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シェリフ ―Cherif―  作者: K+
Sonata Pathetique 2nd mov.
6/22

 (きん)の卵と言うべき少年を取り逃がしたことで、教授からは(なじ)られ嫌味をぶつけられた。

 それがきっかけで助手を辞めたというか、辞めざるを得なくなったというか――いずれにせよ独立を試みたものの世間は甘くなかった。

 実績を重ね、認められる為の実験をしたくとも、コネが消えたから資金提供を受けられない。それでも研究を強行した結果、借金が雪だるま式に増えた。

 うっかり怪しげな所から金を調達した所為で、取り立てに追われ、次第に学問どころではなくなってしまった。

 浅い眠りの中で断片的に蘇るのは、六、七年前に見た、あの驚異的な理論。己が破滅の根源でもあったが、胸奥の俗を超越した場所に、心酔せずにいられないモノとして留まっていた結論。

 展開式が複雑で、この手で書き写したのに、どうしても全てを思い出せない。部分部分を自ら発展させてみたが、すぐに行き詰ってしまう。

 アレを論文にして発表できれば、スポンサーがつく可能性が高いのに。

 やっと見つけ出した発案者の少年は、いい気なもので、両手に花の生活を堪能しているということだった。

 最後の金をばら撒いて、人を集めた。


 忍び込んだアパルトメントには、何も無かった。

 学究などとうにやめ、放蕩生活でも送っていたのか。つまらない日々の支出について記した、家計簿が数冊見つかっただけだった。

 パソコンはノートタイプがたった一台きりで、一つのことに利用した痕跡しかなかった。近くに数枚あった、ホームドラマのディスク視聴。


 埒が明かずに市外の借家へ当人を連れて来させたが、すっかり成長したシェリフ・ドゥ・マーニュは、生気の乏しい硝子のような目になっていた。

 僕を覚えてるか? と訊けば首を振った。

「ここは何処? 君達は誰? そろそろ夕食の時間だ、わたしは家に帰りたい」

 近くで聞いていた誘拐の実行犯達が、まったくお坊ちゃんだな、と嘲笑った。連れて来る際も、騒ぐことなく、何処へ行くんだい? と訊いてきたそうだ。さぁな、と答えたら、それじゃ解らないよ、と呟いて黙ってしまったらしい。

「君が昔閃いた、エネルギー生成理論、覚えてるか」

 椅子に座すシェリフは両手を後ろ手に縛られた格好で、又、首を振った。銀縁の眼鏡が少しずり落ちてしまい、乱れた髪と相まって、十代には見えない老けた印象を醸していた。

「ローズの料理は、美味しい。わたしは家に帰りたい」

 ローズってどっちだ、と誘拐犯達がニヤついて目を見交わした。ブルネットの方かな――ブロンドの方がいい女だったが――何処がだ、くそ、あいつに食らった脇腹がまだ痛ぇぞ――

