表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シェリフ ―Cherif―  作者: K+
Infanzia E Maturita
13/22

 屋敷から、エドモンはクラシックカーを運転して戻って来た。

 アルベールは車いじりが好きらしい。特にクラシックカー。昔の物とは言え、屋敷にあるのは、どれも大体ぴかぴかだった。

 エドモンが乗って来たのをローズも見せてもらったが、やはり新車の如く磨き上げられていた。明るい赤色が春らしい。アパルトメントの庭先が華やぐ。

 こんな色のもお持ちだったのねと眺める横で、C六号が、ローズの色ですね、とコメントした。

「えぇ?」

「この色は、ローズ・レッドです」

 C六号が言い換えると、エドモンが愉快そうに目を細めた。優秀だ、とアンドロイドの背を軽く叩く。

「シトロエン社のトラクション・アヴァン七CV。今でも充分、現役でいけます」

 エドモンが説明してくれたが、ローズは、はぁ、としか返せない。大きなおもちゃのような見た目で、いい感じではある。

 室内から窓枠にもたれて見ていたシェリフが、のんびりと言った。

「父さん、ソレ、手放したいんだそうだ」

「あら……そうなんですか」

〝ローズ〟の車を手放したいと言われると、そこはかとなく気が沈む。

「ムッシュ・カイレはクラシックカーに興味があるそうだから、この機会に、欲しいと言うなら安く譲るつもりだ」

 それで〝見せびらかす〟ことになったのか。

 ローズが納得していると、奇妙にシェリフがにっこりと笑んだ。

「是非、頑張って売ってくれ、ローズ」

「は――?」

「忘れちゃ困る。只今、ここでは君が女主人だ。ムッシュ・カイレはそう思っている」

 シェリフは非常に楽しそうに、己を親指で示した。「俺は初仕事を終えた新人弁護士でしかない」

 ぽかんとするローズに、シェリフは順番に手で示していった。

「エドモンは君のお抱え運転手。Cは君の執事。諒解?」

「そ、そんな――お屋敷に連絡をくれたんですから、わたしの立場なんてムッシュ・カイレは御存知なんでは」

「マーニュ家は、そう簡単に内情を外に漏らさないよ」

 にこやかにシェリフは言ってのけた。「あの弁護士が、君を裕福そうだと言っていたじゃないか。事実、君は結構、裕福だ」

 エドモンがお茶目にウインクしてきた。

「ちゃんと買ってもらえるよう、打ち合わせしましょう」

「ローズの執事を頑張っています」

 C六号まで胸を張り、ローズは庭で立ち尽くす。

 まさかこんなミッションが控えていたとは、思いもしなかった。



 約束の日、ウジェーヌはA市の駅を出た。

 バルバラとは出会って二週間で結婚した。その数日後に宝くじの当選が判明。何という幸運の女神を射止めたことかと、自分自身が誇らしかった。

 そんな新婚の妻が呆気無く逝ってしまった時は、驚き嘆いた。が、彼女の預金を相続できないと知った時の方が、衝撃が大きかった。

 葬儀や諸々の届け出が済んでしまうと、バルバラはもう過去の人だったのだ。

 記憶に残っているのは、ほぼ手つかずの筈の、宝くじの当選金額だった。

 彼女の隠し子とも言える一人娘について少し調べてみると、離婚した相手が引き取り、以降、バルバラとは交流も無い様子。

 そんな親不幸な子供に、労無く大金が渡るなど納得できるものではない。ウジェーヌには、バルバラの無駄遣いを止めて預金をさせたという〝功績〟もある。

 幸い、娘は予想よりマトモだった。

 本当にバルバラの子供か? と思った。

 バルバラは派手で、浮き立つ感じだった。

 その娘は対照的に、しっとりと、ひっそりとしていた。二十代前半にして、母親よりずっと落ち着いた印象。

 そんな若さで使用人を幾人も使い、高級車を乗り回している。

 金に縁があるという点は、似た者親子だったようだ。

『ひょっとすると、マドモワゼルにとって、マダムの遺産ははした金ですね』

 簡単に相続放棄してきたので、弁護士が肩をすくめてそんな感想を述べていた。

