机上の推論
写真部とは名ばかりで、それらしい活動はほとんどしていない。
銀と焦げ茶の小銭を財布から取り出して、自動販売機に入れた。いつもと変わらず真紅の参百五拾ml缶のボタンを押す。
部長の好物、ドクターペッパーを部活がある時に買っていく。いつも思う。自分で買えよと。後でしっかりと代金は請求しよう。
今日は金曜日。週に一度の写真部が活動する日。いつもは買わないはずなのに今日は何故か自分の分のドクペも買ってしまった。自動販売機の前でため息を吐き出し、自動販売機の中を旅してきたドクぺを屈んで取り出した。
♟
「おっ! 買ってきてくれたね、いつもありがとう」
「買ってきましたよ、加賀先輩」
予備6室の扉を開けると加賀先輩は飛び跳ねるようにして俺に詰め寄ってくる。俺の目を捉える大きな瞳、無邪気で純粋な笑顔。飛び跳ねるのも兼ねてウサギっぽく可愛らしい人だけどかなり変わっている。それはこの部室の惨状を見れば理解できる。
ポーズ画面のテレビの前に並べられた多くのハード。端に積み重ねられているソフトの数々。本当にこの部室はカオスだ。
ドクターペッパーを加賀先輩に渡してしっかりと代金を受け取ってから、俺は部室の端に追いやられているイスに腰を掛け図書館から借りた本をカバンから取り出す。先輩もゲームを再開し始めテレビ画面に食らいついている。
これが今年入学した俺が入部した写真部。活動内容は写真とは一切関係ない。ただの暇つぶしのための部活だ。そして今年は運動が大好きな活力ある入学生ばかりだったらしく、文化部は廃部寸前の部活も多いらしい。この写真部も例に漏れず。写真部の部員数は俺を含めた二人で全員。
ここに来てから少し経ち、本のページをめくった時に思い出した。そういえばさっきドクぺを買っていた。
カバンから冷えたドクペを取り出し、プルタブを上に押し上げる。口に含むと不思議な味がした。今まで感じたことのない風味。どこ生まれの炭酸飲料かは知らないが妙にエスニックな味が口の中に広がる。
「失礼します」
声に反応してドアの方を一瞥すると、そこには校章が緑色をした髪がサイドアップの女子がきょろきょろしながら立っていた。まあ、この部室を見ればきょろきょろするのも仕方がない。
「お客さんだ! お名前は? どんな用件かな?」
「えぇ……と、和久芽衣です」
詰め寄る先輩。たじろぐ一年生。俺も加賀先輩と初めて逢った時はあんな感じだったのだろう。可哀想に。
「まあ、無愛想なあの人の隣に座っててキリのいいとこでセーブするから」
おい、今なんか貶されなかったか。
「こんにちは」
「どうも」
本を開いたまま答える。和久芽衣という女子は積まれたイスから一つを取り、戸惑いながらも座った。
「変わった飲み物飲んでるね」
少し間を空けてからいきなり言われたので一瞬俺に言っているのか分からなかったが、机の上に置いてあるドクターペッパーに目線がいっているので俺は言葉を返す。
「たまたま買って見ただけだけど」
「美味しいの?」
「人によりきりじゃないか、ちなみにあの人は大好きだ」
俺はセーブ画面を見つめる加賀先輩の背中を指差した。和久は「へぇ……」と少し引き気味な反応をする。ドクペが嫌いなんだろうか。
加賀先輩はコントローラーを床に置きこちらにイスごと移動してきた。
「要件を聞こうかな、何の依頼?」
写真部とは名ばかりで、活動内容は写真と一切関係ない。ただ暇を潰すだけの為にある部活。でも極希に依頼人がやってくる。見るのは入部してから2回目だ。
「実は探して欲しい人がいて……」
和久は目線を下に落とし、つぶやくように依頼内容を話始めた。
「いつも数Ⅰの時間、クラスを半分ずつぐらいに分けるんです。それで私は予備7室に移動するんですけど、一ヶ月くらい前からその予備7室でいつも座っている席の机に、問題の質問とか書くと詳しく解説してくれる人がいて……。私はその人を探してもらいたいんです。どうかよろしくお願いします」
和久は急に立ち上がり、頭を深く下げる。少し驚いた俺と同じように加賀先輩も驚いたようで「落ち着いて、落ち着いて」となだめて和久を座らせる。
懇願する和久は迷子の子が母親を探しているような涙ぐんだ目をしていた。
「じゃぁ、質問。芽衣ちゃんはどこの席に座ってるの?」
「窓側の一番後ろの席です」
「それと、もう一つ。それを書いてくれる人の性別は分かる?」
「たぶん、男子だと思います。自分のことを『僕』と書いていたので」
