蚊帳と向日葵と夏休み
【あらすじ】
代替教員の“私”は赴任した地方都市で、平屋の一軒家を借りた。
何やらいわくありげな家と、教室に馴染めない娘たちとの出会い。
その家で娘たちと過ごした短い期間は“私”の記憶に懐かしく刻まれていった。
数年後、再びその地に戻った“私”は、娘たちの思いがけないその後を知ることになる。
「夏の納涼祭」参加作品です。(別名タイトルシャッフル企画)頂いたタイトルは紅葉さまからです。
一
長方形の和室につるされた緑の蚊帳。
中に敷かれた白い和布団。
そこに寝かされている五体の日本人形。
どれも前髪を真っ直ぐ切りそろえられた、俗にいう市松人形だ。
表情は五つともみな同じ。
全長五十センチ。
着ている着物は藍に紅色の絞り染め。
白い足袋がのぞいている。
違いは帯の色だけだ。
五色の帯が腹部のほとんどを覆っている。
いや、違いはもう一点。
髪の長さが違っていた。
一番左の人形は肩より短いおかっぱ頭。
その隣は肩がかくれるくらい、そして背中の上部、真ん中、腰あたりと、並んでいる順に髪が長くなっている。
二
少し古いが手入れの行き届いた平屋の一軒家。
地方都市という事を差し引いても、低家賃に見合わない広さ。中心街へは徒歩圏内。赴任先の学校と中心街の中間点。
後頭部が薄くなった不動産屋の説明によれば。
「家主は衣里佳さんという方でして。いずれ帰るつもりだったようですが。弟子入りした人形師の先生とご結婚が決まり、貸家にする決心をされたようです」
低家賃で借りられる条件は、蚊帳の部屋をそのままにしておく事だった。
「あの人形は家主さんが、亡くなった妹さんを忍んで作ったものらしいのです。特に何もしなくていいから、この部屋にずっと置いてほしいと言われまして。売り家にしないのはそのせいでしょう。
あなたの前に来た家族は、これを気味悪がって断りました。以来、こちらも気軽に勧められなかったんですが。あなたは男性ですし気にしないなら、一軒家でこの家賃。マンスリーマンションよりお得です」
居間と和室以外にも、寝室、仕事部屋として使える部屋もある。
蚊帳の部屋は、縁側に面した和室と続きになっている小部屋で、物置程度の使い道しかないから、構わないと思った。
期間限定の地方暮らし。利便さと計りにかけ即決した。さほど気になる条件とは思えなかったからだ。
衣里佳さんは妹さんの人形を残しておきたいのだろう。姉妹で一緒に住んでいたこの家に。
たいした根拠もなく、衣里佳さんという人はロマンチストなのだろうと考えた。
まだ夕暮れの風に冬の名残が混じる日曜日。私は新居に引っ越した。
赴任した中学校で、私の居場所は保健室。
慌ただしく入学式、学力テストが済み、ゴールデンウィークを前にして。私には幾人かの顔なじみと呼べる生徒が出来た。
中学生というのは、小学生や高校生とは違う内面を持っている。まだ熟した果実になれないが、曖昧な何かを形作っている。どんな果実に化けるのかわからない。青臭く泥臭い、何かに似た形を半形成していて種とも違う。そんな果実の前身たちが朝から保健室で過ごしていた。
どの子も話してみれば、自分というものを模索していると感じる。同年の子と自分の違いを肯定出来ない。出来ない自分が不安、不安から自信を消失し歪みが生まれ。そして自己否定。集団の中にいることの恐怖。それを理由に行き場を保健室へ求めてくる子が数人。
自分のことで精いっぱいなその子たちの一言が私を寡黙にさせた。
「保健室登校できる自分らはまだ恵まれている」
なのだそうだ。
その年は飛び石連休となったゴールデンウィーク。
後半の三連休中日になって、三人の保健室メンバーが我が家へやってきた。
家族との時間はそれなりにあったが、子ども同士で集まる機会がなかったようだ。あっても入れなかったのだろう。もちろん部活などに入っていようはずもなく。
何をどう相談したのか。直前の電話一本による乙女三人の急襲は、すでに決定事項だった。
誰でも知っている商店街で待ち合わせ。
乙女たちをもてなす品々がつまった袋を両手に持ち、四人でのんびり住宅街を闊歩した。
やがて我が家の前。
「ここが私んち。ようこそ、初めてのお客様たち」
なんとなくおどけ口調が口から出た。せっかくだから、楽しんで行ってくれればと、そう願ったからだ。三人は家の前で立ち止まり、好奇心むき出しな様子を隠そうとしなかった。
「先生ここ有名な家ですよぉ!」
「なんだって、わざわざこの家に……」
「あのですね、少し変だなとか、おかしいな、なんてことはなかったですか?」
三人のそれぞれが重なり、私は何のことだ? という顔をしたのかもしれない。
「ここ、ちょっと隠れ有名な家なのです」
