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二日後、マーニュ家に何処となく慌ただしい空気が流れた。
珍しく、それなりの客人が訪れるらしい。
二年前にローズが大叔母の遺産の件で来た時は、のんびりした雰囲気だった。格の違いが知れるというものだ。
朝食後、本日はこれを、とエプロンの他、男性にはネクタイ、女性にはワンピースが支給される。
私室に戻っても良かったが、更衣室も在る。後ろのファスナー上げてほしい、と同い年の先輩に乞われ、ローズもそちらで着替えることにした。
「上品かもしれないけど、地味なのよねぇ」
先輩はネイビーブルーのワンピースを広げ、今日も艶やかな唇を突き出す。普段はエプロン以外の服装は自由で、仕着せ姿になると先輩はかなり印象が変わった。
ローズのファスナーも上げてくれながら、背後で、そういえばぁ、と先輩が言った。
「休みにさ、サニエさんの変な話を聞いたのよ」
「え――ど、どんな」
故障の前兆か何かか。ホックも留めてもらっていて咄嗟に動けないローズの後ろで、先輩は声をひそめた。
「旦那様のお部屋にお茶を運んだ人が聞いちゃったらしいんだけど――二人で向かい合ってて、旦那様が言ったそうなの。〝俺より背が高いな、君は。やっぱりシェリフの理想の結晶なのかなぁ〟って!」
C六号は男性的な彫りの深さと体格をしている。女装しても違和感の無い生みの親とは正反対だ。アルベールの指摘は的を射ているかもしれない。
呑気な感想をいだくローズの肩を、できたわ、と先輩は軽く叩いた。
「シェリフ様は両刀だったのかって、みんな仰天しているとこだけど――」
「は?」
「つまりサニエさんもそういうことなのよね。この前、わたし、いいんじゃないなんて言っちゃったけど、ちょっと様子見た方がいいかも」
また素っ頓狂な噂話が出て来たものだ。
呆気に取られ、はぁ、としかローズは言えなかった。
執事は家事を行う使用人と、職務内容が部分的に被っている。ソレを改めて覚えることになったとして、C六号はローズについて廻っていた。
普通はベテランが指導を担当するのだろうが、勤続年数が近い者同士で補い合うのもいいんじゃない、と当主は言いくるめたようだ。
今日、そんな変てこコンビのローズとC六号は、給仕を何故か割り当てられた。客はそこそこの人物らしいのに、ぺーぺー組に大役を任せてきた上司の意図がさっぱり掴めない。
高価そうな白磁の茶器や、優美なラインのワイングラスが用意されていく。厨房の片隅で、ローズは緊張に両手を組んでいた。
緊張とは無縁だろうC六号は、隣で姿勢良く立っている。朝の打ち合わせに使用人達が集まっていた時は、いつものようにシルバーフレームの眼鏡をかけていた。けれど、昼過ぎの今はかけていない。
気を紛らせたくて、ローズは上方にある顔を仰いだ。
「Cさん、眼鏡は……?」
シェリフと同じ色の瞳を流してきて、C六号は薄く笑んだ。
「コンタクトにしてみました」
「……そうなんですか」
あの眼鏡は度が入っていたかしら、とローズは浮かぶ。そもそも、これだけ高性能のアンドロイドなのに、視力だけままならないなんて不思議な話だ。
単なるカラーコンタクト? でも前からあの綺麗なグリーンだった筈。
ローズがじっと見ていたら、C六号は身体を横に傾けてきた。
「眼鏡の方が好みですか?」
「そ、そういうんじゃないです」
焦ってローズはうつむく。
アルベール付き執事の一人が厨房に来て、珈琲を、と告げた。いつの間にか、客が来訪していたようだ。
ワゴンに珈琲や菓子の一式が支度される。三人分だ。当主の分も入っているだろうから、どうやら客は二人。
初老の執事に続き、ワゴンを押して、ローズとC六号も廊下に出た。
長い廊下の先に応接間の扉が見えた辺りで、執事がちらりと振り返った。
「わたしはお呼びがあるまでそこに控えています。頼みましたよ、セドリック」
はい、とC六号が微笑する。
どんなビデオを観て学習したら、こんな場面で余裕たっぷりに笑みを浮かべるようになるんだろうか。
