エピソード32:天国への階段
アルテオの提案で始まった新たな修行。
しかし、その代償は「食卓の崩壊」という形で現れることになります。
努力する凡人と、論理を振りかざす天才。
彼らが最後に辿り着いた、死の淵の景色とは……。
快適すぎるほど快適だった野営を終え、俺たちは再び魔導装甲車グラン・タウロスに乗り込み、獣王国ベンドアを目指して旅を再開した。
今日の操縦席はオーウェンが担当している。俺は助手席で、流れゆくエタンの美しい平原を眺めていた。だが、後部座席から漂ってくる空気は、のどかな景色とは正反対の、ひどく張り詰めたものだった。
そこでは、アルテオとクロードが並んで、新たなる修行に励んでいたのだ。
「いいかい、クロード。魔力を使って『オーラ』を再現する感覚、少しずつ掴めてきただろう?」
「は、はい……アルテオ様。ですが、どうしても力の配分が……蛇口を全開にするのは簡単ですが、一滴ずつ垂らし続けるような制御が、これほど難しいとは……」
アルテオという規格外の天才に触発され、護衛のクロードもまた、魔力を用いて武の極致である「オーラ」を擬似的に練り出すという、無謀とも思える挑戦を始めていた。
彼らの当面の目標は、戦闘時だけでなく、食事中も睡眠中も、生活のあらゆる瞬間でオーラを纏い続ける「常時展開」だ。俺がかつて地獄を見た、あの修行である。
しかし、どうやらその道のりは、アルテオほどスムーズではないようだった。
クロードの周囲の空気が、まるで真夏の炎天下のアスファルトのように、不気味にゆらゆらと揺らぎ始める。その歪みは次第に不規則なリズムを刻み、鋭いトゲのような魔力が車内に飛び火し始めた。
「う、うおおおおおっ!」
クロードが悲鳴に近い声を上げた瞬間、制御を完全に失った魔力の奔流が車内に爆散した。
グラン・タウロスの車内を防御している結界が過剰なエネルギーに反応し、「キィィィィィィィン!」という鼓膜を刺すような高周波音を響かせる。
「危ないぞ、クロード! 車内の繊細な魔導具を壊すんじゃない!」
俺は慌てて叫んだが、その内心では、不謹慎ながらも狂喜乱舞する自分がいた。
(わかる! わかるぞクロード! その制御不能なもどかしさ、俺には痛いほどわかる!)
正直、内心では怯えていたのだ。アルテオのような天才がまた一人現れ、俺が血反吐を吐いて身につけた技術を「簡単ですよ」の一言で踏みにじるのではないかと。
だが、クロードもまた、俺と同じ「努力の壁」にぶち当たっている。この事実は、俺の荒んだ心に、得も言われぬ安堵と優越感をもたらした。
「ナバール様」
オーウェンが、前を向いたまま、冷徹な声で突っ込んできた。
「……はい」
「非常に下劣な笑みを浮かべておいでです。他者の苦しみが、そこまで愉快でいらっしゃいますか」
「そ、そんなことはない! 私はただ、魔力暴走という不測の事態に対し、主として心を痛めているだけだ!」
俺は慌てて真顔に戻り、窓の外の流れる景色に視線を固定した。だが、緩みそうになる口元を抑えるのは至難の業だった。
しかし、この「移動中の集中修行」は、俺たちの昼食に恐ろしい呪いをもたらすことになった。
昼食休憩となり、クロードがいつものように調理場に立った。昨日、あの神がかったポトフを作った彼の手際を期待していた俺たちだったが、目の前に並べられたのは、もはや「料理」という概念から逸脱した何かだった。
「……これは、ペースト、でしょうか? それとも、建材の類ですか?」
オーウェンが、クロードの皿に盛られた、色が濃いだけのドロリとした得体の知れない液体を指差して尋ねた。
「す、すみません……修行で精神力を使い果たしてしまって。指先の魔力調整が、まるでうまくいかなくて……」
