第十七話 屋上までの逃避行
穏やかな月曜日の昼休み。
玲菜に誘われ、教室から出たところから豹変する。
突然、光に包まれた矢が俺たちを襲ってきたのだ。
この光の矢は、おそらく髪留めのマスターによるものだろう。
「ちょっ、バレッタのマスターは味方だったんじゃないの?」
「わからねえ。けど、今回は明らかに俺たちを狙っているな!」
「目的が全く見えないわね、こいつは……」
攻撃をかわしつつ、玲菜は魔法を展開しようとして、手を止める。
廊下には多くの生徒がいて、脅えた様子で玲菜を見ていたからだ。玲菜が小さく唇を噛み締める。魔法を使えないのが悔しいのだろう。
そこにまた矢が振ってくる。こんな校舎の中じゃ、避けるにも避けられない。
「とりあえず、逃げるぞ!」
俺は玲菜の手を取り、階段を駆け下りる。
光の矢は次から次に放出され、それを避けながら、逃げ続ける。気がつけば、中庭に着いた。ここなら自由に動ける。
しかし、避けているだけじゃダメだ。
攻め手を考えなければ……
「玲菜! 何かアイディアないのかよ?」
俺は振り返り、玲菜を見る。
すると顔を真っ赤にして、初々しい顔をしていた。
「え、あ、はいっ!」
「は、はい?」
玲菜も自分の失言に気づいたのだろう。
小さく咳払いをした。
「あ、ごめん、なに?」
もじもじとしていて、こんな状況での玲菜らしくない。
どうしたのだろうか。
「おいおい、何ぼーっとしてるんだよ。しっかりしてくれよ!」
「う、うっさい! そ、そそそれより……そろそろ……こ、これ……」
玲菜は顔を真っ赤に染めて、自分の手を指さす。
なぜか、俺は恋人つなぎで玲菜の手を握っていた。
「うわっ! わ、わりぃ……急いでて……つい……」
「つい、で恋人つなぎするんだ……」
「いやー、本当、偶然って恐いよな! わ、わざとじゃないぞ?」
「そ、そうよね! 別に深い意味はないわよね!?」
玲菜は眉間にシワを寄せ、手を乱暴に振り払った。
次から手を繋ぐとき――いや、手を繋がないように気をつけよう。
そんなことを言ってる間に、また光の矢が発射された。
「ラチ、空かないわね……」
「ローブのマスターもそうぼやいていたよ。しつこすぎるってな」
「気持ちはわかるかも……って言っても校舎に入ったら生徒がたくさんいるし、このままじゃ、中庭も注目されるわね……」
「どうするんだよ?」
玲菜は逡巡し、ポケットから白い小さな塊を取り出した。消しゴムだ。その消しゴムに向かって、なにやら言葉を発する。
蒼い光を放ち、スッと宙に浮かぶ消しゴム。
それが細かく砕け、個々に光の矢に向かって飛んでいく。光の矢にぶつかると、響くような高音を上げ、破裂した。
「大した時間は持たないけど、光の矢を迎撃してくれるわ」
今のうちにと、玲菜は左手を耳に当てた。
「メル、急いで三番発動。こんな場所じゃ戦えないわよ」
メルと通信をしているようだ。
その間も光の矢と消しゴム爆弾が激しい攻防を続けている。
話が終わった玲菜が俺を見た。
「もったいないけど、結界の三番を使うわ」
「三番?」
「前にコンビニで見せたでしょ。別の空間を作って、そこに無関係の人たちを飛ばすのよ。アンタも飛ばされるかも、ね」
玲菜は笑ってそんなことを言った。ほんの少しだけ高い音を放つと、周りから人の気配が消える。結界が発動したようだ。
あの時、聞いた音はこの音だったのか。
玲菜は俺を見て、怪訝な顔をした。
「やっぱりか、どうしてあなたは飛ばされないのかしら?」
「そんなの俺が知るかよ! それより、これでバレッタのマスターも飛ばされたのか?」
のんきにそんなことを言うと、まるで答えのように光の矢の攻撃が始まった。
今度は迎え撃つように、玲菜が堂々と魔法防壁を展開し、防ぐ。
「誰でも転移させられるならありがたいんだけどね……それなら、諏訪とか魔闘師来ても楽勝じゃない? これは抵抗に失敗した人間だけ飛ばされるのよ」