「田舎の都市伝説じゃないけれど、ずっと無人なのにいつも誰か住んでいる気配があるんだって」
「うちらは知らんけど親がそんなこと言ってました」
ちょ、ちょっと待て、乙女たち。無人の空き家にはそんな噂の一つ二つ、立つかもしれない。しかし一月以上この家に住んでいる身として、そんな噂は払しょくしておきたい。
「ともかく入んなさい。別にお化けや幽霊は同居してないよ。先生、普通に寝起きしているし」
そう勧めると好奇心を隠そうともせず、三人の乙女は先を争うように玄関に飛び込んでいった。
三
蚊帳の部屋を除いて、家の中を余すところなく探検し終えた三人は、今、ティーブレイクの最中。
市松人形は見せなかった。衣里佳さんの哀情が奇行にすり替わるのが嫌だったからだ。家にあるもう一つの珍物。友人を通して譲り受けた、等身大の人体解剖モデル。それが乙女たちの興味を満足させたらしい。
「あんなのと一緒で気味悪くないんですか?」
「別に?」
「先生って見た目と違って度胸あるんですね」
「見た目と違ってって、それはどういう意味だ?」
「だって、だってですね、あんなのが家の中にあったら、私なら夜トイレにも行けません」
「もしかしてですが、夜中に目が覚めたら、ちゃかちゃか歩いていたりとか……」
「造りものが歩くわけないだろう。だいたい、先生の一番のお気に入りに、何を言ってるんだい? それよりそろそろ帰る時間じゃないのかな? なんなら送っていくけど」
「あっ、えっ! もうそんな時間なん?」
「うちんとこは別にかまわないけど、真樹は帰らんとね。お母さん心配性だもんね」
「送らなくても大丈夫です、先生。三人一緒に帰るし。真樹を送ったら私と華は近所だし」
真樹、華、洋子の乙女三人はそう告げて帰って行った。
「そう、じゃ、またいつでも遊びにおいで。先生は構わないから」
私の送り言葉に違わず、乙女たちはそれからもちょくちょく来るようになった。
家には猫の額とは呼べない荒れ放題の庭があった。乙女たちはそこにせっせと花を植え始めたのだ。
私がここに住めるのは今年だけ。その花が盛るのを見れようはずがない。
私がそう言うと三人は年内にもいくつかは咲くんだと。せっかくの庭が荒れ放題でかわいそうだと言った。
学校の園芸部かとため息が出そうになったが。乙女たちは似非部活気分を味わってでもいるような、空気を生み出している。それならばと、三人の好きにさせておいた。
秋になると何色かのコスモスが咲き。私は安いガーデンテーブルとベンチを購入し、乙女たちに歓声を上げさせることが出来た。
そんな交流も冬休みを前にして、私の任期が終了と同時に終わりを告げた。
乙女たちは別れを惜しんでくれたが、私にはこの仕事を続ける以上、避けられない慣れた別れの一つでしかない。
残せた土産は、次の借主が決まるまで、三人が似非園芸部を続ける許可をもらったことだろう。
三人は保健室登校から少しずつ、教室へ帰ろうと必死にもがいていた。一人では困難でも、三人一緒なら出来そうに見えた。三人の間にそんな親密さが生まれていた。
似非園芸部がその拠り所になっている。なら、来年もこの庭で花とともに育ちあえ、と願ったのだ。
そして私は使う当てのない物を返し忘れ持ち帰っていた。
四
何年か経ち、私はまだ、代替教諭で地方を転々としていた。夏休みを期に任期が終わり、暇を余していた頃。そこに再び彼の地から声がかかった。夏休み明けからの任期だ。脳裏に浮かんだ、市松人形、色鮮やかなコスモス、乙女たちの笑い声。
私は迷うことなく以前世話になった不動産屋を訪ねていた。
「あの家ですか? あそこはあなたが借りた以後、誰も住んでいません。
ほら、あなたが立ち入り許可を取ったあの娘たち。
若い娘さんが出入りしていると聞いて、衣里佳さんが訪ねてくるようになったんですよ。亡くなった妹さんの姿を重ねたのかもしれませんねぇ。
それがね、あの娘たち、高校卒業と同時にそろって家を出ましてね。
一人の娘の親が、衣里佳さんが唆したと騒ぎたてました。
まあ、今どきの子たちですし、好き勝手をしたんでしょう。衣里佳さんもいい迷惑だったと思いますよ。そのうち貸家にするのをやめました。
自分はちょっとげすい勘繰りもしましたよ。あの娘たちがあなたを追って家出でもしたんかなって。はっはは……あなた色男でしたから。やっ、冗談ですよ、冗談――」
その後の新たな物件の勧めなど、耳に入らなかった。私は不動産屋を出ると、見覚えのある家の前に立っていた。
庭は荒れていなかった。
そこには今が盛りと大輪の向日葵が咲きほこっていた。衣里佳さんが手入れを続けているのだろうか。ガーデンテーブルに藍色のクロスが掛けられている。以前にはなかったものだ。
