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「別に深い意味はないんだかな…… 」
「だったら、いいじゃねぇか」
秀明は普段、あまり人の事には興味をもたない。他人がどうではなく、自分が何をするのかを中心に据えて生活をしているような男だと、真人は思っていた。
だからこそ付き合い易く、出逢ってから二ヶ月で毎日、昼を共にとるようになったのだが…… 何が秀明の興味をひいたのか、今日は様子が違っていた。
「な、別にいいだろ」
折れる様子のない秀明に、真人は諦めて渋々ながら頷いた。
「ま、その何だ。たまたま今日みた夢が、その小説に似てたんでな。一寸驚いただけだよ」
「なんだそりゃ」
話を聞いていた裕司が、呆れ顔で口を挟む。真人にしてみれば、その反応が当たり前だったので、特にどうとも思わなかったが、違う反応が二つあった。
「そう云えばお兄ちゃん、今日は珍しく寝坊してたけど、その夢が理由な訳? 」
「そうなるかな… 」
真人は少し云い澱む。あれは間違いなく夢だったと理解しているものの、頬を撫でる風の感触が夢だと断言させるのを躊躇わせていたのだった。
「ふぅん、少し面白いな。その夢の内容をもうちょい詳しく教えてくれないか? 」
「はぁ? 何でそんな事を聞くんだ」
秀明の反応は、更に真人の予想を上回っていた。まさか、こんな事に興味を持つとは思わなかった。
「いいか、夢って云うのは、自分の願望のケースがほとんどだ。この学校で有数の優等生が、そんなファンタジックな夢を見たなんて、面白いじゃないか」
「学校で有数ね… 学校一の優等生が云うと、嫌味この上ないな」
秀明はふざけている奴に見えるが、素行は良好、成績は学年トップだった。
「ま、それはたまたま俺の方が点数が取れただけだろ。んなもん、何の自慢にもならないよ」
秀明としては本気でそう思っているのだが、それを聞いた瑞穂と裕司は、苦い顔をしていた。
「…… 優等生の自慢合戦を聞いてるほど、アホらしい事はないな。俺は先に失礼するわ」
屋上を後にする裕司の背中を見ながら、真人は「俺は何も云ってない」と反論したかったのだが、今更感があり黙っていた。
「まあ、裕司君の気持ち分かるなぁ… お兄ちゃん達の会話、単なる自慢話にしか聞こえないもん」
「そっか、そんなつもりはないんだが… な、神城」
「知るか」
もはやどうでも良くなった真人は、裕司に次いで屋上を去ろうと立ち上がるが、秀明はそれを許さなかった。
「おいおい、中途半端で何処行こうって云うんだ。せめて、どんな夢だったかぐらい話していけよ」
「そうね、私も気になるかな」
あっさりと秀明側に着く瑞穂。
「ったく、しょうがないな…… 」
構図が二対一になった時点で、真人は諦める事を受け入れるのだった。
「…… へぇ~、知らない場所で、お母さんそっくりな若い女性と逢う夢ねぇ…… 」
不機嫌極まりない顔で瑞穂は呟く。
「ククッ、そっか、神城の願望はそんなトコにあったか… 」
「やかましい。云っとくが、こんな夢見たのは初めてだからな」
「それって、今まで抑えていた欲望が爆発したって事でしょ。信じらんない」
願望が欲望に変わっていたのだが、そこにツッコむと墓穴を掘ると分かっていた為、真人は口を噤んでいた。
「まあまあ、それより話を聞く限り、俺が見た本と酷似してるな。神城はその本は見た事ないんだよな? 」
「…… うーん、記憶にはないな。けど、ありふれた内容なんだろ。だったら、似たような何かを見たんだろうな」
「さて、どうだろう… 実はな、俺があんな本を借りたのは、大した表現もないのに情景が詳しく見えたような気がしたからなんだよ。
こりゃ、もう一回借りてみっかな」
秀明の興味は返した本に移っていた。ただそれ以上に、その本に興味が湧いていたのが真人だった。
秀明が感じた情景が、真人の見た夢と合致している。飽くまでも秀明の中の情景なのだが、どんな一致を見せているのか、確認したいと云う欲求が生まれたのだ。
「なあ、先にその本、俺が借りてもいいか? 」
「ん、何だ、興味湧いたのか? 」
「そうだな、どんなもんか見てみたいと思うかな」
真人の答えに、秀明は暫し考えた後「ま、いいだろ」と云う。そして、その本があった場所を教えてくれた。
「けど、今さっき返却したばっかだからな。せめて、放課後までは待った方がいいと思うぞ」
「だな。棚に戻っていれば、態々聞く必要もないし、他の奴に借りられていたとしても、別にどうって事もない」
「ま、貸し出しシートに明記はほとんどなかったから、誰かに借りられる心配はないと思うがな。それより、借りた後の報告を頼むぞ」
「ああ」
そこまで話すと、時刻は13時5分前になっていた。
「そろそろ、戻らないといけないね」
「あ、瑞穂ちゃん」
弁当を片付けようとしていた瑞穂を、制して秀明は残ったサンドイッチに手を伸ばした。
「残したら勿体無いからね♪ 」
最後の一切れを口にして「うまっ! 」とご満悦な表情をする。
秀明の口の中からパンが無くなるを待って、真人達は屋上を後にしたのだった。
◆
6限目の授業が終わり、帰宅部の生徒の大半が帰宅した後、屋上に二つの人影があった。
「食い付いたな… 」
「まだ足りなくないか? 」
その二人の男の会話は、険悪ではなかったものの、意見の相違が見られた。
「足りない分は、補ってやればいい」
「だが…… 」
「まさか、この上まだ待とうと云う気か? 」
その言葉に、もう一人は奥歯を噛み締めた。
「いや… そうだな。待つだけでは何も始まらない」
「ああ、既に始まっていると云う事を認識してもらう。これを味あえば少しは刺激になるだろう」
男の言葉には、確かな悪意が存在していた。そして、これと称したものは掌の上に黒い塊として存在している。
「…… 認識する前に耐えられないかもしれないぞ」
「その時は、その時さ。だが、その心配はないな。あれは見た目よりタフだ」
確固たる確信を持って男は云う。
(もはや、どうしょうもないな…… )
自分達にとって時が満ちた事を知る。相手がまだ遥か後方に居ても、それは男達にとって関係のない事なのだ。
(こんなところで潰れてくれるなよ)
「では、俺は行く。お前も来いとは云わないが、邪魔だけはするなよ」
「ああ、分かってるさ。兄さん… 」
そうして、二つの影は屋上から気配を消した。もはや、屋上には人の気配はない。残されたものは、校庭から流れてくる、部活に勤しむ生徒達の声だけだった。