エピソード56:枯れ木の願い
ナバール、オーウェンたちが次々と敵を圧倒していく中、
一人苦戦を強いられるカイン。
果たして、この窮地を脱する術はあるのか――。
第56話:枯れ木の願い
戦場に立ち込める鉄と魔力の匂いが、俺の鼻腔を突き刺す。
元獣王国遊撃隊隊長。その肩書きを背負って戦場に出る時、俺の胸には常に傲慢なまでの自信があった。
獣人族特有の強靭なバネ、反射神経。それに加えて、ここ数日で叩き込まれた戦術。攻撃力だけで言えば、あのナバール様やオーウェン殿を凌ぐ場面だってある――そう本気で信じていたんだ。
だが、現実は残酷だった。
目の前に立つ魔族の男は、俺がこれまで相手にしてきたどんな獣や兵士とも違っていた。
「あらあらぁ、そんなに力んでどうしたのかしら? 肩の力を抜かないと、せっかくの自慢の筋肉が泣いちゃうわよぉ?」
魔族の男は、腰をくねらせ、ねっとりとした言葉で俺をあざ笑う。その指先が空を舞うたび、俺の視界に薄気味悪い魔力の残光が散る。
きにいらねぇ。その喋り方も、俺を子供扱いするような薄ら笑いも、すべてが反吐が出るほどに。
「……黙れッ!」
俺は大剣を正眼に構え、一気に踏み込んだ。獣人の脚力が大地を爆ぜさせ、硬い土を粉々に砕く。
最短距離。最速の一撃。大剣が男の脳天を割る――はずだった。
「遅いわぁ」
男は紙一重で、本当に数ミリという単位で俺の刃をかわした。空振りした大剣の重みが、俺の腕に嫌な衝撃を返す。
読まれている。それも、俺の筋肉の動き一つ、瞳の動き一つから、次の行動を完全に予測されているような感覚だ。
「フェイントも、スピードも、全部お見通しなの。だってあなた、あまりにも『本能』のままに動きすぎなんですものぉ」
男が指をパチンと鳴らすと、周囲の空気が凍り付いたような圧迫感を生んだ。
くそっ、あたらねぇ……!
「……オーラでスピードを全開にッ!!」
俺は全身の魔力を強引に四肢へと叩き込んだ。身体を包むオーラが激しく明滅し、限界を超えた加速を見せる。
だが、それでも――男はその場から一歩も動かずに、余裕の仕草ですべてを回避していく。
「なんか期待外れねぇ。獣人族でかなり強いって聞いてたんだけど、お話にならないわ。所詮は迷い込んだ『子猫ちゃん』ね」
子猫。その言葉が、俺の心に深く突き刺さった。
強さを認められたことが嬉しくて、俺は有頂天になっていたんだ。
だが、現実はどうだ。目で追えているはずの男の刺突が、なぜか避けられない。
シュッ、と冷たい感覚が走る。頬、肩、太もも。確実に肉を削られていく。
「……あがっ……!?」
ドカッ! と重い蹴りが腹部を捉えた。
俺の身体は無様に地面を転がり、エルフの里を囲む巨大な古木――エルダートレントの根元に叩きつけられた。
「こんな……はずじゃねぇのに……っ」
背中に感じる、ゴツゴツとした樹皮の感触。視界の端、遠くでは仲間たちが着実に敵を討っている。
……俺だけだ。無能なのは、俺だけか。
バキッ!! 男の足が、俺の腕を踏みつける。激痛が脳を焼く。
「あらあら、戦意喪失かしらぁ? そろそろ、消えてもらおうかしら。一刀両断よぉ……バイバイ、可愛い子猫ちゃん」
男が闇を纏った刃を天に掲げる。
逃げ場はない。男の刃が、黒い光の尾を引きながら俺の喉元へ振り下ろされた――。
――その時だ。
「……ギギ……ギィィィッ!!」
地鳴りのような軋み音が響き、俺の背後にあった巨大な幹が、意思を持つ腕のようにしなって俺を包み込むように「前」へとせり出してきた。
ザンッッ!!