加賀先輩が鼻を鳴らす。そして余裕そうに微笑んだ。
「それなら簡単だね。分かったよ、誰が書いたか」
「本当ですか!」
和久は座っているイスを後ろに蹴り飛ばすような勢いで加賀先輩に顔を近づけた。それに対して加賀先輩は満足そうににこりと笑う。
加賀先輩はおそらく誰が書いたか分かっている。きっと加賀先輩の推理は正しいだろう。でも―――
今は答えを明かさない。
だって加賀先輩は俺に推理させたいはずだから。
「予備7室は二年生と一年生が使っているのは知ってる?」
「はい、知ってます」
「二年生は遠藤先生っていう女の先生が英語の時間にそこで授業をするんだよ、でもその英語は選択授業なんだよね。だから二年生はありえない」
和久はきょとんとした顔になる。きっと加賀先輩の言っている意味が分かっていない。そして俺も理解できていない。加賀先輩、それじゃ説明になってない。そう思いつつ俺は本のページを一枚めくる。
「選択だから生徒の数は決して多くない。半分もいないよ。席は普通前から詰めるから、二年生が一番後ろの芽衣ちゃんの席に座ることはないはずだよね」
数回頷きながら考え、ようやく腑に落ちたようで「たしかに……」と和久はつぶやく。
「だから、二年生の可能性はゼロ。そして一年生は全部で4クラスあるよね。そのうち習熟クラスの3組と英語科の4組は数Ⅰの時間に移動はしない。だから、可能性が残るのは1組か2組。芽衣ちゃんは何組だっけ?」
「2組です」
「それなら、考えやすいね。1組のそこの席に座る人が書いてくれる人だよ」
和久は口をつぐんで何か考えるようにしてから恐る恐る口を開く。
「もしも……書いてくれる人が予備7室に来た直後か、教室から出て行く寸前に書いてくれているのなら、二年生でもありえませんか」
和久芽衣、ありがとう。和久がそれを言ってくれなかったら俺が加賀先輩に無理やり答えさせられていた。俺はできれば人の相談なんかに関わりたくない。
「それはないと思うよ。予備7室に入るときには鍵がいる。その鍵は先生が持っているんだよ。先生は授業の始まるずっと前からその教室の鍵を開けるわけにはいかない。だから先生が来て鍵を開けるのはその数Ⅰの授業が始まるちょっと前くらいじゃないかな、数学の問題の解説をそんなちょっとの短時間にできないと思うよ。
授業が終わって教室を出る時は鍵をかけなきゃいけないから、先生はその教室にいる生徒を早く出るように促すよね。だから結局教室に来た時と、教室を出て行く時は問題の解説を書く暇はないよ」
「そう……ですね」
そこで諦めないでくれ和久、まだ不備なところはある。
「葵くんはどう思う?」
願いは虚しく俺に質問が回ってきてしまった。
「加賀先輩の推理が正しいんじゃないですか」
俺は本に目を落としたまま答える。なるべく関わらないようにしよう。
「本当は何か不備なとこがあると思ってるんじゃないかな? 言ってみて」
ごめん、悪かった。だから笑顔のまま俺を睨んでいるような威圧感を出さないでくれ、怖いから。
「言って、みて」
「1組の人の可能性はないと思います」
読みかけの部分に人差し指を挟み本を閉じる。
「どうして?」
「俺も数Ⅰの時間は予備7室に移動するんで和久と同様大西先生に教わっていますが、あの先生は生徒を黒板側から見て左から右に出席番号順に座らせます。そうすると男子の次に女子なので一番窓側の一番奥の席は女子になります。さっき和久は書いているのが、男子だと思うって言ってたじゃないですか。本当に男子だとするなら、一組もありえません」
加賀先輩はわざとらしく顔をしかめる。それに比べ和久は深刻そうに顔をしかめていた。写真部が依頼を完遂できそうにないと判断しているのか、今にでも泣き出してしまいそうな表情。
でも、俺は同情しない。俺は読書を再開しさっきまで読んでいた文章の途中を探す。人の悩みに関わるなんてごめんだ。
そんな時、加賀先輩がいきなり声を上げる。
「掃除だよ! 予備7室を掃除する人。その人なら掃除中に解説を書くことができる。予備7室を掃除しているのは一年生だよね。そこを掃除している人に訊けばいいんだよ」
もう、和久は答えない。俺も何も言わなかった。その推理はどう考えても無理がある。それぞれの班が行う掃除は一週間ごとに場所が変わる。
森閑とした教室に俺がめくる紙の音だけが微かに響く。
「次こそ分かった! 書いてくれる人はピッキングができるんだよ。だから鍵を開けることができて好きな時に予備7室に入れる」
