⑤敗北感のアツシ
ポケットから、青いパッケージの煙草を取り出す郁太。
その一本を咥えると「キン」と小気味の良い金属音を発する。
高価そうなジッポライターの蓋を開ける音だ。
怖気付くアツシは、煙草に火を付ける郁太を、じっと見つめるしかなかった。
結衣もまた同じように黙ったまま、不安そうに見上げていた。
郁太が一つ二つと煙を吐く。
「……もしかして」
重い沈黙が続いた後、やっと郁太が口を開いた。
「あんた、避難所に住んでるの?」
煙草を持つ手を避難所の方へと向ける。
郁太は近くにあるコミュニティセンターが、避難所になっている事を知っていたのだ。
「だったら、なんだよ……」
萎縮したアツシの声は、すっかり小さくなっていた。
「ふうん……大変だなぁと思ってね。ふふっ」
こいつ! 人の不幸を鼻で笑いやがって!
だが郁太が怖くて、言い返す事が出来ない。
郁太は煙草を咥えながら、アツシの顔や服装をジロジロと見た。
そして何か納得したように二、三度頷く。
「でも、あんた被災する前からも、住居を転々としてたんじゃない?」
アツシは驚いた。
図星だったからだ。
「家賃が払えなかったり、借金取りから逃げ回ったりしてたんじゃないの?」
なぜだ?
なぜ、初めて会ったのに分かるんだ?
アツシは激しく動揺する。
今一度、郁太の顔を確認してみるが、やはり面識はない。
目を丸くさせるアツシの心境を見透かしように、郁太が答える。
「俺、ずっと闇金の債務者から借金の取り立てをしてたんだよ。長年やってるとな、分かるんだよな。そいつの顔、服装、雰囲気、喋り方で。なんて言うのかな、匂いがするんだよ」
アツシは自分の服を見た。
同時に匂いも嗅いでみた。
色褪せたヨレヨレのパーカーに、薄汚れたジーパン。
靴も履きつぶしている。
確かに、どう見ても金持ちには見えないだろうが……。
アツシはボソボソとに文句を言ってみた。
「……な、何だよ。別に家賃を払えなくて、あんたに迷惑かけたかよ……」
声が掠れているのが自分でも分かったが、それが精一杯の抵抗だった。
「やっぱりな。あんた、クズ臭がするんだよ。鏡を見たことあるか? 顔に底辺って書いてるぜ」
この野郎、どこまで人を馬鹿にすれば気がすむんだ!
憤慨したアツシは目の色を変え、拳を強く握りしめた。
だが、それでも郁太は微動だにしない。
「何、その拳? やんの? 俺に勝てると思ってんの?」
この男、自分の強さに絶対の自信を持っている。
きっと、沢山の修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
喧嘩らしい喧嘩を一度もした事がないアツシは、まず勝てる相手ではないと直感した。
握りしめた拳から、緩やかに力が抜ける。
そんなアツシの様子を見ながら、郁太は煙草の煙をまた一つ二つと吐く。
そして、不安そうに見上げる結衣を見た後、再び視線をアツシに戻した。
「……もういいよ。とりあえず結衣は連れて帰るからな。二度と結衣に話しかけるんじゃないぞ」
郁太は火のついたままの煙草を、アツシの足元に捨てると、結衣の手を掴んで連れて行く。
アツシは言い知れぬ敗北感を抱えながら、二人の背中を見送るしかなかった。
だが少し歩いたところで、急に結衣が足を止めた。
「どうした?」と郁太。
結衣は父親の手を強引に振り払うと、アツシの元へと走りだした。
「結衣! 戻ってきなさい!」
郁太の凄んだ声に、結衣は足を止めた。
アツシはどうしていいか分からず、オロオロと見つめるだけだった。
結衣は力なく、その場にしゃがみこむ。
すぐに立ち上がると、重い足取りで郁太の方へと歩み寄った。
郁太は戻ってきた結衣の背中を軽く押して、車へと向かわせた。
二人が車に乗ると、郁太は窓越しにアツシを見る。
不敵な笑みで、エンジンをかけた。
「なんだよ、あいつ。偉そうに……」
聴こえないよう、小声で呟くアツシ。
車が走り出すと、アツシの声は徐々に大きくなった。
「アホゥが! ボケが! クソが! 偉そうに煙草吸うな!」
車が見えなくなると、地面の砂を蹴り上げて大声で怒鳴る。
「ゾンビに噛まれて死ねっ! そしてゾンビになってもう一回死ねっ! ボケッ! カスッ! マヌケッ! △×◯×野郎!」
最後はペッと唾を吐き捨て、腕組みをする。
アツシの口から「ゾンビ」という言葉が飛び出したのは、ゾンビを倒すネットゲームばかりしていたからだ。
兎にも角にも、言ってやったぜ! という、したり顔で車の去った方向を見つめた。
「ん?」
ふとアツシは、何かが気になった。
さっき結衣がしゃがんでいた場所だ。
「なんだ、これ?」
結衣が地面に、文字らしきものを残していたのだ。
アツシは近づき、目を凝らした。
〈たすけて〉
つづく……