三人は三人ならどうにでもなると、無茶な道を歩み出してしまったのだろうか。私が残した土産が無謀さに拍車をかけてしまったのか。
だとしたら、私がしたことは――形の定まらない果実に、必要な養分も与えず、世話もせず、放りだしてしまったようなものだ。
ズボンの中にある返しそびれた物が手に触れた。ほとんど使わなかった勝手口の鍵だ。
蚊帳の部屋には変わらぬ姿の市松人形が五体。
その横に、三体の新たな人形があった。
それぞれに白い向日葵を手に持って。
紺の制服を着た人形はどう見ても乙女たちだ。
人形を見た時浮かんだのは、三人の身に起きたかもしれない、とある可能性。
考えたら身震いした。
私の憶測通りなら、なぜ衣里佳さんはそれを知ったのだろう? 衣里佳さんに会えば、乙女たちに何が起きたのかを聞けるかも知れないと考えた。私は自分が放置した中途半端さの結果を知るべきじゃないのかと。
再び不動産屋を訪ね、衣里佳さんの連絡先を聞きだそうとしたが無理な話だった。
それならばと、衣里佳さんから連絡をもらえるよう頼み込んだ。
『白い向日葵は珍しいですね』という伝言とともに。
五
初めて会った衣里佳さんは私の想像より年上のご婦人だった。そして面長の涼しい眼差しに違わぬ、気遣いが細やかな人だった。
庭が見える座敷で勝手口の鍵を座卓に置くと、上品そうな微笑みを浮かべじっと眺めている。
それに畳みかけるように辛い問いただしをしている自分。
「あの市松人形は亡くなった妹さんなのでしょう? 大きさが同じなのはもう成長しないから、ですよね? 髪の長さが違うのは、生きていれば、という想いじゃないんですか?」
衣里佳さんは小さく頷いた。
ではやはり、あの三体の制服人形は――。
「あの子たち……」
衣里佳さんのゆっくり湯呑を持ち上げるしぐさが美しく見えた。
「亡くなったんですか?」
人形を造っておく意味など他に考えられなかった。衣里佳さんのお茶を呑み込む喉が、こくりと動いた。それを見てぎゅっと目を閉じた私の耳に、聞こえてきたのは。
「生きてますよ。しっかり暮らしています。あの娘たち」
それから語られた乙女たちの歩み。
「華さんは、あなたと出会って教師になろうと決めたんです。ですが、勉強がね?」
衣里佳さんが八重歯を覗かせて笑う。
華は三人の中で庭弄りと力作業は好き、座っているのは向かない。そんな娘だった。
「華さんに浪人しても夢を叶えなさいって、真樹さんと洋子さんは働きながら、後押ししたんです。白い向日葵はあの子たちが立ったスタートラインの色なんですよ」
似非園芸部メンバーは新たな地に移り住むことで、生き直しを決めたという。彼女らなりに設計図を描き準備万端のつもりで。しょっぱなから唐突な騒ぎになったらしいが。
――自力で――自力で――自分たちなりに――。
世情の波に流されていたかもしれないほど、危うい事もあったらしいが。
――可能性があるなら諦めない――励まし合おう、一緒に闘ってみよう――。
苦労しながらもそれぞれに希望する職についたという。
「当時、真樹ちゃんは家出同然だったようです。
他の親御さんは世間体もあったのか、関わり合いになりたくなかったようで。三人が一緒に暮らすには、ここを離れるしか道がなかったのでしょう。
貸家をやめたのは、いつか三人そろって、帰れる場所を残したかったからです」
私が放り出した未熟な果実の前身を、見守り続けたのは衣里佳さんだった。それは時の長さの違いだけではないような。
華は私の何を見て教師になろうなどと思ったのか?
私は三人と正面から向き合ってなどいなかった。
任期の間に家へ帰る度祖母が投げるセリフ。
「お前の仕事は人生の長い夏休みだねぇ?」
「今はそういう時代なんだよ」
負け惜しみじゃないと自身に言い聞かせていた私。
私が代替教員に転身したのは保身のため。
教師であり続けようとし、病んでいった先輩を目の当たりにして、しがらみの少ない形態を選択したのだ。私はあの娘たちに、弱い自分を重ねていたのかもしれない。
「そうそう、今日は新しい人形を一体持ってきました。ぜひ見て頂けますか?」
衣里佳さんの言葉で我に返る。
木箱から取り出された人形は、純白のドレスを着た西洋人形風だった。
真樹にそっくりな面立ちの人形は、鮮やかな黄色い向日葵のブーケを手にしている。
「髪だけじゃなく姿形まで変化した人形を造るのが、今、一番楽しみなんです」
蚊帳の部屋にある市松人形を、いくつもの人形が取り囲み、賑やかになっていく様を想像しながら、私は自分のふがいなさに打ちのめされていた。
――いずれ残りの二体も黄色い向日葵を持つことが出来るだろうか。
夢想に耽る私の目に映った大輪の向日葵が、夏の太陽を我が物顔で浴びていた。
了