それは、ロシアにいた頃に知り合いの元KGBのおじさんが教えてくれないと無理だ。
和久はすっと立ち上がり弱々しい声で「ありがとうございました」と言うと部室のドアを開け、まるで暗闇の中を歩くように重々しい歩調で部室を出て行った。
俺はページを一枚めくり言う。
「やりすぎなんじゃないですか。どうせ本当は誰が書いているか分かっているんですよね、加賀先輩」
「いや、分からない。皆目見当もつかないよ」
依頼人のあんな表情まで見て、まだ笑いながらシラを切る先輩は相変わらずだ。そこまでして何故俺に推理させ、答えさせるのか。加賀先輩の考えていることは分からない。
「じゃあ、私帰るから」
立ち上がり、テレビの前に投げられているカバンを先輩は取りに行く
「私今日帰ってやらなきゃならないことがあるんだよ。SSLの永倉さん、攻略しなきゃ」
この部屋で散々ゲームをやっていたのに帰ってもやるのかこの人は。
俺の方に笑顔のまま手を振ると加賀先輩はドアの向こうに消えていった。
♟
俺が関わる必要はない。依頼されたのは加賀先輩であって俺じゃない。
俺はベットに寝転び口からため息を漏らす。
加賀先輩は何で俺に推理をさせるんだろう。何か期待されているのか。今回こそ俺は依頼に関わりたくない。悲しそうな和久の姿を見ても同情なんかしない。俺の問題じゃない。
―――でも、引っかかる。頭の中が錆び付いたような違和感がある。
和久のために考えたいわけじゃないけど、それでも自分の中にわだかまる靄を振り払うためだけに考える。あくまで、自分のためだけに。
先輩が言っていた通り、二年生の可能性はない。そして俺と和久が言ったように一年生の可能性もない。では誰か。脳内に何度も水路を作りそこに何度も推理を流す。でも水路の欠陥は所々にあり空隙から流した推理が漏れ出していく。現実に繋がる事実を妄想で構築する作業。
加賀先輩は完遂している。ならば先輩の言葉に答えを示唆する部分があるかもしれない。そういえば疑問があった。この依頼にまったく関係のない疑問。SSLとは何か。きっとゲームだとは思うけど何のゲームかは知らない。
俺は自分の机に置いてあるスマホを手に取り検索バーに『SSL ゲーム』と入力する。そして、それが何のゲームなのかはすぐにわかった。新選組が登場するゲームのスピンオフらしい。そのゲームのオフィシャルサイトで加賀先輩の言っていた永倉さんの説明をざっと読んで理解する。……何で加賀先輩はこんな迂遠なヒントを出すんだ。
でもこのヒントのおかげで、一滴残らず、流した推理は水路を流れた。
♟
放課後、クラスが違うのでかなり面倒だったけど、和久に部活へ行く前にドクペが売っている自動販売機に少し寄っていくように言った。
掃除を終わらせ、あまり急がず待ち合わせ場所に行ったが和久はまだ来ていない。
何で俺は人の相談なんかに関わりたくないのに、和久に数学の解説を書いてくれるのは誰なのかを教えるんだろうか。感謝されたいだけなのか、それとも放っておけないのか。でも、結局は加賀先輩の理想のままに俺は動いているのかもしれない。
そんなことを考えながら自動販売機の少ないラインナップを見ていると、後ろからとぼとぼと和久は歩いてきた。今知ったけど和久は弓道部なのか。袴を着て胸当てをしている。
「なにか……分かったの」
「本人に確認はしてないけど、誰が数学の説明を書いてくれているのかの検討はついた」
もう、和久の目は輝かない。これからくだらない話を聞かされるかのような興味が失せた目の色をしていた。
「いつも書いてくれるのは数学教師の大西だ。」
「……え? どういう意味」
「そのままの意味だ」
「何で……そんなこと分からないじゃない」
「和久の言う通り書いてくれる人が男ならそうだ」
「根拠なんてどこにもないんでしょ。もしかして加賀先輩みたいに私をバカにしてるの」
加賀先輩、和久は先輩にバカにされたと思ってるぞ。後で謝っといた方がいいんじゃないか。
「消去法で考えるとそうなる。加賀先輩が言ったように二年生の可能性はない。そして、俺と和久が言った通り一年生でもない。予備7室を掃除する人ということもない。
でも、教師なら有り得る。授業の終わりに生徒を教室から出るように促し、そして和久の為に解説を書いて教室を出る。あそこに頻繁に出入りする教師は二人。二年生の英語の選択授業を教えてるっていう女性の遠藤と一年生に数Ⅰを教える男性の大西。もし、和久の言う通り男の人が書いているのなら数学教師の大西しかありえない」