抵抗とかの言葉の意味がわからずに首を傾げた。
玲菜は呆れ顔を見せる。
「わかりやすく言うと、魔法使い以外を飛ばすってコト」
「じゃあ、俺が飛ばされなかったのって……」
「今はそうでしょうね。けど、コンビニの時は――」
玲菜が慌てて、光の矢を後ろに跳んで避けた。
消しゴム爆弾がいつの間にかなくなっている。のんきに話をしている場合じゃないようだ。俺たちは顔を見合わせ、中庭を駆け抜ける。
「結界が発動したなら、相手の場所はつかめるんだろ?」
「……いないのよ。ずっと探っているんだけどね……。ウィザードだから、隠れているのかもしれないし、超遠距離からの攻撃かもしれない。わからないのよ」
「ウィザード?」
前も玲菜がそんなことを言っていた気がする。
「ええ、戦闘タイプの一つで、ウィザードは遠距離からの戦闘を好む。要するに相手の前に姿を見せずに戦うタイプってコト」
なるほど、と俺が頷くと、玲菜は感心した声で続けた。
「それ故に、隠れ方は実に見事なものね。いまだに攻撃が続いているのに、その居場所すら悟らせないんだから……」
「けど、だったら、どうするんだよ? この結界だって無限ってわけじゃないんだろう?」
「…………しかたない。屋上へ行きましょう」
「はあ? 屋上? あんなとこ、隠れる場所すらねえぞ?」
「いいのよ。私に考えがあるわ」
「正気か?」
「そこは、本気かと聞いて欲しかったわね。正気だし、本気よ。これを使いたいの」
玲菜がポケットから丸い粘土細工のようなものを取り出した。
小さな円の中に六芒星が書かれており、変な文字がたくさん見える。
「これを屋上の中央で発動されれば、この学校内で起こった全ての魔力を、私が判断できるようになるわ」
「判断できると、どうなるんだ?」
「バレッタのマスターがどこにいても、居場所を見つけられるようになるわ」
玲菜は自信たっぷりな顔を見せた。
「そんな場所があるなら、最初から言ってくれよ……」
「アンタが勝手に、私を引っ張って逃げたんじゃない!」
「はあ? お前がなにも指示しないからだろ!」
「……手を繋が…………びっくりし……」
まごまごと言った玲菜の声を聞き取れず、俺は首を傾げた。
「な、なななんでもない! ばかっ! それより、屋上へ行くわよ」
玲菜は顔を真っ赤にしたまま、校舎に一気に駆け込む。
そこを狙っていたのか、玲菜を目がけて、横から光の矢が襲ってきた。
玲菜はまるで気がついていない。
「あぶねぇ!」
俺はとっさに駆け出し、玲菜に飛びつく。
玲菜の小さな悲鳴が響き、後ろからの粉砕音でかき消される。
俺は玲菜を抱きしめたまま、廊下を転がった。
階段前の踊り場で止まり、運良く体が隠れる。
「ご、ごめん……私のミス。だ、大丈夫?」
玲菜が立ち上がりながら、不安そうな顔で俺を見ていた。
「ああ、問題ない――っ」
俺も立ち上がろうとすると、左の肩に激痛が走った。
まるで腕がなくなったかのように、全く動かない。
打撲? いや、骨折だろう。血まみれでだらりと垂れる腕。
多分、貫通して穴が空いているだろう。
玲菜が慌てた様子で肩に手を触れる。
「ちょっ、ちょっと見せなさい! ……痛むわよ。我慢して」
玲菜の手がほんのりと白く光る。
走っていた激痛が、だんだんと和らいでいくのがわかった。
おそらく数分。それだけの時間で傷が癒えていた。
「そこまで治れば、後はソードの強化で何とかなるでしょ?」
「ああ、助かった……っていうか、痛みも消えるんだな……」
「応急処置だから、過信はしないでね。無理をしたら破けるわよ」
俺は頷き、ソードを発動させる。
玲菜の言うとおり、動かす分には問題なくなった。
怪我が治って落ち着いて見ると、攻撃が止まっていたことに気がつく。
不思議なことに回復している間、一切攻撃が来なかったのだ。
もしかすると、準備に時間がかかっているのかもしれない。
