Prima Gioventu――ハツコイ
胸元から、初めてバイブレーションが起こった。
冬の終わりの昼下がり、自邸の長い廊下を歩いていた少年は、シャツの胸ポケットに片手を入れ、受信機のスイッチをリセットする。
細かに手が震えていて、十七歳になったばかりの少年は興奮を自覚した。ぐっと拳を握る。
私室へ向かっていた足先を素早く方向転換すると、密やかに名を呼ばれた。
肩越しに見やる先に、若いメイドが居た。彼女は周囲をちらっと一瞥してから、駆けて来た。
「びっくりさせようと思ってたのに、後一歩の所でUターンしちゃうんだから」
腕を組もうとするので、少年はやんわり制した。
「買い物に行くフリは、そろそろやめた方がいいな。いい加減ばれるよ。仕事に戻りな」
「大丈夫大丈夫」
「これまでは運が良かっただけだ。チェックすれば、買い足しの必要が無いことも車を出してないことも露顕する」
少年は苛立ちを感じ、のびた前髪をかき上げた。「いいか、俺が教えた時は、多くの食材を前日の夕食に使っていたからこそ有効だったんだ。こういう手口は何度も使うべきじゃない」
「でも、誰も気づいてないもの」
けろりとしているメイドに、少年は嘆息した。俺は忠告したからな、と言い捨て、歩き出す。
メイドは、スキップをするような足取りで横に並んだ。
「急に何か思い立ったみたいにして、何処行くの」
「母さんが気に入ってた部屋」
「あそこか。狭さ加減がいいかもね。うふっ」
少年は、目を眇めた。通りがかった部屋のドアを開け、メイドを引き込み壁に押し付ける。早々に目を閉じ半ば口を開いているメイドを、少年は見据えた。
「俺は、冷めてしまった」
メイドは、忙しく瞬いた。少年は手を放す。「いつの間に、何処に落としたのか知らないけど、君は自分の何かを失くしてしまってる」
「は? 何、それ――?」
「解らないよ」
「何なの――解らないって、どういうこと!?」
ドアノブに手をかけ、少年は狼狽しかけているメイドに目を流した。
「特定の誰かを好きになる感情が如何なるプロセスを経て生じるのか、解明されてない。そんな未知の領域を言語にしても、所詮は完全に表現し得ない。今この場合、俺が甘んじて言葉に託せば、もしかすると、君はその言の葉に準じようと自分を矯正するだろう。それはおかしいし、微妙に間違っている。だから解決にはならない」
「シェリフ! 何!? 解んないわ!」
「人間には言葉より先に、心があった。感覚的に物事を理解する部分を、より昔から備えている。俺のその感覚が、君を否定してる。君が何を失くしたかは解らない。言葉には出来ない。けれど、無くなったのは解る」
少年はドアを開け、付け加えた。「恋に未熟な俺でさえ気づいた何かだ」
扉を閉め、少年は母の小部屋に向けて歩き出す。
果たして、彼女は理解できるか……
理解されなくても、冷めてしまったのだから、どうでもいいのかもしれない。
けれど、三年近く、所謂付き合いをしていた。それなりに真面目だった。真剣に彼女が好きだった。簡潔に切り捨てられる程、浅い気持ちではなかった。
生半なアフターケアじゃ済まないな、これは。
小部屋に入って壁際の床を見れば、センサーが訪れを知らせた代物が在る。翡翠が先端に付いた、首飾り。
先日、日本から届いた葉書の文面が蘇った。
【大学で考古学を専攻する】
七年半の間、地道な確認を繰り返している文通相手も、真面目で真剣だと思われる。
誰かに心魅かれていたとしたら、どうしているか……
フォローが要る可能性を考えておくべきだろう。これも、生半では済むまい。
少年は壁へ向け、一歩を踏み出した。