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アツシ  作者: 岡本圭地
8/10

⑧絶対絶命のアツシ



「うっ……うう……」


 気持ち悪い鈍痛の波が、絶え間なく押し寄せてくる。



 視界が曇る。耳が遠くなる。


 あぁ、呼吸が出来ない。



 まるで、夜の海で溺れている様な感覚だ。


 ヨダレを垂らし、悶絶するアツシを見下ろし、郁太は笑った。


「ハハッ、お前、弱いなぁ」





 ——お前、弱いなぁ……。





 聴き覚えのある、不愉快な声がした。


 アツシが見上げると、そこには岡野健作が立っていた。


 かつて、アツシを虐待し続けた父親である。



「本当に弱い奴だな。鍛えてやろうか?」


「健作さん、まだ篤史は小さいんですから無茶は……」


 幼いアツシを心配した、母親の孝子が制する。



 だが健作は、どけと孝子の頭をひっ叩いた。


 孝子はその勢いで、襖にもたれ掛かかった。


 襖は枠から外れた。



「母ちゃんを、殴らないで!」


 アツシが涙ぐみ、訴える。



「うるせえっ!」


 健作はアツシを怒鳴りつけると、腕を掴み乱暴に引っ張った。




「い、痛い、痛い……!」


「ちょっと触ったくらいで、ギャアギャア叫ぶな! 男だろ!」


 そして、居間に置かれた冷蔵庫の前にアツシを連れてくる。



「これ、持ち上げてろ」


「えっ?」



 それは健作がビールと枝豆を冷やすために買った、小型の冷蔵庫だ。


 小型とは言え、まだ小学二年生のアツシには重すぎる。



「ほら早く! お前の虚弱体質を治してやる!」


 嫌と言えば、もっと酷い仕打ちを受けるだろう。



 戸惑いながらも必死で持ち上げた。


 それから毎日、アツシは冷蔵庫を持ち上げさせられる事になる。


 手が痺れて落とすと、殴られ蹴られ庭に放り出された。


 アツシは、そんな地獄のような日々を、ずっと耐えて過ごしたのだ。





◇ ◇ ◇





 一方その頃、外に締め出されていた結衣は、困惑しながら家の周りをウロウロとしていた。


「どうしよう……」


 靴も履いておらず、靴下のままだ。


 窓から家の中を覗き込もうとしたが、カーテンで遮られていて、中の様子が伺えない。


 母親の美奈子も、まだ帰ってこない。


 結衣は、不安だけを募らせた。





 

「うう……」


 家の中では苦痛で、うめき声を出すアツシと、それを見下ろす郁太がいる。


 郁太には、考えがあった。



 もう二度と結衣に近づけないよう、ここで徹底的に痛めつけてやろうと。


 もし後で警察に暴力を受けたと言われても、大丈夫。



 家に押しかけてきたのは、こいつだ。


 不法侵入……いや、強盗だと言えば良い。


 郁太は勝ち誇ったような笑みで、アツシの頭を踏みつけた。




「公園でも言ったけど、俺は借金の取り立てやっていたからな、お前みたいな底辺の人間を、たくさん見てきたよ」


 さらに郁太は、容赦なく罵声を浴びせる。


「なあ、どうしてお前が、ずっと底辺にいるか分かるか? それは馬鹿だからだ。馬鹿だから頭を使わない肉体労働しか出来ず、安い賃金で、こき使われるんだ。なあ、間違っても奇跡なんか起きないぞ。いつか浮上出来ると思ったら、大間違いだぞ。身体中の血液を全て変えても、お前は変わらない。ドブネズミが空を飛べるわけねえだろ!」




 意識が混濁しているアツシには、郁太の声は殆ど届かなかった。


 ただ目の前の、埃臭い玄関マットに、顔を埋めるしかなかった。



「汚ねえな、ヨダレが垂れてるじゃねえか」


 郁太は容赦なく、さらに一撃を喰らわす。


 アツシの側頭部を、サッカーボールのように蹴り上げたのだ。



 バシッと、乾いた音がする。


「がっ……!」


 声にならない悲鳴が漏れた。



「そうやって、這いつくばってろ。底辺の人間らしくよ。ハハッ」


 あざ笑う郁太。



 アツシは、頭が割れたような激痛に、のたうち回った。


 口の中も切ったようで、嫌な苦味がした。


 やがて身体の力が抜け、死んだ様に仰向けになった。



 視線は天井を彷徨っている。


 ここで郁太は、ふと段ボールが気になった。



「そう言えば、お前ずっと持ってるな、その段ボール。公園にいた時からよ」


 郁太は、玄関の隅に置かれた段ボールに近づくと、しゃがみ込み上蓋を開く。



「ニャア、ニャア!」


 光が差し込むと、クロエは活発に鳴き出した。


「猫か? お前が飼ってんのか? ふうん……」


 郁太は、腐った果物を見るような、嫌な顔をした。



「実は俺、死ぬほど猫が嫌いなんだよなぁ」


 そう言うと、子猫の後ろ首を掴んで、リビングの窓へと向かう。



 アツシは身体を転がし、うつ伏せになった。


 顔を上げると、アツシの視線は郁太をとらえた。


「こんな猫、投げ捨ててやる」と、郁太の声が聞こえる。






 ……ドクン。






 その瞬間、アツシの鼓動が大きく跳ねた。


 窓を開けようとする、後ろ姿。


 それは昔、どこかで見た嫌な光景だった。


 仄暗いスローモーションの世界で、アツシは何かを叫んだ。



「……めろよ!」


 床に肘をつき、立ち上がろうとするアツシ。


 窓を開けようとした郁太が、ゆっくりと振り向いた。





つづく……


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