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夜空の下で

作者:


「人を殺す予定です……って言ったら、あなたはどうされます?」

「逃げる」


 とりあえず、そう答えた。夜道でランニングしている最中だった。夜はいつでも静かで心地よい。

 僕が仕事の関係でムシャクシャしているときに、夜道でランニングするのは、あまり珍しいことではない。今日はあの加齢臭がひどく臭う課長に、僕が書いた原稿を破り捨てられたのだ。そして僕はその鬱憤晴らしにランニングをすることにした。

 星が輝かない夜空の下は、街灯のおかげで意外と明るく、走る際には何の障害もなかった。強いて言えば、猛暑の昼時に比べてぜんぜん暑くなかったことが、予想外だったことだろうか。しかし、結局は走りながら涼風をからだに受けるのも心地がいいので、気にすべきことはない……はずだった。

 仮にも深夜に走っているにもかかわらず、女性の姿が見えたのだ。後姿しか確認できなかったが、金糸のような薄い金髪を後頭部で一つにまとめて、一目で高級と分かるダークスーツを着用し、クリーム色の革製のハンドバックを肩に下げている、そんな奇妙な格好の女だった。

 そして、僕がその女を一瞥しながら、横を通り過ぎようとした瞬間、女が僕の肩を勢い良く掴み、にこやかな微笑を浮かべて人を殺すと言ってきた。

 そして、冒頭のとおりに至る。


「そうですよね、それが普通の人間の判断です。本能とも言います」


 女が微笑みを崩さず、僕の肩を掴んだまま、そう告げる。


「はあ?」


 女の唐突な言葉に、僕は思わず間抜けな声を出してしまい、女の頭の前に、まず自分の耳を疑った。控えめなのが日本人の美徳であるとは、よくミステリー作家の父が言ったものだ。作家と自称はしていても、まったく売れないらしい。


「あ、信じていませんね、わたしの言葉」


 女が、夜風に艶やかな金髪を揺らして、悪戯っ子のように目を細めた。さっきから目を細めっぱなしだ。そしてやっと、僕の肩から手を離す。

 さきほどまでは暗くてよく見えなかったが、次第に夜目が利いてきて、女の端正な顔が映った。最初は金髪から欧米人だと思っていた。しかし、女の顔の造形は日本人のものであり、流麗な金髪は染髪によるものだと判断した。


「……あえて言うなら、信憑性がないからね。もうすこし狂的に宣告されれば驚いたかもしれないけど……あんたはけっこう普通そうじゃん? うーん、でも信用できない、って言うか、驚けない、って言うのが正しいかな」

「そうですか……まあ、わたしは理性を持ちながら殺人を犯す予定ですからね。突発的な快楽殺人を望んでいるわけではありません。もちろん、理性があるのですから、R指定の映画みたいな猟奇殺人もしません。相手を殺したら、警察に自主するつもりです」

「なら、なんで僕に宣告する必要があったの? 警察に通報するかもしれないのに」

「いえ、そんな言うほどの理由があるわけではありませんよ。ほら、悪いことをする前って、なんとなく人に自慢したくなるじゃないですか」

「ならない」

「それは冗談ですけど」

「冗談にもなっていないよ。とっとと自首すればいいよ」

「ふふふ、面白いことを仰いますね。普通の人だったら、たぶん青醒めて無言に徹しますよ」

「そうかなあ」

「そうですよお」


 女が語尾を伸ばして、うふふ、と噴き出した。今更ながら思ったけれど、この女はよく笑った。

 そしていつの間にかこの女と談笑し合って、仲良くなった。

 

「それで、本当に人を殺すのか?」


 いつまでも雑談してる場合じゃない、とそれを質問したら、女は表情を一瞬曇らせた。そして、また微笑みを浮かべた。女のハンドバックを持つ手が、きゅう、と強くなったのが、ハンドバックの肩掛けに皺が寄ったことで確認がとれた。


「……どうしましょうかね。あなたと話していると、なんだかわたしがとんでもない愚行を犯しているように思えてきました」

「うん、それが一番良いと思うよ、僕も」


 そこで女は寂しい笑顔をして、僕に言った。


「やっぱり、殺人はやめておきます」

「うん、それが良いと思う」

「……では、ちなみにお伺いしたいのですが、わたしが結局人を殺した場合、あなたはどうされましたか?」

「警察に通報していた」

「そうですよねえ、あなたなら」

「ま、これでいいだろ? もう遅いから、帰らせてもらう」

「ええ、そうですね。すこし長引きました。申し訳ありません」


 これで颯爽と踵を返して帰宅しようとおもったのだが、女はそんな僕の背中に語りかけるように、静かに呟いた。微笑は、外さない。


「あなたは女性から好かれる人ですよ」


 じゃあな、と手を振って、今度こそ帰路についた。あの女も、これから幸せに生きていくのだろう。

 夜の風に揺らされた僕の髪が目にあたり、少し痛んだ。目をこすりながら、今日出会った女との会話を反芻し、「くだらねえ」なんて思う。


 僕の掌についた課長の血液は、乾いてパリパリになっていた。

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