ローズは感嘆をよぎらせつつ、C六号の開けたドアから応接間に入る。
客人の一人を見て、ローズは知らず押すのを忘れたワゴンにつまずきそうになった。
向こうもセピア色の目を見開いている。
平気? とC六号に囁かれ、ローズは慌てて頷いた。ドアの脇にワゴンを停める。
ともすれば震えそうになる手で、陶器のポットから珈琲をカップに注いだ。
フィリップと並んでソファに寛ぐ男性は、真っ白な頭髪も薄く、かなり高齢に見えた。彼が教授なのだろう。
なんとかこぼさずに注げた珈琲を、C六号が菓子と共に銀の盆に乗せ、客人達の所へ持っていく。
ローズはもう、床の一点を凝視しているしかなかった。
静かな室内に、陶器の触れ合う微かな音がする。
間の後、アルベールの声が快活に響いた。
「先程お話ししたシェリフの新しい執事は彼ですよ」
ほぉ、と微かにしわがれた声が応じる。
セドリック・サニエと申します、とC六号が品良く名乗った。アルベールが、こちらシェリフのお知り合いでルルー教授、と紹介する。
教授の古い友人というのはアルベールではなく、シェリフなのか。
意外さにローズは目を上げた。宜しく、と教授とC六号が握手していた。
「今、君が三年前にシェリフ君と成し遂げたというワイン製法の話を聞いたところだよ。優秀だねぇ。執事より研究職に進んだら良かったんじゃないかね」
三年前……?
「いずれにせよマーニュ家に身を置くなら、ムッシュ・シェリフの直近に在る方がいいと思いまして」
応じるC六号を、不可思議な心地でローズは見た。
去年の冬よりも更に、彼は機械とは思えない自然な受け答えをするようになったけれど。
C六号は教授に問われるまま、滔々とワインの製法について語った。
専門用語らしき単語も混じっていて完全に理解できなかったが、何かの物質抜きで品質を安定させることに成功したようだ。先頃、品質保証が付いたらしい。
何やらシェリフが話している錯覚を感じ、目の端に映るフィリップにも落ち着かなくて、ローズは床に視線を戻す。
教授は、素晴らしい、と繰り返し褒めていた。話が一区切りついたところで、がさがさと紙の音が起こる。ローズは再び、ちょっとだけ目を上げた。
「少し前、シェリフ君がワインを美味しく飲む方法を発見したと人づてに聞いてね、教えてもらいたくて来たんだけど」
教授は言いながら、分厚い紙束をC六号に向けていた。「ついでにコレの意見も聞いてみようかと。シェリフ君が居ないんじゃ持ち帰るしかないかと思ったけど、ひょっとしたらセドリック君でも理解できるかもしれない。読んでみてくれないか」
〝ついで〟と言う表現にフィリップの顔が引きつったのが、遠目でも判った。
座るかい? とのアルベールの言葉に、大丈夫、とC六号は気安く応じ、紙束に目を落とす。
「教授が書かれたんではないですね」
すぐに、独り言のようにC六号は言う。僕の本を読んでくれたのかな、と教授の横顔がほくほくしたものになった。えぇ、とC六号は応じ、以降は黙って次々と紙を繰る。目を通しているのか疑わしい程のスピードだった。
あっと言う間に最後までめくったと思ったら、C六号はつらつらと述べ出した。四頁の引用は不適切という見解に始まり、スペルミスや誤用の箇所まで細かく挙げていく。
「――で、二つ目の引用が見当違いの為、結論に無理が出ています。別の説を引っ張ってきてこの結論に持っていくことが可能なので最後まで目を通させてもらいましたが、残念ながら記されていませんでした。着眼はいいですが、既に二件、類似論文を読んだことがあります。切り口を変えることをお勧めします」
紙束を返されて、教授は四枚目を確認する。あぁそうだなぁ、とのほほんと洩らした。
「そうそう、着眼がいい気がして、結論もまずまずだと思ったんだけどね。やり直しだね、フィリップ君」
あっさりと束を寄越され、フィリップは血色の悪くなった顔で、はい、とぽつりと言う。
あれだけ書くのは時間がかかったろうなと思うと、気の毒だった。
ついでと明言しただけあって、教授は紙束が手から離れるや、もうその存在を忘れたようだった。C六号をまた褒める。