 いささかムッとした。〝はした金〟にしがみつこうと躍起になっていると、指摘された気分だった。

 別に自分だって、生活に困っているわけじゃない。今回の遺産程度の預金は、自分名義の口座にもある。

 単に、親とろくな関係も結んでこなかった子供なんぞに、濡れ手に粟の金を譲るのは良くないと思ったまでだ。

 駅舎を出たウジェーヌは、黒塗りの高級車を探した。

 ルノーのヴェルサティス。

 元はVIP用に生産されたそうですね、と初老の運転手がへらりと笑いながら言っていた。

「ムッシュ・カイレ、こちらです」

 男の声で、ウジェーヌはそちらへ顔を向けた。美しい赤の車の傍らで、例の運転手が手を上げている。

 やぁ、と歩み寄ったウジェーヌは、おぉ? と思わず声をあげた。

「これ、ひょっとしてトラクション・アヴァンじゃないですか?」

「流石ですね、そうですよ」

 運転手は破顔し、後部座席のドアを開ける。「残念ながらウチの御主人、クラシックカーには詳しくないんですけどね」

「え、詳しくないのに、こんなイイのに乗ってるんですか」

「衝動買いだったみたいですね。色がね、御自分の名前と同じって点が気に入ったみたいで」

 何だそりゃあ、宝の持ち腐れに近いじゃないか。

 内心で悪態をついてウジェーヌはシートに座る。座り心地はヴェルサティスと雲泥の差だが、かなり状態はいい。

 滑らかに、走り出した。

 そろそろ飽きてきてるみたいなんですよ、と運転手はのほほんと言った。

「わたしとしては勿体無いって思うんですけどね。まぁ、しょうがないですね。先日、ムッシュ・カイレ、クラシックカーにも興味があると言っておられたんで、乗りおさめの気分で、コレでお迎えに上がらせてもらいました」

「あぁ、嬉しいです。素敵な気分だ、ありがとう」

 車内のあちこちに目を走らせながら、ウジェーヌは尋ねた。「衝動買いって、幾らで手に入れたかは知ってます?」

 えぇ、大体は、と運転手は応じ、金額を口にした。最近ハマりだしたので相場にさほど通じていないが、状態の良さを考えると妥当な値段に思える。

 そこそこ詳しそうな運転手が高いと評しないから、まずまず標準だろう。衝動的に買うにしては高い買い物なのは間違いないが。

 これに飽きるなんて罰あたりだな。

 車窓の外を流れる長閑な風景を見ながら、ウジェーヌは口を曲げていた。



 アパルトメントに着いた母の最後の夫君は、今日はビズゥをして来ようとはしなかった。C六号と一緒に出迎えたローズに、呆れたような目を向けてくるにとどまった。

 本日も派手な柄のネクタイを締めている。渦というか、水玉のような模様だ。

 客人を伴ってリビングに入ると、待機していた公証人が早速仕事にかかった。書類の内容を解説し、サインが必要な場所を示してくる。

 ウジェーヌは念入りに目を通した後、サインした。ローズはどういう内容か予め話してもらっていたので、すぐ記す。

 残りの手続はお任せください、と公証人が請け負い、リビングを出て行った。

 一仕事済んで、ローズは息をつく。

 珈琲をお持ちします、と執事も退室し、ウジェーヌと二人きりになった。

 もう一仕事の幕が上がった気分で、ローズはウジェーヌのネクタイ柄を見る。

「何度も御足労いただいてしまって、すみませんでした」

「構いませんよ。前に言った通り、傷心旅行も兼ねていますからね」

 気さくな返答が来て、懸命にローズは平静を装う。

「その、今日のお迎えの車で、少しは、お心が癒せたで、しょうか」

 つっかえて、ローズは咳払いして誤魔化す。ウジェーヌは眉根を寄せた。

「マドモワゼル、聞きましたよ、あんないい車に飽きてきているとか?」

 非難めいた口振りで言われ、ローズは引きつりそうになりながら微笑を浮かべた。

「価値が判らないのにクラシックカーなどを乗り回すのは、如何なものかと……そのぅ、知人に、言われ、ました」

 大きくウジェーヌが同意を示す。ローズは喉がからからで、今一度咳払いした。「やっぱり、そうですよね。それで――ですので、あれは売って、普通の車に買い替えようと、思っています」