考え始めた和久の目はだんだんと輝いていくように見えた。そして、口を開く。
「ありがとう。確かにそうかもしれない」
「たぶんな」
「えぇ……と、それは薬袋くんが考えてくれたの」
「いや、加賀先輩にこの話を和久に伝えるように言われた」
一応、和久の中で加賀先輩は悪者になっているから汚名挽回しておこう。それに先輩にはヒントをもらった(分かりにくかったけど)。
「それじゃ、私これから部活だから」
射場に向けて走り出そうとした和久はくるりと振り返り、写真部に来た時のように頭を深く下げる。
「ありがとうございました」
♟
金曜日。いつもと変わらず俺は真紅の参百五拾ml缶を買い予備6室のドアを開けた。
加賀先輩はイスに座り食い入るようにゲーム画面に集中している。いつもだったら俺の方に飛んできて俺が買ってきたドクペをひったくるはずなのに。
なぜ俺からドクペをひったくらないのか。その理由はすぐに分かった。先輩の横の机には、すでに真紅の缶が置いてある。
「加賀先輩、今日はドクペを自分で買ったんですか」
「いや、買ってきてくれたんだよ」
加賀先輩はゲーム画面に目を映したまま答える。画面の中の青い服を着た金髪のキャラクターは華麗にサイドステップやバク宙をして敵の攻撃を躱す。
「中々気が利くよね、芽衣ちゃんは」
「……良かったですね。好印象持たれてるじゃないですか」
俺はいつもの定位置に座り、カバンから本を取り出す。
数ページめくり、ふと窓の外に視線を移すと中庭の新緑が目に入る。五月の日差しが葉を透かし鮮やかに輝かせていた。
高校に入学して運動をしたくないからという理由で入部した写真部は、写真部とは名ばかりの部活。活動内容は暇つぶし。そして、依頼の完遂。本当に面倒な部活だ。
「おーい、だいじょぶ?」
「頬をつつかないでください、加賀先輩」
「黄昏時にはちょっと早いよ。ぼーとしてどうしたの?」
「いや、何でもないです」
「ありがとね、芽衣ちゃんに私のこと良く言っておいてくれたみたいで」
「べつに、お礼を言われるようなことは何もしてないんで」
「いやー危なかった。このまま芽衣ちゃんに嫌われるところだったよ」
「それなら、最初から誰が書いてくれているのか言えばよかったじゃないですか」
「それは……葵くんに関わって欲しかったから」
俺は大袈裟に顔をしかめる。これ以上人の相談に関わるのは困るのという意味を込めて。
「人に関わって興味を持って欲しいんだよ。葵くんにはね」
「人への興味なんていらないです。疲れるだけですから」
「……私にも、興味ない?」
俺を下から見上げるように屈む先輩の表情は、頬が少し紅潮し前髪の下からのぞく瞳は少しだけ潤んでいるように見えた。
「近いです。加賀先輩」
俺はため息を吐き、先輩の肩を掴んで遠ざける。
「俺、そろそろ帰ります」
カバンを乱暴に持ち上げて、スライド式のドアを押し開けるようにして教室を出た。
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照れを隠すために出てきたのだろうか。駐輪場で足を止めると走ってきたせいで息が上がっていた。
興味か、と口から言葉がもれる。俺はため息を大袈裟に吐いて、自転車のスタンドを蹴り上げた。
たぶん先輩は、何も意識せずに言っている。加賀先輩は何で俺を写真部に勧誘したんだ。そこについてのヒントを出して欲しい。
ご精読ありがとうございました。
質問や誤字の指摘など何でもござれです。どうぞよろしく。
ここからは長くなるのでお時間がありましたらどうぞ。
この小説は連載にしたいのですが推理を思いつかない可能性が大きいので短編で投稿しました。思いついたら続きを書く予定です。とても遅い不定期更新になると思います。すみません。題名は「写真部とは名ばかりの」のつもりです。
この小説にはゲームが出てきます。
初めに加賀先輩がやっているゲームは特には決めていませんが、そのあとの、ロシアにいた頃KGBのおじさんに、という文章は『DRACU-RIOT!』というゲームに出てきます。
ヒントとなるSSLは『薄桜鬼』というゲームのスピンオフでスイートスクールラブの略です。
最後に加賀先輩が部室でやっているゲームは『ゼルダの伝説風のタクトHD』の辛口モードです。
この説明はいらないと思いましたが一応決めていたのでここで紹介します(ステマをしているわけではないですよ)
それでは、またいつか(o・・o)/~