「攻撃が止んだ? 今のうちね、急ぎましょう!」
後は、この階段を上るだけ。
玲菜が先に駆け上がろうとすると、再び攻撃が始まった。
「呆れるほどわかりやすいわね。今度はハッキリと私だけを狙ってくるようになったわ」
俺がそばにいないからだろうか、明らかに玲菜だけを狙っているのがわかる。
玲菜は楽しげに笑い、自身を強化させると、粉砕音をバックに階段を駆け上がっていく。俺も必死になってそのあとを追う。
玲菜が屋上の前の扉の前に立っていた。入るのを戸惑っている様子。俺は屋上に目を向ける。
広がる青空の下、ほんのり肌寒いが、山と海に囲まれたこの景色は絶景だ。
だが、そこに待ち構えたように、無数の光の矢が上空を覆っていた。
踏み出せば、一斉に放たれるに違いない。
「ま、まじかよ。完全に狙われているぞ……」
「それでも行くしかないわ。屋上の中央に……」
玲菜は魔法を唱え、防壁を強化させた。
一人で突っ込んでいく気だ。俺は玲菜の肩を掴む。
「だったら……俺が先に行く。危ないこと、おまえにだけやらせられるかよ」
「……そう。また私にかばわれたくないとか、そんな話をするんでしょ?」
「そういう事だ。問答は無用だぞ?」
「わかった。だったら、私のコトを守ってもらうわ」
俺はその言葉の意味を大して理解もせずに頷く。
玲菜が小さく笑む。
「春馬が飛び出して、二秒後に私が出る。その間に可能な限り、光の矢を撃退して」
たったの二秒の思えるが、ソードの強化があれば、それなりの数はたたき落とせるはずだ。俺は首を縦に振ると、ソードを構えて屋上に躍り出た。
やはり、俺に向かっては攻撃してこない。
「なめんなぁぁぁぁぁっ!」
俺は飛びあがり、上空に浮かぶ光の矢に向かってソードを振り払う。
ソードを通して、俺の魔力が放出され、それは一閃する魔法の刃となった。
光の矢を次々に撃破していく。だが、光の矢はそれでも動かない。
先日見た、ローブのマスターとの戦い、光の矢は無限に近いほど放出されていた。
おそらく俺がどれだけ壊そうが、新しく生み出せるのだろう。きりがない。
応急処置が破けたのか、左肩に激痛が走った。
それでも、俺は光の矢を一本でも多く叩き落とすため、ソードを振り回す。
――ついに、玲菜が屋上に姿を見せた。
疾風のように舞い、中央に一瞬で到達する。
しかし、そこを狙っていたかのように、上空の光の矢が一斉に降り注ぐ。
光の流星群。その数、軽く五十本はある。
玲菜は俺に視線を送ってきた。
「春馬! 頼んだわよ!」
光の矢なんてお構いなしに、玲菜はさきほどの粘土細工を地面におくと、魔法の詠唱を開始する。
ローブの『抑制』を使っても、凌ぎきれなかった攻撃だ。防壁だけですべてを防げるはずがない。
「守れって、そういう事かよっ!」
ちっ、と俺は大きく舌打ちをする。
「玲菜ぁぁぁぁぁっ!」
俺は全力で飛び出し、駆け寄る。ソードと圧倒的な連帯感があった。
今までの何倍もソードの力を借りているような不思議な感覚。
玲菜の元に一瞬でたどり着き、上空に向かってソードを振る。
魔力を帯びた光の剣閃が、まるで翼のように広がる。
次々に光の矢を巻きこみ、飲み込んでいく。まるで、術者が魔法を解除したかのように……全てかき消えた。
それと同時に、背後から強大な魔力と共に、眩い光が放たれ、粘土細工が地面に吸い込まれ、描かれていた文字が転写されていく。
――それは神秘的な眩い光を放つ、魔方陣になった。
まるで優れた美術品に見えるほど綺麗だ。
玲菜は作り上げた魔方陣を満足げに眺め、立ち上がる。
無事に守り切れたようだ。俺はホッと息をつく。
「……ケガはないよな?」
「ええ、ありがとう。守ってくれて。アンタのおかげで発動できたわ」
「……もう、こういう無茶はやめてくれよ……」
玲菜は笑顔を浮かべ、上空を見上げる。
光の矢は消え、晴天の青空が広がっていた。
「発動した途端に攻撃が止んだな……」