 言い合うのを聞き流し、目の前の青年を見直した時、部屋の明かりが消えた。雨戸を閉めていたから、真っ暗になる。

 コンッと金属系の何かが床に落ちて転がる音がした。

 直後、強烈な刺激臭が鼻腔に襲いかかってきた。

 自らのくしゃみに紛れ、複数の咳き込む音や噎せて嘔吐するような物音が一斉にわき起こった。

 何が起こったのかと考える間も無く、やにわに口を塞がれ、引きずり出された。



 いつの間にか気を失っていたのか。

 静電気のような刺激を感じて気がついた。

 目を上げると、シェリフがローテーブルを挟んだ向かいに座していた。

 眼鏡を外していて、乱れていた白金髪は整え直してある。背後に、ありふれた服装ながら、五十代程の引き締まった感のある男が控えていた。

 先刻まで居た、薄汚れた借家ではない。広さは大差無かったが、窓の無い、清潔な部屋に来てしまっている。

 目と喉が痛んだ。

 だるい腕を喉元に動かすと、シェリフが口を開いた。

「水を」

 控えていた男が、ミネラルウォーターのペットボトルをテーブルに置く。どうぞ、と言われ、唇の端からこぼれるのも構わずラッパ飲みした。

 中身を半分以上減らして卓に戻すと、シェリフが再び口を開いた。

「これが最後と思ってください。単刀直入に言います――貴男に例の情報は譲れない」

「覚えて、いたのか」

「七年も貴男が覚えていた。考え出した手前、俺も覚えている」

 周囲が〝敵〟だらけだった先程と、口調も態度も変化していることに気づく。

 味方らしき男が傍に居ることでこうも変わるコドモを、必死に追い求めた自分に笑声が洩れた。

 セーターの下、ズボンと腹の間に挟んでいた銃を抜き、突き付けた。

 が、シェリフは微動だにしなかった。瞬きもせず、ほんの僅か、硝子玉のような緑の瞳が動いた。

「あのね、安全装置がかかったままだよ。それに――」

「弾は抜いてあります」

 こちらもピクリとも動かず控えていた男が、静かに言を継ぐ。

 頬を強張らせると、つ――っと男が滑り出て来て、銃を取り上げられる。

 茫然とする前で、シェリフは淡々と告げた。

「貴男の考えは見せてもらった。さようなら、ムッシュ。遺灰は海に――」

 そこで、不自然に、台詞が途切れた。

 落ち着き払った様子で取り上げた銃に弾を装填していた男が、ちらりとシェリフに青い目を投げる。

「撒かれたくなかったら、二度と俺や周囲の人の前に現れないことだ」

 ややゆっくりと青年が言い終え、銃口を上げかけていた男は降ろした。



 後は任せた、とシェリフの両手が滑らかにタイピングすると、スピーカーから、はい、とエドモンの声が聞こえた。

 シェリフはパソコンのウィンドウを閉じる。映し出されていた、わななく男性の真っ青な顔が消えた。四、五十歳前後、白髪混じりで、目の落ち窪んだ顔。

 ローズは抱きつくようにしていたシェリフの両肩から腕をほどくと、背後からそっと距離を置く。

 青年はパソコンをシャットダウンさせながら、軽く振り仰いできた。

「何の用だったのかな?」

「あ……隣のキッチンの電気、点けたままなのを思い出して。消しに行っていいですかと、伺おうと……」

 勿体無いので、と続けると、シェリフはタータンチェックのシャツの胸ポケットから鍵を摘まみ出す。

「さっきのは、何だったのかな」

 差し出したローズの掌に鍵を乗せて、シェリフは緑眼を眇めた。

 ローズは唇をすぼめる。

「昔、叔母さんに、生意気言ったら、ああされました」

「……へぇ」

 二階も三階も物が散らばっていて、シェリフの私室のドアは半分以上開いていた。だからローズは、ごたついている部屋の一隅で、こちらに背を向けてノートパソコンを開いている主が見えてしまった。

