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翌日の午後、ローズは屋敷の使用人口から庭に出た。
マーニュ家当主は時々、彼付きの執事の目を盗み、行く先も告げず何処かに行ってしまう。予てより余程の非常時以外は連絡を取るなと厳命した上でのことで、用が生じれば人海戦術で捜すことになる。
敷地外でそういうことは無いそうだから、アルベールのプチ出奔は、使用人達に苦笑いと共に受け入れられていた。
メイド長の話では、ローズの亡くなった大叔母はコレが得意だったそうだ。かなりの早さで、居場所に辿り着いたと言う。
そんな大叔母と血縁の筈だが、ローズは今のところ、自力で捜しあてたことは無い。
周囲より濃い目の煉瓦が敷かれた庭の小道は、幾つかの地点で枝分かれしている。ローズはどちらへ行こうか逡巡した。
倉庫や車庫が在る方か、花壇や東屋が在る方か。
車に傷でもつけたら大変なので、うっかり者の自覚があるローズは車庫に寄りつかないように心がけている。しかしながら過日、アルベールは車庫の一つでクラシックカーを弄っていた。
素敵な顔のあちこちに油か何かの黒っぽい汚れをつけて、見つかっちゃったか、と悪戯っぽい笑みを披露してくれた。
ローズは、シェリフ様にここだと聞きました、と告げる声が、ときめきで震えそうだった。
今日も車庫なのかしら。
庭木の隙から垣間見える木製の屋根に目を投げた時、逆の方から名を呼ばれた。振り返ると、喜々とした風情でC六号が来る。
こんにちは、と互いに挨拶してから、執事は口元に笑みをたたえたまま問うてきた。
「今日はお休みですか」
「いえ、旦那様を捜しているところです」
そうですか、と応じたC六号は辺りに顔を巡らせてから、こっちですね、と一方に歩き出した。
旦那様発見器まで搭載されてるのかしら。
ささやかな羨望をよぎらせつつ、ローズはついて行く。
「Cさんは、シェリフ様が居ないから休暇中ですか?」
陽の光に煌めくシルバーフレームを見上げれば、執事は几帳面に説明してくれた。
「ムッシュ・シェリフには、戻るまでムッシュ・アルベールの執事をするように言われました。ムッシュ・アルベールには、ジュウジュツを覚えて、後は自由にしていればいいと言われました」
「だから庭で練習してたんですね」
納得するローズの横で、C六号は淡々と続けた。
「自由にするというのがちょっと解らなかったんですが、適当にサボることらしいです」
適当とかサボるとかは理解しているのか。
ローズが頬を緩めると、執事は得意げに断言した。
「ローズに会えたので、今、サボっています」
「えっ」
二人は煉瓦敷きの一帯から森林のような敷地内に差しかかっていた。ローズは戸惑ってアンドロイドを仰ぐ。「旦那様、こっちじゃないんですか」
「こっちです。五百メートル程の地点に居ます」
指をさすので、ローズはひとまず胸を撫で下ろす。サボっているというのは柔術のことらしい。
使用人でさえも迷子になると噂の庭だから、ローズは怖々C六号の後に続いた。庭園とは違って無造作に生い茂っている植物達の合間を進む。
C六号は最初に声をかけてくれるけれど、その後、自ら話題を提供することは多くない。只今のローズに気軽なお喋りをする余裕は無く、二人は黙々と緩い起伏の地を歩き続けた。
五百メートルがどれくらいの距離か、ローズはいまいち判らなかった。漠然と、もっと歩いたような気がする。
そこはかとなく足元に平坦が増えたなと思い始めた頃、楽しげな口笛のメロディが聞こえてきた。大して間を置かず、少しばかり開けたような場所と銀の頭が見える。
こちらが声をかける前に気がついて、アルベールはヒューウと口笛のメロディを締め括った。
「C、逢引は他に人が居ない所を選んだ方がいいんじゃない?」
「――次はそうします」
真顔で執事が応じる。ローズは慌てて、違います、と口を挟んだ。
「執事長が旦那様をお捜しです」
そう、と応じてから笑声をこぼし、アルベールは歩き始める。足の向く先には緑豊かな木々しか見えなかったが、C六号と同じく迷いが無い。熟知しているようだ。
