エピソード43:囲炉裏を囲んで
獣王国の夜、ナバール一行は宮殿の一室で、この国ならではの「囲炉裏」を囲むことになります。
揺れる炎と、温かい鍋料理。平和なはずの夕食の時間は、しかし一人の男にとって「人生最大の試練」の場へと変わりました。
案内役のルルーナと、なぜかそこに同席するカイン。
二人の親密すぎる様子を目撃したオーウェン将軍は、かつてないほどの激しい勘違いの渦に飲み込まれていきます。
最強の騎士が放つ、戦場以上の殺気と、その後の劇的な復活劇。
恋に目が眩んだ男の、可笑しくも熱い一夜の記録です。
夕暮れ時、ベンドア獣王国の宮殿の一室。
案内されたのは、俺たちのドラグーン王国にある、あの黄金が煌めく豪華絢爛な食堂とは正反対の場所だった。質素だけど、どこか懐かしくて温かみのある、不思議と落ち着く広間だ。
「……ほう。これが噂に聞く『畳』というやつでしょうか。椅子ではなく、床に直接座るというのは……なんだか新鮮ですね」
俺は物珍しそうに、けれど一国の王としての品位を崩さないよう、ゆっくりと座布団に腰を下ろした。
畳から漂う「い草」の清々しい香りを胸いっぱいに吸い込むと、ここ数日の外交任務で張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜けるような気がした。
部屋の中心には、パチパチと心地よい音を立てて薪がはぜる囲炉裏があり、その上には大きな鉄鍋が自在鉤から吊るされている。
「さあ、遠慮なく座ってくださいね。今日は地元の山で採れた新鮮な野菜と、猪肉の味噌鍋ですよ」
笑顔で迎えてくれたのは、昼間にオーウェンをその美貌とドジっ子ぶりで完膚なきまでに翻弄した、猫耳の案内人・ルルーナさんだった。
そしてその隣には……なぜかカインが、当然のような顔をして座っている。
「ほら、カイン。あんたもシャキっとしなさい。王様の前なんだから」
「わかってるよ……痛っ! つねるなよ」
小声で親しげに耳打ちし合い、時には肘で突き合いながら、顔を綻ばせる二人。
……あ、これはまずい。
俺がそう思った瞬間だった。隣に座るオーウェンの瞳から、スッと光が消えた。代わりに、彼の全身から猛烈な、それこそ物理的な圧力を伴うほどの「闘気」が溢れ出したんだ。
(……な、なんだあの親密さは。カイン殿とルルーナ殿、もしや……そのような仲なのか!? 出会って間もない俺が入り込む余地などないほど、深く愛し合っているというのか!?)
オーウェンの心の叫びが、直接脳内に響いてくるような錯覚に陥る。
彼は無言のまま、凄まじい眼力でカインを射抜いた。
戦場では数千の敵軍をたった一人で震え上がらせる「ドラグーンの鉄壁」としての威圧感が、今、この狭い囲炉裏の周りに凝縮され、充満していく。
「……っ!? な、なんだ……この殺気は……!? 刺さる、視線が物理的に刺さるっ!?」
カインは背筋に氷の刃を押し当てられたような戦慄を覚えたのか、顔を真っ青にしてガタガタと震え出した。無理もない。ドラグーン最強の将軍が、本気で自分を親の仇のように睨んでいるんだから。
でも、哀れなカインには、なぜ自分がこれほどまでに敵視されているのか、その理由がさっぱり理解できていないみたいだった。
そんな張り詰めた空気なんてお構いなしに、ルルーナさんが鍋からよく煮えた野菜を取り分け、カインの皿へ置く。
「カイン! またネギを避けたでしょ? 好き嫌いしないって、さっき約束したじゃない」
「うっ……。だってこれ、苦いんだよ。子供の頃から嫌いだって言ってるだろ」
「ダメ。栄養バランスを考えなさい。ほら、口を開けて。あーん」
「……んぐっ。……ったく、いつまでも子供扱いすんなよな」
ルルーナさんがカインの口に無理やり野菜を放り込む、有無を言わせぬ「あーん」。
カインも文句を言いながら、結局は大人しくそれを咀嚼している。
それを見た瞬間、オーウェンの脳内にパリン、と何かが盛大に砕け散る音が聞こえた気がした。
(……あ、あーん……。……そうか。既に、割り込む隙など微塵もないほど、二人の絆は完成されていたのか。俺の初恋は、実る前に灰となったのだな……)
さっきまでの猛烈な威嚇はどこへやら。
