。玲菜が移動した方向とは真逆。
なんだこれ。どうするか考えていると、相澤がビルの影に逃げていった。
耳飾りの固有能力である、『分身』が一瞬頭をよぎる。
罠だとしか思えないが、他に手がかりもない。行くしかない。
あっちは玲菜が追いかけているんだ。俺はこっちを追いかけるべきだろう。
「回路変換」
魔法を全身に回すための合い言葉。これで体は魔力で強化される。
しかし、神器もない、魔法使いでもない相澤にしては、異常なスピードだった。
ソードなしでは、追いつけないのだ。だが、こんな街中でソードを取り出すことも出来ず、逃がさないように必死で後を追う。
そして、ふいに足を止めた。そこは広い運動公園のど真ん中だった。
芝生の広場には人影もない。ここは結界の中なのか。
どうやら完全に誘い込まれたようだ。
「相澤! いい加減にしろ!」
俺の声で振り返った、相澤の顔を見て俺は立ちすくむ。
それは――人形だった。
暗がりでは見間違えてしまうほど、相澤にそっくりだ。
「くそっ! こっちは囮か!」
俺はすぐに踵を返し、玲菜のところへ向かおうとする。
しかし、それよりも早く、人形が襲いかかってきた。
「ぴしゃがぁやぁるぁぁぁぁ!」
奇声を発しながら向かってくる姿を見て、俺はポケットからソードを取り出す。
人がいなければ、遠慮なんかしない。
「てめぇなんかに、もう負けるかよ!」
一刀、ただの一刀で切り捨てた。玲菜の家での特訓の成果だ。確実に強くなってる気がする。
玲菜の言う通りの教え方がいいのか、ソードに慣れたのかはわからないが、この程度の相手なんてもはや敵ではない。
ガラガラと崩れていく人形を見て、俺は息をつく。
「あははははっ、見事ですね」
突然の乱入者に俺は身構えた。
人形を切り捨てた俺に声をかけてきたのは、ローブのマスター。
相変わらずフードで顔が見えない。厭な汗が噴き出す。
「またお前かよ……もしかして、お前が人形使いなのか?」
「さあ、どうでしょうね。借りただけ、なのかもしれませんよ? ふふふっ」
借りただけ、だとすれば、もっとやっかいなことだ。
ローブのマスターと人形使いは手を組んでいることになる。
「……ちっ!」
「追わせませんよ? あなたはここで死ぬのです」
ドンドンと大きな爆音を立てて、炎の塊が飛んでくる。
光の矢が線の攻撃なら、炎の球は円の攻撃だ。
避けても、周辺に爆発が移り、巻きこまれてしまう。
もっと大きく裂ける必要があるが、それでは攻撃が出来ない。
「マスター。この場所で火の使い手は危険です。いったん撤退しましょう」
珍しくソードが撤退を指示してくる。確かにここはあぶない。
火が枯れた芝生に引火し、足下は火の海のようになっていた。
チリチリと音を立てて燃える。炎の魔法が放たれる度に、その範囲も大きくなっていく。このままでは逃げ道がなくなってしまうだろう。
おまけにローブの『抑制』で、こちらの攻撃はろくにダメージを与えられない。
あれ、全く成長してないぞ、俺。
「赤羽君。今日は絶対に逃がしません」
「くっ、ソード、何か手はあるか?」
「いえ、私たちでは、まだローブのマスターには勝てません」
だったら、しかたないと俺は背を向けて、走り出す。
自分では抜群のタイミングで逃げたつもりだった。
しかし、相手はそれを待っていたのだ。俺が背を向けるその最大の隙を。
女の手から大きな火の玉が発射された。背を向けている以上、前か横にしか逃げ道はない。だが、横は幅広く、一瞬で逃げることは不可能。
前はもっと無駄だ。
「し、しまったぁっ!」
俺は叫びを上げる。自分が死ぬことを一瞬にして理解した。
逃げ道がない。背中からでかい魔法を受けて死ぬのだ。
死を覚悟した瞬間――光が振りそそいだ。
空から、その巨大な炎の球目がけて、光の矢が連続して振ってきた。相殺するかのように、炎の球は俺にぶつかることなく、その場で爆発する。
爆発に巻きこまれた俺は、大きく吹き飛ばされたが、うまく着地できた。
素早く後ろを振り返る。
「腹立たしいわね。いつもいつも邪魔してくれて……」
女は空を眺め睨み付けていた。俺の危険を察してくれたのか、また、俺を助けてくれたようだ。ぽっかりと浮かんでいる黒い月。
だが、前回と違って、攻撃したのはその一撃だけだった。
黒い月も透けるように消えていく。
「あはははっ! 今日はやけに大人しいのですね!」
