結婚初日に愛さないと言われ三年後、全て破滅した話。
なーロッパのゆるゆるファンタジー
side:シルヴィー
シルヴィーは窓の外を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
ようやく、ようやくこの日が来たと。
貴族の結婚なんて政略なのだから仕方がないと思いつつ、このアルマニャック伯爵家に嫁に来た当日に「君を愛するつもりはない」と告げられたのは堪えた。
夫となったアベルには愛する相手がおり、その相手が平民であったため結ばれることは出来なかったという。だが、諦める予定だったその女性をアベルは諦めきれず、反対する父親を陥れて己が伯爵となり、庭に小さな家を建ててそこにその女性を住ませることにしたらしい。
結婚した初日に「俺はレジーナだけを愛している。父の決めた結婚相手である君を、愛するつもりは一切ない」とまで言われ、白い結婚を宣言されたのだ。
シルヴィーはその時に全てを諦め、3年後には白い結婚を理由に離婚しようと、行動に移した。
幸い伯爵領の仕事は全てアベルが引き受け、婦人がすべき仕事はアベルが信頼する家令が取り仕切ってくれた。シルヴィーは空いた時間で結納金を使い(アベルには好きに使って良いと言われたので)小さな事業をはじめ、それなりに発展させた。これを手土産に帰れば親も受け入れてくれるだろう。
夫が愛人を持つ事を許されるのは、妻に落ち度がある時だけだと言われている。なので、結婚したその日からのこの白い結婚は、夫有責にできるはず。
三年が過ぎた今、さっさと離婚してしまおうとシルヴィーは、家令からの案内を待っていた。
この三年、アベルと会ったのは数えるほどしかない。彼は仕事も愛人の住む家でしているし、本宅に全く顔を出さないのだ。そのくせ別宅に人が近づくと、ナワバリを侵された猫の様に嫌がるため、アベルにどうしても用事がある時は家令に予約を入れなくてはいけない。
本日もアベルに予約を入れていたのだが、家令が迎えにきたのは昼を回った頃だった。
「久しぶりだね、シルヴィー。何か話があると聞いたけれど?」
久々に見た夫は、相変わらず明るい笑みを浮かべていた。彼は兄が事故死するまでは家を継ぐ事はないからと、平民として傭兵をしていたらしく(レジーナ嬢とはその時に出会ったそうだ)、体格が良い。更にヘラヘラ笑わなければ、顔立ちも美丈夫だ。
だがこの男はシルヴィーに愛せないと言った時ですらこのヘラヘラをやめなかった生粋のヘラ男であったし、どうせ離婚するのだからどうでも良いかと、シルヴィーも気にしない事に決めた。
「白い結婚も3年が過ぎました。離縁をお願いいたします」
「え?離縁?良いの?」
アベルが不思議そうに首を傾げる。
「君との結婚で、オルレアン子爵君の家を支援していたけど、それがなくなるよ?」
「かまいません」
その為の起こした事業だ。
「そう?なら別に良いか」
特に執着もされず、彼は届けにサインをした。
「じゃ、元気で」
「ありがとうございました」
実にあっさりとした別れだった。
しかし、部屋に一旦戻ろうとしばし歩いたところで、シルヴィーは己の失態に気づいた。
指には、アルマニャック伯爵家から渡された結婚指輪(もちろん夫からもらった物ではない)をつけたままだったのだ。流石にコレを持ち出す気にはならない。
だからと言って部屋に放置するのも不用心だろう。よく教育されたメイド達であろうと、高価な品に心が動かされないとも限らないのだ。
シルヴィーは踵を返し、アベルの後を追った。
アベルは既に愛人のいる家に戻ってしまったようで、本宅にはいなかった。彼を呼ぶには再び家令に頼まなければならないが、すぐにでも出て行きたいシルヴィーとしては、それは時間がかかりすぎる。
別宅に近付き過ぎなければ良いのではと、別宅の方へ歩みを進めたシルヴィーは、後のその軽率さを悔やむことになる。
アベルに追いつけずに別宅に辿り着いてしまったシルヴィーは、その作りの異様さにまずは驚いた。
石造りの円形で、扉がポツンと一つだけ。窓はずいぶん高い所に…人の手の届かない高さの場所に、いくつか空いている。それも、光を取り込むと言うよりは、空気穴のようなそれ。
これでは、家と言うより、まるで、牢屋のような…。
そこまで考えて、シルヴィーはゾッとする。
噂の、アベルの愛しの平民レジーナは、本当にアベルと「暮らし」ているのか?
