Tema d’Amore――アイノテーマ
庭の隅にある方の車庫に入ると、奥の方で金属の触れ合う音が響いていた。
シェリフが歩み寄ると、ボンネットの開けられた車の前部に頭を突っ込んでいたアルベールが顔を上げた。
何? と子供のようにあちこちが汚れた顔で父が笑って、シェリフは隣に停められたアルベール作品に寄りかかった。
「又、作ってるの?」
判っていることだったが口にすると、アルベールはにんまりとした。
「塗料が余ってるから〝ローズ〟二号を」
シェリフは軽く口を曲げた。
「もうそんな名前はつけなくていいと思うんだけど」
「愛着が湧くよ。このローズ二号は手放さないぞ。プラチナとグリーンを使って〝シェリフ〟って作ろうかな、今度」
「却下」
ちぇー、とアルベールは口をすぼめる。シェリフは肩をすくめた。「愛称をつけるなら本物につけたら?」
「最近、本物より自作の方が気に入ってる。ローズ一号は古色も巧く出せてたろ。自慢の一品だ」
異論は無い。ウジェーヌ程度の愛好家では、とても最近に作られた代物とは気づけまい。父は書類も含めて作り出す念の入れようだ。そうそう贋作とはばれない。
万一気づかれても、ローズも素人で騙されていたと誤魔化せる。こちらも被害者になってしまえばいい。
材料費程度でバルバラの遺産をほぼこちらが受け取ることに成功したわけだが、本人はボーナスさえ要らないと言うのだから、これ以上、押し付けることもない。
遺産は有効に、マーニュ家が増やすことになるだろう。
寄りかかっていた車から身を起こすと、座席に雑誌が置かれているのに気づいた。〝世界の富豪特集〟などと、見出しが大きく載っている。
息子の目線に気づいたのか、アルベールは喉を鳴らした。
「ウチを載せたいって言って来てたんだけどね」
シェリフはドアの隙から腕を突っ込んで雑誌を取り出し、ぱらぱらめくってみた。
特集頁に大量の写真が掲載されている。こうも顔や敷地内を晒されては、当人だけでなく周りも大変だろうな、と思う。
写真の一つに、懐かしい女性が写っていた。夫と並んで華やかに笑っている。
アルベールが持ち込んだ縁談に息を吹き返したような喜色を浮かべ、ためらいも未練も見せずにマーニュ家を去って行った女性。
すっかりあか抜けて、大金持ちの夫人の顔になっていた。
あんなに近くで過ごしていたのに、思いもよらない方向へ心を変えていった年上の女性――
「ローズと気まずくなったの?」
やにわにアルベールが問うてきて、シェリフは雑誌を閉じた。
「父さん、去年から何か勘違いしてるよね」
そう? とアルベールはふっと笑んだ。
「じゃあ、何?」
「……明日から日本へ行って来る。二週間ばかりで帰るよ」
雑誌を元の場所に戻し、シェリフは用件を告げる。ふぅん、とアルベールは淋しそうな声で応じた。
「気をつけて行っておいで。お土産は抹茶カステラね」
「諒解」
破顔して、シェリフは車庫の入口へ向かう。背中に声が当たった。
「ローズ、連れてくの?」
「だから、勘違いしてるよね」
庭に開いたテラスから屋敷の中へ戻り、廊下へ出ると、丁度、ローズがきょろきょろしながら通りかかった。
「あ――旦那様を見かけませんでしたか」
執事泣かせだな、あの人は。
高い天井をちょっと仰いでから、裏の方の車庫、とシェリフは告げ口する。
ありがとうございます、とホッとした様子で急ぎ足に去ろうとするメイドに、何となしに声をかけた。
「俺、ちょっと日本に行くんだ。お土産買って来るよ。希望があったら言って」
駆り出されて真面目に主を捜し回っていたようで、ローズはその名に値する色に頬を染めていた。振り返った体勢のまま、濃い栗色の頭を傾げる。
彼女の場合、無いという返事が九割の確率で来ると思った。ボーナスの代わりだと言えば益々その返答だろうと、予想できてしまう。
が、ローズは意外にも、何か思いついたように見上げてきた。
「包丁お願いします」
「は?」
一度聞けば大体判断できるので、聞き返すという行為は滅多にしないのだが。
若い女性が欲しがる遠い異国の土産物にしては、かなりエキセントリックな品名だったような……
慎重に、シェリフは確かめた。
「包丁って言った?」
ローズは大きく頷き、青灰色の瞳をやけにきらきらさせた。
「日本製って切れ味いいんだそうです。曾祖母がよく言ってたそうです」
「……そう。解った、楽しみにしてて」
はい、とはにかんだように口元を緩めて応じてから、ローズは車庫の方へ早足に去って行く。
切れ味重視なら砥ぐ物も揃えた方が良くないか。厨房にも買って来たら料理人連中も喜びそうだな。しかし刃物となると持ち帰れない。別便できちんと送らなければ。
輸送手段を考え始めると、何やら愉快になってきた。
人の心は、常に傍に居ても、思いもよらぬ方向へ変化することがあって――
予測のつかないことも、ままあるけれど。
それも悪くない気がしてきた。