9話
小さな物音がユウリの耳に入る。
「マサシ?」
「ああ、大丈夫か?」
「私は何とか大丈夫よ、でも、チサトはだいぶと参っているかもしれない。」
「そうか…。」
こつこつと近付く足音にユウリは振り返ろうとするが、後ろから抱きしめられ振り向く事ができなかった。
「マサシ?」
「………頼むから、無理も無茶もすんな。」
「……ふふふ…。」
「何で笑うんだよ。」
ユウリは微かに体を震わせ、マサシは不機嫌そうな表情でユウリを見下ろす。
「だって、私の専売特許をなくしたら、私には何が残るのかしら?」
「…お前しか残らねぇよ。」
「……マサシ…。」
「お前から無理や無茶を取っても、お前にはお前の優しさがあるだろうが…。」
「そうかな?」
「そうだ。」
言い切るマサシにユウリはクスクスと笑った。
「マサシはさ、本当に私を落ち着ける名人ね。」
「はあ?」
「だって、さっきまで実は不安でいっぱいだったの。」
「……。」
「だけどね、マサシが側に居てくれている、マサシが抱きしめてくれていると思うと、落ち着いてきたのよ。」
笑みを見せるユウリにマサシはそっと抱きしめる力を強めた。
「お前が不安な時は俺が側に居るから…。」
「マサシ…。」
「だから、頼むから俺に黙っていなくならないでくれよ。」
「……うん…。」
友梨はそっとマサシの腕に触れ、小さく頷いた。
「分かっている、私は貴方に黙っていなくなったりしない…、だって、逆の立場になったら、心配するもの…。」
「ああ。」
「だから、マサシも私に黙っていなくならないで…。あの時のように…。」
「……。」
一度マサシはユウリにも、タカダ家の誰にも話さずいなくなった時があった、その時、ユウリは自分の中のマサシの存在の大きさに気付かされた。
だから、今こうして側にいる事に幸せを感じていた。
「マサシ……いなくならないでね。」
「ああ。」
マサシももう二度とユウリをなかせたくないと思っているのか、神妙な面持ちで頷いた。
「………ユウリ。」
「何?」
「頼むから、怪我はしないでくれ。」
「……。」
「今回チサトはお前を連れて行く事を許したから、俺はお前を止める力が無い…。」
ユウリからではマサシの表情は分からなかったが、彼が苦しげな、悲しげな表情をしているのは見なくても分かっていた。
「だから、俺は…お前をこの手で守る…。だけどな、万が一という事がある、もし、お前から離れる事態があれば、頼むから逃げてくれ。」
「……嫌。」
「ユウリっ!」
「嫌よ…嫌……。だって、私だって……貴方に怪我を負ってほしくないもの…。」
「ユウリ…。」
「貴方はいつも、いつも私の身の心配ばかりするけど、貴方自身はどうなのよっ!!」
ユウリは顔を真っ赤にさせ、クルリと体の向きを変えた。
「私だって貴方を心配するのに…、なのに、なのに貴方は…。」
「ユウリ…。」
「怪我をしても黙って隠す…、そして、いつも通りの平気そうな表情をする。見ているこっちはどういう思いで見ていると思っているのっ!」
マサシはまさかユウリがその事に気付いているとは思っても見なかったのか、目を見張っている。
「気付いているわよ…、気付くに決まっているでしょうが…。」
いつも無理して笑うマサシにユウリはいつも何も言わなかった、もし言えば彼がもっと大きな無茶をしでかしてしまうと分かっていたからだ。
だけど、彼女の我慢もここまでだった。
「なのに、貴方はいつも私の身の心配ばかり…。」
「……。」
「何なのよ、貴方は…私を一番だと思っているんだったら、自分の身も守ってよ。」
「…悪い。」
「謝らないでよ…、私我儘言っているんだよ。」
ユウリ自身分かっている、マサシだってワザと怪我を負っているわけじゃない、ただ、何かを守るために仕方なく自分の身を犠牲にしているのだ。
そして、それを押し付けている理由は…一番それを望んでいないユウリの為だった。
「分かっているんだよ…分かっているけど…。」
ユウリはしがみつくようにマサシに抱きつた。
「だけど、嫌なのっ!」
「ああ。」
「私だって、怪我していいのに、貴方ばかり痛い目に遭って…なのに、なのに…。」
「ユウリ…。」
マサシは華奢な肩を抱いた。
「悪いけど、俺はお前の望むようには出来ない。」
「何でよ……。」
「俺は自分の命とお前の怪我なら間違いなく俺の命を差し出す。」
「つり合わないよ……。」
「そうかもしれないけど、俺はそれほどお前が大切なんだ。」
ユウリはそっとマサシの胸の中で泣いた。
「馬鹿…ばか…ばか……。」
「ん。」
マサシは特に何も言わず、ただ、ユウリを強く抱きしめた。
「これだけは知っておいてくれ、お前が死んだら、俺は生きて生けないという事を。」
「私だって、貴方が死んだら、生きていく自信がない。」
「……それでも、生きていてくれ。きっと、どんな事があってももう一度お前とめぐり合う努力をするから。」
「馬鹿…馬鹿…。」
ユウリはいつも、いつもマサシに泣かされる。それはマサシにとって不本意であったが、それでも、自分に向けての涙はそんなに嫌いではなかった。
「俺もいつかいなくなる、だけど、それは命を落とした時だけだ。」
「そうじゃないと…許さない……許さないよ…。」
マサシはそっとユウリの額に口付けを落とした。