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シェリフ ―Cherif―  作者: K+
Stand By Me
18/22

 雨は夜の内にあがって、朝には瑞々しい青空が広がっていた。

 若い庭師のダイナミックな運転で、ローズは同僚の若者と一緒にマーニュ家を出た。今日は買い出しの仕事が割り当てられている。

 A市中央部に立つモノよりは小規模だが、郊外の町で開かれる市場(マルシェ)は賑わっていた。

 露店の布屋根から露台に並ぶ品物まで、トリコロールにとどまらず鮮やかな色彩に溢れている。店と店の隙間には、人に混じって香辛料や花、生鮮品、調理品や工芸品といった種々の香が漂っていた。

 ざっくりしたバッグとメモを手に、買い出し担当の二人は手分けして店を廻った。大半は食材だが、屋敷の使用人達の雑貨も頼まれている。

 他人に頼めない物が要る時は各々(おのおの)買い出しに加わるけれど、本日は担当者だけだ。

 マーニュ家の広大で複雑怪奇な庭内を、迷わずに通り抜けられる者は限られている。その所為か、買い物程度だと、敷地の外に出たがる使用人は少ない。

 今日は休日の先輩メイドも、のんびりと屋敷内で過ごすらしい。ローズは、おやつ用に焦がしプリン(クレーム・ブリュレ)を頼まれていた。

 買い込んだ物が持ち切れなくなれば、路肩に停めてある車に戻る。待機している庭師が、ブロックを組むように、綺麗に荷物をトランクへしまっていく。

 春頃に花粉症を患っていたという庭師は彼だと思うが、夏が近づいて症状は治まったようだ。車の運転は荒いが、庭の手入れや荷物の扱いは丁寧だった。

 まだあるの? と訊かれ、ローズはメモに目を落とし、首肯する。

「頼まれているお菓子が幾つか」

 庭師はメモを覗き込んできて、俺にもコレ頼む、と〝サブレ〟を指差した。そうして、ポケットからくしゃくしゃの紙幣を出した。

 ローズは焦って、鉛筆でメモに金額を書き込んだ。

 いちいち書くの? とやや驚いたように言われ、忘れちゃうから、とローズはぎごちなく白状する。

 まぁ間違いは減るだろうね、と庭師が口角を上げ、ローズも笑みを返した。行き交う人波に再び潜る。

 パンやデザートの店の手前で、膨らんだバッグを両手に提げた同僚に会った。全て買い終えたと言う。こちらの残りはこれだとローズはメモを見せ、頷き合って別れた。

 いつものパターンだった。ローズの要領が悪いのだろう。手分けをすると他の人の方が早く済ませる。

『慌てておざなりにされるよりも、確実にこなしてくれた方がありがたいんですよ?』

 メイド長から何度もそう指導されたので、ローズはメモにチェックを入れながら、こつこつと残りの品物を買い求めていった。


 きちんとサブレも人数分購入し、メモにある分が全部揃った。達成感に一つ息をつく。

 さぁ帰ろうと踏み出したら、誰かにぶつかりかけた。

 互いに身を逸らして避け、ローズは相手の顔を見ることも無く、軽く謝ってすれ違おうとした。

 が、相手が低声で、ローズ? と発した。

 目を上げ、菓子を落とさずに済んだのは、紙袋じゃなかったからか。

 ココア色の少し長めの髪に、セピア色の瞳。

「やっぱりローズ――びっくりだな。今この辺に住んでるの?」

 高校の同級生だったのだから、二十二歳。それなりに大人っぽくなっていたが、口調は三年前とさほど変わっていない。

 隣に例の彼女は居なかったけれど、ローズは顔が強張った。曖昧に頷いてから、そのまま歩き出す。

 フィリップは、追ってきた。

「なんか、綺麗になったね。今、何の仕事してるの? 君って意外と子供好きだったから、今もベビーシッター?」

「……家政婦」

 短く答える頭の中で、幾つもの〝どうして〟が浮かんでいた。

 前に住んでいた県は、ここから遠い。フィリップは成績が良かった。まだあの県に在る大学に通っている筈だ。そろそろバカンスシーズンではあるけれど、ワイン以外は取り立てて何も無いこの田舎に、一体、何の用で来ているのか。

