第十一話 止められない疑惑
待ち合わせの約束をすっぽかした俺は、びくびくと雪城の後に続いていた。
その途中で不意に呼び止める声が響く。
「雪城生徒会長! ちょっと待ちたまえ!」
怪訝な顔をして雪城が足を止め、振り返る。そこには風紀委員の腕章をつけた男が立っていた。
きちんと真ん中で分かれた髪。シワ一つついてない制服。眼鏡から見える細めの眼は、きりっと鋭い。戸田と比べれば若干落ちるが、それでも高レベルのイケメン。
この学校で一番を眼をつけられたくない男。風紀委員長の相澤だ。
「相澤風紀委員長。私に何かご用?」
「……なあ、いつもそんなに長たらしく呼び合っているのか?」
あまりにも敬称じみた呼び方に思わず口を挟んでしまった。
雪城は顔を赤くして振り返る。
「――っ、アイツがいつも私のコトをそうやって呼ぶのよ。だから、私もやり返しているだけよ。マトモに突っ込まれると恥ずかしいからやめて!」
「ん? 君は?」
雪城とコソコソ話していると、相澤が突き刺さるほど、鋭い視線を向けてきた。返事をしようとすると、相澤が話を続ける。
「ふむ。雪城生徒会長と同じクラスの赤羽君だったかな?」
知ってるなら訊くなよと思いつつ、俺は頷く。
相澤は癪に障るほど、なめ回すような目の動きをしていた。
全身をくまなくチェックしているのだろうか。目をつけられるといろいろ面倒になりそうなのがわかる。
そこで、先ほどの詩子の話を思い出す。
地震の後、雪城と二人で話していたのはこいつだ。自然と相手を睨むような目になり、相澤もそれに応じてきた。
にらみ合い、なぜかいらいらと感情が高ぶる。
「私に用があったんじゃないの? 早めに済ましてくれないかしら?」
空気の悪さを感じたのか、雪城が俺と相澤の間に割って入った。
相澤が何かを思い出したような顔をする。
「そうだった。今日の放課後、風紀委員室に来てもらおうか?」
「……なぜ?」
「話があるからに決まっているだろ」
「それは風紀委員長として? それとも……」
俺の目の前に立っているので、雪城の顔は見えない。
しかし、相澤はニヤニヤと楽しげに笑っている。
「そんなの言わなくてもわかるだろ?」
「……そうね。わかったわ。放課後ね」
雪城の返事を聞いて、相澤は楽しげに手を振り、去っていった。
俺には分からない、二人だけの会話。
なんなんだ、このもやもやとした気持ちは……。
「もう時間もないわ。急いで行きましょう」
相澤がいなくなった後は、いつもと変わらない様子の雪城。
それが逆に妙な違和感に思えてしまう。
「あ、アイツ、放課後、何の用があるんだ?」
「さあね、知らないわ」
まるで興味なさそうに返事をする。雪城が何を考えているのかわからない。
しかし、それ以上は聞くことも出来ずに屋上に向かった。
屋上に着いたところで、ちょうど予鈴が鳴る。良かった授業に助けられた。
「じゅ、授業が始まっちまうな……話は後に――」
「そんなのサボりよ! いいから、さっさとそこに座りなさい!」
「はあ? サボり? ……って、ここ地面だぞ?」
固くて雨風で汚れた地面がある。
誰も入れないのだから、掃除もろくにされていないはずだ。
「だからなに? 人との約束破って、女の子たちと楽しげに食事してたのは誰?」
「それは俺だけど……」
「だったら、土下座して反省しなさい! 女の子といちゃいちゃご飯食べている場合じゃないでしょ!」
「別にいちゃいちゃはしてないが――」
「してたじゃない! 二人に囲まれて鼻の下を伸ばして。今は大変な状況なのよ? 自覚あるのかしら?」
激しい剣幕に押されてしまう。確かに校内に神器を持ったマスターがいる。
いつ戦いになってもおかしくない状況だ。
「……悪かったよ。反省してる」
「わかったなら、もう二度と隠れて女の子とへらへら食事なんかしないことね!」
約束を破ったのは悪いが、なぜ、俺が浮気がバレた男のように怒鳴られなければならないのだろうか。自分だって相澤と会っていたじゃないか。
理不尽な状況に怒りがこみ上げてくる。
「お前だって、隠れて会っていたじゃないか……相澤と」
「はあ? 何の話よ?」
詩子から聞いた話をすると、雪城の顔から怒りが消えていく。
「ちょっとバカ! そんな大事な話、すぐにしなさいよ! そしたら、私もこんなに怒らなかったのに……」
散々怒った後に、それはあんまりです。
