①避難所のアツシ
ジョボジョボ……。
谷森アツシが、道端で立ち小便をしていると、地面が揺れた。
思わず、ため息をつくアツシ。
「また余震かよ……しつけぇな、ボケが! クソが! アホゥが! 死ねっ!」
三日前、大地震が起きた。
後に発生した津波は、海沿いの家々を容赦なく飲み込んでしまった。
アツシの住む古いアパートもだ。
やがて地元のコミュニティセンターが、避難所になったと言う情報を聞いたアツシは、そこでの生活を余儀なくされた。
……ちくしょう。
……いつもこうだ。
……必ずこうなる。
借金取りから逃れて、やっと安住の地を手に入れたと思ったら、すぐにこれだ。
なんなんだ俺の人生は。
糞だ糞、まさしく糞だ。
糞以外の何物でもない。
立ち小便を終えたアツシは、ブツブツと恨み言を漏らした。
やがて、怒りが抑えられなくなったアツシは、大声で叫んだ。
「死ねっ! みんな死ねっ! 今すぐ死ねっ! ボケが!」
◆◆ アツシ ◆◆ 作者/岡本圭地
——震災から二週間後。
アツシは、それなりに避難所での生活に慣れ始めていた。
一階の大広間、コンサート用のホールでは、今日も沢山の被災者達が肩を寄せ合っている。
各家族ごとに段ボールでの仕切りを設けているが、プライバシーは皆無に等しい。
座っていても隣が丸見えだ。
それに加え、夜は寒すぎる。
余震も一日に何度もあった。
何もない時も、揺れているような感覚が身体を襲い、不安になる被災者も多かった。
ストレスの溜まる大変な暮らしではあるが、それでも沢山ある避難所の中では比較的、過ごしやすい方だろう。
特に、多くの物資が届いた事は、ありがたかった。
毛布も沢山配られた。
食事も、栄養価の高い物が振舞われた。
被災者達も、この生活が日常になっていた。
ところで、この避難所を取り仕切るリーダーは、五十代の柳勝之という男性。
彼は明るい性格で仕事熱心。
周りからの人望も厚かった。
そんな柳は夜になると被災者達を集め、二階のカルチャールームでイベントを開催していた。
それは柳がトークネタを披露する場みたいなもので、その話のほとんどは、自分の父親の失敗談をネタにしたものだった。
いつものように「俺のオヤジは凄い人だったんだ……」から始まる。
犬を山に捨てに行ったら、犬は家に戻ってきたのに自分は迷子になり野宿した話。
肥溜めに五百円玉を落としてしまい、網を持ってきて、すくおうとしたら自分も落ちて溺れた話。
働いていた工場が火事になり、命からがら逃げ出したところ、駆けつけた消防車に轢かれた話……などなど。
柳の父親ネタは、どれもが面白おかしくて被災者達は大笑いした。
そして最後は、頃合いを見計らって妻の柳良子が部屋に入ってくる。
「柳家の恥を広めないで!」と、夫の耳を引っ張っていき終了となる。
まるで夫婦漫才だ。
毎晩が大盛況に終わった。
これは柳夫妻が、震災によって落ち込んだ人達を笑わせ、元気づけるために考案したイベントだ。
そんな柳夫妻がリーダーとして運営するこの避難所には、前向きで明るい雰囲気が広がっていた。
ただ、残念な事に、そんなポジティブなものに全く無関心の人間が一名いた。
もちろんアツシである。
アツシは、他人と暮らす避難所の生活に苛立ち、ストレスを溜め込んでいた。
「アホらし……なんで避難所でバカ笑いして、盛り上がってんだよ!」
アツシは今夜も始まった賑やかなカルチャールームの扉に向かって、中指を立てると、お尻を向けオナラを一発かます。
そして「アホゥが、アホゥが、まごう事なきスーパーミラクルアホゥ共が……」などと訳の分からない事をブツブツ呟きながら、図書室へと移動した。
図書室に入ったアツシは、まず人がいないかを入念に調べる。
誰もいない事が確認できると、不気味に目を光らせた。
おもむろに、本棚から一冊の推理小説を手に取った。
なぜか後ろのページから読み出し、犯人が誰か分かると最初の登場人物紹介のページを開く。
あろう事か、ボールペンで犯人の名前に丸を付け〈犯人〉と記す。
ニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、本を棚に戻した。
さらに壁に貼ってあるポスターにも、子供のような下品な落書きをする。
すぐにはバレないよう、小さく。
そんな悪戯を繰り返す事で、ストレスを発散しているのだ。
さて、図書室から満足げに出てきたアツシだったが、次の瞬間、目を剥いてギョッとした。
今日のトークネタが終わった柳夫妻が、こちらへと歩いて来るのだ。
アツシの存在に気づいた柳勝之が、気さくに声をかける。
「あ、谷森さん、どうしたんですか? こんな所で」
悪事を働いた負い目から、アツシはうろたえ、しどろもどろに答えた。
「え、いや、あの、図書室で本……本、本、本を読んでおりまして……」
「おお、読書ですか」
そう言うと柳は顎を突き出し、得意げな顔をする。
「実はですね、私、こう見えても文学にはちょっとうるさい方でして。昔、けっこう面白い小説も書いていたんですよ」
すかさず隣の良子が夫に釘をさす。
「なに言ってるの。小説の新人賞に二十回も応募して、かすりもしなかったじゃない」
柳は渋い表情で肩をすくめる。
「いやいや、あれは審査する人に見る目がなかったんだよ」
「見る目があるから落としたのよ。きっと最初の数行を見て、これはダメ、と思ってゴミ箱に捨てたのよ」
「いやいやいや、酷いねぇ。谷森さん、どう思います?」
まるで夫婦漫才がまだ続いているようだった。
アツシは何と答えて良いか分からず、不器用に笑ってごまかした。
この場から離れたそうにモジモジするアツシを見て、良子が気を使う。
「あら、もう九時半ね。谷森さんもそろそろ寝ます?」
アツシは、もうそんな時間か、といったわざとらしい顔をした。
「あ、じゃあ、そろそろ寝ます」
「そうですか。じゃあ、おやすみなさい」
柳がそう言うと、アツシはペコペコと頭を下げ、逃げるように一階へと駆け降りた。
人と接するのが苦手なアツシ。
それが避難所のリーダー、柳となれば気を使って、なおさらだ。
しかし、いくら苦手だろうと、家がないアツシが出て行く訳にはいかない。
それに何と言っても、明日は特別な日だ。
昼食に豚汁が出る予定なのだ。
大好物の豚汁を目前にして出て行くなど、愚の骨頂、大馬鹿野郎の極みだ。
アツシは必ず四杯は食ってやる! と、鼻息を荒くし意気込んだ。
つづく……




