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シェリフ ―Cherif―  作者: K+
Sonata Pathetique 2nd mov.
4/22

 数日後の午後、ローズがランドリールームで洗濯物を畳んでいると、隣のキッチンから固定電話のベルが聞こえた。

 何度か屋敷から執事長がかけてきていたので、ローズも受け答えに慣れてきていた。立ち上がってキッチンに駆け込み、受話器を取る。

 聞き覚えの無い、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。

〔マドモワゼル?〕

「はい。どちら様でしょうか」

〔あぁ、失礼。マドモワゼル・サニエの声に少し似ていますね。はじめまして、エドモン・ジョレスです。只今、お傍を離れておりますが、ムッシュ・シェリフの執事です。貴女は、マドモワゼル・ファロ?〕

「は、はい」

 あのはきはきしたリアの声と間違えられるとは思いもしなかったので、ローズはどぎまぎする。

〔坊ちゃんから、いい仕事ぶりだと聞いてますよ。わたしも是非、貴女の淹れた紅茶をいただきたいです。ところで、サニエ女史は今、在宅ですか?〕

「はっ、はい、少々お待ちください」

〔ありがとう。いずれお会いしましょう〕

「はい――宜しく、お願いします」

 この先、リアと同じく直近の上司として関わる可能性がある人物ということだ。ローズは急いで、聞いたばかりの名前を頭に叩き込んだ。

 足音が響かないように気をつけつつ、階段を三階まで急ぐ。

 執事室をノックすると、どうぞ、と響きのいいアルトが応じた。この声に似ているとは、なかなか嬉しい。ローズははにかんでドアを開ける。

「ムッシュ・ジョレスから、お電話です」

 執事室は、シェリフの私室と似た調度だ。家具の配置も似通っていた。

 部屋の奥に窓があり、それを背に、幅広の机に向かって何か書き物をしていたリアは、おや、と呟いた。

「エドモン?」

 はい、とローズが首肯すると、リアはペンを置いて立ち上がる。

 階段を降り始めたスレンダーな背中にローズが続くと、リアがするりと言い当てた。

「ローズに会いたがったでしょう」

「いずれお会いしましょうって」

「ふふ。エドモン氏とボネさんは、いい仲だったからね。姪の貴女がマーニュ家で働き出したと聞いて、最初はかなりうろたえていたよ」

 屋敷では、雇い主と使用人の色恋もさることながら、使用人同士の恋愛も何処となくタブーな印象があった。思ったよりは、オープンだったのか。

 しかしながら、大叔母は生涯独身だった。

 ローズは、今や絶縁状態にある両親を思い出し、眉をひそめた。

「ムッシュ・ジョレスは……御家族は……」

「居ない――あの人も、生涯をマーニュ家に捧げそうだ。というより、彼を愛してしまったから、ボネさんはそんな生涯になった気がしている」

 リアは段を降り切り、ほんの僅か、溜め息のような吐息を洩らした。「執事という〝人種〟は、主人が家族で、自らの家庭を持たない傾向がある」

 目の前の人を見て、ローズは解る気がした。が、肩越しに振り返ったリアは、わたしは家庭に興味があるけど、と悪戯っぽく唇の両端を上げた。

 つまりシェリフ様とですか、と問うのは、冗談で済まされない気がしたのでやめておいた。

 リアはキッチンのドアを開けながら、かなり歳が離れているだろう同僚を、気遣う口振りで言った。

「まぁ彼、ローズに会いたがる程には元気になってくれて良かった。ボネさんを亡くした直後は、酷く憔悴していたから」

 受話器を取って保留ボタンを押す執事の姿を目の端に映し、ローズはランドリールームへ戻る。

 エドモンに会ったら、絶対失敗せずに紅茶を淹れると決意して。



 ノエルまで一週間となった。

 先日のエドモンからの電話は、ノエルまでにはアパルトメントに戻って来るという知らせだったそうだ。

 市場(マルシェ)でそれまでより多めに買い込んだ食材を両腕に抱え、ローズはアパルトメントの深い緑色の玄関が見える所まで来ていた。

 足の動きが緩んで、口から、ほわりと白い息がこぼれる。玄関先に、郵便配達員らしき男性が立っていた。小さな箱包みを小脇に抱えて、ベルを押している。

 以前住んでいた所の郵便屋は、遅延も誤配も紛失も当たり前で、物凄くものぐさだった。

 ここは比較的まともだ。あの程度の大きさだと玄関先に放置もあり得るのに、ちゃんと住人に手渡すつもりらしい。

 ドアが開いて、リアが出て来たのが見えた。ひょろりとした配達員と大差無い身長だ。遠目にも凛々しい女性だと改めて思う。ブルーグレイのスーツ姿に惚れ惚れする。

 配達員が差し出した小包に目を落とし、リアは肩をすくめた。伝票部分を指で示して何か言っている。誤配だったのか、示された部分と郵便受けに書かれた住人名を配達員が見比べている。

 あらら。ノエルのプレゼントかもしれないし、ちゃんと宛先に届くといいけど。

 ローズが玄関に近づくと、おかえり、とリアがブルーレンズ越しに目を細める。配達員が振り返った。そばかすが残って、まだ若そうだ。

「君、シェリーちゃんじゃないの?」

 唐突に言われ、いいえ、とだけローズは応える。リアが道を開けるように身体をずらし、ローズは屋内に滑り込んだ。キッチンへ足を向ければ、背後でリアがぴしゃりと言い切っている。

