④赤西郁太とアツシ
アツシはガムを吐き捨てると、仰向けになり空を見つめた。
春の空は、憎たらしいほど青く澄んで、穏やかだった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。
不愉快な気持ちも、幾ばくが落ち着いた頃、ふと視界の隅に何かが動いた。
結衣の姿だ。
だが、今日は様子がおかしい。
毎回、蝶のように軽快に近寄ってきては、すぐにクロエを確認するはずなのに。
どうした事だろう、足取りが重い。
心配になったアツシが声をかける。
「どうしたんだ? 今日は元気がないな」
「うん……」
アツシは、結衣の両手に巻かれた包帯に気づく。
「どうしたんだよ、それ? また火傷か?」
「……うん」
「なんでそんなに火傷するんだよ」
結衣は何かを言おうとして、やめた。
ただ困惑した大きな黒目で、アツシを見上げるだけだ。
「……おまえ、もしかして虐待されてるのか?」
「ぎゃくたい?」
「親から、いじめられる事だよ」
アツシの言葉に、結衣は目を伏せたまま固まった。
やがてコクンと頷いた。
やはりな、という顔でアツシが続けて問う。
「母親からか?」
結衣は顔を横にふる。
「じゃあ父親からか?」
しばし間をおいて、重い口を開いた。
「……新しいお父さんから」
「新しい? お前の母ちゃん再婚したのか?」
頷く結衣。
「そうか……」
女の子の境遇が、自分の子供の頃と同じだった。
アツシは強く拳を握った。
自分を虐待していた父親の事を思い出したからだ。
つい恨めしい声を出してしまう。
「子供を虐待する様な奴は……」
言いかけてやめた。
高級そうな赤い車が、公園の入り口に停まったからだ。
運転席の窓が開き、男がこちらを伺っている。
結衣は背中を向けているため、車の存在には気付いていない。
「おーい、結衣!」
車から男の声が飛んできた。
結衣は背中に氷を入れられたように、ビクッと身を強張らせた。
顔に恐怖の色が走っている。
結衣は、恐る恐る振り向いた。
結衣の顔を確認した男は、車から降りて公園内に入って来た。
誰だろう?
アツシは眉をひそめた。
黒いスーツを着た男。
歳は三十代半ばくらいか。
黒髪のオールバック、左手には高級そうな腕時計と結婚指輪が光る。
結衣は不安げに、瞬きを繰り返した。
男は、アツシと結衣を交互に見た後、結衣に話しかけた。
「結衣、こんなところで何をしているんだ? まだ余震も続いてるし、危ないぞ」
不安げな結衣の肩に手を置くと、男はアツシに顔を向ける。
「すいません、結衣の父親ですが。もう連れて帰りますね」
まさに噂をすれば何とやら。
結衣の父親が今、目の前に現れたのだ。
父親の名前は、赤西郁太。
仕事場からの帰宅途中、結衣らしき女の子を見つけ停車したのだった。
アツシは郁太を睨みつけた。
この男が結衣を虐待している父親か。
一つ唾を飲み込むと、意を決して話しかけた。
「その子、両手を火傷してるんだけど……」
アツシが結衣の包帯を指差して、郁太に問い詰める。
結衣が、チラリと父親の顔を見た。
郁太は眉ひとつ動かさず、少し考えた後、抑揚のない声で滑らかに喋りだした。
「最近、母親の料理を手伝っているんですよ。火を使った時に火傷したんです。もっと注意して見ていないといけないですね」
よくもまあ、スラスラと嘘が言えたものだ。
頭にきたアツシは、威圧的に郁太に詰め寄った。
その時、郁太の目がナイフのようにギラリと光る。
「……何? なんか文句あんの?」
郁太の口調が一変する。
低い声で語気を強めた。
アツシの心臓は、まるで握られたようにキュッと縮み上がった。
この男、昔は相当な悪だったのかもしれない。
よく見るとガッチリとした体格、芯の強そうな顔立ち、鋭い眼光。
はっきり言って強そうだ。
恐怖を覚えたアツシが一歩後退する。
お腹が痛くなったと言って、逃げ出そうか?
またもや、そんな考えが頭をよぎった。
しかし、それでは結衣はどうなる?
アツシは尿意を我慢するかのように、モゾモゾと身体を縮こませた。
そんな怯えたアツシを見て、郁太は薄っすらと笑みを浮かべた。
つづく……