完全に怒られ損だった。
「人のこと言えないって、気づいてくれたのか?」
「違うわよ! その話が犯人を示しているってこと」
「ちょっと、分かるように話してくれよ」
「あの場でそんな奴、見てないってことよ」
「……え? ああ、じゃ、じゃあ、アイツがやったってことなのか?」
「ちょうどいいわね。放課後に話をつけにいくわ!」
明らかに雪城の表情には自信が満ちていた。
核心をつかめた。そんな様子だ。
※ ※ ※
放課後になって、俺は雪城と風紀委員室に向かう気でいた。
しかし、雪城の返事は思いもよらないものだった。
「アンタはいいわ。先に私の家に行ってて。メルに今日の内容は伝えてあるから」
「そ、そんな、何があるか分かんねえだろ? 俺も行くって!」
「いいわよ。呼ばれているのは私だけだし、二人で行くのは不自然でしょ? それに一人の方が聞きやすいと思うのよね」
そう言われてしまうと、それ以上言い返せない。
なぜだかやるせない気持ちで、俺は一人、昇降口に向かっていた。
ふと、廊下から外に目をやると、誰かが校舎裏へ向かっているのが見える。
隠れながらこっそりと入った姿が、午前中の地震とどうしても繋がってしまう。
俺は急いで人影を追い、校舎裏に向かった。
校舎裏の近くで魔力を走らせると、雪城が言っていたようにピリピリとしたものを感じる。コレが魔力というものだろう。つまり、魔法使いがいる。
喉を鳴らし、ソードを取り出すと、強く握りしめた。
「マスター、いつでも準備できています」
ソードの頼もしい声。俺は壁に隠れ、校舎裏を覗き込む。
しかし、地面に穴がぽっかり空いているだけで誰もいない。
どこへ行ったんだろう。俺は注意深く、穴に近づいていく。
穴まで数歩のところで、ソードが叫んだ。
「上から来ます!」
ふと、雪城の言葉を思い出す。
『破壊』の固有能力は直接攻撃が出来ないから、事故に見せかけてくると。
上を向くと、男子生徒が鉄パイプを片手に振ってきていた。
「って、直接攻撃じゃねえかよ!」
ぼやきながらも、がっちりとソードで防ぐ。
威力、腕力、速度、どれも大したことなかった。
鉄パイプを吹き飛ばすと、相手はバックステップで距離をとる。
そこにいたのは風紀委員長の相澤だった。
一人になったところを襲ってきたのだろう。
「やっぱ、お前がマスターか!」
相澤は返事の代わりに光る弾を放ってくる。魔弾だ。
体に魔力を走らせ、防ごうとすると、激痛が襲ってきた。
昨日の疲れが、いまだに体に響いているようだ。
「マスター、危ない!」
ソードが自動で動き、魔弾をはじき飛ばした。
それを見て、相澤はニヤリと笑う。
そのまま身を翻し、反対方向へ走っていった。
「にっ、逃がすかよ!」
俺はその後を追った。しかし、追いつけない。
相澤が早いと言うより、俺が遅いのだ。
魔力で体を強化すると激痛に変わる。昨日の疲れが如実に残っていた。
だが、絶対に逃がしたくない。アイツをぶん殴れば、さっきから続くこのもやもやが消えるような気がした。
必死に痛み我慢して走り続ける。逃がすものか。
相澤は校舎の中へ入り、廊下を走り抜けていく。
ある教室の前で、不意に相澤の姿が消える。そこは風紀委員室の前だった。
――中に入ったのだろう。
しめた。中には呼び出された雪城がいるはずだ。ここでけりをつけてやる。
俺は意気揚々と風紀委員室に躍り込んだ。
中では、テーブルに向かい合うように相澤と雪城が座っていて、穏やかな笑みが零れている。どちらかと言えば楽しげな雰囲気だ。なんだこの空気は。
居心地の悪いものを感じ、それが訳の分からない苛立ちを呼ぶ。
「なにやってんだよ!」
どっちに叫んだのか、自分でもわからない。
だけど、声は明らかに怒っていた。
「な、なにって……あ、アンタこそ、なにを……?」
見られたくないところを見られたかのように、言葉を詰まらせている雪城。
なぜだか、ますます怒りが募る。
ぎこちない笑顔の雪城を睨み付けていると、相澤が呆れ気味に声をかけてきた。
「また君か……そんな物持って、何をしているんだ?」
相澤は俺の手にあるソードを指さして、怪訝な顔をする。
白々しい。さっきまで戦っていたのに、何をとぼけるつもりだコイツは。
俺が声を出そうとすると、かぶせるように雪城が先に発する。
「ぶ、文化祭の小道具よ! わざわざ見せに来てくれたのね!」
