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シェリフ ―Cherif―  作者: K+
Infanzia E Maturita
10/22

 がくんと車が弾んだ。

 ローズは身を縮め、寸での所で天井に頭をぶつけずに済む。隣で、あたっ、と先輩メイドが声をあげた。ぶつけてしまったようだ。

「もー、いつになったらお屋敷までのまともな道が出来るんでしょうね」

 バックミラーに映る運転席のエドモンが、セルリアンブルーの目元を緩めた。

「マーニュ家の庭は、出入りがなるたけ困難なように造られてるんですよ、マドモワゼル」

「何ですってーっ」

 先輩が口紅で真っ赤な唇を歪める。「四年目にして初めて知った衝撃の事実っ」

 彼女はローズと同い年で今年二十二になる筈だが、マーニュ家での勤続年数は倍以上だ。

 おやおや、と応じたエドモンの白混じりの茶色い髪が、車体と一緒に可笑しそうに揺れた。

 車窓の外は、木々ばかり。春の濃い緑が溢れている。下方にはちらほらと、木漏れ日の当たる場所に種々の花が咲いている。

 車は揺れながら走っているから、どんな花か確かめる余裕は無い。じっと見れたところで、何ということはないけれど。ローズなんて名前なのに、詳しくないから。

 細い鉄で紋章らしきモノをかたどった門を抜け、黒い柵に囲まれた森林のような庭に入ってから、蛇行を繰り返して十数分。ようやく視界が開け、屋敷に帰り着いた。

 流石に、屋敷の周囲は整備されている。アイボリー系の煉瓦が敷き詰められ、一般住宅ほどの広さがありそうな車庫や倉庫へ続く道が整っている。道に沿うように、庭木らしい木立や茂み、花壇も典雅に配されていた。

 屋敷の使用人玄関近くには、葉が細めで綿毛のような黄色い花の咲く木が植えられている。その脇に、静かに車は停まった。

 先輩は愚痴を言っていたが、エドモンは丁寧に運転してくれる方だ。マーニュ家の一人息子の、筆頭執事なだけはある。

 普段、買い出しに付き合ってくれる庭師の運転は、彼の芸術作品には配慮しても同乗者には配慮してくれない。ローズは初め、乗り物酔いしかけた程だ。

 今日は休みだと言うエドモンは、トランクの荷物を両腕に抱え、屋敷へ入って行く。先輩が開けたドアを支えてくれている間に、ローズも持てるだけ持って後を追った。

 厨房に近い使用人用の広間で、早くもメイド長や料理人達が荷物を仕分けしていた。他にも、休憩時間や休日なのだろう、ついでの買い物を頼んできていた使用人が数人集まっている。