「いやぁ、シェリフ君は執事も凄い。よくこんな人材を見いだすねぇ」
台詞の後半はアルベールに向いていて、当主は短く喉を鳴らした。
「我が家はそういう家なんです」
今日だけでも仕着せを纏い、その末端として佇んでいる自分が、ローズはささやかに誇らしくなった。
大それた感覚が面映ゆい。目を伏せかけた時、C六号がこちらに、ゆるりと笑んだ。
笑んだまま、もう一杯如何ですか、と執事は客人に向かい、貰うよ、と教授がソーサーごとカップを差し出す。
それを見て、ローズははにかみながら保温ボックスを開け、陶器のポットを取り出した。
ローズ達が厨房に戻ってからほどなくして、お客様の夕食は要りません、と初老の執事が告げに来た。
腕を振るえずちょっぴり残念そうに、料理人達が、諒解、と応じる。常の、主と使用人達のディナー作りに移行していく。
夕食が要らないということは、客人は帰るのか。ならば、ひとまずローズ達の大役は終了だ。
メイド長の所へ指示を仰ぎに行こうかとローズが思っていると、初老の執事が手招きした。
ローズが小走りに、C六号が大股に赴けば、執事は事務的に言った。
「マドモワゼル、お客様の一人と学校が同じだったとか。少しお話がしたいそうです」
当惑の表情を隠せなかったローズに、執事はとりなすように微笑した。「テラスからお庭を通って、玄関前までお連れしてください。その間にこちらも、もうひと方をワイン貯蔵庫から御車まで御案内します。せっかくですので御学友に、当家は白が主流で、ロゼは売り物として扱っていないことをお話ししておいてください」
言いますねぇ、とC六号が可笑しそうにコメントする。執事は澄ました顔になって、お持ち帰りいただくのも白ですし、と言った。
ワインの話など出来るのかローズは甚だ自信が無かったが、役目を断われるわけもない。
距離を置いてついて行きます、とのC六号の言に執事は頷き、では、と促した。
エプロンを外したローズは、フィリップと半ば並んで煉瓦の道に出た。
後方のC六号に気づいていないようで、フィリップは早速砕けた口振りで話し始めた。ここから玄関までは結構な距離があるのだが、あまり時間が無いと思っているのか、興奮気味の上、早口だった。
「ローズ、家政婦って、こんなお屋敷でなんてびっくりしたよ。お給料もとっても良さそうだ。先日一緒だった二人は同僚か何かなのかい? 一体、何人雇ってるんだ、ここは。ホントにびっくりだよ」
自信作だったらしい論文があんな結果になったのは、ローズが思う程にショックではなかったのか。
ローズの気がかりはそれだったのだけれど、フィリップが目下気になっているのは別にあるようだった。
「ねぇ、今、何処に住んでいるの。ひょっとしてこのお屋敷? としたら、家賃や光熱費はどうなってるのかな――天引きかい、それともタダ?」
「そんなこと知って、何になるの」
「ここって研究員も雇ってもらえるんだろ? 君と再スタートを切るのにも理想的だよ」
けろりと言われ、ローズは小さく首を振る。
「わたし、たまたまなの……本当は、ここで働くの、とても難しいそうよ」
現に、ローズ以降はC六号しか加わっていない。実質、ローズの後に雇われた人は居ないのだ。
「君、口添えしてくれないの?」
「……わたし、新入りだもの。そんな無理言えない」
「まぁ、僕が卒業してからでいいんだ」
わけがわからなくなって、ローズは眉をひそめた。
「大学で、研究員をするんじゃなかったの」
「僕の論文の簡単なミスも見抜けなかった教授の元で? どうも怪しいなと思ってたとこなんだよ、あのお年寄り」
フィリップは派手な仕種で肩をすくめる。
絵のような庭園の中で、とても浮いて見えた。
「ねぇ、メールアドレスでいいから教えてよ。ドミニクとはホントに別れるからさ」
ベビーピンクの薔薇が、アーチを作って幾つか連なっている。一つ目をくぐり、ローズは歩調を速めた。
「喧嘩でもしてるなら、仲直りした方がいいわ」
恋人同士、並んで買い物をして、楽しそうだったのだから。
惨めな思いをするのは一人で充分だった。