激しい切断音。俺を覆うように割り込んだエルダートレントの太い幹に、魔族の刃が深く突き立てられていた。
「な、何よ……このボロ木! 枯れ木が勝手に動いてんじゃないわよぉ!」
男が刃を引き抜く。その傷口から黄金色の樹液が溢れ出し、しずくとなって俺の頬を濡らした。
「……熱っ……?」
その瞬間、頬に触れた黄金の輝きを通じて、濁流のような「記憶」が俺の中に流れ込んできた。
何千年も前からこの場所で、エルフたちをこの里を見守り続けてきた大樹の記憶。数えきれないほどの命を慈しんできた時間の重なり。
そして、それと同時に感じてしまった。
俺に流れ込んできたその強大な命の灯火が、今、ふっと小さくなり、消えようとしているのを。
ドクン、ドクン……と刻まれていた古木の鼓動が、みるみるうちに弱まっていく。
その儚さに、胸が締め付けられた。
「……っ、ふざけんなよ! なんでだよ!!」
俺は動かない身体を奮い立たせ、目の前の幹を叩いた。
「俺、エルフの里の人間じゃねぇよ! おじいちゃんがエルフだって知ったのもつい数日前だ! 実感なんてねぇし、よそ者なんだよ!!」
喉が張り裂けるほどに叫んだ。
「なんでだよ! 逝くなよ! 俺なんかのために……っ!」
『……我が子を……守れて……よかった……』
脳内に直接響いたのは、穏やかな声だった。
よそ者じゃない。子だ。大樹にとって、俺の中に流れるわずかな血は、守るべき大切な命の証。
『大丈夫……君には……精霊の加護が、付いているから……』
俺を包んでいた枝が力なく解けていく。
エルダートレントの葉が黄金の輝きを放ちながら一斉に散り落ち、その巨躯は満足げに、静かに枯れ果てて沈黙した。
「……っ……あああああ!!!」
俺の中の血が、猛烈に熱くなった。
召喚術なんて知らない。おじいちゃんから教わったこともない。
だが、本能が何をすべきか指し示していた。命を託された「子」として、成すべきことを。
「――深淵より出でよ、西方の白き咆哮! 汝、我が怒りに応え、万象を砕け!!」
空を裂いて現れたのは、金剛の牙を持つ伝説の神獣――白虎。
「召喚術だとぉ!? このガキ、獣人だろ……っ!」
「――白虎、力を貸せッ!!」
叫んだ瞬間、白虎が俺自身へと溶け込んでいく。
瞳には翡翠の光と野性の鋭さが宿り、全身から白銀の雷光が噴き出した。憑依召喚。理屈じゃねぇ、魂が選んだ形態だ。
「っ!? 消えた――」
「遅ぇよ、薄気味悪い野郎がぁぁ!!」
一歩、大地を蹴った。
先ほどまで俺を『子猫』と呼んでいた男の反応を遥かに置き去りにする超加速。
金剛と化した大剣が、魔族の男の顔面を水平に叩き割る。
「ぐっ……がああああかっ!!」
続けて、白虎の爪を模した連撃が、男の全身に嵐のように降り注ぐ。
もはや魔族の男は、ただのサンドバッグだった。
「ひ、ひぃぃ……やめて……! 助けて、ママぁぁっ!!」
「ママは来ねぇよ! お前が散々バカにした、『子猫』の一撃で逝かせてやる!!」
全身から白銀の魔力が噴き出し、大剣を上段に構えた。
里を守る者たちの想い、そしてエルダートレントの慈愛が、刃に宿った。
「――白虎咆哮斬ッ!!」
振り下ろされた一撃は、大地を深く切り裂きながら、魔族の男を絶叫ごと、魂の底から粉砕した。
……静寂が戻る。
白虎の力が解除され、俺はその場に膝をついた。
激しい疲労の中、枯れ木となったエルダートレントの根元に、そっと手を置く。
「……ありがとな、じいさん。まだ困ってる奴らがたくさんいるからさ。……俺、じいさんの代わりに守りに行ってくるよ」
おじいちゃんがエルフだって知った時は、正直どうでもいいと思ってた。
でも、今は違う。この里の温かさを、俺は守りたい。
「……さてと。ナバール様たちに置いていかれないように、さっさと追いかけねぇとな」
俺は泥を拭い、大剣を担ぎ直す。
その背中には、もう迷いはなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
強い仲間たちと比較して足掻いていたカイン。
彼がこの地で何を見つけ、自らのルーツをどう受け入れたのか。
その決意の証が、今回放たれた一撃に込められていました。
「コンプレックスは最強の個性」
その言葉の意味が、カインの中でも一つ形になったエピソードとなりました。
激化する戦場。
次なる展開も、ぜひお楽しみに!