クロードは魂が抜けたような顔でしょんぼりしている。
どうやら、火を扱う魔導コンロの火力を調整しようとするたびに、修行で練り上げたオーラの残滓が暴走し、一瞬でコンロの出力を最大にしてしまったらしい。
結果として、最高級の肉は溶けてボロボロの繊維になり、新鮮な野菜は細胞壁が完全に破壊されて液状化。さらには味付けの際、魔力で自動計量器を狂わせたのか、塩気が致死量に近いか、あるいは砂砂糖をそのまま煮込んだような激甘か、という両極端な味のハーモニーが完成していた。
「……まあ、仕方ない。体力は資本だ。味はともかく、栄養として流し込もう」
俺たちは沈黙の中で、修行の弊害という名の苦行を飲み込んだ。
そして運命の晩御飯。
昼の失敗を猛省し、半泣きで包丁を握ろうとするクロードを、アルテオが制した。
「クロード、君は休んでいろ。修行でオーバーヒートした頭で料理をしても、また悲劇を繰り返すだけだ。それに、たまには僕が料理を披露しないとね」
俺はその言葉に、一筋の光明を見た。
アルテオはエタンの王だ。技術の天才であり、世界の理を理解している男だ。食材の分子構造や熱伝導の法則まで把握している彼なら、レシピなどなくとも、論理的に「最適解」としての最高の料理を作れるのではないか?
「おお、それは名案だ、アルテオ! 期待しているぞ!」
俺は心からのエールを送った。アルテオは自信満々で、白衣のようなエプロンを纏い調理場に立った。
「任せてくれ! 食材の成分比率や栄養価の吸収効率は完璧に計算済みだ! 魔力炉の熱管理に比べれば、コンロの火加減など幼児の遊びだよ!」
アルテオが意気揚々と料理を始めて三十分後。
車内を満たしたのは、食欲をそそる香りではなく、鼻腔を突き刺すような強烈な「化学薬品の刺激臭」だった。
そしてテーブルに並べられたのは、深緑色の不気味な液体の中に、蛍光色を放つ紫色の野菜らしき物体と、なぜか金属的な光沢を持つ銀色の肉が浮いている、世にも恐ろしい「劇物」だった。
俺とオーウェンは、あまりの光景に絶句し、椅子を引くことすら忘れた。
「できたよ! 特製『魔力回復効率極大化シチュー』だ! ビタミン、ミネラル、魔力伝導成分……すべてが理論上の黄金比で配合されているよ!」
アルテオは、大発明を成し遂げた科学者のような晴れやかな顔をしている。
俺たちは互いに目配せをした。誰もフォークを取ろうとしない。
静寂を破り、最初に動いたのはクロードだった。彼は主への忠誠心だけで、震える手でスプーンを握りしめた。
「……護衛たるもの、主人の作られたものを拒否するなど、騎士道にもとります。いただきます……」
クロードは、覚悟を決めた戦士のような顔で、その緑色の液体を一気に飲み込んだ。
次の瞬間。
クロードの顔面が、まるで信号が変わるように真っ青になり、目は見たこともないほど大きく見開かれた。そして、スローモーションのように、椅子から崩れ落ちた。
「く、クロード!?」
「……アルテオ様。私は、故郷の星空の下……母に看取られて……眠りたかった……」
クロードは途切れ途切れに遺言を残すと、そのまま完全に白目を剥いて意識を失った。
次に覚悟を決めたのは、オーウェンだ。彼は王である俺を庇うように立ち、静かに、そして神聖な儀式でも行うかのようにスプーンを手にした。
「ナバール様。万が一、私がこのまま戻れぬことがあれば、亡きアラン先代王に伝えてください。私は最期まで、ドラグーン王国の盾として、責務を果たしたと……」
今生の別れのような言葉を残し、オーウェンはシチューを口に含んだ。
その直後。
オーウェンの全身が、まるで雷に打たれたように硬直した。顔色は一瞬で土気色になり、そのまま一切の音を立てずに前のめりにテーブルに突っ伏した。
