第十話 動き出したマスター
初日からみっちりしごかれた翌日。金曜日。
雪城の家に泊まり込んだ俺は特訓の影響で、体が非常に重かった。眠気とだるさで、授業なんてまったく耳に届かない。
強くなるための辛抱だと、静かに体を休めていた三時限目。
突然、地鳴りとような音が響き、学校が小さく揺れた。
「な、なんだっ!」
不意の地震にクラス全体はパニックになる。
斜め前の席の雪城が俺の方を一瞬だけ見ると、教室を飛び出していった。
「おい、雪城!」
教科担任の声が響くが、完全に無視。
まさか、魔法使いの仕業なのか。焦燥感に駆り立てられる。
「先生、俺も様子見てきます!」
俺も後を追おうとするが、
「ちょっと待て赤羽! お前までどこへ行く気だ!」
がっちりと教科担任に腕を捕まえられてしまった。
廊下には、各教室からぞろぞろと顔を出している人間がいる。
どこのクラスも状況を確認しているところだろう。
余震などもなく、すぐに通常授業に戻り、俺が解放されたのは授業が終わってからだった。
授業が終わっても戻ってこない雪城が気になり、俺は教室から出た。
しかし、行き先などわかるはずもなく、あらかた探した後、途方にくれる。
「クソ。こんな時に魔法が使えたら――」
そこまで呟いて、朝取りに戻ったソードの存在を思い出す。
昨日から一切口を聞いていないが、ソードなら魔力などを追えるのかもしれない。
人気のない場所でソードを発動させる。
「……玲菜でしたら、あちらの方に微弱の魔力を感じます」
ソードが空中に浮かび、方位を示す。
その方向は校舎裏だ。
「ありがとう、助かったよ。ソード」
礼を言って、ソードをしまおうとすると不満げな声が上がった。
「どうして、昨日置き去りにしたんですか?」
「す、すまない! 本当に!」
朝も謝ったがまだ許してくれていないようだ。
「それに……勝手に玲菜の家に泊まったり……」
「……え? 勝手にって?」
「私たちはパートナーのはずです。だったら一言くらい相談あっても……」
拗ねたような声のソード。
なんだか、人間らしい発言に失笑してしまう。
「笑い事ではありません! 一応、玲菜とは手を切っているのですから、気まずいのですよ」
「本当にすまなかった。もう置き去りにもしない!」
「約束ですよ? 絶対ですよ?」
「大丈夫。分かってるって」
俺はソードをしまうと、校舎裏に急いで向かう。
そこでは雪城がしゃがみ込んで何かを探っていた。
俺に気がついたのか、雪城は立ち上がる。
「やっと来た。ずいぶん遅かったわね」
「……授業抜け出せなかったんだよ。お前はあとでやばいと思うぞ?」
雪城は肩にかかった髪をふわりとはらう。
「なんのために成績学年トップ、そして、生徒会長までやってると思っているのよ。まさにこんな時の為よ」
雪城はその美しい容姿だけではなく、成績、運動においてもトップの成績を誇っていた。完璧な優等生。そのための努力は計り知れないものだろう。
それがまさか、敵に襲われた時のためだったとは正直驚きだ。
「そのためだけに普段から努力してたのか……すげぇな」
「それだけってこともないけど……そんなことより、コレを見て」
雪城の指した地面は、大きく抉られた穴がぽっかりと開いていた。校舎のすぐ側に出来た不自然な穴だ。
先ほどの地震はコレが原因に違いない。
「魔法……によるもの、なのか?」
「ええ、そう考えて良いと思うわ。魔力の残滓もあったことだし……けど良かったわ。マスターになったのは、素人みたいよ」
「そんなことまでわかるのか?」
「ええ、マスターになった喜びで授業中にもかかわらず使ってしまった。それがどんな影響を及ぼすのかさえ考えられない人間よ」
「……素人だな」
「そういうこと。魔力の探知さえできないあなたと同じね」
「むっ、しかたないだろう。昨日始めたばかり何だから……」