単なる空き地のようだった場所で何をしていたんだろうと思うが、マーニュ家で最も勤続年数の短いローズなどが気安く訊けるわけも無い。C六号と一緒に、ラフなカッターシャツ姿の当主を追う。
「ローズ、一人でこっちに入っちゃいけないよ。迷ったら大変だからね」
アルベールが穏やかな口調で言った。はい、とローズが即に顎を引くと、肩越しに振り返った美男は緑眼を細める。「まぁ、わたしがいけなかったかな」
急いで否定するのは淡い気持ちが剥き出しになりそうで、ローズはほんのちょっと唇を引き結ぶと首を振る。隣で執事が、自信ありげに言った。
「わたしは、ローズも見つけられます」
少々目を見張ってから、アルベールは、へぇーえ、と口角を上げた。
「するとシェリフは、そのうちローズがこの辺で迷子になるかもしれないようなことを、しでかすつもりなのか?」
「……それは、ちょっぴり遠慮したいです」
正直にローズは口をすぼめる。アルベールは頭の高さの枝をくぐりながら笑った。
「まぁ、Cが見つけられると言うなら安心だ。シェリフはまだ詳しく言わないんだけど、あそこに何か作りたいらしい」
「あんな所にですか……?」
首を傾げるローズの前を行きながら、アルベールは言を継いだ。
「友達の為にと言ってた。あの子は大抵〝知り合い〟って表現を使うんだけど。特別な相手のようだ」
言われてみれば、飛び級しまくったらしいシェリフに、友達と呼べるような人と出会う機会は少なそうだ。随分と年上の人々に囲まれて過ごしてきただろう。
そんな環境で友達と思える人に巡り会えたなんて、幸運なんじゃないだろうか。
知らずローズは口元がほころんだが、そういえば、と浮かぶ。
フィリップとも、そんな感じだったのだ。
周囲と親しくなるのが下手だったローズにとって、彼は殆ど初めての友達でもあった。
だから、何かをしてあげたくて、してあげられることが嬉しくて。幸せだった筈で……
『待ってるよ』
ああ言ってくれたのは、フィリップにとってもローズが特別だったから……?
彼の言う通り、思いがけない再会は運命かもしれない。必要としてくれているのなら、やり直せるのかもしれない。
でも……
ローズが前を見つめたら、アルベールは広い背を見せたまま、ところで、と言った。
「ローズは、Cのどの辺が改良されたか聞いてないかな」
改良されたことさえ初耳で、ローズは判りませんと即答しかけた。しかし一応、考えてみる。
「Cさんが旦那様の居場所が判るなんて、知りませんでした」
「実はわたしもだ。びっくりした」
そうは見えなかったが、驚いていたのか。
「探知は初期からできます」
しれっとした顔でアンドロイド執事が言う。うーん、とアルベールは唸った。
ということは、何か他の点が更に高性能になったのか。
どうにも使用人の能力として差が開く一方だ。ローズは複雑な気分でC六号を見やる。丁寧な物腰で、執事は述べた。
「試験段階なので確かなことは言えません」
「うん、ソレもう何度も聞いた」
「只今、日本時間は午後九時十分です。ダイレクト通信が可能です」
「それも何回か聞いた。あの子の無事が知れるのはありがたいが、それとこれは別なんだろう?」
「試験段階なので確かなことは言えません」
「あぁ、解ったよ」
根負けしたようにアルベールは肩をすくめる。三階建ての屋敷が見えてきていた。「ジュウジュツの練習に戻るといい」
「ローズに会えたので、サボっているところです」
堂々たる発言に、ぶふっ、と当主は吹き出した。ローズは頬が引きつる。
アルベールは愉快そうにしばらく喉を鳴らしてから、じゃあもう、と笑みを含んだ声音で言った。
「君、シェリフが戻るまでローズの手伝いをするといい」
ローズは小さく口を開け、主と執事を交互に見る。C六号は、わかりました、とこっくりと首肯した。
「あ、あの……」
おろおろとローズがアルベールを見ると、当主は甘いマスクで笑んだ。
「あちこちでサボってると言わせるわけにいかないからね。メイド長には巧く言っておくから、頼んだよ」
アルベールに頼まれて、拒否を口にできる筈がなかった。当主は、じゃあね、と律動的な足取りで屋敷内に消えていく。
「ローズを手伝います」
胸を張るC六号の隣で、もし試験段階とやらで壊れたりしたらどうしよう、とローズはしばし立ち尽くしていた。