 画面内の男性が、急に銃を出したのが目に飛び込んできて。

 ローズが思わず駆け寄ると、シェリフは己が唇の前で人差し指を立てた。

 そして、顔色も変えずに男性へ死刑宣告を出そうとし――エドモンも、迷わず遂行するのが察せられて――

 背後から(あるじ)の肩を抱き締めた。

 パソコンの液晶画面にうっすらと反射して映るシェリフは、ちょっぴり唇を曲げて。

 少々やり辛そうながらも、そのままキーボード上で指を動かした。


 ノートパソコンを閉じ、シェリフは立ち上がった。

「隣には、さっき買って来たフライドポテト(ポム・フリット)も置きっ放しだろう。ついでに持って来て。腹減った」

「夕食、準備しますが」

「うん、だから、ソレ――冷凍食品でいい」

 ローズがやや上目づかいに見上げると、シェリフは何食わぬ顔で見返してきた。「勿体無いだろ?」

「……解りました」

 頬を緩めて一礼し、踵を返した瞬間、ローズは後ろから抱き寄せられた。耳元で、中性的な声が響く。

「さっきのは、君も結構生意気だったって、判ってる?」

「――そういえば、そうでした」

 年下だろうが何だろうが、シェリフはローズにとって(あるじ)だ。

 家族同然の部下に、人を殺める指示を出そうとも。

 使用人の分際で、出過ぎた真似だった。

「まぁ、いいけどね。なかなか、気持ち良かったから」

 小首を傾げそうになる発言の後、肩に絡んでいたタータンチェックが、すいと離れた。

 申し訳ありませんでしたと言うタイミングを逃し、ローズはただ、シェリフを振り返る。

 青年(あるじ)は床に落ちていたディスクケースを拾い上げ、食事ができたら呼んで、と口角を上げた。



 酒が飲みたい、と言ったら、男は一軒のバーの前で車を停めた。助手席のドアが開き、促されるまま降りる。

 後部座席のシェリフは降りる気配が無かった。後は任せた、と言ったきり、一言も喋らなくなっていた。

 助手席のドアを閉め、運転していた男は青い目をバーの方へ向けた。

「坊ちゃんの言葉をお忘れなく」

 それだけ言うと、男は運転席に乗り込み、速やかに発車させた。漆黒のヴェルサティスは、たちまち闇の中に見えなくなる。

 施しのように数枚渡された紙幣を掴んだまま、ふらふらと店に入った。

 カウンター席に座り込んで、あおり始める。

 世の中、間違ってる。役立たせることもできやしない、あんなガキに金と才能を与えて。僕なら絶対に有効利用するのに。大体、何なんだ、あの下僕は。あいつさえ居なけりゃ、今頃、僕はあの理論をこの手にしてた。畜生め、僕の銃を持ち去りやがって。高かったんだぞ、返せ、返せ……

 隣のスツールに、誰か腰を下ろした。

 横目で見ると、高そうなスリーピーススーツを着込んで、すかした優男だ。店の薄暗い照明ではっきりとはしなかったが、銀髪緑眼のようだった。

 あのガキと似たような配色に苛立ちが募る。

 一気にグラスを空けた。音を立ててカウンターにグラスを置く。

 男が、横から水割りのグラスを滑らせてきた。

「興味深い独り言だったよ」

 声に出てしまっていたか。ぐ、と喉を引きつらせつつ胡乱の目を投げると、男は密やかに囁いた。「銃が欲しいなら、手配できるが……?」

 見かけによらず、裏でばら撒く(たぐい)か。

「もう……金が無い……」

「後払いでもいいよ」

 男はもう一杯バーテンに注文してから、頬杖をついて、こちらを覗き込むように見た。「今度こそ、その子を言いなりに……?」

「するとも――当然――今日だってできた筈なんだ、邪魔さえ入らなきゃ」

「そう」

 バーテンが滑らせてきたグラスを受け止め、男は促すように、さっき寄越してきたグラスを手で示した。「それも、後払いでいいよ」

 もしかすると、この男もあのガキの何かを狙っているのか。そういえばマーニュ家は資産家だ。あのガキはそこの御曹司、身代金だけでもいい額になるだろう。

 グラスの中身をひと息に半分近く干し、問うた。

「僕は、理論さえ手に入れば、あんなガキはどうでもいい。理論を手に入れた後、君にガキを渡せばいいのか?」

「俺は逆だな。あの子の導き出したモノとは言え、理論など、あの子自身には代えられない」

 何の水掛け論だ。

 グラスの残りをあおり、息を吐き出す。

「協力しようじゃないか。今度こそしくじらない」

 男は薄く笑んだ。

「君が眠っている間に済ませてあげよう」

 攫って来てくれるのか? と訊いたつもりだが、舌が回っていない気がした。

 やけにアルコールの回りが早い。

 意識が、朦朧としてきていた。

「君の雇った連中も一緒に、遺灰は山にでも撒かせてもらう。二度と、俺の息子に近づけないように」

 辛うじて聞き取れたものの、弛緩し、カウンターに突っ伏した状態で、もはや戦慄することさえできなかった。

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