「あのね、魔法って言うのは応用力なの。昨日の訓練は覚えているわよね?」
「魔力を全身に巡らせるって奴だろ?」
「そうよ。それが出来るなら、魔力を感じるってコトもできるはずよ。アンタが使おうとしなかっただけ」
「そ、そうだったのか……」
「次からは怪しいと思ったら、魔力を走らせてみることね。何か感じることがあるかもしれないわ」
「まだ、そこに残っているのか?」
俺は不自然に空いた穴を指さす。
「魔力? 残念だけど、もう消えているわ」
雪城の話だと、魔力残滓は魔法の強弱により異なるらしい。
強い魔法で三十分。弱い魔法で十分程度。
地震が起きて、すでに四十分は過ぎており、残っているはずもない。
やはり授業をなんとか抜け出すべきだった。
「さて、じゃあ、戻りましょう。相手の神器も分かったしね」
調べ終わったらしく雪城は満足げな顔だ。
「ほ、ほんとうかよ! なんで分かるんだ?」
「神器にはそれぞれ固有の能力があるの。アンタの持っているソードは『強化』。まあ、単純に筋力なんかをアップさせると思っていいわ」
なるほど、それでソードを握っていると強くなるのか。
「んで、今回の相手となる奴は、おそらく首飾りの固有能力、『破壊』よ。地面に穴が空いているのは、土を粉々に砕いたんだと思うわ」
確かに土があちらこちらに散らばっており、大きな爆発のようなものがあったような気がする。
「破壊ってのは、なんでも壊してしまうってコトか?」
「まあ、そういうものね。ただし制限があって戦闘には向かない。生物には効果がないのよ」
――だから、と雪城が言って見上げた。
小さな爆発音と共に、屋上から手すりが雪城を目がけて落ちてくる。
慌てる俺に雪城は落ち着いて言った。
「こうやって、事故に見せて攻撃してくるのよ!」
雪城は両手を掲げると、手すりは不自然に速度を落す。
まるでその手に収まるように落ちてきた手すりを、雪城が軽々と掴んだ。
上には人の気配はない。雪城は奇妙な言葉を紡ぎ跳ねた。
「――屋上を見てくるわ!」
あっという間の出来事だった。気がつけば屋上に雪城がいる。
一人だけ魔法で飛びやがった。
「くそ、そんな真似できるかよ!」
屋上は四階。俺は周りを見回し、校内への入り口を探す。
ふいに上空からものすごい風を感じ、振り返ると、雪城がすでに戻ってきていた。飛び降りたようだ。めちゃくちゃだな、こいつは……。
「誰もいないわ。魔力の残滓はあるけど、弱すぎて誰のものかわからない」
「じゃあ、扉から校内に逃げ込んだのか?」
「それはないわ。屋上の鍵はかかっていたもの」
「逃げるときに扉に鍵をかけたんだよ。鍵を持ち出した人間を調べようぜ!」
基本的に屋上へ扉には鍵がかかっている。
入るためには鍵を開けなければならないのだが、鍵は職員室にあり、許可を取られなければ無理だ。
「……持ちだした人間を探るのは意味ないわね」
「なんでだよ?」
「だって、私が持っているもの」
雪城は上着のポケットから鍵を取り出す。
「……なんで持ってるんだよ!」
「さて、これ以上はここで分かることもなさそうね」
「って、また無視かよ!」
俺の突っ込みになんて耳も貸さずに雪城は教室に戻ろうとする。
まあ、雪城が鍵を持っていたことは気になるが、今は関係ないのだろう。
それよりも、屋上に鍵が掛かっていて、その鍵を雪城が持っていたなら――
「待てよ! 話は終わっていない!」
怒声のような声が出た。
雪城はため息交じりに呆れた顔で振り返る。
「なによ。鍵のことなら――」
「そうじゃない! お前が鍵を持っているなら、犯人はどうやって屋上に入ったんだ?」
「そりゃ、鍵を開けて――って、そうか、鍵は私が持っている」
雪城が見せた魔法によるジャンプや着地を考えると何でもありな気がするが、それでも重要なことのような気がした。何かを見落としているそんな感触。
そこでチャイムの音が響き渡る。授業が始まった。
