「今日この日をもって、君との婚約を破棄させてもらう」「あの~、どちら様でしたっけ~?」
「アラミア・アルストン。今日この日をもって、君との婚約を破棄させてもらう」
立食パーティの会場で、金髪の美丈夫に突然婚約破棄を言い渡された男爵令嬢――アラミアは、ローストされた鴨肉を頬張りながら小首を傾げる。
アラミアは鴨肉をしっかりと味わった末に嚥下すると、のほほんとした調子で美丈夫に返した。
「あの~、どちら様でしたっけ~?」
事の成り行きを見守っていた紳士淑女たちが、まさかすぎるアラミアの返答に軽く噴き出す中、美丈夫はやれやれと首を振ってから律儀に名乗る。
「君の婚約者のエルンスト・セレーランだ」
名前を聞いてますます小首を傾げるアラミアを見て、エルンストは再びやれやれと首を振った。
「婚約者の顔と名前を忘れてしまうとは……冗談にしても些か度が過ぎているぞ」
「これはこれは失礼しました~」
素直に、されどのんびりと頭を下げて謝罪するアラミアに、エルンストは諦めを吐き出すようにため息をつく。
「まあいい。不貞を働くような人間に、まともな受け答えを期待する方がどうかしているからな」
「ふてい……どうかしてる……」
少々ぽっちゃり気味だったアラミアは、しょぼくれながら少々余りがちになっている腹の肉を摘まむ。
その様子を見て、怪訝な表情をしていたエルンストだったが、
「『太い』じゃなくて『不貞』だ! というか、気にしているなら自分の皿に山のように鴨肉を盛るのはやめたらどうだ!?」
今度はアラミアが「むむむ……」と眉根を寄せるも、
「それは無理~」
再び鴨肉を頬張り始め、呆れかえったエルンストは疲れたように眉間を指で摘まんだ。
婚約破棄という言葉に初めのうちは緊張感を滲ませていた紳士淑女たちも、あまりにも間の抜けたアラミアたちのやり取りに次第に弛緩していく。
そんな空気に気づきもせずに、一人大真面目に――だからこそ滑稽な――エルンストはアラミアを糾弾した。
「とにかくだ! 君は僕という婚約者がいながら、他の男と浮気をした! 僕が言っている『不貞』とはそのことであり、君との婚約を破棄する理由というわけだ! わかったか!」
アラミアは目をパチクリと瞬かせ、例によって鴨肉をしっかりと味わった末に嚥下してから、紳士淑女たちが飲みかけのワインを噴き出す言葉を返した。
「もしかしてあなた、間男さんですか~?」
「なんでそうなる!? というか使いどころが間違いすぎだろう!?」
「そうなんですか~? わたし、小っちゃい時にスヴェンと結婚するって約束して、他の男の人のことなんてどうでもよかったから、エルンストさんはてっきりそうなんじゃないかって思って~」
スヴェンとは、まだ婚約は結んでいないアラミアの恋人の男爵家長男の名だった。
不貞の真偽とはともかく、その発言はさすがにまずいのでは?――と、固唾を呑んで事態を見守る紳士淑女たちの予想に反し、エルンストの反応は大人しかった。
「……そうか。いるのか……子供の時に誓い合った相手が……」
エルンストは一瞬だけ、諦めたような、満足したような笑みを零すと、
「とにかく、僕は君との婚約を破棄する。言いたかったことは、それだけだ」
そう言い捨てて、パーティ会場から立ち去っていった。
事ここに及んでいまいち事態を理解していないアラミアが、暢気に鴨肉を頬張る中、事態を見守っていた紳士の一人が、考え込むようにして顎に手を当てながら、隣にいた淑女に訊ねる。
「さっきの男、エルンスト・セレーランって言ってたよな?」
「そうね……確かそんな感じの名前だったわね」
「セレーランなんて家名の貴族、この国にいたか?」
紳士の問いに対し、淑女は数秒ほど考え込んでから「さあ?」と肩をすくめた。
◇ ◇ ◇
数日後。
「まさか、そのようなことをやらかす輩が現れるとは……」
人伝で婚約破棄騒動の顛末を聞いたアラミアの父――アルストン男爵が、深刻な面持ちで呟く。
そのことでアルストン男爵の館に呼び出されていたアラミアの恋人――スヴェンは、同調するように頷いた。
「まったくです。いくらアラミアが魅力的だからといって、ありもしない婚約をでっち上げ、勝手に婚約を破棄するなど、イヤガラセにしたって不愉快ですね」
怒りすら滲ませるスヴェンとは対照的に、アラミアは一人お菓子をサクサクと頬張りながら、二人のやり取りをのほほんと眺めていた。
「スヴェンくん。アラミアに絡んできた男の名前は聞いているか?」
「ええ。エルンスト・セレーランという、家名すらも聞いたことがない名でしたね」
「エルンスト・セレーラン? どこかで聞いたような……」