 そして何故、気持ち良く別れたとは言えない元恋人に、こうして話しかけてきているのか。

 たまたま見かけたからだとしたら、残酷だった。

 年単位で時が過ぎても、傷口は開くものだと思い知った矢先だのに。

 どうして――

 頑張ってるんだね、と優しく応じてから、フィリップは一方的に語り始めた。

「どうも景気が芳しくないし、僕はこの際、大学に残って研究員を目指そうと思ってるんだ。両親も賛成してくれたしね。で、聞いてよ、僕の書き上げた画期的な論文があるんだけど、それを教授が他にも読んでもらうかって言ってくれたんだ。教授の古い友人にね。きっとこの道の権威だよ。それで教授と一緒にここに来たんだけど、まさか君に会えるなんて信じられない」

 半ば聞き流した話の最後だけは、完全に同意できた。

 まるで再会を喜んでいるような響きが、心を乱す。

 片隅に残っていた未練が育ってしまいそうで、ローズは足を速めた。

 あの雨の日など無かったかのように、フィリップはついて来た。ついて来ながら、少々つまらなそうにぼやく。

「君なら、僕の成果を祝福してくれると思ったのに」

「……わたし、難しいことは解らなくて……」

「君はいつもそれだ」

 フィリップは鼻で溜め息をついた。「知ろうとしないのに〝解らない〟の一言で済ませちゃう。だから色々覚えられないんだよって教えてあげたのに。相変わらずだなぁ」

 正論に、ローズはうつむいた。

 昔から、諦めてしまうのが早かった。

 一所懸命いい子にしていても、両親は別れてしまった。

 何の役にも立てない。こんな自分が色々と望んでしまうのは、罪だと思っていた。

 思考すること自体を、放棄気味だった。

 マーニュ家に居場所を得て、仕事を得て、心持ちが若干、変わってきた気がしていたけれど……

「まぁでも、君が頑張り屋なのは、僕、よぉく知ってるよ」

 甘やかな声で、フィリップは言った。「ドミニクより、ずっと頑張り屋だ」

 誰、と眉を寄せたが、思い至った。何とも言えない苦い心地が胸にせり上がってくる。

 浮気相手と比べた挙句に持ち上げられても、嬉しくなかった。

 バッグの持ち手を握り締め、ローズはずらりと車の停まった通りに出る。来た来た、と言うように庭師が片手を上げた。同僚の若者が後部座席のドアを開け、枠に肘をあずけてこちらを見る。

 ほっとしたのも束の間、ローズは袖を引かれた。

「ホントに家政婦?」

「嘘なんか言ってもしょうがないでしょ」

 ローズは立ち止まって、そっと袖を引き返しながら応じる。フィリップは少年のように口をすぼめ、ならいいけど、と覗き込むように見つめてきた。

「僕、しばらくこの町のホテルに居るんだ。教授の友達、権威だけあって忙しいのか、連絡を取りにくい人らしくてさ。だから僕、結構、時間があるんだ」

「何が、言いたいの」

「こんな所で再会するなんて運命だよ。僕ら、やり直せると思う」

 動揺して、ローズは視線を彷徨わせた。

「だって……その、ドミニクさんは――」

「勿論、別れるとも」

 クラクションが鳴った。庭師が車内から、同僚はドアの脇で、こちらに不審そうな顔を向けている。

 行かなきゃ、と口早に言い、ローズは歩き出す。

「待ってるよ」

 声の当たった背中が、熱かった。


 お待たせしてすみません、とローズが乗り込むと、車は小刻みに前後した後、器用に縦列から抜け出す。

 田舎道の両脇が家並から畑ばかりになると、同僚が心の底からといった口ぶりで述べた。

「こう言っちゃナンだけど、君がナンパされるとは思わなかったなぁ」

 ややの間リアクションに迷ってから、わたしもです、とローズは苦笑する。

 バックミラーに映る庭師が、ハンドルを切りながら口を曲げた。

「君はちょっとばかしオリエンタルだし、おのぼりの観光客と間違われたんじゃない? あんな風に相手しちゃ駄目だぜ」

 ローズは肩をすぼめる。隣で、同僚が鼻で笑った。

「もしも次があったら、自分用の棺桶を葬儀屋に注文するようなもんだって、言ってやりなよ」

 大袈裟な文言に、はぁ、とローズは自信無く応じる。

 ミラーの中で、庭師が口の片端をシニカルに上げた。

「マーニュ家の使用人にちょっかい出すってことは、そういうことだよな」

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