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それは、いきなりのことだった。
ベンチで並んで珈琲を飲み、三人共カップの中が無くなり、じゃあ帰ろうか、ということになって。
公園の出入口に近づいた時だった。
左右の木陰から、ばらばらっと複数の人が飛び出して来た。
現れたのは全員、男。六、七人居る。皆、黒いサングラスをしていた。異様さにローズ達が驚いて立ち止まるや、彼等はシェリフを羽交い締めにした。悲鳴をあげかけたローズも後ろから口を塞がれる。
驚愕に目を見張る前で、リアも両手を後ろに回され口を塞がれるのが映った。
と、突然、プシューッとスプレーを吹き付けるような音がした。下方から凄い勢いで白煙が舞い上がり、何だっ、と男達の声が飛び交った。
瞬く間に視界が煙に遮られ、短く幾つか重い音が響いた。
何が起こっているのか判らないうちに拘束された手が緩み、口を解放された。己が手で口を覆ってよろめくと、新たに腕を誰かに掴まれる。必死に振りほどこうとすると、耳元で、走るよ、とリアの声に囁かれた。
腕を引かれるまま、ローズは震える足を必死に動かした。煙を突っ切って公園の一方に駆け出す。帽子が脱げて剥き出しになっていたさらさらのプラチナブロンドが、地面を蹴る足の動きに合わせて目の前で勢い良く跳ねる。
逃げた――と怒声が起こり、ローズは振り返った。白煙が薄れてきている。数人誰かうずくまっていたが、丈高いシェリフが羽交い締めにされたまま立ち尽くしているのが判った。
「りっ、リアさん――シェリフ様がっ」
足を止めず、目もくれずにリアは応じた。
「判ってる――けど、あの数の場合は、逃げた方がいい」
「でっ、でも――っ」
こういう場合は、メイドより主人を助けるものなんじゃ――!?
「発信機搭載してあるから、大丈夫だ」
搭載?
走りながらも訊き返そうとした背後で、女はもういいっ、と言い放つのが聞こえた。
ローズが今一度振り返ると、歪んで揺れる視界に、シェリフが口を塞がれ何処かへ引きずっていかれるのが映った。
目眩を覚えつつ、アパルトメントのターコイズブルーの玄関をローズは通った。
ドアを開けて支えていた若者が、澄ました顔で後ろ手に閉める。
ここは隣家で、誰か住んでいるようだったのに。
ここもマーニュ家所有だ、と、あっさり言われた。
もしかして、反対隣もそうだったりして……
若者は、隣とそっくりの間取りの廊下を進んだ。キッチンの電気を点けてから引き返し、階段脇の潜り戸から、ペンライトを点けて地下室に向かう。
時刻は、午後六時に近づいていた。
〝シェリフ様〟が連れ去られてから、三時間が経とうとしている。
『アレの正式名称は〝C六号〟だ』
別の出入口から公園を抜け出すや、リアは爆弾発言を投下し始めた。『で、俺の正式名称が〝シェリフ・ドゥ・マーニュ〟』
何を言い出したのかと思う方が勝って、ローズは唖然として執事を見たものだ。
リアは喉元に手を突っ込むと、何か小さなボタンをマフラーの内側から取って、コートのポケットに突っ込んだ。
次いで発したリアの声に、ローズはぎょっとした。中性的な、シェリフのモノだったからだ。
『俺の、ある知識を欲しがる人が居てね。ちゃんと断ったんだが――一、二年前から屋敷に不法侵入を試みるようになった』
『え……警察は何て……?』
『未遂だし、何故それが判ったか追究されると困るから介入してもらってない。マーニュ家は昔から、こっそりと自力で処理するのが家風でね』
変な家風だという感想を口にするのはやめた。
使用人とはいえ、今やローズはその変なマーニュ家の末端である。
『まぁ、あまり父の手を煩わせたくないし、C六号の試用もしたかったから、こっちに移ったんだ。けど相手は、不法侵入だけでなく尾行追跡も素人で、俺が移動したことも気づかなかった』
先日のエドモンからの電話は、〝ローズが派遣されたことで、ようやく相手が気づき、動き出した〟というのが本題だったと、自称シェリフは続けた。
素人っぽいのが郵便配達を装って探りに来ただろう? と、颯爽と歩きながら若者は言い、そのまま美容院に直行した。
長い髪が邪魔だったそうだ。
何故かローズまで髪をセットされた。今日だけでいいから変えて、と薄く微笑して乞われ、もう頷くしかできなかった。リアを真似てのばし始めていた肩過ぎの髪に、ウェーブを当てられた。
美容院に居る間にシェリフは何処かへ電話をかけ、六号を回収してくれ、とだけ告げていた。相手は十中八九エドモンなのだろう。
髪を整えた後は服を買って着替えた。〝シェリフ様〟がいつも着ていたようなモノに。
スーツとスカーフは窮屈だったそうだ。
ローズまで普段着ないような服を見繕われた。
真っ赤なタートルネックのセーターにファー付きの白いダウンジャケット、デニムのショートパンツにロングブーツ。
やり手の女性執事から年相応のカジュアルな青年になってしまったシェリフは、視力もさして悪くないらしく、ショートパンツに落ち着かないローズをエメラルドグリーンの視線でひと撫ですると、満足そうな顔をした。
そんなこんなで、ピカールで適当に買い物をし、学生カップルの見てくれで隣のアパルトメントに帰って来たわけだ。
『ひょっとしたら、まだウチを見張られているから』
それが理由とされたが、どうもシェリフは機に乗じて楽しんでいるように見える。
ローズは、C六号なる〝シェリフ様〟が心配だった。
要するにアチラはアンドロイドなのだろうが、喋っていたし、笑んでいたし、並んで珈琲も飲んだ。
ローズには何処から見ても人間だったのだ。
機械だとしても、あんな風に乱暴に連れ去られて、何処か傷めてしまっていないか気懸かりだ。
シェリフは、生みの親として、情が湧いてないのだろうか。
地下室は隣家と同じく倉庫になっていたが、空の段ボール箱をどかして絨毯の端をめくり、シェリフは床板の一部を外した。知らない者には、その部分が外れるとは見極められそうにない。
底の近い縦穴が在った。
ひらりと飛び降りると、シェリフは優雅に手を差し伸べてくる。
手を重ね、青年の体温を感じ、ローズは穴に降ろしてもらってからシェリフを見上げた。
「C様は、初めから身代わりにするつもりで作ったんですか……?」
「執事にしようと思って開発を始めたんだ」
天井は高くない。穴に蓋をすると、やや身を屈め、シェリフは一本道の通路を歩き始めた。
あぁ、そうか――
『執事という〝人種〟は、主人が家族で、自らの家庭を持たない傾向がある』
ムッシュ・ジョレスと叔母さんを身近で見ていたから――?
