エピソード65:星降る麓
ドワーフの国へと続く険しい道中。
一行は霊峰ウインウィッシュの麓で、束の間の休息を取ることにします。
仲間と離れ、少し広くなったキャンプ地。
凍てつく夜の静寂と、星降る空の下でのひとときをお楽しみください。
標高が上がるにつれ、大気が鋭く尖り始めた。
「……なんか、急に冷え込んできたな」
タウルスのハンドルを握りながら、俺は思わず肩をすくめる。
ドワーフの国リファインロックへ至るには、霊峰ウインウィッシュの麓を越えなければならない。そこは年中雪に閉ざされた極寒の地だ。
「この先は本格的な雪山になるよ。今夜は麓の入り口で休んで、明日の朝から一気に登ろう」
アルテオの提案に、異論はなかった。
タウルスを停め、外に出ると刺すような寒気が容赦なく肌を焼いた。
カインの馬鹿笑いも、ルルーナの賑やかな声もしないキャンプ地は、どこか広く、心細いほどに静まり返っている。
だが、こんな夜こそ焚き火の出番だ。
俺たちは無言のまま、手慣れた動作で準備に取り掛かった。
まずは炉床を整える。
凍てついた土を避け、石を円状に並べて石囲いを作る。これは風除けだけでなく、石に熱を蓄えさせて足元を温めるための知恵だ。
「ナバール、火種は任せたよ」
「ああ、わかってる」
指先の感覚が、寒さでじわりと麻痺していく。
本当なら魔法で一瞬だが、こういう夜は自分の手で火を「飼い慣らして」いきたくなる。
ナイフを使い、乾燥した薪を薄く薄く削って、鳥の羽のようなフェザースティックを作る。
そこに小さな火種を落とし、肺の奥の空気を優しく送り込む。
生まれたばかりの頼りない光が、指先ほどの枝を、そして太い薪を食んでいく。
パチッ、と乾いた音が夜の静寂を切り裂いた。
上昇気流に乗って炎が勢いを増し、オレンジ色の光が周囲を塗り替えていく。
自分たちを囲む数尺の範囲だけが、厳しい冬の夜から切り離された「聖域」へと変わる。この瞬間が、俺はたまらなく好きだ。
「さて、今夜は獣王国で教わった鍋にしましょう」
クロードが取り出したのは、エルフの国で釣り上げた大型トラウトの切り身だった。
アルテオの地獄ドリンクでボロボロになった俺の胃袋が、その見た目だけで歓喜の声を上げる。
大きな鍋に、たっぷりの根菜とキノコ、そして油揚げに似た食材が放り込まれた。
味付けは、コクのある味噌ベースだ。
焚き火の強火にかけられた鍋が、ぐらぐらと煮え立つ。
白濁した汁の中で具材が踊り、濃厚な出汁の香りが冬の空気に溶け込んで、鼻腔を狂おしくくすぐった。
「……たまらん」
熱々の汁を啜る。
魚の脂が溶け出した味噌の旨味が、凍えた喉を通り、五臓六腑を内側からとろけさせていく。
ハフハフと白い息を吐きながら、締めには太い麺を投入した。
汁を限界まで吸い込んだ麺を噛み締めると、小麦の甘みと出汁の豊潤な香りが口いっぱいに弾け飛ぶ。
「地獄の味が上書きされていく……生きててよかった……」
「ナバール、失礼だなぁ。僕のドリンクも栄養学的には完璧なんだよ?」
アルテオが呆れたように笑うが、彼もまた鍋の熱気に顔を赤らめながら、美味そうに箸を動かしていた。
食後、深い静寂が訪れた。
見上げる空は、まるで銀粉をぶちまけたかのように星々が瞬いている。
あまりの美しさに、自分が地上にいることさえ忘れそうになる。
吐き出す息が白ければ白いほど、目の前の小さな炎のありがたみが骨身に染みた。
「……あいつら、今頃どうしてるかな」
俺は火箸代わりの枝で火をいじりながら、独り言のように呟いた。
揺らめく光が、隣に座るオーウェンの横顔を照らし出す。
「……カイン殿なら、今頃エルフの国で腕を磨いているでしょう。ルルーナ殿も、きっとさらに強くなって戻ってきます」
オーウェンは手首の守り結びにそっと触れ、静かに火を見つめた。
遠くで魔物の遠吠えが聞こえた気がしたが、爆ぜる火花を見つめていると、不思議と恐怖は消えていった。
この温もりの先に、俺たちの戦いがある。
俺たちは名残惜しそうに火を始末すると、明日の雪山越えに向けて、タウロスの柔らかなベッドへと潜り込んだ。
皆が寝静まったころ。
星、きれい。
そんな呟きが聞こえたような気がしたが、夢か現か判然としない。
誰の声ともつかぬ柔らかなその響きは、静かな星空の下へと溶けて消えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
地獄の味を上書きする、最高のご褒美鍋回でした。
厳しい旅の合間に見せる、焚き火を囲んだ静かな語らい。
離れた仲間のことを想うナバールたちの絆が、冬の星空の下でより深く刻まれた気がします。
身体を温めた一行は、いよいよ明日、本格的な雪山越えに挑みます。
ドワーフの国まであと少し。
次回の更新も楽しみにお待ちください!