それ以上、向かってこないと知ると、女は嬉しそうに俺を見た。
「さて、もうこれであなたを守ってくれる人はいませんよ?」
薄く張り付いたような笑顔に、背筋が凍る。
実力が違いすぎて、防戦一方。
あの時だって、今だって、バレッタのマスターが助けてくれたから、何とかなっただけなのだ。今の俺には、こいつと戦う力はない。
――だったら、力をつければいい。
諦める前にやるべき事をやるんだ。
「ソード。この間出来なかった。解放ってやつ、できるか?」
「え? は、はい。……で、ですが、この間は……」
お昼に玲菜を守ったときの連帯感。
もう一度あれが出来れば、きっとうまくいく。
「やってみようぜ。ここで出来なかったら、俺は殺される。頼む、力を貸してくれ」
「……わかりました。同調を開始します」
あの時、厨二みたいで恥ずかしいと思ったセリフ。
今度は違う。俺を助けてくれる唯一の言葉だった。
出来なかったら、俺は死ぬ。もうこれに賭けるしかないのだ。
心を、魂を、命を、全てをここに集約する。
「溶け合う心、汝は我に、我は汝に、今、その想いを解放し、我が力となせ!」
言葉を発し終えたあと、明らかな手応えを感じた。
ソードが手に吸い付くような同調感。この前とは違い、眩いばかりの光が放たれる。体の奥底から力が湧き上がってくるのがわかった。
「ま、まさか!?」
状況の変化はローブのマスターも気づいたようだ。
それほど、俺の強化は大きいものだった。
「マスター。あなたの魔力を受け取りました。第二段階、発動、承認致します」
機械じみた抑揚のないソードの声。その瞬間、さらに光が放出された。
辺りを鮮やかに照らし、ソードが虹色に煌めいた。
「いける……これならいける!」
俺はソードを握りしめると、ローブのマスターを睨む。
相手は半信半疑な顔でこちらを見据えていた。
腰を落とすと、一気に斬りかかる。女は白い魔法障壁を巡らせた腕を上げた。
しかし、そんなもの、ものともせずにスパッと切り落とす。
「い、いやぁぁぁぁぁ――っ!」
バサリと落ちた女の右腕。血が辺りに飛び散る。
――痛みで歪む女の口元。
俺が追撃をかけようとすると、ローブから魔力が放出された。
マスターの身を守ろうとしているのだ。
だが、今の俺はそれでも前に進める。
「ふむ、さすがソードじゃのう。……マスターよ。分が悪い。撤退じゃ」
「逃がすかよ!」
俺はトドメとばかりにソードを構えるが――
突然、公園に人気が戻った。周りから聞こえてくる声。
「なっ!」
「……っ、ふふ、人払いの結界を解除したわ。さて、これだけの人の前で私を殺す?」
腕を切り落とされた血まみれの女。その前に刀を持って構えている俺。
世間的には俺が悪者に見えるだろう。
「くっ……」
「またね。赤羽君」
俺が躊躇した時間で、女は腕を拾うと姿を消していた。
耳につくのは周りの雑踏だけ。
気がつけば、あちらこちらに人の気配が戻っていた。本当に結界の威力はすごい。
そういえば、昼間に張った三番もすぐに効果を発揮したか。
「あっちは周りの状況を把握できなくなるおまけ付き、効果は別格……?」
その瞬間、目の前はパッと開けた気がした。
先ほど不意に感じた違和感への答え。
まさか、ローブのマスターは『あの人』なのか。
その時、ちょうど、携帯に電話がかかってくる。相手は玲菜だった。
俺が急いで電話に出ると、玲菜の声は妙に落ち着きがなく、浮ついている。
何かあったに違いない。
『……髪留めのマスターがわかったの』
まさかの玲菜の言葉に驚きが隠せない。
「も、もしかして、そっちには相澤がいたのか?」
『いいえ、こっちも外れよ。……でも、結界に反応があった。だからわかったの』
結界、それはおそらく昼間に玲菜が貼ったものだろう。
「早速役に立ったな。……で、誰なんだ?」
『っ、あなたがよく知る人物よ』
「ま、まさか……そんな……戸田なのか?」
『違うわ! けど、その方が遠慮なくやれるから、楽だったんだけどね……』
ほんの少しだけど、玲菜は笑っていた。
本当、戸田には容赦ないなコイツ。
「……だったら、誰なんだ?」
心当たりがない。背中に嫌な汗が伝っていく。
――いや、ウソだ。本当は心当たりはある。
だけど、心がそれを認めようとしない。
『……口にするのが……恐い……』
玲菜はそこで口を止めた。
どうして、どうして、すぐにその名前を言わないのか。
そのことがますます俺の心をざわつかせた。