眉根を寄せて考え込んでいたアルストン男爵だったが、やがて何かを思い出したようにハッとした表情を浮かべる。
「アラミア。スヴェンくん。ついてきたまえ」
そうしてアルストン男爵が向かったのは、館の中にある書庫だった。
整然と立ち並ぶ本棚から一冊の手記を抜き取ると、アラミアとスヴェンに見せつけるようにして書庫の中央にあるテーブルに置いた。
手記の表紙に書かれた「アラミア・アルストン」の名を見て、スヴェンは目を丸くし、当のアラミアはちゃっかりと持って来ていたスコーンをサクサクと頬張ってから、のほほんと言う。
「お父様~。わたし、こんな手記書いた覚えありませんよ~?」
「そんなことはわかっておる。……この手記を書いたのは、我らがアルストン家の祖にあたる御方でな。実を言うと、お前の名前はこのアラミア様からとらせていただいたのだよ」
「へぇ~」
気の抜けた返事をかえしながら、相も変わらずサクサクとスコーンを頬張る。
自身の名前の由来すらろくに気にかけないアラミアに、アルストン男爵もスヴェンも苦笑するばかりだった。
「で、ここから本題なのだが、アラミア様の手記にエルンスト某の名を見た記憶があるのだよ」
「なるほど……アルストン男爵、よろしいでしょうか?」
神妙な面持ちで手記の内容を確認していいか訊ねるスヴェンに、アルストン男爵は首肯を返す。
許可を得たところでスヴェンは手記に目を通していき……やがて、エルンスト・セレーランの名が記された頁を発見する。
その頁を読んでわかったことは、アルストン家の祖であるアラミアには、小さい頃に結婚を誓い合った相手がおり、その人物こそがエルンスト・セレーランであること。
二人は社交界デビューできる年齢になった頃に婚約を結んだものの、ほどなくしてエルンストは病に冒されてしまい、若くして他界したとのことだった。
「これは……アラミア様と婚約し、早世したエルンストが、今のアラミアがスヴェンくんと恋仲にあることを不貞とみなし、婚約を破棄するために化けて出てきた……ということになるのか?」
恐る恐る訊ねるアルストン男爵に、スヴェンはどうにか否定の言葉を探そうとするも、結局見つからず、
「そうみたい……ですね」
絞り出すような声音で、肯定するしかなかった。
まさかの展開に戦々恐々としている二人とは対照的に、相も変わらずのほほんとしているアラミアは、最後のスコーンをゆっくりと味わってから暢気に訊ねる。
「お父様~。エルンストさんのお墓ってどこにあるんですか~?」
「ん? ああ……ちょっと待て……」
手記の頁をめくり、調べてみたところ、エルンストという跡取りを失ったセレーラン家は廃絶となり、エルンストの墓は国営の墓地に移されたとのことだった。
「じゃあ~、今からお参りにいきましょ~」
まさかの提案に驚く二人を尻目にアラミアは、
「お供え物は~……スコーンがいいかな~」
暢気に、のほほんと、後で自分が食べるつもりだったスコーンの残りを取りに行ったのであった。
その後――
アラミアたちは、エルンストの墓をお参りした。
墓が汚れていたので三人がかかりで掃除をしてから、スコーンをお供えし、アラミアは冥福を祈るついでに恋人のことをエルンストに紹介した。
それからアラミアは正式にスヴェンと婚約し、その一年後、結婚することに決まった。
そして、
「な、なんじゃこりゃぁああぁあああぁあッ!?」
結婚式当日、式場の壁にデカデカと「結婚おめでとう!」とヤケクソな筆致で書かれた血文字を見て、アルストン男爵は腰を抜かした。
スヴェンも、「これは……」と色を失うばかりだった。
霊の仕業に間違いない。が、なんとなく言葉にするには憚られるものがあったので、アルストン男爵もスヴェンも、彼の名を口にすることができなかった。
そんな二人とは対照的に、アラミアはどこまでのほほんとしながら、暢気に笑う。
「わぁ~……エルンストさんがお祝いにきてくれましたよ~」
そんなアラミアの意向により、「結婚おめでとう!」の血文字をそのままに結婚式は決行された。
言うまでもない話だが、エルンスト・セレーランにまつわる噂話はとっくの昔に広まりきっており、だからこそなおさら、血文字を目の当たりにした参列者たちは度肝を抜かれた。
この後、アラミアとスヴェンの結婚式も含めて、エルンスト・セレーランにまつわる話は、この国の怪談の定番になったわけだが。
そんなことなど気にしてすらいないアラミアは、スヴェンとともに入刀したケーキを、式に参列した誰よりもいっぱい頬張ったのであった。
最後までお付き合いいただきありがとうございマース。
ジャンルが迷子な新作短編「夫売りの王女」を公開しましたので、興味を持った方はそちらも読んでいただけると幸いデース。