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アツシ  作者: 岡本圭地
2/5

②女の子とアツシ


 次の日の昼食は予定通り、豚汁だった。


 大勢の被災者達で賑わう大広間に、次々と豚汁の鍋が運び込まれる。



 アツシは、人を押しのけ掻き分け、鍋の置かれた長机の前へと躍り出る。


 期待に胸を膨らましていると、遂にスタッフが鍋の蓋を取った。



 熱々の湯気と、香ばしい香りが広がると、アツシは気絶しそうになった。


 今すぐにでも、鍋に飛びかかりたかった。



 そんなアツシの様子を見ていたスタッフの一人が苦笑いを浮かべ豚汁を入れた器を、一番にアツシへと差し出した。


 まるで神の子を授かった様に、震える両手で大事に受け取る。


 アツシは舌舐めずりを繰り返しながら、これでもかと、えげつないほど七味唐辛子をぶっかけた。



 そして堰を切ったように、ガツガツバリバリと貪りだす。


 口の中を幸せで満たそうと、箸が止まらないのだ。


 無意識のうちに、フガフガと唸り声を出していた。



 そんな餓鬼のようなアツシを、近くにいた二十代の女性は怯えた目で見つめていた。


 アツシは女性からの視線を感じると、隠れるように背中を向けるのだった。





 三十分ほどが経った。


 豚汁を八杯も食べて、苦しいほど満腹になったアツシは、気分転換に外に出る。


 向かった先は避難所の裏にある寂れた小さな公園だ。



 最近、昼食の後は必ずこの場所に来ている。


 それにしても、この公園は全く手入れがされていない。



 草木も伸び放題。


 すべり台も錆び付いていて、子供でも遊ぶのをためらうだろう。


 とくに動物のシーソーは劣化が激しく、顔部分がズタズタに剥がれ落ちている。



 もはや、不気味を通り越してホラーだ。


 まがまがしく邪気を放っている。



 奥の草むらも、これまた鬱蒼としていて、死体でも隠されていそうな雰囲気だ。


 だがアツシは、こういう場所の方が落ち着くのだ。


 草むらの中にある汚いベンチに寝転がると、牛のようなゲップをした。






 ……どれくらい経っただろうか。


 葉っぱの上にいるテントウ虫の交尾を、ぼんやりと見つめるアツシ。


 豚汁で汚れたアツシの頬を、春風が優しく撫でていく。



 その心地よさに瞼が重くなった。


 ついウトウトしていると、不意に声がした。



「ねえ、おじさん」


「……んん?」


 眠そうに片目だけ開けて、声の主を探す。


 そこには段ボールを抱えた小さな女の子がいた。



 いつの間にこんな近距離にいたのだろう。


 もしかすると少しの間、眠っていたのかもしれない。



「おじさん、この子、飼ってあげて」 


 唐突に喋り出す女の子。


 何を言っているのだろう? 



 そもそも、おじさんとは俺の事なのか?


 もうそんな歳になってしまったのか。


 ちくしょう。



 アツシは不機嫌な顔で半身を起こすと、女の子を訝しげな目で見下ろした。


 小学一、二年生くらいだろうか。


 抱えたダンボールは何だ?