「ここに住んでるのは、シェリーじゃなくて、シェリフ。女じゃなくて男」

「女の子三人でシェアしてるんじゃないんだ」

「ムッシュ・シェリフは両手に花をお望みでね」

 三階で何も知らずにパソコン画面を見ているだろう(あるじ)を思うと、ローズは笑ってしまいそうになる。

 羨ましいなぁ、としみじみ配達員が洩らすのが聞こえた。その包みをきちんと届ければシェリー嬢が微笑んでくれるよ、とリアが笑み混じりの声音で言って玄関を閉めたのが判った。

 白々しい、と一言洩らし、執事は階段を上がって行く。

 三時のお茶はリラックスできるハーブティーにしてみようかと、ローズはキッチンのドアを開けた。



 その週末、昼過ぎに、ローズはシェリフとリアに従ってアパルトメントを出た。

 これまで徹底してインドア生活だったシェリフが、たまには外でお茶にすると言い出したのだ。

 テラス止まりにしておけばいいのに、わざわざ雪が舞いそうな天気の日に公園へ行きたがる辺り、そこはかとなく気儘なお坊ちゃんの片鱗が窺える。

 ローズはさほど寒がりではないが、リアは苦手だと思う。今日は黒のロングコートをしっかり着込み、ベージュのロングマフラーを何重にもして首に巻き付けている。黒のキャスケットを耳ごと深めに被って、長めの筈のプラチナブロンドが殆ど見えない。手袋もきっちり嵌めていた。

 主人に付き合わざるをえない執事に同情しながら、ローズはクルミの砂糖漬けやマグカップを入れたバスケットを提げてついて行く。

 執事はともかくメイドも連れて散歩というのは風変わりな気がしたが、シェリフが、ローズも一緒に、と言ったそうで、断るわけにもいかない。

 座っている所しか見たことがなくて、シェリフは背が意外に高いと初めて知った。恐らく一九〇センチに近い。リアより頭半分以上、高いから。ローズには完全に見上げる位置に顔があった。

 暖色系のカウチンセーターに白いマフラーを軽く巻き、デニムジーンズにブーツ姿で青年はのんびりと歩いて行く。ソレは持つ、とローズから取り上げた、珈琲の入った魔法瓶を片手にぶら提げて。


 徒歩三十分程の場所に在る大きな自然公園は、寒々としていた。

 陽気のいい休日にローズが足を運んでみた時は、それなりに家族連れも居て賑やかだった。けれど、流石に今日は静かだ。

 特に話をするでもなく、色とりどりの枯れ葉でいっぱいの小道をぶらぶらと十分ほど歩き廻り、針葉樹が植わった一帯で、一服しよう、とようやくシェリフは立ち止まった。

 十八歳って若いんだなぁ、とローズは少々感嘆して息をつく。

 三つしか違わないが、ローズはふた月近くも家に閉じ籠もってデスクワークをした後に、いきなりこれほど歩いたら息が上がってしまう気がする。

 シェリフは家を出た時と変わらぬ風情で、疲れた様子も無くベンチに腰を下ろした。やや崩れて垂れた白いマフラーを、何気無くリアが整える。ありがとう、と青年は口角を上げた。こういうトコロは、いかにもお坊ちゃんだ。

 ローズはベンチにバスケットだけ置かせてもらって、マグカップやクルミ菓子を取り出す。

 リアは(あるじ)から魔法瓶を受け取り、銀のマグカップに珈琲を注いだ。湯気と独特の香が広がる。

「君達も座って――一緒に」

 カップを手にしたシェリフが言い、では、とリアが笑んだ。

 出る前に、わたし達の分も、とリアが言わなかったら、ローズは持って来ないところだった。いつ頃からシェリフ付きの執事を務めているのか、リアは主人をよく解っている。

 ベンチの真ん中に座るシェリフを挟んで、リアとローズも腰を下ろした。

 先日リアが言っていた冗談のような構図になったと、ローズは指先をマグカップで温めながら思う。両手に花だ。一輪は、地味だが。

 こうして二ヵ月ばかりシェリフの近くで過ごしてみて、屋敷で飛び交っていた噂話のいい加減さには呆れる。

 リアと二人きりになると違うのかもしれないけれど、ローズが一緒の時は、シェリフはごく普通の紳士だ。どちらかと言えば奥手っぽいし、腰が低め。

 当たっていたのは、頭と顔がイイってコトぐらいかも……

 理系大学入学資格(バカロレア)を持っていてグランゼコール出とすると、博士号もそっち系等だろう。

 ローズもバカロレアを得てはいるが、一般文系だ。そして、大学には行かずに働き出している。ローズにとっては、バカロレアは高校卒業証の意味合いが強かった。

 こんなにも住む世界が違う人と、並んで珈琲を飲んでいるなんて変な気分だ。

 しかしながら、嬉しくもあった。

 メイドの職に進まなければ、今この時は無かったのだから。

 何故か、脳裏にあの曲が流れ出した。

 空模様は薄曇りなのに、木漏れ日の下に居る気がしてくる。

 ベートーベンの〝悲愴〟第二楽章。

 又も、タイトルに違和感があった。

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