わざとらしい雪城の声と表情。まるで話を誤魔化したいかのようだ。
なんだこの茶番は……。
心臓がドクンドクンと鼓動を早め、胸くその悪い感情がこみ上げる。
「もうすぐ文化祭か。……その出来は素晴らしいな。まるで本物じゃないか。ちょっと見せてくれ」
相澤は笑顔で席を立ち、近づいてこようとする。
ギリッと俺は歯をならす。
「ふざけるなぁ!」
俺は叫び、相澤を切りつけようとした。
瞬間、小さく舌打ちが聞こえて、俺の前に雪城が突然現れる。
振り下ろそうとしていたソードを、青く光らせた手で刀をがっちりと受けとめた。
完全に相澤を庇うような形だ。
「な、なんで……?」
戸惑っていると、頬にパチンと痛みが走る。
雪城に殴られたようだ。
「…………冗談が、冗談が過ぎるわよ!」
その顔は洒落にならないほど怒りに満ちていた
雪城は唇をぎゅっと噛み締めると、俺の手を強引につかみ風紀委員室を出る。
相澤はぽかーんと呆気にとられているだけだった。
「ちょ、ちょっと離せよ! なにすんだよ!」
引っ張られながら、廊下で非難の声を上げたが、雪城は振り返ろうとしない。
なぜそんなに怒っているのか、理由がわからない。
マスターである相澤を攻撃したことが、そんなに気に入らなかったのか。
疑問が頭の中をぐるぐると回る。
「さっさとソードをしまいなさい!」
言われるがまま俺はソードを小さくし、ポケットに入れた。
階段横の人気のない場所に連れてこられ、壁に押しつけられる。
「学校の中でソード振り回すとか、何考えてんのよ!」
「しかたないだろ。戦いの最中に逃げたアイツ、相澤を追ってきたんだから」
俺の言葉に雪城は目を丸くした。
「はあ? ちょっと待ってよ。それはいつの話?」
「今……ついさっきのことだ」
「バカなこと言わないで。私はアンタと別れてから、あそこで相澤とずっと話していたわよ? 彼のはずがないわ」
「……本当にずっとか? 一度も目を離してないのか?」
「極端ね。そりゃあ、目をあわせてないタイミングはあるわよ。愛し合ってる訳じゃないんだし……けどね、少なくとも、部屋からは出てないわ」
話がかみ合わない。雪城の言葉が嘘くさく思えてしまう。
やはり地震のあと、相澤と会っていたんじゃないだろうか。
それでなにか密約を交わしたに違いない。
「……俺を騙そうとしているのか?」
「はあ? なんでそんなこと言うわけ?」
明らかに雪城の表情が険しくなった。それがどうしてなのか分からない。
バレたからだと考えれば、そんな顔にも見える。
「会ってないって言ってたけど、本当は地震の後、アイツに会った。違うか?」
「アンタね……どうしちゃったの? ――って、そうか!」
雪城が呆れた顔で手をポンと叩いた。
何か思いついたことがある。そんな様子だ。
「相澤を校舎裏で見たのよね? それを追いかけてきた。そこまでいい?」
「ああ。……だから、相澤と一緒にとぼけているんだろ?」
「黙って――でも、私はずっと彼と話をしていたわ。それは間違いない」
「だから!」
「つまり、相澤が二人いたってコトよ」
雪城のとんでもない発言に首を傾げてしまう。
「は、はい?」
俺の呆けた顔を見て、雪城はにんまりとする。
「答えが分かると簡単。耳飾りの固有能力『分身』の力よ」
「じゃあ、やっぱりアイツがマスターじゃないか?」
「そうとも限らないわ。分身は自分以外の人や物も複製できるのよ」
つまり、先ほど俺が戦っていたのは、複製体だった。
答えが分かると、話がかみ合わなくて当然だ。
別の人物について話していたのだから。
「撹乱には最適な神器だな」
「そういうこと……このマスターは早めに見つけないと……やばい、かもね」
雪城の『やばい』という言葉が胸を突き刺す。
先ほどすでに雪城を疑ってしまったのだ。
時間をかければかけるだけ、疑心が強くなる気がする。
俺は感情をもてあまし、壁を思い切り殴りつけた。
「……帰りましょう。今日はもう無理よ……」
俺は雪城と昇降口を抜け、今日も雪城の家に向かう。
「すまない……」
歩きながら、どうしても零れてしまう謝罪。
それを雪城が苦笑で返す。何度繰り返したことだろう。
いい加減気持ちを切り替えたいがどうしても、ダメだった。
嫌な想像が浮かんで、雪城を疑ってしまうのだ。
詩子に話を聞いたときは何とも思わなかった。