※ ※ ※
昼休みになり、雪城が耳打ちをして教室を出ていった。
「屋上で待っているわ。詳しく調べてみましょう」
俺は買っておいた弁当を持って、屋上に向かおうと廊下に出る。
そこで、詩子に遭遇した。
詩子は走ってきたのか息を切らしている。
「あ、あの……先輩。少し時間ありますか?」
「え、いや、悪い、急いでいるんだ」
「少し! ほんの少しでもいいですから……」
「い、いやでも……」
「お願いしますっ」
詩子がこんなに食い下がってくるなんて珍しい。
よほど重要な話があるのかもしれない。
雪城には悪いが、少し待ってもらおう。どうせ俺が行っても調査には大して役に立たないだろうし。勝手に言い訳を見つけ、詩子にいい返事をする。
にっこりと微笑む詩子は本当に嬉しそうな顔だった。
詩子に連れてこられたのは食堂。すでに詩子の友だちらしき女子生徒が、席をとっていた。
俺と詩子が隣り合って、対面にはその女子生徒という形で座る。
「彼女は同じクラスの渋谷 七海、クラスで一番の友だちです」
明るい声で詩子が女子生徒を紹介する。
紹介された女子生徒はペコリと浅く頭を下げた。
「よろしくお願いします、赤羽先輩」
「こちらこそ、よろしくな。七海でいいか?」
「もちろんですよ!」
名前呼びをあっさりと同意された。冗談で言ったつもりだったが、あっさり承諾されると今さら冗談とも言えない。
なぜか詩子の視線がやや険しくなった気がする。ちょっと恐い。
戸惑っている俺に七海が言葉を続けた。
「じゃあ、私も春馬先輩って呼びますね!」
「だめっ! それは絶対にだめ!」
別に俺は構わなかったが、激しく反応したのは詩子だった。
立ち上がりそうな勢いで、七海に迫る。
「春馬先輩って呼んでいいのは私だけ! 七海は赤羽先輩! わかった?」
「あ、う、うん」
詩子のものすごい剣幕に押されて、七海は苦笑を浮かべた。
呼び方を気にする人もいるから、冗談はほどほどにしよう。
気まずい中、弁当を食べていたが、途中で本来の目的を思い出す。
「で、俺をここに呼んだ理由はなんだ?」
「あ、そうだった、実はですね――」
話し出した詩子を遮って声が響く。
「お、赤羽! 両手に花ってか、相席していいか?」
「戸田……。そのセリフはお前に言われても嫌味しか思えねえよ! あと、相席は無理だからな!」
戸田は三人の女子を連れていた。
俺は自分が座っている四人がけのテーブルに目を向ける。座れるわけがない。
「そんなつれねえこと言うなよ。わかった。じゃあ、俺だけならどうだ? いいだろう? ね、ね、詩子ちゃんからも赤羽に言ってやってよ!」
「ちょっと、戸田くーん、それはないよー」
「うんうん、今日は私たちとご飯ってぇ、先週からの約束でしょぉ?」
戸田の言葉に、軽そうな女達がざわざわと不満を並べた。
言われて戸田はすこし困った顔を見せる。
「あ、ああ……そうだったな」
「たかが昼休みの食事で、先週からの予約ってどれだけ順番待たせてんだよ! いいから、お前はあっち行けよ!」
ちぇっ、と戸田は舌打ちをすると怪訝な顔で去っていった。
嵐が去ったあとは、詩子は慣れたもので平然としていたが、七海がどん引きな顔をしている。
「私、あの手のタイプ、大嫌いなんです」
先輩の友だちにいきなり言うようなセリフではないなと思いながらも、理解は出来た。戸田はとにかく女癖が悪く、あっちこっちに彼女がいる。
バイトをしているのも女と遊ぶため。一定数の敵がいるのも無理はない。
「えーと、じゃあ、どういうタイプが好みなんだ?」
あくまで軽い質問だった。
しかし、その質問を受けて七海の表情が曇る。
隣の詩子も焦った顔で俺に顔を近づけてきた。
「あ、あのですね……七海に男関連の話、全部NGでお願いします」
俺が首を傾げると、詩子が言いづらそうに続けた。
「訳がありまして……」
