エピソード31:焚き火と星空とキャンプ飯
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最新鋭の装甲車「グラン・タウロス」での旅は、驚くほど快適。
今夜は絶景の星空の下、エタンの技術者・クロードがその意外な特技を披露してくれます。
魔導装甲車グラン・タウロスでの旅は、俺の想像を遥かに超えて快適なものだった。
かつて、修行と称して野山を駆け巡っていた頃の俺にとって、野営とは「耐えるもの」だった。
硬い地面に毛布一枚で横たわり、火の粉を飛ばしながら湿った薪で暖を取り、飢えを凌ぐために石のように硬い干し肉を噛みちぎる。それが遠征の常識だと思っていたのだ。
だが、今の俺たちの旅は、その常識を根底から覆していた。
陽が大きく傾き、平原の草花がオレンジ色に染まり始めた頃、俺たちは見晴らしの良い開けた高台を見つけ、装甲車を停車させた。
「よし、今夜はここで野営にしよう。タウロス、周囲の安全確認を」
「了解。半径五百メートル以内に敵対反応なし。キャンプモードへ移行します」
アルテオの呼びかけに、人工知能が冷静に応答する。
車体が静かに沈み込み、安定脚が地面を固定した。
「ナバール、荷物の積み下ろしを手伝ってくれ。オーウェン、タープの設営を頼む。クロードは調理の準備を始めて」
アルテオが手際よく指示を出す。俺たちが車外に出て装備を整える中、クロードは「お任せください」と快活に笑って、タウロスの側面にある巨大な格納庫を開いた。
中からは、軽量かつ強固な魔導繊維で作られた大型タープ、最新の折り畳み式テーブルと椅子、そして周囲を昼間のように照らす魔石ランタンが次々と運び出されてくる。
手慣れた動作でオーウェンが支柱を立て、俺が重い資材を運ぶ。わずか十分足らずで、平原の真ん中に移動式の豪華な宿屋のロビーのような空間が出来上がった。
中でも、クロードの働きは特筆すべきものだった。
彼は護衛官として卓越した剣技を持つだけでなく、その料理の腕前は宮廷料理人にも引けを取らないほど驚くべきものだった。
タウロスの後部に設置された簡易調理場から、まずバターが溶ける甘い香りと、ニンニクの食欲をそそる芳ばしい香りが漂い始める。
タウロスの低温貯蔵庫には、エタンから運び込まれたばかりの新鮮な食材――瑞々しい野菜や、血抜きが完璧に施された上質な肉――が、旅の常識を無視した鮮度で積み込まれていた。
ジュウッ、という肉を炒める小気味良い音が静かな夜の平原に響く。
クロードが手際よくスパイスを挽くたびに、異国の香りが風に乗って鼻をくすぐった。その全てが、ただの殺風景な野外を、最高級のレストランのテラス席へと変えていく。
今夜のメインディッシュは、鶏肉と彩り豊かな根菜類をふんだんに使い、特製のハーブでじっくりと煮込んだ「魔導式ポトフ」だった。
大鍋の中でスープが煮込まれるにつれ、肉の濃厚な旨味と、ローリエやタイム、セージといった数種類のハーブが持つ清涼感が渾然一体となって立ち上る。
その真っ白な湯気がタープの下を支配した時、俺の腹の虫は我慢の限界を告げるように鳴り響いた。
「さあ、できましたよ。冷めないうちにどうぞ」
クロードが手際よく木製のボウルにスープを注ぎ、全員でテーブルを囲む。
俺は立ち上る湯気を吸い込み、黄金色のスープを一口飲んだ。
「……っ、うまい!」
思わず、唸り声が漏れた。
まず、ハーブの香りが鼻を抜け、その後に鶏肉から溶け出した圧倒的な旨味と脂の甘みが追いかけてくる。塩加減は絶妙で、修行で疲弊し、冷え切っていた体の芯まで、その温もりが染み渡っていくのがわかった。
「このニンジン、信じられないほど甘いぞ。それに肉も、スプーンを当てるだけで崩れる……」
「旅の途中で、これほどまともな飯を食えるとは思いませんでしたよ、クロード殿。全身の魔力が活性化していくのがわかります」
オーウェンも珍しく、武人としての厳格な表情を緩めて感嘆の声を漏らしていた。
クロードは照れくさそうに笑いながら、焼きたてのパンを差し出した。
「ありがとうございます。ナバール様やアルテオ様のような王族の方々に、不味い食事をお出しするわけにはいきませんからね。それに、長旅は心と体の体力が資本です。食事が楽しみでなければ、遠征はただの苦行になってしまいますから」
食後、俺たちはあえて焚き火を囲んだ。
調理自体は魔導コンロで完備されているため、この焚き火は暖を取ることと、何より「憩い」のためだけのものだ。パチパチとはぜる薪の音が、夜の静寂を彩る。
アルテオが設置した魔石ランタンは、白い清潔な光で手元を照らしているが、焚き火のゆらゆらと踊るオレンジ色の光は、俺たちの表情をより柔らかく、穏やかに映し出していた。