 口を閉ざし、ローズは水玉模様を上目づかいに見る。その柄を隠すように、ウジェーヌは胸の前で両腕を組んだ。目線を上げると、難しそうな顔つきをしている。

「僕に買わないかって持ちかけています?」

 どきんとして肩が動いたが、同じタイミングでドアがノックされた。掠れた声で、どうぞ、と促せば、C六号が盆を持って入って来る。

 執事が置いてくれたカップに目を落とし、ローズは肩をすぼめた。

「バレバレでしたか?」

「かなりね」

 ウジェーヌは口を歪めて応じたが、唐突に金額を告げてきた。「この値段でいいなら」

 聞いていた額より高い。いいと応じたかったが、戸惑ってローズは目を彷徨わせた。即に決定を伝えるなと、シェリフに言われている。

 脇に控えていたC六号が、つと身動いた。目を流すと、銀縁の眼鏡を外し、ベストの胸ポケットに入れる。そして、しれっとして低声を発した。

「その値段なら、わたしに売ってほしいです」

 え、とローズとウジェーヌは同時に声をあげた。

 執事は、どうしたのか、うっとりと続けた。

(ローズ)色の車に乗れるなんて、使用人冥利に尽きます。その値段なら、わたしの給与でも払えますから、是非、わたしに」

 ウジェーヌが身を乗り出して来た。

「まっ、待ちなさいよ――あの車で拘るべき点は色じゃないでしょう!」

「す、すみません」

 おろおろとローズが視線を交互させると、何故かウジェーヌが値をぐんと上げてきた。C六号が悔しそうに口を突き出す。

 旧家の執事としてその態度は拙いです、とローズは言ってあげたかったが、それよりも先に場を治めるべきだった。

「その――そのお値段で、ムッシュ・カイレにお譲りします。Cさん、貴男は、お客様と競るなんて駄目です」

 はい、と不服そうにC六号がそっぽを向く。

 いきなり大きな子供のようになったアンドロイドに困惑しながら、ローズはウジェーヌを振り返った。

「あの、すみませんでした。本当に宜しいんですか?」

 ウジェーヌはハタとした感で、ややの間、自分が提示した額を惜しむような顔をした。が、口を引き結ぶと顎を引いた。

「僕に払えるのはマドモワゼルも御存知の筈です」


 後は〝車に多少詳しい〟エドモンが、種々の手配をしてくれた。

 ウジェーヌが口座を持っている銀行の支店がA市にもあったので、そこの小切手で支払ってもらう。

 登録証等の書類は用意してあり、今日の日付を記した物にサインをして右上を切り取る。

「悲しんでばかりもいられませんからね。バルバラの分も楽しく生きていきます。マドモワゼルも、お元気で」

 書類と車のキーを受け取ると、ウジェーヌはそう言って、購入したばかりのトラクション・アヴァンに乗って帰って行った。

 アパルトメントの玄関先で見送ったローズは、心許ない気分だった。

 弾むような足取りで運転席に乗り込んだから、多分、ウジェーヌには満足な買い物だったのだろう。

 ローズも、初めに聞いていた金額よりずっと高く売ることに成功したので、喜んでいいのだろうか。

 疲れ切って室内に戻ると、キッチンのドアを開けてエドモンが笑いかけてくれた。

「お疲れさま。お湯を沸かしています、お茶にしましょう」

 ローズは駆け寄って、口早に問うた。

「あのお値段で旦那様は許してくださるでしょうか」

「無論です。かなりの利益になりました。ローズにもボーナスが出ますよ、きっと」

「利益が出たんですか、良かった……」

 胸を撫で下ろすローズの前で、エドモンはニヤリとした。

「ムッシュ・カイレ、気前のいい人で良かったですね」

「ホントに。でも大丈夫なんでしょうか、今回の遺産を殆ど使ってしまうことになったような……」

「元々宝くじの当選金でしょう? 欲しい物が買えて良かったんじゃないですか」

「わたし、クラシックカーがあんなに高いなんて、知りませんでした」

 屋敷にはもっと高いのもありますよ、とエドモンは快活に笑う。

 うっかり傷でもつけたら大変だ。ローズは、屋敷の車庫へ不用意に近づかないようにしようと心に決めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