オーウェンは深手を負った敗残兵みたいにがっくりと肩を落として、魂が口から抜け出したような真っ白な顔で、静かに目を伏せた。
その背中からは、冬の嵐のような哀愁が漂っている。
俺は、次第に表情を引き締めた。
これほどまでに無惨に打ちのめされたオーウェンを見るのは、死線を彷徨う戦場ですら無かったことだ。
(……笑い事じゃないな。オーウェンにとっては、これほどまでに本気の、そして命懸けの恋だったのか)
俺は、自分をこれまで守り続けてくれた、年の離れた兄のような存在であるオーウェンのために、意を決して問いかけた。
「……ルルーナさん。少し、立ち入ったことを聞いてもいいでしょうか。お二人のやり取りを見ていると、随分と……家族のような、あるいはそれ以上の深い絆を感じるのですが。お二人は、一体どういう関係なのでしょうか」
ルルーナさんは不思議そうに小首を傾げた後、自分の隣で鍋をつつくカインの頭をパシバシと力一杯叩きながら笑い出した。
「絆? そんな格好いいものじゃないですよ。こいつ、家では鼻水垂らして私の後ろをずっとついて回ってた、本当に手のかかる、出来の悪い『弟』なんです!」
「………………お、弟?」
オーウェンの時間が止まった。
カインが顔を真っ赤にして、叩かれた頭を押さえながら、俺に向かって補足する。
「……そうですよ。俺の五つ上の、実の姉です。……って、オーウェン様? なんで急に、さっきから光り輝いてるんですか。背後に黄金のオーラが見えるんですけど!」
一転して、オーウェンの全身から凄まじい「覇気」が溢れ出した。
先ほどまでの絶望も、死を覚悟したような沈鬱さも、全部嘘だったかのように。
瞳には太陽のような強い光が宿り、彼はこれ以上ないほど爽やかに微笑んだ。
「そうか! 姉弟だったのか! いやあ、カイン殿、貴殿とは以前から良い酒が飲めそうだと思っていたのだ! さあ、この一番良い猪肉を食べたまえ! たくさん食べて大きくなるんだぞ、義弟――いや、カイン殿ォ!」
さっきまで殺さんばかりに睨みつけていたのが夢だったかのように、オーウェンは自分の取り皿に確保していた特選の肉を、カインの皿へ次々と山のように積み上げ始めた。
「……ちょっ、多い、多いですって! この人、さっきから情緒不安定すぎるだろ! ……っていうか、笑顔が逆に怖い!」
怯えるカインをよそに、オーウェンは今度はルルーナさんに向き直り、ビシッと背筋を伸ばした。
「ルルーナ殿! 貴殿の、弟君を慈しむその献身的な姿……深く、深く感銘いたしました! 俺も、微力ながらカイン殿の指導、および育成に協力させていただきたい!」
「あら、それは心強いですね。カイン、良かったわね。王国最強の騎士様に鍛えてもらえるなんて」
「姉ちゃん、余計なこと言わないでくれ……! 俺の命がいくつあっても足りなくなる……!」
絶望するカイン。それを見守る俺は、ようやく安堵の溜息を吐きながら、囲炉裏の火で温まった酒を一口啜った。
「ふぅ……。ひとまず、最悪の事態は避けられたみたいだな」
俺の視線の先では、オーウェンが「さあ、カイン殿、野菜もだ! 好き嫌いは戦士の恥だぞ!」と、ルルーナさんと一緒になって世話を焼き始めている。
その表情は、まるで長年連れ添った夫婦のような(と、オーウェンだけが勝手に思っている)充足感に満ち溢れていた。
「……おい、オーウェン。今夜の温泉は、お前のノロケ話で長くなりそうだな。俺も覚悟しておくよ」
俺の予言通り、その後の宴は、オーウェンの異様なまでのテンションによって、夜更けまで賑やかに、そしてカインにとっては地獄の特訓の幕開けとして続くことになったんだ。
ご清読ありがとうございます。
オーウェンの「勘違い殺気」から「光り輝く義弟認定」への超スピード展開。
恋に落ちた男の判断力の低下は、最強の騎士であっても例外ではないようです。
実の姉弟と判明し、オーウェンにとってカインは「恋敵」から「最も大切にすべき将来の義弟候補」へと一気に格上げされました。
振り回されるカインの受難はこれからも続きそうですが……。
次回、そんな彼らが向かうのは、温泉街の醍醐味である露天風呂。
そこではまた、別の意味で「熱い」展開が待っています。
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