エピソード9:氷の棺の誓い
王都へ帰還したナバールを待っていたのは、無慈悲な惨劇の跡でした。
静かに横たわる父と、昏睡する母。
絶望の淵で、ナバールはある決意を固めます。
竜の祠での試練を終え、王位継承の証である白竜のペンダントを授かった私は、胸に大きな自信と希望を抱いて王都へと帰路を急いでいた。
「オーウェン、私はやるぞ。父上の、そして母上の誇れる王になる!」
「はい、ナバール様。その自信、必ずやお力になります」
二人が王都の城門をくぐった瞬間。
私の歓喜は、一瞬で凍りついた。
城下町には、襲撃があったことを示す魔力の焦げ跡や、血痕が散見された。
瓦礫は局所的だが、それは短時間で強大な破壊が行われたことを示しており、すでに魔族は撤退したようだった。
「……短時間でこれほどの魔力を。衛兵や民にも被害が出ている」
オーウェンは表情を凍らせ、馬を走らせる。
王宮の正面へ辿り着くと、壮麗な門はねじ曲がり、静まり返った王宮内は不気味な静寂に包まれていた。
王の間へと辿り着いた私は、床一面に広がる乾き始めた血の海を前に、膝から崩れ落ちた。
「父上……母上……!」
玉座の間の中央で、父――アラン王は人間の姿に戻ったまま、静かに横たわっていた。
その表情は穏やかで、まるで安らかな眠りについているかのようだったが、腹部の傷跡は絶望的な深さだった。
その傍らには、魔力の枯渇によって気を失った母――アイリス王妃が、父に寄り添うように倒れていた。
「陛下……アラン王陛下!」
オーウェンが震える声で叫ぶ。
その時、壁際に隠れていた老家臣のエドル爺さんが、顔面蒼白で這い出てきた。
「ナバール様! お戻りになられましたか! ああ、ご無事で……」
涙ながらに告げられたのは、残酷な事実だった。
伯父ヴェルガーが一人で侵入したこと。父が最期の力で伯父の片腕を切り落とし、母を守り抜いたこと。
そして――母が自身の生命力を注ぎ込みすぎ、深い昏睡状態にあること。
私は、そのすべてを聞きながら、頭の中で何度も時間を巻き戻した。
(もし、私が試練を早く終わらせていれば……)
(もし、私の竜人化が完璧で、父上の横に立っていられたら……)
未熟な自分。そのすべてが、この惨劇を引き起こした遠因のように思え、胸を締め付ける。
「なぜだ……セト様は、私の血が世界を繋ぐ鎖になると言ってくれたのに! 父上は、私に王の覚悟を持てと言ってくれたのに! 私は……これから、どうすれば……」
絶望の淵で、再び竜人化を試みた。
しかし、体はただ震えるばかりで、何の反応も示さない。
その時、脳裏に父の静かな訓示が響いた。
『真の王の力とは、自らの弱さと、愛する者のために立つ勇気だ』
そして、祠でのセトの言葉。
『断絶を恐れるな。お前の血が、世界を繋ぐ真の鎖となる』
私は、愛する母と、静かに眠る父の顔を見つめた。
そうだ。今、悲しみに暮れている場合ではない。
父が命をかけて守ったこの国のために、私が王として立たねばならない。
「オーウェン、エドル。すぐに医務官と治癒魔導士団を母上へ。そして……」
私は顔を上げた。その瞳には、決意の炎が宿っていた。
「今夜、王城前の広場に、生き残ったすべての家臣と民を集めてくれ。私は、この国を継ぐ王として、彼らに誓いを立てる」
私は、父の遺体の傍らに一人残った。
王としての務めが、個人の悲しみに勝る。
床に膝をつくと、震える手で亡き父の額に触れた。
「父さん。今すぐ、盛大にお見送りすることは……できないよ。国が、まだ……」
私は回復魔法で、父の深くえぐられた腹部の傷口を、慎重に閉じた。
肉体は冷たいが、せめて、安らかな眠りにあるかのように見せたかった。
「父さんの体は……やっぱり大きいな」
「父さん、なんか変だよね。私が父さんの体を拭くなんて」
私は、父が生前愛用していた王家の正装を探し出した。
血に塗れた衣服を脱がせ、自らの手で、その威厳ある体を清め、正装へと着替えさせる。
「父さん、この服でいいかな?」
着替えを終えた父は、まるでこれから重要な儀式に臨むかのように、威厳に満ちていた。
「これが、私の最後の、親孝行だ」
「父さん、見ててね」
私は深呼吸し、全身の魔力を巡らせた。
これまで追い求めていた「鱗や翼」という竜人像を捨て去る。
今、私が求めているのは、戦闘力ではない。
ただ、父の時を止め、美しい静寂を与える、純粋な『守護の力』だ。
母から受け継いだ『精密な制御』と、父から受け継いだ『巨大な魔力』。
その二つが交錯する、混血の核へと意識を集中させた。
ゴオオオッ!
皮膚の下で魔力が激しく脈動した。体表に変化はない。
しかし、放たれた魔力は、触れる空気すべてを絶対零度の純粋な氷に変えていく。
私が初めて覚醒させた竜人化の力。
それは、目的のために魔力を完璧に増幅・制御する、混血の王の形だった。
私はその力をもって、静かに横たわるアラン王を、内側から光を放つクリスタルのような美しい氷の棺で、優しく包み込んだ。
「見て、父さん。私にも、できたんだ」
「父さん、私にも……できるようになったよ」
私は、氷の棺にそっと額を押し付けた。
「私の最初の竜人化は、父さんを守るために使われたんだ。父さんの血と、母さんの愛の結晶として、私はここで、王になるための最初の約束を果たすよ」
その瞬間。
冷たいクリスタルの奥で、父の口元がわずかに緩んだような気がした。
私は立ち上がった。
父が安らかに眠る氷の棺に一礼し、王の間の扉を開ける。
その顔には、もう迷いはなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
自分を責め、涙を流す少年から、国を背負う王へ。
ナバールが初めて見せた真の「竜人化」は、父を美しく守るための氷の輝きでした。
「父さんの体はやっぱり大きいな」という呟きに、彼の愛のすべてが詰まっています。