「これで全部?」

 大ぶりのテーブルにローズが荷物を置くと、メイド長が訊いてきた。もう少しあります、と応じると、先輩が、えー、と声をあげた。

「早く言ってよ、わたし、持って来れたのに」

「あ――そうか――すみません」

「次は確認し合うことね。はいはい、持って来て」

 六十歳に迫るメイド長が、どっしりした腰の両脇に手を当てて言う。

 ローズは急いで広間を出た。エドモンが続く。ほんの少し高い位置にある紳士の顔を、ローズは見上げた。

「あの、もうそんなに残ってないです」

「えぇ、残りはローズにお任せします。わたしは車を戻さないと」

 軽くウインクされて、あ――そうか、と又ローズは口走る。頬が熱くなった。

「うっかりだらけですね、わたし」

「ローズにはCより立派な学習機能がありますから、大丈夫ですよ」

 本日、エドモンの代わりにシェリフの傍に居るらしい執事の名が出て、ローズは頬がほころんだ。

「負けていられませんね」

 競うのは無謀かもしれないけれど。

 シェリフの作ったC六号は、アンドロイドとはいえ、生身の人間としか思えない高性能だ。去年の末から今年の初めまで、A市で身近に過ごした時にも、殆ど違和感が無かった。

 あれから数ヵ月経った今は、更にそう思う。屋敷には四十人前後の住人が居るが、詳しく知らされていない人達は、C六号が機械とは気づいていないようだ。

「ローズと最近お茶を飲んでないって、この前淋しそうに言ってましたよ、C」

 使用人玄関を開けてくれながら、エドモンは面白そうに告げた。「見かけたら、声をかけてやってください。喜ぶような気がします」

 C六号のそれは、感情なのか何なのか。

 不思議な気分だったが、ローズは、はい、と顎を引く。

 幼い頃から、あまり必要とされずに生きてきたので。

 例えアンドロイドからでも、名前を口にしてもらえるのは嬉しかった。



 ローズとエドモンが出て行った広間の隅で、使用人の青年が、買い物を担当したメイドに問うた。

「僕のロトくじも、まだ?」

「あっ、それは、わたし、持ってる」

 若いメイドは肩から掛けていたバッグから、宝くじを取り出す。「こんなの、当たるんですかぁ?」

「身も蓋も無いこと言っちゃいけない。夢を買ってるんだ」

「もしも当たったら何に使うんです?」

「く、る、ま」

 えー、とメイドはつまらなそうな顔をした。

「何処が夢なんですか、即物じゃないですかぁ」

「僕が欲しいのはただの車じゃない。旦那様のコレクションみたいなヤツ」

 くじを胸元にあて、青年はうっとりした顔つきになった。「タルボ・ラーゴT二六欲しいなぁ。もしも当選したら、旦那様、三台の内、一台譲ってくれないだろうか」

 野菜を積んだ駕籠を抱えて廊下へ出て行きかけていた年配の料理人が、からから笑った。

「俄かファンはこれだから。旦那様はイミテーション造りの天才だぞ。ここのタルボ・ラーゴなら、本物は一台だ」

 えぇっ、と青年は口を開ける。メイドも目を見張った。

「他のクラシックカーも!?」

「本物は確か、全部で三台なんじゃあないかなぁ」

「どうりで、あの酷い庭を平気で走らせると思った……!」

 あっはっは、と料理人は愉快そうに頷いて出て行く。

 入れ替わりに広間へ入って来たメイドが、買い物担当の同僚を見た。

「おかえり。頼んだヤツ、何処?」

「もうすぐ来ますよ、ローズが取りに行ってます」

「俺の頼んだのもまだみたいだ。早くしないと休憩、終わっちゃうよ」

 広間の壁に寄りかかっていた若者が肩をすくめる。「マシにはなってきたけど、どんくさいよなぁ、あの子」

 周辺に居た使用人達は苦笑する。メイドの一人が声をひそめた。

「あれでよく、三ヵ月もシェリフ様の所から追い出されずに済んだものよね」

「うんうん、イザベル追い出してから、メイドアレルギーみたいに、近寄るなオーラ出してたお坊ちゃんなのに」

「昔のイザベルにちょっと似てるよ、あの子」

 壁際の発言者に、視線が集まった。肩をすくめたまま、若者は両腕を胸の前で組む。「イザベルはどんくさくはなかったけど、母親の後を受けて働き出して……田舎者丸出し、仕事一筋の、単純な女って感じだったろ」