「ええ、どういう結界なのか、盗み聞いたんでしょうね……場所の特定には至らなかったわ」
「昨日言ってた準備って、これか? どうして急にこんなものを?」
「学校にこう何人も魔法使いがいるんじゃ、おちおち授業も受けられないでしょ? それが早速役に立ってよかったわ」
一晩かかって、くみ上げた術式。それがどんなものか、試したくなった。
「結界の力を試してみていいか?」
俺は握っていたソードを小さくしたり、大きくしたりを繰り返す。
そんな俺に玲菜は首を傾げる。
「アンタ、なにやってるの?」
「え? 探知できるようになるんだろう? どんな反応なのか見てみたくて」
「出来ないわよ。コレでわかるのは魔法の発動だけ。神器が魔法使えば別だけど、力を解放しただけでわかるはずないじゃない。……わかるならとっくに全てのマスターを割り出しているわ」
なんだその程度か。
俺はソードをしまいながら、玲菜をジト目で見た。
「……あまり使えないな」
「うっさい! だから今まで使わなかったのよ! けど、この学校への遠距離攻撃はもうないわ。使った瞬間、人物と場所が特定できるんだからね」
そうか、と呟き、俺は校舎に目を向ける。
そこはぼこぼこに穴の空いた無惨な姿。言い訳なんて出来ないほど、光の矢を激しく受けた廊下や階段は、今にも崩れそうなほど損壊している。
どうするんだよこれ。
「結界の三番もそろそろ解けるわね……」
「みんな戻ってくるんだよな? こんな状況で大丈夫なのか?」
「ええ、諏訪が何とかしてくれるわよ。メルに言って、連絡をさせておくわ」
「諏訪? アイツに言うとどうなるんだ?」
「……アイツの本来の仕事は魔法痕跡の隠蔽。こんな魔法攻撃の痕をそのまま放置には出来ないのよ。勝手に都合のいいように事実を改ざんしてくれるわ」
「改ざん? けど、こんなめちゃくちゃだったら、おかしいと誰もが思うだろ?」
「そんなことはないわ。以前のコンビニでのコトを思いだしてよ」
めちゃくちゃになったコンビニ。
あの時はトラックが突っ込んだことになっていた。
「思い当たったみたいね。あれが諏訪……というか協会の力よ。今回は薬剤の爆発か、欠陥校舎って話になるんでしょうね」
玲菜は楽しげに笑う。
いや、全然笑えないぞ。
「けど、すぐにその効果が発動するわけじゃないんだろう?」
「それも大丈夫。三番の結界は記憶が曖昧になるのよ。多分、お昼休み前後のことは把握できないほどね……」
「……曖昧? あっ! もしかして、コンビニで戸田がおかしくなったのも?」
「そうよ。この三番の影響ね」
「それでか……」
戸田も両親が待っているとか言って、家に帰ったもんな。
あれがまさしく、今回のような状態だったのだろう。
「それにしても、バレッタのマスターは、私だけを狙っていたわね。なにか思い当たること、ない?」
「……残念ながらまったく。お前は?」
「私も。手がかりはなしか……」
二人の間に沈黙が流れた。
確かにこの学校の関係者と言うだけでは、範囲が広すぎる。
何かもっと、明確な証拠でもあれば――と、俺の頭にヒラメキが浮かんだ。
「あ、証言なら得られるじゃないか? 俺がお前の家に泊まったって情報を流したのはバレッタのマスターだろ? だったら、相澤に訊けば――」
「――それだわ! 放課後に相澤に会いに行きましょう」
「え? 今から行かないのか?」
「さっきも言ったでしょ。三番が解けてすぐは、記憶に混濁が見られるってね。訊くだけ無駄よ」
結界が解け、午後の授業が普通に始まる。
教室の中はさっきの攻撃で割とめちゃくちゃ。だが、玲菜の言ったとおり、誰も気にしていない。散らかり放題の教室で、当たり前に授業が進んでいく。
結界の三番による、記憶の混濁とは本当にすごい力のようだ。
隣の席で、自分の身の回りを片付けていた玲菜が不意にこちらを見る。
その顔には、勝ち誇った笑みが浮かんでいた。
アイツ、読心術でもあるのか。