「……やっぱり、この光がいいんだよな」
俺は焚き火の芯を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「同感です。魔石灯は便利で明るいですが、焚き火の炎を見つめていると、言葉にできないほど心が落ち着きます。不思議なものですね」
クロードが同意するように頷き、全員にコーヒーを淹れてくれた。
空を見上げれば、そこには人工の光に一切邪魔されない、圧倒的な満天の星空が広がっていた。
無数の星々が、まるで黒いベルベットにダイヤモンドの粉を撒き散らしたように、瞬き、流れていく。
遠征中に、星を眺めながら挽きたてのコーヒーを飲むなど、かつての俺には考えられなかった贅沢だ。芳醇な豆の香りが、星空という最高の舞台をさらに引き立てる。
俺はコーヒーの温もりを手に感じながら、ふと隣のアルテオに尋ねた。
「なあ、アルテオ。俺が子供の頃、エタンに遊びに行った時は、これほど魔導具が溢れてはいなかったよな? もちろん当時から世界一の魔導国だったが、タウロスのような車も、こんな便利な道具もまだ無かった」
アルテオはコーヒーのカップを口から離し、夜空を見上げて小さく頷いた。
「ああ、そうだね。昔から、国を挙げて魔導車の開発や自動化の研究は続けていたんだ。でも、その頃はまだ、技術はあっても使い道が限られていた。軍事利用か、あるいは一部の特権階級の贅沢品としてしか考えられていなかったんだよ」
「それを、アルテオ様が国王になられてから、すべてを変えられたのです」
クロードが、誇らしげな眼差しでアルテオを見た。
「『技術は、国民が便利に、そして安全に暮らすためにこそあるべきだ』。その陛下の一声で、開発と普及の速度が一気に加速した結果が、今のエタンなんです」
「その結晶の一つが、これだよ」
アルテオは穏やかに笑って、背後に鎮座するグラン・タウロスの装甲を軽く叩いた。
「タウロスの人工知能は僕の趣味も入っている特別なものだけど、この快適さそのものは、エタンが積み上げてきた魔導技術の発展の賜物だ。……どうだい、ナバール。少しはエタンの技術を好きになってくれたかな?」
「……ああ。認めざるを得ないな」
俺は素直に頷いた。
焚き火の暖かさと、夜空の美しさ、そして仲間の美味い料理。
これらがあるだけで、明日への活力は倍増し、遠征の心労は半分以下になる。
精神を削るだけの苦行だった旅が、今は「次はどんな景色が見られるだろう」という期待に変わっていた。
「見張りはオーウェン殿一人で大丈夫ですか? 私も交代で立ちますが」
クロードが気遣うように尋ねたが、オーウェンはコーヒーを飲み干し、静かに首を振った。
「問題ありません。タウロスのセンサーが常に周囲三百六十度を監視し、異変があれば即座に警告してくれます。私は肉眼と『気』の感知で、その警告を補完するだけで十分です。皆さんはゆっくり休んでください」
装甲車という鉄壁のシェルター。そして最新の魔導技術。
かつては一晩中神経を研ぎ澄ませていた警戒任務も、今では高い安全性に裏打ちされたものになっていた。
夜が更け、俺たちはタウロスの車内へと戻った。
格納式の寝台は想像以上に快適で、適度な反発力を持つマットレスが疲れ切った体を優しく包み込む。
車外の冷気は完全に遮断され、魔導炉からの排熱を利用した暖房が、車内を春のような暖かさに保っていた。
翌朝。
俺の目覚めは、驚くほど清々しいものだった。
どこも体が痛くない。遠征中の朝にありがちな、関節の強張りも一切なかった。
熟睡できたという何よりの証拠だ。
車内からはすでに、クロードが用意した朝食の香りが漂っていた。
今日は、表面をカリッと香ばしく焼いたパンと、温かな肉と豆のシチュー。そして新鮮なサラダだ。
「おはようございます、ナバール様。すぐに準備できますよ。熱いうちにどうぞ」
クロードは、朝からいつもと変わらぬ爽やかな笑顔で迎えてくれた。
この旅は、あの地獄のような修行を乗り越えた後に神が与えてくれた、まるで楽しい遠足のようだ。
「ああ、おはよう。……さて、今日も出発するか」
俺は王家の責務という重い看板を背負っている。
だが、この快適で賑やかな旅路が、一日でも長く続いてほしいと、今、心から願っていた。
お読みいただきありがとうございました。
ハーブ香るポトフに満天の星空、そして温かいコーヒー……。
これまでの過酷な旅が嘘のような、至福のひとときでした。
しかし、この平和な時間は長くは続きません。
次回、新たな修行の始まりが、一行に「未曾有の危機」をもたらすことになります……。