「じゃ何、ローズはシェリフ様好みってコト? イザベル追い出して早二年、天才お坊ちゃん、今度はローズをたらしこむつもりなんだ?」

 一人のメイドがにやつくと、他のメイド達が身を乗り出す。

「頭でっかちって駄目だねー。女を見る目、無さ過ぎ」

「経験少ないからこそ、あのテのちょろそうなのに手を出すんでしょ」

 でも……と、若いメイドがバッグの肩紐を弄りつつ口を挟んだ。

「今度来たシェリフ様付きの執事サンも、なんかしょっちゅうローズを見てますよ……?」

 え、とメイド達は目を見交わす。

「それ、目つきにもよるわ。とろさに対する同情じゃないの?」

「それだわ。旦那様ばりにお人好しそうな感じだし」

 聞いていた壁際の若者が吹き出した。

「君達、新入り気に入ってるんだね」

 何よ――悪い? とメイド達が鼻白んだところへ、メイド長が大きく手を叩いた。

「はいはい、休憩もそろそろ終わりですよ。マーニュ家の使用人ともあろう者が、そんな所でこそこそと何でしょうね。神は常に見ておられますよ」



 数日後は週に一度の休日で、昼食後、ローズは散歩に出た。

 屋敷は大きいので、周りを巡るだけでも結構な距離になる。煉瓦敷きの一帯さえ外れなければ、富豪気分で散策を楽しめた。

 春先は意外と紫外線が強いんだって、と同僚達が話していたので、つばが広めの白い帽子を被ってみた。ただ、今日は少々風がある。しばしば、つばを押さえなければならなかった。日傘の方が良かったかもしれない。

 傘で、風に乗って飛んで行ける童話か何かがあったなぁ。

 おぼろに記憶をよぎらせながら、ローズは花壇に沿って歩を進めた。花壇の花はピンク色が多めだ。当主の指示なのか、庭師の好みなのか。

 一口にピンクと言っても濃淡があり、円形の数箇所の花壇には、グラデーションのように植えられていた。内から外へ薄くなっていたり、その逆バージョンだったり。花で絵が描いてあるかのようだ。

 屋敷の上階からだとどう見えるんだろうと、ローズは振り仰いだ。

 二、三階は当主達のプライベートな空間だから、掃除やベッドメイクの用向き以外で使用人達はそううろうろしない。窓から天気や時間帯を気にして外を見ることはあっても、敢えて下を注視することはなかった。

 どうせ見たところで、一階の窓から見える、奇妙な森林のような光景が広がっているだけと思っていたこともある。

 見上げた先の窓は、陽気がいいことも手伝ってか、何箇所か開いていた。外側へ向けて、両開きに。スライド式でないところが、古風で、城みたいだ。

 過去へタイムスリップしたような屋敷で、アンドロイドがこっそり執事をしているのだと思い至ったら、何やら笑いが込み上げてくる。

 見かけたら声をとエドモンに言われ、ローズもそのつもりだった。が、A市のアパルトメントからこの屋敷に戻って以来、C六号にはそれほど会えずにいる。

 シェリフの後をエドモンと一緒に、相変わらず、とても機械とは思えぬ滑らかさで歩いているのを数回目撃した程度だ。主と同じプラチナブロンドで、主より頭半分以上背が高い。一九〇センチ近く。

 丁度、二階の廊下に面した窓の一つを、そんな感じの姿が横切った。

 Cさん? と思った時、強めに吹いた風が帽子をすくい上げた。顔を上向けていた所為か、後方へ。

「あ――」

 押さえる手が間に合わなかった。振り返って探すが見当たらない。ローズはきょろきょろした。あっと言う間に、何処まで飛ばされてしまったのか。

 下ばかりに視線を彷徨わせ、ふと目を上げると、あった。地面に落ちたと思ったのに、帽子は少し離れた木の、細い枝先に引っ掛かっていた。

 駆け寄って手をのばしたが、もどかしい距離があって届かない。ジャンプしてみる。

 もう少し――つっつくだけでも、できたら――

 枝の下でぴょこぴょこしていたら、ふっと影が差した。ひょいと白いシャツの腕が帽子を取る。

 跳ねつつ視線を投げて、ローズは着地でよろけた。現れた腕の持ち主に後ろから支えられる。

 体勢を整える間に、ローズは頭にきゅっと帽子を被せられた。つばが広くて、前が見えなくなる。

 それでも声で、誰か判った。人工音声だろうに、なかなかに、耳に心地好い。

「しっかり被れば、きっと飛ばないです」

「あ、ありがと、Cさん。でも、あんまり深く被っちゃうと、前が見えないです」

 そうですか、とC六号は小さな子供にするように被せ直してくれる。視界が開けば、二十代前半らしき、彫りの深い顔が近くにあった。シルバーフレームの眼鏡の奥で、主に似たエメラルドグリーンの目が優しく細まる。

