エピソード62:いつか、あの桜の下で
エルフの里での別れの夜、一人の武人が動きます。
戦いの中に身を置いてきたオーウェンが直面した、自分でも正体のつかめない感情。
不器用な男の誠実な物語です。
キャンプの夜、焚き火の爆ぜる音が、今の私の心臓の鼓動のように聞こえる。
明日には、私たちは別の道を行くことになる。
ナバール様たちとはドワーフの国へ。ルルーナ殿とカインは、このエルフの里へ。
ルルーナ殿を守りたい。
いや、本当はもっと単純に、ただ側にいたいだけなのかもしれない。
幼い頃から武術の研鑽に明け暮れ、戦場を居場所としてきた私にとって、この「胸の奥が騒がしい感覚」の正体がどうしても分からなかった。
「……何を難しい顔をしているんだい、オーウェン」
不意に背後から声をかけられ、肩が跳ねた。
サイリーン皇子が、月明かりの下でイタズラっぽく笑っている。
「皇子。……いえ、これからのことを考えていただけで」
「ふーん。ルルーナ殿と離れるのが寂しい、とは口が裂けても言わないんだね」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
そんな私の様子を見て、皇子はさらにニヤニヤと笑みを深めた。
「いいかい、オーウェン。獣王国の都にある『千本桜』は知っているだろう? あそこはデートスポットとしても有名なんだ。次に会ったとき、彼女を誘ってみたらどうだい?」
「デート……。さ、誘うとは、どう言えばよいのですか」
「簡単だよ。『一緒にあの桜を見たい』。そう伝えれば十分さ」
サイリーン皇子の言葉を、私は愚直なまでにそのまま胸に刻んだ。
だが、ただ言葉を贈るだけでは足りない気がした。
何か、彼女を守るための形あるものが欲しい。
私は、静かにお茶を淹れていたダインに相談を持ちかけた。
「贈り物、ですか。エルフの国では、大切な人へ『霊樹』の枝で作った品を贈る習慣がありますよ。木の命を分かち合う、という意味を込めてね」
ダインはそう言って、里に住む高名な職人を紹介してくれた。
翌朝。出発までの僅かな時間を使って、私は職人の工房を訪ねた。
「売り物ではなく、自分の手で作らせてほしい」
私の願いに、職人は最初、渋い顔をした。伝統ある霊樹細工を素人が触るなど言語道断、といった風だ。
だが、私が何度も頭を下げ、不器用ながらも必死に想いを伝えると、職人は溜息をついて「手伝うだけだぞ」と作業台を空けてくれた。
作るのは、ルルーナ殿の腕に似合う小ぶりな腕輪。
霊樹の木肌は驚くほど硬く、彫刻刀を持つ手が震える。
武術に生きる私の指先は、細かな細工をするにはあまりに無骨すぎた。
何度も削り損じ、職人に叱られながらも、私は一心不乱に木を削り続けた。
そこへ、様子を見に来たダインが一つ、透明な石を差し出した。
「守護石です。これを腕輪にはめ込むといい。オーウェン殿のオーラを込めておけば、もし彼女がピンチに陥ったとき、あなたの力が彼女を助ける盾になるでしょう」
「私のオーラを……」
私は頷き、職人の手を借りて腕輪の中心に石を据えた。
そして、自分の持つすべてのオーラを、その石へと流し込む。
守護石は私の魔力を欲するように吸い込み、やがて内側から黄色がかった温かな光を放ち始めた。
透明だった石が、まるで私の意志そのもののような、琥珀色の宝石へと変わる。
腕輪が、完成した。
その日の夜。出発を目前に控え、私はルルーナ殿を呼び出した。
二人きりになると、昼間あれほど必死に考えていた言葉がすべて霧散していく。
「……ルルーナ殿」
「どうしたんだにゃ、オーウェン様」
私は震える手で、出来上がったばかりの腕輪を差し出した。
「これを。……不器用な私が作ったものだから、あまり見栄えは良くないけれど」
ルルーナ殿が、驚いたように腕輪を受け取る。
「これ、オーウェン様が作ったのかにゃ? ……すごい、温かいにゃ」
「私は、自分の今の気持ちが、どういうものなのか正直よく分からない。でも、これからもずっと、君の側にいたいと思っているんだ。……だから、修行が終わったら」
私は、サイリーン皇子に教わった言葉をそのまま口にした。
「獣王国の桜を、一緒に見たい。……いいだろうか」
その瞬間、ルルーナ殿の顔が真っ赤に染まった。
彼女は耳をピクピクと動かし、視線を泳がせている。
「……っ。それ、どういう意味で言ってるのかにゃ!?」
「あそこは美しい場所だと聞いたから。美しいものを、君と共に見たいと思ったのだが……」
私は知らない。
獣王国において「一緒に桜を見たい」という言葉が、一生を添い遂げることを誓う、最大級のプロポーズであることを。
そして、サイリーン皇子がそれを知っていて、面白がって私に吹き込んだということも。
ルルーナ殿は腕輪を強く握りしめ、俯いたまま小さな声で言った。
「……今は、自分の修行で精一杯にゃ。だから、少しだけ時間が欲しいにゃ」
私はその返事を聞いて、「やはりそうだよな」と納得した。
「ああ、もちろん。(今は桜のシーズンでもないし、旅も一区切りしなければ難しいだろう)……いつまでも待っているよ」
私は、あくまで「観光の誘い」として答えた。
ルルーナ殿は「プロポーズの保留」として答えた。
そんな微妙な、けれど幸せなすれ違いを抱えたまま、私たちは互いの健闘を祈って手を振った。
いつか、本当にあの桜の下へ行ける日が来ることを願いながら。
エピソード62をお読みいただきありがとうございます!
オーウェンとルルーナ。
本人は至って真面目な観光の誘いのつもり。
けれど受け取った側にとっては、それは一生を左右するような重い言葉。
そんな二人のもどかしくも温かい距離感を描きました。
「コンプレックスは最強の個性!?」
自分の中にだけある見えない想いや、不器用さゆえのすれ違い。
そんな「目に見えない内面」を、これからも大切に綴っていければと思います。




