エピソード41:クロードへの褒美
ナバールたちが温泉街で「将軍の恋」を見守っている裏で、一人、戦場以上の修羅場に身を置く男がいました。
エタン魔導国の超エリート事務官、クロード。
三国の同盟という歴史的快挙の裏側で、彼を待っていたのは「殺人的な書類の山」でした。
主君と隣国の王への愚痴をペンに乗せて爆走するクロード。
そんな彼に用意されていた、知的好奇心と食欲を満たす「最高のご褒美」とは……。
――ガリガリ、ガリガリ。
静まり返った宮殿の一室で、ペン先が上質な紙の上を走る音だけが、虚しく、そして執励に響き渡っている。
インクの香りが充満する部屋の中で、俺――クロードは、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「……信じられません。到底、正気の沙汰とは思えません」
目の前には、うず高く積まれた書類の山。
一つ片付ければ、その下から新たな難題が二つ顔を出す。まるで自己増殖するスライムの群れだ。
俺は深く、深すぎる溜息を吐き出し、ペンを握り直した。
「アルテオ様はいいんです。あの方は私の主ですし、自由奔放で予測不能なのは今に始まったことではありません。……ですが、ナバール様!」
俺は思わず、持っていたペンを折れんばかりの力で握りしめた。
「貴方は一国の王でしょう!? 誇り高きドラグーンの王が、なぜ他国の煩雑な事務作業を隣国の事務官に丸投げして、のうのうと観光に行けるんですか! しかも、オーウェン将軍まで『護衛ですから』と真顔でついて行ってしまうなんて……どうなってるんですか、あの主従は!」
叫びたい気持ちを抑え、俺は再びペンを走らせる。
愚痴は止まらない。だが、手も止まらない。
俺の得意とする「眠り魔法」は、本来は敵を無力化するためのものだ。だが、その本質は精神の鎮静と制御にある。
自分自身に極小の術をかけ、脳の処理速度を強制的に引き上げ、眠気を遮断して集中力を極限まで研ぎ澄ませる。
「いいでしょう……。こうなったらもう、私の独断で全て進めてしまいますからね! 後でナバール様が『やっぱりこうしたい』なんて泣き言を言っても、一切聞き入れませんから!」
そう毒づきながらも、俺の頭脳は完璧な精度で書類の内容を精査していく。
ベンドア獣王国、ドラグーン王国、そして我がエタン魔導国。
この三ヶ国による共同戦線は、人類の未来を左右する重大なプロジェクトだ。
物資供給ラインの確保、国境付近の関税の特例措置、魔導通信網の設置案……。
どれも歴史に刻まれるべき重要な契約書だ。
だが、今の俺にとって、それらはただの「早く片付けて一刻も早く寝るための障害物」でしかなかった。
――数時間後。
「……終わりました。全て、完了です」
最後の一枚に流麗なサインを終え、俺が椅子に深く背もたれを預けた、その時だった。
絶妙なタイミングで、扉をノックする音が響いた。
「失礼するよ。クロード殿、仕事の方は終わったかな?」
入ってきたのは、ベンドアの皇太子・サイリーン殿下だった。
殿下は、整然と仕分けられ、完璧に処理された机の上の書類を見て、驚愕に目を見開いた。
「お疲れ様でした。……いや、驚いたな。我が国の熟練の役人が集まっても三日はかかると言っていた量を、たった半日で終わらせてしまうとは。アルテオ王が『うちのクロードは世界一だ』と豪語していたのも頷ける」
「……買い被りです。ただ、不真面目な上司たちに振り回されることに慣れているだけですから」
「ははは。手厳しいな。……さて、そんな君に、まずアルテオ王から言付を預かっている。『君は無類の本好きだと伺っている。この国の王立書庫の閲覧を許可するから、思う存分羽を伸ばしてくれ』とのことだ」
サイリーン殿下から手渡されたのは、この宮殿の最深部にある「王立特別書庫」の閲覧証だった。
「本……! しかも、他国には一切公開されていない獣王国の古文書や、未公開の魔導書ですか!?」
俺の眼鏡の奥で、知的好奇心の灯がカッと燃え上がった。
「ああ。さらに、ナバール国王からも伝言がある。『事務を押し付けて済まない。お礼に、王室調理場の見学と、ベンドア宮廷料理長との意見交換の場をセッティングしておいた。思う存分、火山の地熱調理を学んでくるがいい』とのことだ」
一瞬、思考が止まった。
書庫による、歴史と魔導の「知識」の提供。
そして、調理場による、実践的な「技術」の伝授。
「……ナバール様まで。あの自由人共め、本当に私の扱いというものを熟知していらっしゃる。……くっ、感謝してしまいますじゃないですか!」
俺はサイリーン殿下の案内で、まずは書庫へと足を運んだ。
重厚な扉を開けた先に待っていたのは、千年の時を刻む木の香りと、数多の叡智。
俺はそこで、一冊の分厚い革装本『獣王国グルメ紀行・全百巻』と、失われたはずの『古代蒸気魔導体系』に辿り着いた。
そしてその興奮冷めやらぬまま、俺は熱気の立ち込める王室調理場へと向かった。
そこには、巨大な地熱釜を自在に操る、屈強な料理人たちがひしめき合っていた。
「ほう……これが。書物にあった『蒸気の圧力制御』の実践版ですか。あちらの香辛料は……なるほど、肉の臭みを消すだけでなく、魔力回復の触媒としても機能するのか」
俺の脳内にある「魔導装甲車グラン・タウロス用献立レシピ」が、凄まじい勢いでアップデートされていく。
めくるめく知識と、目の前で繰り広げられる未知の技術。
この蒸し技術を魔法と組み合わせれば、あの偏食気味なカインでも文句のつけようがない肉料理ができるはずだ。
ナバール様やオーウェン殿も、新しい味覚には目がなかったはず。
特にオーウェン殿は、最近なんだか熱っぽそうだったし、栄養価の高いスタミナ料理のレシピは助かる。
これなら、次の移動中の食事時間は、これまで以上に実りあるものになるだろう。
「素晴らしい……! これなら、レシピのレパートリーを一気に三倍以上に増やせます。フフ……フフフフ……」
調理場の隅で、ベンドアの料理長と激しい専門用語を交わしながら、怪しく、しかし満足げに微笑む俺。
観光に行けなかった不満など、もはや塵ほども残っていなかった。
「……お、おい。あの眼鏡の魔導師、笑い方が不気味だぞ?」
「気にするな、あの方のおかげで我々の仕事が半分以下になったんだ。あれはきっと、天才特有の法悦というやつだろう」
獣人族の料理人たちの囁き声など、今の俺の耳には入らない。
俺はただ、手に入れた新たな知識と技術をどう「主君たちの胃袋」に還元するか、その計算に没頭していた。
ご清読ありがとうございます。
ナバールたちが温泉を満喫する裏で、クロードもまた別の意味で「最高の休暇」を楽しんでいたようです。
彼のような有能すぎる事務官がいるからこそ、ナバールの自由な旅が成立している……という側面が垣間見えるエピソードでした。
書庫と厨房という、彼にとっての二大聖域を制覇したクロード。
アップデートされた彼の料理が、オーウェンたちの旅をどう彩るのでしょうか。
面白いと感じていただけましたら、評価や感想、ブックマークをいただけますと執筆の大きな励みになります!