 以前より、更に自然な笑みになっている。つられてローズも笑みをこぼすと、身を屈めたC六号は頬を寄せてきた。左右の頬を一度ずつ。

 思いがけない挨拶(ビズゥ)に面食らうローズの両手を取って、久しぶりです、と身を起こしたC六号は嬉しそうにした。動いているからなのか、触れた頬も手もほんのり温かい。血が通っているかのようだ。

「ローズ、今日は休みですか」

「はい。Cさんは?」

 ワイシャツにネクタイとベストの定番衣装からして仕事中なのだろうが、C六号には休日はあるのだろうかというささやかな疑問も浮かぶ。

 半永久動力搭載のアンドロイド執事は、几帳面に応えた。

「ローズの帽子が飛んでしまったのが、窓から見えました。それで、ムッシュ・シェリフに、行っておいでと言われました」

「だから来てくれたんですか。ありがとう」

 間抜けなトコロを見られてしまった。照れながら礼を言うと、わたしはローズの役に立ちます、とC六号は妙な自信を主張した。

 それだけわたしが〝頼りない人間〟として認定されてるってことかしら……

 とほほ、とローズは握られたままの手に目を落とす。C六号は軽く曲げた己が腕にローズの片手を掛けさせると、機嫌良さそうに歩き出した。

 導かれるように足を動かし、ローズは帽子を押さえて、だいぶん上にある顔を見上げた。

「シェリフ様の所へ戻らないでいいんですか?」

「今、戻っています。わたしはローズと一緒に散歩をしたいです」

「お散歩好きなんですね、Cさん」

「好きです。ローズと一緒だから」

 何やら口も巧くなってきている。ローズが唇をすぼめると、C六号は歩きながらさり気なく腰元に手を添えてきた。やけに親しげだ。

 何のドラマの影響かしら。

 より人間らしい言動を学習する為、C六号はホームドラマを視聴している。低年齢向けドラマのようだったが、子供同士でこんな風に歩くシーンでもあったのか。

 黄色い綿毛のような花が咲き乱れた木陰に、マーニュ家御曹司と筆頭執事の姿があった。

 こちらに気づき、エドモンは軽く目を丸める。目を流してきたシェリフは眉を上げた。

「C、交代」

 シェリフが歩み寄り、素直にC六号はローズから離れ、エドモンの横へ行く。

 そうして代わりに、ローズはふわりとシェリフに腰を抱かれた。

 何かの実験中?

 C六号より低い位置にある顔は中性的だ。今年の初めに一つ歳を重ねて十九になったが、青年はまだまだ女装しても誤魔化し通せそうだった。

 互いに横目で視線を交わすと、シェリフはちょっと口の端を上げた。

「ローズ、君、セクハラのボーダーラインを厳しくした方がいいんじゃないかな」

 言葉の意味を理解するのに、二十秒ぐらい要した。

 相手を男性だと思っていなかったかもしれない。

 C六号はアンドロイドという認識だったし、シェリフのことは、しばらく女性と疑わずに接していた時の感覚が抜けていなかった。

 ローズは慌てて距離を置く。シェリフは名残惜しそうに、束の間、腰を抱いていた手をそのままの位置で宙にとどめていた。

「普通のドラマを観せたら、余計なシーンが混じっていたようだ。今後はカットすることにしよう」

 シェリフは己が腰の脇に片手をあて、アンドロイドを見る。「C、散歩程度で知り合いの女性にああも密着するのは不自然だ。ローズが寛容だったから事無きを得た。他のメイドには、やるなよ?」

 はい、と表情を消してC六号は応じる。ちゃんと理解してくれたのかは、ローズには判断できなかった。

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