「オーウェン!? 返事をしろ、オーウェン!」
恐ろしさでガタガタと震える俺の前に、アルテオが満面の笑みでシチューの皿を差し出した。
「さあ、ナバール。みんな栄養の吸収効率が良すぎて驚いているみたいだね。君も早く食べなさい。冷めると分子構造が変わってしまうよ」
「い、嫌だ! 俺は断固として、このシチューは拒否する! 俺はまだ死にたくない!」
俺は必死で後ずさったが、アルテオの魔力的な拘束は逃げ場を与えなかった。
「好き嫌いは良くないよ、ナバール。はい、あーん」
無慈悲にねじ込まれたスプーン。
口に入れた瞬間、俺の脳は直接、正体不明の鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
経験したことのない強烈な苦味と、舌を麻痺させるような化学的な味が、雷光のごとき速さで全身の神経を駆け巡った。
(ああ……俺の、人生は……ここで……)
意識が急速に遠のいていく刹那、俺の意識は不思議な光景に包まれた。
そこは、どこまでも穏やかな光が満ち溢れる、静かで暖かい空間だった。
その中央、見たこともない豪華なリクライニングチェアに深くもたれかかり、優雅に紅茶を飲んでいる一人の男がいた。
「……父上?」
俺の父、亡きアラン先代王である。
優雅にティーカップを傾けていた父上は、こちらを見た瞬間に、その美貌をこれ以上ないほど引きつらせた。
「な、ナバール!? 馬鹿な、何があった! なぜお前がここにいるんだ!」
父上は持っていたカップを放り出し、椅子から飛び上がって俺に駆け寄ってきた。
「そ、そうじゃないんだ父上! これは、アルテオの作った、シチューが――」
俺が事情を説明しようとすると、父上は顔を真っ青にして、全力で両手を広げて俺を突き放した。
「馬鹿者! 来るな、まだ早い! お前はドラグーン王国の現国王だろうが! 王位を継いだばかりで、まだやるべきことが山ほどあるはずだ! 戦場での死ならまだしも、甥の『創作料理』ごときでここまで辿り着くなんて、ドラグーン王家の末代までの恥だぞ! 今すぐ帰れ! ここはまだお前がくつろいでいい場所ではない!」
父上は必死の形相で、俺の胸元を力一杯押し返した。その凄まじい力に弾き飛ばされ、俺の意識は急速に暗闇へと沈んでいく――。
「……ナバール! ナバール! 起きてくれ!」
アルテオの声で目を覚ました時、俺はグラン・タウロスの床に転がっていた。
視界には、同じく死体のように転がっているオーウェンとクロードの姿。
そして、なぜか手には「空になった」シチューの皿。
……完食させられたのか、俺は。
「よかった、急に倒れるから驚いたよ。そんなに美味しかったかい?」
無邪気すぎるアルテオの問いかけに、俺は答える気力すら残っていなかった。
この日、俺たちは血の涙を流しながら、旅における最も重要な掟を定めた。
一、アルテオには、絶対に、二度と、調理場に立たせてはならない。
二、どれほど修行が辛くとも、クロードの料理のありがたみを忘れてはならない。
獣王国への道のりは、まだ遠い。
俺たちはボロボロの体を引きずりながら、再び地獄のオーラ修行と、そして生存を賭けた旅路へと戻るのだった。
ご清読ありがとうございます。
アルテオの「論理的料理」がもたらした悲劇、いかがだったでしょうか。
アラン先代王も草葉の陰で(というかあの世で)激怒するレベルの破壊力でしたね。
次回、ようやく獣王国の国境が見えてきます。
果たして一行は無事に入国できるのか、それとも新たな「劇物」が待ち構えているのか。
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