ふと美しい女性が鎖に繋がれ、塔の中で泣いている姿を思い浮かべて、シルヴィーはゆっくりと後ずさった。
「シルヴィー・オルレアン子爵令嬢」
そこへ、静かな声がかけられる。ハッと振り返ると、メイドの一人が無表情で立っていた。本宅で幾度か顔を合わせた事のある、明るく屈託のないメイドだった、筈だ。少なくともシルヴィーはそう思っていた。
「こんなところで、何をしておいでですか?」
「ろ、ロッテ。こ、これをアベル様に、返しに」
震える手で指輪を差し出すと、ロッテがそれを受け取る。
「そ、それでは、失礼するわ」
シルヴィーが駆け去るのを、ロッテが感情の見えない表情で見送った。
荷物をひっつかみ、用意されていた馬車を断ってアルマニャック家を飛び出して、辻馬車で帰ったオルレアン家は、なぜか更地になっていた。
「知らなかったのかい?オルレアン子爵家に数日前に強盗が入ったらしくてね。逃げ出せた者も居たみたいだけど、子爵家は全滅さ。殺されて、火をつけられたらしいよ」
去り際の御者の言葉に、シルヴィーは呆然とするしかなかった。
side:ロッテ
「シルヴィー様を処分せずに、よろしかったのですか?」
ロッテの言葉に、塔の中からアベルが姿を現した。
「別にいいよ。どうせ助からない」
そう答えたアベルは。普段の彼とは違い、ずいぶんと暗い目をしている。
無理もないとロッテは思った。彼は三年もの間、ずっと心が死んだまま生き続けてきたのだから。
ロッテは元々子爵令嬢だったが、レジーナの為にメイドとしてこの家に来た。家を捨てても、レジーナの為に何かをしたかったのだ。
ロッテとレジーナは友人だった。出会いはほんの幼い頃、やんちゃだったロッテが家を抜け出して誘拐されかかった時に、誘拐犯に飛び蹴りして助けてくれたのがレジーナだった。
当時は少年のような格好をしていたレジーナが、実はロッテの初恋の相手であることは、墓場まで持っていく秘密の予定だった。
レジーナは男勝りで髪もきっちり引っ詰めに結えており(本当は短くしたいが、流石に母親に泣かれたと言っていた)、困っている人を放っておけないお人好しで、悪い事をすれば大人の男にも突っかかって行く正義感の強い少女だった。
そんな彼女も大人になるごとに体に女性らしい凹凸が現れ始めた頃。彼女は髪型を少し変えた。ハーフアップと呼ばれる髪型で、降ろした髪はゆるやかウェーブを描いている。
驚くロッテに彼女は、恥ずかしそうに好きな人が出来たのだと告げた。
男は傭兵で、遠い国の紛争に参加していて最近この国に来たらしい。酔った貴族に絡まれていたレジーナを、手際よく助けてくれた笑顔の似合う色男。
傭兵はアベルと名乗り、しばらくはこの国に滞在するのだと言っていた。
二人が恋仲になるのにそう時間はかからなかった。街の者たちもアベルの人柄を知ると歓迎し、二人は公認の恋人になった。
結婚まで秒読みになったある時、アルマニャック家からアベルに使者が来た。彼の兄二人が事故で亡くなり、アベルがアルマニャック家の跡を継ぐ事になったと。
当然、二人の婚約は白紙になった。
二人は苦しんだけれど、先に諦めたのはアベルだった。家を継がないと突っぱねれば、何を仕出かすかわからない権力と傲慢さが、アルマニャック家にはあると、その家に生まれ育った彼は知っていたのだ。
二人だけで他国へ逃げることも出来たかもしれない。だが、それではこの街の人々がどんな目に遭うかわからない。
涙ながらの別れをした二人に、更なる悲劇が襲った。レジーナが誘拐されたのだ。
白昼堂々の誘拐は、それを狙っていたかのように、目撃した人も多い。隠しもしない貴族様の豪奢な馬車には、でかでかとアルマニャック家の紋章。話を聞いたロッテが慌ててアルマニャック家まで行くが、アベルも何も知らなかった。
そこからは早く、アベルは自家の人里離れたところにある、後ろ暗い事をするのに適していそうな別荘を突き止め、傭兵時代の愛馬でレジーナを助けに駆けた。
ロッテは別荘の場所だけ聞いて、もしもレジーナが怪我をしていた時のためにと医者をつれて馬車で向かったのだが。
それでも、遅かった。遅すぎた。害することが目的で、害する事に躊躇のない人間には、ほんの数刻で十分だったのだ。
ロッテが目にしたのは破られた門や扉と、踏み抜かれた地下への入り口。 饐えた匂いの広がる地下室では、己のマントに包んだレジーナの遺体を、ただ抱きしめているアベルの姿。
辺りに散る赤黒いシミと、白い粘液。それに塗れる引き裂かれたレジーナの服が、その惨劇の意味を教えてくれた。