けど、実際に相澤と雪城が一緒にいるところを見ると、相澤と会ってないと言った話が信じられなくなってしまった。どう見ても仲良く話していた。
もしも、校舎裏で二人が密談をかわしていたなら……。
そう考える自分が嫌だし、辛かった。
そして、『分身』なんて能力が本当はなかったら……。
そんな黒々とした疑惑が浮かぶ度に、謝罪の言葉が口から漏れていた。
二人は気まずいまま、歩き続ける。
雪城の家までもうすぐのところで、雪城は足を止めた。
「ねえ、なんでさっきあんなに怒ったの?」
「そ、それは……」
なぜだろう。
なぜだか、それを雪城に突っ込まれるのが、恥ずかしかった。
「だって、私は相澤と話をしに行ったわけだから、話していてもおかしくはないわよね? 何に対してキレちゃったの?」
「い、いいだろう、なんでも! なんとなくだよ、なんとなく!」
俺は怒鳴って誤魔化そうとしたが、その様子から雪城は思いついた顔をして、ニヤリと厭らしく笑う。
「あー、ははぁん、そういうことか……妬いちゃった、とか?」
「は、はあ? そ、そんな、そんなわけねえだろ!」
雪城はにやにやと俺を見つめ、楽しげだ。
「はいはい、そういう事にしときましょう。……とにかく、疑うのも疑われるのもやめたいわ。分身の能力は疑えば疑うだけ傷が大きくなるもの」
まっすぐに俺に向けられた目。
その目を見ているのがつらくて、俺は前を向いて歩き出した。
疑うなと言うのは嫌と言うほど分かっている。
でも、信じられない。自分で自分がイヤになるほど黒い感情。
その時、後ろから大きな声が聞こえる。
「ねえ! は、春馬っ!」
「え? って、名前呼び!?」
振り返ると、雪城の顔は真っ赤だった。
恥ずかしいという自覚はあるようだ。だったらやるな。
「私はあなたを名前で呼ぶわ。私が他に名前で呼んでいる男はいない」
「な、何の話だよ!」
「だから、春馬にも名前で呼んで欲しい。玲菜ってね!」
「できるかぁ! ハードル高すぎるぞ!」
俺が叫ぶと、雪城はキョトンとした顔を見せる。
「なんで?」
「だ、だから、そんなことしたら……周りから誤解されるだろ?」
ふむぅ、と雪城は一瞬考え、俺の隣に駆けてきた。
不安そうな顔のまま、大きな眼を瞬かせる。
「……ねえ、春馬は好きな人いるの?」
「い、いねえよ。そんなの」
「だったら、別に困ることないんじゃない?」
「そ、そうだけど……って、俺じゃなくて、お前が……」
「私は構わないわ。春馬と付き合っていると思われても、ね」
雪城は上目遣いで俺を見つめていた。
夕焼けに照らされているのか、真っ赤な顔で少し瞳が潤んでいる。
こんな顔されたら否応なしに期待が高まっていく。
「まさか……お前…………お、俺のこと……好き、なのか?」
「っ! は、はあ? ち、違うわよ! そういう事じゃないわ! ば、ばかっ!」
雪城は俺の背中をバンっと叩いて、腕を組みそっぽを向いた。
「じゃ、じゃあ、どういうことだよ……」
「……私からは絶対にあなたを裏切らないってこと。どんな噂が流れて、どんなに私を信じれなくなったとしても、私はあなたを裏切っていない」
「な、なんでそこまで……」
「……疑っている相手に背中任せられないでしょ? 生き死にを分ける戦いで、信頼できないのは致命的になりかねないわ」
一歩前に出て、振り返った雪城の芯のある表情だった。
戸惑う俺に言葉を続ける。
「私が手を結ぼうって言ったのはそれほどの覚悟。それだけは分かって欲しい」
学校一の美少女が噂になるの覚悟で、名前呼びをしようと言ったのだ。
それは俺だけが特別で、信じている存在だと証明したかったからだろう。
だったら、その気持ちに応えるべきだ。
「悪かった。ちょっと俺がどうかしてたよ……本当に悪かった」
「じゃあ、改めてよろしくね、春馬っ!」
微笑んだ雪城はどこまで綺麗だった。
さらさらと流れる黒い髪が夕日を浴びて煌めく。
「ああ、もう、お前を疑わないよ。雪城――」
「はあ? そこは普通、『玲菜』でしょ!」
雪城はいつもの調子で、腰に手を当てて偉そうにしている。
しかし、その頬がほんのりと赤くなっている気がした。
「えー、そ、それは恥ずかしいし……」
「ダメ! 私もやるんだから、アンタもやるのよ!」
照れているのか、怒っているのか分からないが、顔を赤らめ、近づいてくる。
逃げるように俺は走った。
雪城――っ、玲菜の家を目指して。