⑩空を見上げるアツシ
結衣が、絶句する。
激しい音して、庭へ行くと、二人の男と冷蔵庫が倒れているのだ。
一人は顔が牛乳で、真っ白だ。
ぽかんと、口を開けて立ち尽くしていると、買い物から帰ってきた美奈子が近づいてくる。
異様な光景を目の当たりにして、引きつった顔で、身を震わせた美奈子。
「……何が、あったの?」
そう訊かれても、結衣には見当もつかない。
いつの間にか、隣の家の住民が、塀の上から顔を出していた。
通行人も、何だ何だと庭を覗き始めた。
人は人を呼ぶ。
すぐに、十人を超える人だかりが出来るのだった。
その後、警察や救急車が呼ばれた。
当初、強盗目的で侵入したアツシが、郁太と争ったとされた。
だが結衣や美奈子、近隣住民の証言や、その後の捜査により、郁太の虐待が判明する。
アツシは、その虐待を止めに入り、喧嘩になった。
それが事の真相となり、アツシが罪に問われる事はなかった。
◇ ◇ ◇
八日後、金曜日の朝だった。
避難所で生活するアツシが、目を覚ます。
「ふあぁぁ」
起床したアツシが大きく、欠伸をすると「いたたっ!」と脇腹を押さえた。
まだ身体に痛みが残っていた。
顔にも絆創膏が貼っている。
アツシは、沢山の被災者が生活する大広間を抜けて、トイレへ向かった。
途中にある物置部屋には、見向きもしない。
もうクロエがいないからだ。
鼻をほじりながら、トイレを出ると、柳がいた。
「谷森さん、おはようございます」
驚いたアツシは、鼻に突っ込んでいた指を、素早く背中に隠した。
「あ、どうも、おはおは、おはようございます……」
不自然な挨拶と、中途半端な会釈をするアツシ。
だが柳に気にした様子はなく、おもむろに何かを差し出してきた。
「これ、谷森さん宛ての手紙ですよ」
「えっ、俺に?」
それは、可愛いピンク色の封筒だった。
朝食を終えたアツシは、またいつもの寂れた公園へと向かった。
汚いベンチの上で横になると、渡された手紙を取り出す。
「誰からだ?」
封筒の文字は、綺麗な大人の字だった。
だが中に入っている手紙は、平仮名しかない、子供の字だ。
〈おじさん、たすけてくれてありがとう。きんようびのあさ、おかあさんと、ひっこしします。はじめて、ひこうきにのるよ。おとうさんはいません。クロエちゃんは、げんきです。おじさん、さようなら。がんばって、くらしてください。バイバイ。ゆいより〉
「何だよ、頑張れとかよ! 何で小学生に励まされなきゃいけないんだよ!」
アツシは、手紙を地面に叩きつけると、寝転がり腕を組んだ。
しばらくして、地面に落ちている手紙を見つめるアツシ。
結衣の事を、思い出していた。
「……まあ、いいか。虐待親父から離れる事が出来て、良かったな」
そう囁くと、アツシはヨイショと立ち上がった。
そして、落ちている手紙を拾い上げると、ポケットに押し込んだ。
ふと、尿意にかられた。
いつものように、草むらの奥で立ち小便を始める。
ジョボジョボ……。
「あーあ、牛丼が食いてえなぁ」
そう呟いて、空を見上げた。
春の空は、清々しいほど青く澄んで穏やかだった。
ふと、遠くに飛行機雲が見えた。
おわり