わかっていた事ではあるが、レジーナの誘拐・惨殺は、アベルの父の主導で行われていた。彼は、平民など人として認識していない類の貴族で、アベルが傭兵時代の恋人の存在を知り、万が一にも腹に子供がいると面倒だと殺害を決めたのだ。
そして、アベルの過去の恋人を知らべて、アルマニャック家に告げたのがシルヴィーの父だった。
確かに嫁に行く娘の婚約者が元傭兵など心配だろう。その身辺調査をするのも致し方ない。そこに女の影があれば、文句の一つも言いたくはなるだろう。
だが、その結果がこれだった。
結婚するまではと純潔を守り、ただアベルを愛していた少女の人生は、非常で傲慢な権力と暴力によって引き裂かれた。
あの日からアベルは壊れた。だがそれはロッテも同じだ。
大切な人をあんな風に失って、正気でいられる筈もない。
復讐の鬼となったアベルが最初に復讐を行ったのは彼自身の父親。彼のさまざまな悪行の証拠を集め、孝行息子の顔で「父のために」と訴え出て彼を伯爵の地位から追い落とし、「心神喪失の為」と領地に送った。
領地には彼を閉じ込める地下牢を用意し、傭兵時代の拷問が得意な友人に依頼、死なぬように拷問を行なってもらったらしい。
大金を出して精神強化のアクセサリーを買って、父の気が触れないように、正気のまま苦しみ続けるようにしているのだと聞いている。
次は父に協力した執事、メイド、、レジーナの存在を調べ上げた情報屋、依頼を受けた冒険者諸々。全て一族郎党を苦しめて処分。
シルヴィーの実家オルレアン家も、じっくり時間をかけて三年弱、内部崩壊させ、最後は父母息子の殺し合いにまで発展させた。外聞が悪い為、公表では強盗に滅ぼされた事にしたようだが。
ちなみにオルレアン家に莫大な借金も背負わせていた為、実家に戻ったシルヴィーは借金取りに捕まれば奴隷落ちか、運が良ければ立ち上げた事業を取り上げられた上での娼館行きとなるだろう。
彼は、オルレアン家を潰し終わってからようやく父親にもとどめを刺して来たらしい。
「さて、と。ロッテ。悪いが最後の見届けを頼んでいいか?」
「大丈夫ですよ。元々そのつもりでしたし」
「離婚を言われなきゃ、あの女に任せるつもりだったんだけどなぁ」
言いながらアベルは、石造りの塔の扉を開ける。彼は一番憎い相手を、最後に殺すつもりなのだ。
ロッテは頭を下げて、アベルを送り出した。
やがて。 香って来た焦げ臭い匂いに顔を上げる。石造の塔の一番上の窓から、黒い煙が見えた。
彼が何より許せなかったのは、己の家に巻き込み彼女を守れなかった、自分自身だ。
人を恨まず、明るくて優しかったレジーナは、復讐なんて望んではいなかっただろう。だが、アベルには特別に甘かった彼女の事だ。復讐も自死も「仕方ないなぁ」で許してしまいそうだ。
風も雲もない青い空を分けるように、黒い煙が上がっていくのを、ロッテは眩しげに見上げていた。
side:アベル
入って右手に仕事用の机、左手にトイレや風呂などの水回りが見える。
見慣れた風景に気に求めず、アベルは真っ直ぐ奥に進むと階段を登り始めた。
しばらく階段を登ると、扉が現れる。アベルのみ開くことのできる契約の扉。それが階段に5つ。
階段を登り切り、最後の扉をひらけば、生活感のある空間がアベルを出迎えた。
けして豪華ではない、平民の使うような古びた、だがセンスの良い家具が並ぶ中、中央に使い古されたような飴色のベッドが置かれていた。
「レジーナ、お待たせ」
アベルは壁にあるスイッチを押すと、ベッドへと近づいて静かに腰をかける。そっと伸ばした指の先には、白骨化した遺体が横たえられていた。
「遅くなって、ごめんな」
優しい声で呼びかけ、頬をそっと撫でる。
コオッと階下から音が聞こえた。先ほど押したスイッチが、仕掛けの中に火を灯したのだ。
少しずつ熱が蔓延してくる。一気に燃やしてしまう気はない。ジワジワと長く苦しむように、この部屋には熱が少しづつ上がるように計算しておいた。
部屋にあるのはレジーナと二人、結婚したらこんな家具が欲しいねと笑い合っていた物だ。
くだらない自己満足。それでも、彼女を寝かせる場所は、彼女が望んだ優しい部屋であって欲しかった。
「レジーナ…」
肌がチリチリと痛みを訴え、息が苦しくなる。
アベルは幸せそうに微笑むと、髑髏に口づけを落としてそっとその隣に横たわった。
一番のホラーは、優しいと認識されているレジーナが、罪のない人間を大量に虐殺してもアベルの事を「仕方ないなぁ」で許すと思われているところ。
ロッテがやばいのか、レジーナがやばいのか。