「詩子、それ以上言ったら、絶交だからね?」
「わ、わかってるよ……」
今度はさっきとは逆で、七海の剣幕に今度は詩子が苦笑を浮かべた。
意外と似たもの同士なのかもしれない。
七海には何か言えない秘密があるようだ。
沈黙の空気が流れ、詩子が俺に話しかけてきた。
「あ、それより先輩、さっきの授業中に地震がありましたよね? そのとき――」
詩子と七海は地震のあった時間、体育授業で運動場にいた。
突然の地震で慌てていると、校舎裏に走って行く雪城を見かけた。
興味本位にそれを眺めていたら、しばらくして校舎裏から男子生徒が出て来た。
風紀委員長の相澤だったらしい。
詩子が見たのはそこまでのようだが、雪城は俺と会うまでの間に風紀委員長の相澤と会っていたことになる。
それを俺に言わないのは……どういうことだろうか。
何の話をしたのか非常に気になるが、雪城が言わない以上、聞きづらい。
個人的な話などあるかもしれない。
考えれば考えるだけ無性に胸がもやもやとする。
そんな俺に詩子が不思議そうに小首を傾げる。
「どうしました?」
「あ、いや、なんでもない。話はそれだけか?」
「はい。それだけですよ」
戸惑う詩子が逆にわざとらしく思えてしまう。わざわざこんな場所に呼び出しておいて、雪城が誰かと会っていたという話だけ。
無理矢理、俺をここに誘う理由には思えない。他に何か意図があるのか。
「えーと、それがなんだ?」
「……あ、ああ、いえ別に……」
歯切れの悪いことを言い、詩子が固い笑みを浮かべる。
それを七海がちらりと見て、はっきりとため息をつく。
やはり、なにかありそうだが、それがなんだかわからない。
何回目だろうか、また空気が重くなった。
さっさと弁当を食べてしまおうと、箸を運ぶ。
詩子が思い詰めた顔で口を開いた。
「先輩は……雪城先輩と付き合っているんですか?」
「ぶっ――! な、ななんでそんな話に……んなわけねえだろ!」
「で、ですよね! ほらあ、やっぱり大丈夫だったじゃない!」
急に詩子はにこにこ顔になり、七海を肘でつつく。
七海は肩を竦め、横目で詩子を楽しそうに眺める。
詩子から変な緊張は消え、明るいいつもの空気になった。
俺と雪城との関係がそんなに気になっていたと言うことだろうか。
よくわからないが、詩子の問題は解決したようだ。
楽しく食事をしていると、テーブルに影が差す。
「赤羽君? こ・ん・な・所で、何してるのかな?」
聞き覚えのある声にぎくりとして目を向ける。
雪城が腕を組んで、にこやかな表情で立っていた。
だが、全く目が笑っていない。いや、むしろ怒っている。
それが分かるようになったのは猫をかぶってない、本当の雪城を知っているからだろう。俺、何かしたっけ。
ゴクリと息を呑み、恐る恐る口を開く。
「え、えーと、食事だけど、何か問題でも?」
「いつまでも赤羽君が来ないからでしょ。結構、探したわ」
「……来ない? ――っ!」
やばい、すっかり忘れていた。屋上で会う約束をしていたのだ。
これはかなり怒鳴られるのではないだろうか。
どんな言い訳をすればいいのか悩んでいると、俺が食べていた弁当を雪城がちらりと見る。
「もう食べ終わってるわね、行きましょうか?」
怒っているはずなのに、声は非常に優しい。機嫌が良いと誤解してしまいそうになるほどだ。詩子達がいるので、学校用の優等生モードなのだろう。
にこやかな顔のまま、雪城が俺の腕をしっかりとつかみ引っ張ってきた。
「では、皆さん失礼しますね」
二人の返事を待つことなく、雪城が俺を引っ張っていく。何か言いたげな詩子の顔がすごく印象に残ったが、声をかけることは出来なかった。
食堂を抜けて、廊下に出ると、雪城がものすごい表情をしている。
「――屋上に着くまでに、言い訳はしっかりと考えておくコトね」
ウソのように低い声。
どうしよう、俺、殺されるかもしれない。