エピソード53:守護者たちの慟哭
エイシェンツリーを巡る、運命の防衛戦がついに幕を開けます。
ナバールやカミュたちがそれぞれの想いを胸に前線へと立つ中、地平線を埋め尽くす魔族の軍勢が静かに動き出します。
一進一退の攻防が続く戦場。
激化する戦いの中で、古より森を見守り続けてきた者たちが目撃したものとは――。
鼻を突くのは、焦げた草木と鉄が混じり合ったような、戦場特有の不快な匂いだ。
迷いの森の奥深く、普段なら精霊の囁きしか聞こえないはずの聖域は今、数万の軍勢が発する殺気によって塗り替えられていた。
俺も魔物との戦いは経験しているが、種族は違えど言葉を持ち、知性を持つ者を殺めたことはない。
ましてや、この10万を超える大軍との戦争。
全くもって情けないが、不安と恐怖で震えが止まらなかった。
俺とオーウェン、そしてルルーナとカイン。
里を出て二日、不眠不休に近い強行軍で辿り着いたそこは、エイシェンツリー防衛の要となる最終防衛拠点だった。
岩山に阻まれた断崖の合間、幅約200メートルの「喉元」。
古の砦を精霊魔法で繋ぎ合わせた即席の防壁が、魔族領からの侵攻を食い止める唯一の盾だ。
地平線を埋め尽くすのは、ゴブリンやオークといった下級魔族の軍勢だ。
だが、それはかつて見た「魔物の暴走」とは明らかに違っていた。
「……部隊ごとに隊列が組まれている。装備まで統一されているのか」
俺は防壁の上から敵陣を凝視した。
前衛には揃いの革鎧を着た歩兵、後方には旗振りの合図に従って動く投石機やバリスタの工兵部隊。
知能が低いはずの下級魔族が、まるで訓練された軍隊のように機能している。
その背後に、強力な指揮者の影を感じずにはいられなかった。
「ナバール様、震えておいでですか」
隣に立つオーウェンが、静かに、けれど敬意を込めて声をかけてくる。
「……ああ。偏見かもしれないが、魔物なら迷わず斬れる。けど、あいつらには言葉がある。高位の魔族になれば、俺たち人間と見た目だって変わらないんだろう?」
俺は冷や汗を拭い、強く剣を握り直した。
奪う命の重さが、これまでとは決定的に違っていた。
「そんな『人』に近いものを斬らなきゃならないのかと思うと……情けないが、手が止まってしまうんだ」
「案ずるな、ナバール様。貴方の剣は、命を奪う道具ではない。貴方の後ろにある、数多の無辜の命を繋ぐための盾なのです」
戦端を開いたのは、エルフの放つ「風を纏った矢」だった。
エルフの弓隊にとって、敵を近づけさせないことこそが必勝の形。
通常の弓とは比較にならない射程と精度で、降り注ぐ矢の雨が敵の前列を正確に射抜いていく。
敵を近づけさせない限り、エルフは負けない。
魔法部隊の炎と雷が投石機を次々と火柱に変え、昼を過ぎてもこちらの被害はほとんど出ていなかった。
「いよいよ、本格的な近接戦になる……。森へは一歩も入れるな! いくぞ!」
カミュ殿の鋭い号令が響くと同時に、防壁の奥から色鮮やかな魔力の奔流が溢れ出した。
先陣を切ったのは、黄金の雷を纏った巨鳥だ。
それは上空から急降下すると、帯電した翼を広げ、密集していたオークの歩兵隊を一瞬で黒焦げの炭へと変えていく。
同時に、防壁の前方には巨大な土の巨象が形成された。
鋼鉄よりも硬い泥の牙を持つその魔獣が、地響きを立てて突進する。
押し寄せる魔族の濁流を真っ向から踏み潰し、その巨体そのものが生きた防波堤となって敵の進軍を強引に押し留めた。
さらに、俺たちの頭上を風のオオカミたちが透過するように駆け抜けていった。
実体のない刃と化したその群れは、敵の弓兵部隊へと突っ込み、反撃の暇さえ与えずその喉元を掻き切っていく。
それらの召喚獣を援護するように、無数のシルフたちが戦場を舞い、エルフの兵たちの傷を癒し、その剣に鋭い風の加護を授けていく。
召喚獣たちが作り出した凄まじい破壊の連鎖。
その僅かな隙を突き、俺とカインも防壁を蹴った。
「全開でいくぞ、カイン!」
