エピソード25:特命官エドル
国の再建。それは戦いよりも地道で、果てしない「書類との戦い」でもあります。
アラン王の時代から国を支え続けてきた老文官・エドル。
新王ナバールから特命を受けた彼の忠義心は、今、生物学的な常識すら超えようとしていました。
一方、そんな彼を観察するアイリス王太后の瞳には、次第に「ある情熱」が灯り始めます。
老特命官の覚醒と、科学者の飽くなき探求心。
ドラグーン王国の「静かなる変革」をご覧ください。
ナバール王から「内務特命官」という身に余る大役を拝命したあの日以来、私の胸中には、老いさらばえて消えかかっていた種火が、再び猛烈な勢いで燃え上がっていた。
この命、亡きアラン王とナバール王、そしてこの国に捧げる忠誠の証として、何としても務めを果たし切らねばならない。私は執務室の硬い椅子に深く腰掛け、羽根ペンを握り直した。
私は純血の竜人族としてこの世に生を受けた。本来、我が一族にとって「竜人化」とは、戦場において敵を蹂躙するための圧倒的な破壊の力だ。父も祖父も、戦場を疾風の如く駆け抜け、その爪で岩をも砕く剛の者たちであった。
しかし、私にはその才能が決定的に欠けていた。どれほど訓練を重ねても、私の皮膚が硬質な鱗に覆われることはなく、筋肉が隆起して爆発的な力を生むこともなかった。
「出来損ないの竜」
かつてそう陰口を叩かれたこともあった。しかし、私は絶望しなかった。戦場で剣を振るう代わりに、私は国政の分厚い書類と向き合うことを選んだ。数字の中に潜む国家の疲弊を読み取り、行間に隠れた民の窮状を察する。法と経済の知識という武器を振るうことこそが、私の天命だと悟ったのだ。
アイリス様を王室首席顧問として支え、混迷を極めるこの国を内側から安定させる。これこそが、武力を持たぬ竜人である私に与えられた、最後にして最大の戦場であった。
早速、私は復興の資金捻出に知恵を絞る。まずは山積みの台帳をひっくり返し、不透明な支出を一つひとつ削ぎ落としていった。
税を一時的に下げて国民の負担を軽減しつつ、その間に開墾や治水事業を官民一体で推し進め、数年後の収穫を倍増させて国力の基盤を強化する。
外交においては、エタン魔導国の全面協力という千載一遇の好機を活かし、魔法士団の増強計画を、単なる兵力強化ではなく、魔導技術を産業に転用する案へと昇華させていく。
「よし、この書類はアイリス様にご確認いただく前に、私が全ての矛盾を潰しておくべきだ」
書類の山に没頭し、夜通し執務室に籠る。すると、ふと鏡に映る自分の姿が、いつもより幾分か若々しく見える気がした。肌の艶、目の輝き。
(まさか、気のせいだろう。だが、なんだか体が軽い。まるで、若い文官だった頃に戻ったようだ)
この歳で若返りなど、夢物語だ。しかし、この生き甲斐に満ちた感覚こそが、全てだ。私は、自分の仕事に没頭し続けた。
仕事が片付くにつれ、アイリス様の執務室へ渡される書類の量は大幅に減っていった。私は、アイリス様の負担を減らしているのだと、誇らしい気持ちになった。
時折、アイリス様が私を不審そうに、そして興味深そうに観察しているのに気づく。
(私の仕事が遅いことに不満を持っているのだろうか? いけない、もっと早く、もっと完璧に!)
私は更に深く仕事に没頭し、書類を捌いていく。その度に、心は満たされていった。
エドル特命官は、ナバールに役職を与えられて以来、人が変わったように精力的に働いている。老練な文官だった彼は、今や国の内政を瞬く間に整理し、私の元に届く決済書類を完璧なものにしてくる。
彼の献身はありがたい。しかし、私は彼の仕事ぶりよりも、彼の身体に強い関心を抱いていた。
「おかしいわ。彼が深く集中し、興奮している時、時々、一瞬だけ若い青年文官に見える時がある」
それは、気のせいなどではない。私の純血人間族としての鋭い観察眼が、彼の肌の色、目元に現れる微細な魔力の流れを捉えている。
彼は純血の竜人族。かつては肉体の変化を伴う「竜人化」が苦手で文官の道を選んだと聞くわ。だが、今起きている現象は、魔力を極限まで集中し、知恵を絞ることで発動する、「精神的な竜人化」なのではないか?
そして、それは肉体の強化ではなく、細胞レベルの活性化、すなわち「若返り」に作用するタイプではないか?
もしそれが事実なら、人類学、魔導工学的に、極めて価値のある現象だ。
(……解剖して、細胞の活性化のメカニズムを……あらいけない)
思わず口元を押さえる。夫であった亡きアラン王と同じ純血の竜人族が、私という人間族の前で新たな進化を見せている。彼は大切な特命官だ。実験材料ではない。
しかし、エドルが張り切りすぎたせいで、私の手持ち無沙汰な時間が増えてしまった。
「ああ、また書類が完璧だわ。サインするだけだ」
私にできることは、国政の舵取りを任せたナバールの外遊が成功するように祈ること。アルテオがこの国で平和に過ごせるように見守ること。
執務室の窓から、遠く城下に目をやる。子供たちと戯れるアルテオの姿がぼんやりと見えた。彼の自由奔放さに、姉の面影を重ねる。
そして、私の視線は、城の裏手に停められた、あの巨大な鉄のソリに向かった。
(ホバー……そうよ、あのホバーの振動の原因を解明する。それが、今、私にできる、唯一の、技術者としての仕事だわ!)
こうして、アイリス王太后は、亡きアラン王ですら立ち入りを禁じた私だけの工房へと向かう決意をした。
エピソード25をお読みいただき、ありがとうございました!
ナバールへの忠誠心が高まりすぎて、肉体まで活性化し始めたエドル特命官。
「精神的な竜人化」という、武人とは異なる形での進化を見せる彼の姿は、まさに文官の鑑と言えるかもしれません。
しかし、あまりに有能すぎてアイリス王太后の手を空けてしまったことが、思わぬ事態を招きそうです。
かつて夫アラン王すらも立ち入りを禁じた、アイリスの秘密の工房。
「王太后」という重責の裏に隠された、彼女の真の顔——「技術者アイリス」が、あの地獄の魔導ホバーを相手に何を仕掛けるのか。
エドルが若返り、アイリスが工房へ向かう。
新生ドラグーン王国の「行進曲」は、いよいよ技術的な意味でも加速していきます。
ぜひ最後まで、この物語の行く末を見守っていただければと思います。
いよいよ2025年も残すところあと一日。
大晦日、そして元旦へと続く彼らの物語を、ぜひ楽しみにお待ちください。
よろしくお願いいたします。