「……何だよ、それ?」


「クロエちゃんだよ。家の近くで見つけたの。かわいそうに、段ボールに入れて捨てられてたんだよ」



 女の子が、そっと地面に段ボールを置く。


 上蓋を開くと真っ黒な子猫が、ニャアニャアと、か細い声で鳴きだした。



 この子猫を飼えという事か。


 勝手に名前まで付けて。


 アツシは心底、面倒くさそうに答えた。



「飼えるわけねえだろ。なんで俺に言うんだよ」


「おじさん、いつもこの公園にいるから……」



 震災により小学校は休校だが、塾はやっていた。


 女の子は塾の帰り道に、いつもこの公園のベンチで寝転がっているアツシを見かけていたのだ。



「なんだよそれ。俺が暇そうだからか? 言っとくけど俺は今、避難所にいるんだぞ」


「だめ?」



「だめだめ! お前、家は流されてないだろう? 親に言って飼ってもらえよ」


「……お父さん、猫嫌いだから絶対に怒るよ」



「じゃあ諦めて、その辺に捨てな」


「こんな小さな子猫じゃ生きていけないよう!」



「しつこいな! だいたい俺、金ないから餌を買ってあげられないぞ。はーい残念。チーン、終了、ベロベロバー」


 アツシは舌を出し、顔を左右に振った。


 小馬鹿にされた女の子は、不満げに口を尖らす。




 しばらくして、女の子は何かを思い出したような顔で、腰にぶら下げていたポケットポーチを開けた。


 中から取り出したものは、小さなピンク色の封筒。


 お年玉袋だ。



「これ、お正月にお母さんから貰ったお年玉。これでクロエちゃんのご飯を買ってあげて」


 アツシはボリボリと頭を掻いた。


 フケが飛び散った。



 面倒くせえな……。


 そんな事を思っていると、ふと名案が浮かんだ。




 そうだ、金だけ貰って子猫は捨てよう。


 もし後日、女の子に子猫の事を訊かれたら、どこかへ逃げてしまったと言えばいいだろう。



「分かった、分かった。しょうがねえな。子猫の面倒を見てやるよ」


 花が開いたように、女の子の顔がパッと明るくなった。


「本当? やったあ!」



 女の子は嬉しそうな顔で、お年玉袋を差し出した。


「はいはい、まいどあり」と受け取るアツシは、ある事に気付く。


 女の子の左手の甲に、痛々しい火傷の跡があるのだ。



「ん? どうしたんだ、その手」


 女の子は困った顔をした後、何でもないと首を横に振った。






 その時、午後四時を告げるチャイムが遠くから聴こえた。


 すると、女の子がソワソワとし出した。



「もう帰らないと……。じゃあね、クロエちゃん、おじさん」


 女の子が、手を振りながら去って行く。



 その姿が見えなくなると、アツシはニヤリと悪魔の笑みを浮かべ、お年玉袋を開けた。

 中には二千円が入っていた。


「何だよ、二千円ぽっちかよ。……まあいいか」



 少ないとはいえ、無一文のアツシにとっては大事な臨時収入だ。


 子猫が入った段ボールを草むらに放置すると、向かった先は駅前のコンビニだ。





 音痴な鼻歌を歌いながら歩くこと十分後、アツシはコンビニに到着する。


 店内に入ると、肉まん・焼き鳥・コロッケ・スナック菓子・発泡酒・エロ本と、欲望の赴くままに買い漁った。



 あっという間に、残金は四百円になってしまった。


 コンビニから出ると、さっそく熱々の肉まんに練り辛子を付け、かじりつく。



 ふわふわの生地と濃厚な豚ひき肉、そして辛子が舌の上で混ざり合い、うっとりするほど美味しい。


 無意識にアツシは、ウマウマと唸っていた。



 残りを口の中にねじ込むと、プシュッと発泡酒を開け、喉に流し込む。


 泡立つ黄金水が、五臓六腑に染み渡った。


「あうぅぅ……きくぜ!」


 久しぶりの発泡酒に全身が痺れた。



 思わぬご馳走に、意気揚々と帰っていると、か細い子猫の鳴き声が聞こえた。


 長く伸びた影の向こうに目をやると、元いた公園に戻っていた。



「……あ、さっき捨てた子猫か」


 アツシが近づくと、子猫は人の気配を感じたようだ。


 段ボールの中をカリカリと爪で引っ掻き、助けを求めるように大きな鳴き声を出した。




 その時だった。


 ——ん?


 あれ?


 なんか……。


 どこかで見たような……。


 アツシは、前にもこんな事があったような気がした。



 そう言えば子供の頃、同じように段ボールに入れられた子猫を拾った記憶がある……。


 丁度、こんな廃れた公園だった。


 無性に胸がざわめきだす。




 アツシは目を細めて、記憶を辿った。


 あれは小学校二年生の時だった。



 公園で三毛柄の子猫を拾って家に帰ると、母親の再婚相手である岡野健作が怒りだしたのだ。


「こんな汚いもの拾ってくるな!」と取り上げ、窓から子猫を投げ捨てたのだ。



 アツシはすぐに外へ出て子猫を探したが、もうその姿はなかった。


 次の日、その子猫は道端で死んでいた。






「ふわあ……」


 翌朝、起床したアツシが阿保な顔をして欠伸をする。


 お尻をボリボリ掻きながら、向かった先は一階の奥にある物置部屋だ。



 ドアを開けると、そこにはパイプ椅子が乱雑に積まれていた。


 その奥にある数枚のタオルの中から、黒い子猫が飛び出してくる。



「ニャア、ニャア、ニャア!」


「うるせえな。餌やるから静かにしろよ!」




 結局、アツシはクロエを引き取る事にした。


 残りの四百円で、子猫用のミルクとドライフードを買ってあげたのだ。



 クロエは小さな尻尾を立てて、カリカリと懸命に食べている。


 その後ろ姿を見つめるアツシは、かつて子供の頃に父親に捨てられた、あの子猫の姿と重ね合わせていた。





 ——クロエが物置部屋にいるのは、柳が快諾してくれたからだった。


「ペットも大切な家族ですからね」


 昨日の夕方、柳に子猫の話をすると彼はそう言ってくれた。



 もちろん、面倒見の良い彼の事だ。


 そう無下に断る事は無いだろうと踏んではいた。


 だがまさか、こうもあっさり了承してくれるとは正直驚いた。



 緊張していたアツシの顔がほころぶと、柳は付け加えた。


「ただ衛生面もあるので、猫ちゃんは別室に居てもらいますよ」



「あ、はい……」


「あと餌やトイレは谷森さんが用意して下さいね」


「それは、も、もちろん……」



 こうしてクロエを避難所に置いておく事が出来たのだ。






つづく……

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