⑥ドアを開くと、そこにはアツシ
閑静な住宅街を、一台の赤い車が走る。
その車は、ある家の前で止まると、バックし車庫へと駐車した。
降りてきたのは、郁太と結衣。
白を基調とした、小綺麗な家の玄関ドアを開けると、キッチンの方からスリッパで駆ける音が近づいてくる。
郁太の妻である、美奈子だ。
「おかえりなさい、郁太さん」
郁太を丁重に出迎える、美奈子。
その表情は少し固く、明らかに郁太を怖がっていた。
対照的に、結衣には自然に話しかける。
「あら、結衣も一緒だったの? おかえり」
「ただいま……」
浮かない顔で答える結衣。
郁太は十代の頃、プロボクサーを目指していた。
だが試合中に目を怪我して、引退を余儀なくされた。
夢破れ、心が荒んだ彼は二十代半ばまで盗みや恐喝、借金取りなど、反社会的な仕事を生業としてきた。
前科もある。
出所後は知り合いの伝手を頼りに、パチンコ店で働く事になる。
今は店長だ。
妻の美奈子とは、三年前にそのパチンコ店で出会った。
彼女が、カウンタースタッフとして入社したのだ。
すでに離婚していた美奈子は、ほどなくして郁太と交際するようになる。
交際当時、郁太は優しかった。
しかし、結婚し同居するようになってからは、徐々に本性を現し、暴言暴力が増えていった。
そして今回の震災により、パチンコ店の臨時休業を余儀なくされると、その苛立ちから郁太は、娘の結衣にまで虐待を始めるのだった。
「おい美奈子、ビールが切れてるじゃないか!」
「ごめんなさい。すぐに買って来ますね」
夕食の支度をしていた美奈子は、エプロンを椅子にかける。
素早くカーディガンを羽織ると、財布を持って出掛けようとした。
そんな美奈子に、郁太から追加注文だ。
「あと駅前にあるコンビニで、唐揚げ買ってきてくれ。煙草もワンカートンな」
「あ、はい」
郁太の機嫌を損なわないよう、美奈子は急いで飛び出した。
免許を持っていない彼女は、自転車にまたがると、すぐに走り出す。
美奈子がいなくなると、郁太は煙草に火を付け、ソファに深々と座った。
しばらく一点を見つめながら、煙草の煙を燻らせる。
その様子を、三メートルほど離れた食卓の影から黙って見つめる結衣。
美奈子がいなくなった今、結衣への虐待を止める者はいない。
いや、美奈子がいても無理だろう。
数日前、美奈子は結衣の火傷を治療し、包帯を巻いている時に言った。
「しつけだから仕方がないのよ……」と。
その時から、結衣は自分を庇ってくれない母親に対して、不信感を抱く事になる。
「さてと……」
郁太は灰皿の底で煙草の火をもみ消すと、結衣を睨んだ。
結衣は、飛び上がりそうになるほど震えた。
「結衣、なんであんな奴と一緒にいたんだ? しかも俺の手を払いのけて、あいつのところへ逃げたな。そんなに俺の事が嫌いか?」
もう、どんな言い訳をしても怒られるだろう。
結衣は顔を引きつらせ、後ずさりを始めた。
郁太は立ち上がると、お湯を沸かそうとする。
また熱湯で痛めつける気だ。
「しょうがないよな、しつけだから……」
そう呟いた瞬間、結衣は慌てて逃げ出した。
だが、逃げる事を予期していた郁太の手が、素早く結衣を捕らえた。
「いやっ!」
「いやじゃない、お前のためだ。聞き分けのない人間になって欲しくないんだよ!」
結衣は身をよじらせ、郁太の手を振りほどくと、玄関へと走り出した。
チッと舌打ちをして、追いかける郁太。
ドタドタと、不穏な音が家中に響いた。
「待てっ!」
郁太が掴むより早く、結衣は玄関ドアを開けて飛び出した。
……ドスンッ!
何かに正面衝突した。
軽く跳ね飛ばされた後、顔を押さえて見上げる結衣。
そこに立っていたのは、なんとアツシだった。
「あっ! おじさん! 助けに来てくれたの?」
結衣の顔がほころぶ。
一方のアツシは、いきなり目の前のドアが開き、結衣が飛び出してきた事に驚いている。
「えっ、あ……」
アツシは、上手く返事が出来なかった。
そして、結衣の向こうにいる郁太と目が合った。
つづく