「うんざりしてるんだよ」
投げるようにフィリップは言い放った。「ドミニクはさ、自分が女王様か何かだと勘違いしてる。気が利かないし、家も滅多に掃除しなくて汚いし」
ローズが振り返ると、しかめっ面だったフィリップは目尻を下げた。
「その点、君はあんなに働いてたのに、家の中のことも頑張ってたよね。立派だよ、ローズ。あぁ君、今の仕事、天職なんだろうな。僕にはやっぱり君だったんだ」
まるで、恋人と言うより、家政婦として求められているようだった。
笑ってしまいそうになって、ローズは前に向き直る。鼻先をくすぐる薔薇の香を吸い込めば、いっそ清々しい気分だった。
「わたし、ここで働くの、大好きよ」
「うん、ローズ、活き活きしてる。ここでなら、僕らきっと――」
「わたし、一人でも大丈夫」
肩越しに振り返り、ローズは微笑んだ。「頑張っていくから、貴男も頑張って」
アーチの陰で、フィリップの口元だけ歪んだのが見えた。
「何だよ、それ――君は僕を見捨てるのか!?」
急に腕を強く掴まれ、ローズは痛みに思わず声をあげた。
次の瞬間、悲鳴を発したのはフィリップだった。
離れていた筈のC六号が、彼の腕を後ろにねじっている。涼しげな顔で、困ります、ムッシュ、と静かに言った。
「当家の使用人に手を出すなら、事前に救急車を手配しておいてくれないと」
痛い痛い、とフィリップが喚く。C六号は表情を変えずに手を放した。隙の無い身ごなしでローズの傍らに立つ。
フィリップは腕をさすりながら顔を紅潮させた。
「何なんだ、君は。僕らは、ただ話していただけだぞっ」
「そうでしたか、それは失礼いたしました」
悪びれずにC六号が言う。「お詫びに、お持ち帰りいただくワインを増やしましょうか? 白か赤」
そういえばワインのことを話しておかねばならないのだった。
一人で大丈夫などと言ってしまったが、まだまだだ。
ローズが身をすぼめていると、C六号は優しく肩に手を置いてきた。
「ロゼは、生憎と門外不出なんですけどね」
フィリップが忌々しげな顔をする。
旦那様がそう仰ってましたよね、とC六号は茶目っ気たっぷりにウインクしてきた。ローズは素直に顎を引く。
最後のアーチを越えた先は玄関で、クリーム色の丸っこいクラシックカーが停まっていた。
庭師ではなく、正式な運転手がドアを開けている。一足早く、教授が乗り込んでいくのが見えた。
足を少し緩め、ローズは黙り込んでついて来ていたフィリップを見た。不貞腐れた顔に少々心が痛んだけれど、さよなら、元気で……と告げる。
あぁ、とぶっきらぼうに応じ、フィリップは逆に足を速めた。言い捨てていく。
「ママンの言う通り、君はやっぱり魅力無い。ドミニクを選んだ僕は正しかった」
何だそりゃ、と遠ざかるフィリップの後ろ姿に、C六号が呟く。
お母さんにこぼす程度には、罪悪感があったんだ……
ローズは、この再会を、初めて良かったと思えた。
客人が帰り、日が暮れて、マーニュ家は普段通りの長閑さに戻った。
屋敷は所々ハイテクで、夜間、二、三階の照明はセンサーで必要な場所だけ点灯する。
戸締りを確認して廻る歩みに合わせ、落ち着いた色の明かりがゆっくりと明滅していく。
三階の廊下で、両端の窓からスタートし、中程でローズとC六号は互いの最後の窓を確かめた。
「終わりました」
穏やかな低声で執事が言い、ローズは頷く。
「今日はこれでお終いだそうです。お疲れさまでした」
ローズがメイド長の部屋へ足を向ければ、マダム・ドランの所ですか、とC六号はいそいそとついて来た。
首肯し、眼鏡のレンズに映る照明の柔らかな光を、ローズは見上げた。
「Cさん、昼食の後、お昼寝してました?」
ちょっとだけ、アンドロイドは顔を傾けた。
ややしてから、にこっと笑う。
「スリープしていたようですが、ローズの役に立っています」
別人が動かしていても、情報が残っているのか。
わけもなく悲しくなって、ローズは笑みを返すしかなかった。
「カッコ良かったです、Cさん」
「ローズの役に立ちましたから」
嬉しそうにC六号は言った。