「六号は今現在の会心作だ。言動もかなり自然だったろう?」
「はい、とっても」
シェリフは前を向いているから見えないだろうが、ローズは大きく頷く。「笑ってくださったし、お食事も……」
考えてみれば、驚くべき性能だ。
「どのシチュエーションで笑うのが自然か、ずっとパソコンで日常生活なんかの動画を見せて学習させてきた。食事は、胸部に少し溜めておける」
ペンライトの丸い光が、行き止まりを示した。
シェリフはブラックジーンズのポケットから薄いタブレットのような物を取り出すと、電源を入れた。指先で操作しながら、口角を上げる。
「因みに、君の作ってくれた食事は、六号の分も〝リア〟が食べていた」
「――だから二人共あまり食べなかったんですね」
「美味しく完食するにはアレが限度だ」
「……解りました、今後の量はあの二人分より若干少なめですね」
「その通り」
可笑しそうにシェリフは応じ、機械の電源を切った。「だいぶ引っくり返して行ったようだが、誰も残ってはいないようだ」
ライトの明かりが天井を照らした。四角に出入口が浮かび上がっている。
蓋を押し上げ、身軽にシェリフは隣家の地下室へ上がった。ローズも引っ張り上げてもらう。上がってすぐ、ペンライトが映し出した光景に〝だいぶ引っくり返して行った〟という台詞の意味が解った。
倉庫もローズは掃除して整頓していたが、それがぐちゃぐちゃになっていた。並べて置いていた木箱が、あちこちに移動している。
「これ……シェリフ様の知識を、探したってことですか」
「家探しで気が済むならと家を無人にしてやったんだけど……見つからなかったから、もう本人に直談判することにしたんだな」
散乱する物達を避けつつ、シェリフは階段へ向かう。ローズは辺りを片づけたかったが、主の後を追った。
「C様、そういう受け答えもバッチリなんですか?」
「まだ無理だね。エドモンが回収する前に、アンドロイドだと気づかれないといいが」
肩をすくめてシェリフは階段を上がりだす。「アレの動力が、正しく相手の知りたがっているコトだし」
「珍しい電池とか……?」
「まぁ、そう。消耗部品を二、三百年に一度交換すれば、地球が無くなるまでは動くだろう」
半永久的にもつ電池ということか。相手も知りたがるわけだ。
他の性能にしたって、知りたがる人は随分と居そうだ。全くぎごちなく、立ったり座ったり、歩いたり飲食したり……驚異的な技術水準のロボットなのだから。
一階の廊下に出たところで、キッチンから電話のベルが聞こえてきた。ローズはびっくりして肩を震わせたが、シェリフは平然とそちらに足を向ける。
キッチンでは、やかんや鍋が、コンロやシンクに積んだようになっていた。冷蔵庫の中身も幾つか出しっ放しだ。食器棚も、抽斗や扉が開け放たれている。
もう。こんな所に隠すわけないでしょうに。
ローズが呆れて冷蔵物が傷んでいないか手に取る横手で、シェリフが受話器を取った。
「オリジナルだ……そう、お疲れさま……じゃあ、話してみよう……」
C六号を保護できたのか。ローズが期待と不安の眼差しを向けると、シェリフはこちらに目を流して唇の端を上げた。うん、と最後に応じて、受話器を電話に戻す。
「C様、無事ですか」
「そのようだ。首謀者も押さえた。ちょっとパソコンで面会する」
連れ去った連中は少なくとも六人は居たと思ったが、あんな大柄のアンドロイドをよく取り戻せたものだ。
何はともあれホッとしたローズに、シェリフはキッチンの入口で肩越しに振り返ると目を細めた。
「もう大丈夫だから、倉庫もこの部屋も、好きに片づけてくれていいよ」