「わかってる、アニキ! 家族を、みんなを二度と失わせるもんか!」
俺は最初からオーラを全開にし、一撃で数体のオークを吹き飛ばす。
相手が言語を話す「魔族」だと意識するたび、胃の奥がせり上がるような感覚に襲われる。
だが、ここで俺の覚悟が揺らげば、待っているのはドラクーン王国の、そしてエルフの里の破滅だ。
一心不乱に、ただ「守る」という一念だけで剣を振るった。
日没まで、俺たちは補給物資を狙った強襲を繰り返した。
しかし、本当の恐怖は夜に訪れた。
敵は数に物を言わせ、昼夜問わず攻め続けてくる。
トロール級の巨体が夜陰に乗じて前進させた投石機から、馬車ほどもある岩が放たれた。
魔法障壁が貫かれ、砦の一つが轟音と共に崩壊する。
「……っ!」
瓦礫の下から覗く、無惨なエルフの兵たちの姿。
初めての、決定的な被害。
動揺が走る隙を突き、魔狼を駆る一体のゴブリンが、火のついた塊を抱えて砦の下へと入り込んだ。
「弓兵、止めろ! 魔法を放て! あいつを止めろ!」
カミュ殿の叫びも虚しく、ゴブリンはニヤリと笑い、爆音と共に自らを砦ごと吹き飛ばした。
死を恐れぬ自爆特攻。
静謐だったエルフ軍が、初めて恐怖に染まる。
「前線を立て直せ! 瓦礫を守るんだ!」
アストリア陛下とカミュ殿が瓦礫の山に立ち、それぞれが古の契約を呼び覚ました。
「南方を守護せし火の精、朱雀……その翼で万物を浄化せよ!」
カミュ殿が召喚した紅蓮の巨鳥が羽ばたき、瀕死の兵に活力を与え、魔族だけを灰に変えていく。
同時に、陛下は地面に掌を突き立てた。
地響きと共に現れたのは、高さ十メートルを超える樹木の巨人、エルダートレントたちだ。
彼らにとって、この森で生まれたエルフは皆、木漏れ日の中で数百年かけて成長を見守ってきた「自分の子」と同じだった。
一人の老いたトレントが、瓦礫の中からエルフの遺体をそっと掬い上げる。
その樹皮の手触りは、驚くほど優しかった。
「ヨセフ……お前は、小さい頃からよく私の上で昼寝をしておったな……。あの時撫でた、柔らかい髪の温もりをまだ覚えておるぞ。……こんな、冷たい石の下で眠るのではない……」
「ネーロ、子どもが生まれたと……つい昨日、あんなに喜んでいたばかりじゃというのに……。お前が育てようとしたその未来を、なぜ私が弔わねばならんのだ……」
トレントたちは、数世紀分の情愛を込めて亡骸を抱きかかえた。
涙のような樹液が、エルフの冷たくなった頬を濡らす。
やがて、弔いを終えた彼らの悲しみは、凄まじい憤怒へと変わった。
「「「オオォォォォォォォォッ!!!」」」
森全体を揺るがす咆哮。
それは単なる威嚇ではなく、魂を震わせる思念の叫びだった。
『我が子を、我が孫を、よくも奪ったなぁぁ!!』
『土に還るべき理を汚し、命を冒涜する者どもよ!!』
『貴様らの血を、この森の一滴も吸わせはせぬ!! 塵となって消え失せろぉぉぉ!!』
怒れる親たちの咆哮に合わせ、トレントの巨大な腕が鞭のようにしなり、一振りで数百の魔族を塵芥へと変えていく。
まさに森そのものが意志を持って牙を剥いたかのようだった。
前線の敵が一掃されたその瞬間。
朱雀の炎に照らされた地平線に、これまでとは比較にならないほど禍々しいオーラを放つ数体の影が、静かに立ち並んでいた。
「……本命のお出ましだ」
カミュ殿が低く呟く。
人と変わらぬ姿をし、人を超越した魔力を放つ、真の「魔族」たち。
戦局が、いよいよ残酷な段階へと進もうとしていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
エルフを「子」として愛してきたエルダートレントたちの怒りの咆哮、執筆しながら胸が熱くなりました。
しかし、一時の平穏を破るように現れたのは、これまでの下級魔族とは一線を画す「真の魔族」。
揺らぐ覚悟を抱えながらも剣を振るうナバールは、この強大な敵を前にどう立ち向かうのか。
次話、ついに高位魔族との激突が始まります。




