新しい文化の萌芽
午後の陽が差し込む執務室に、国王と王妃、そして長男レオポルドが顔をそろえていた。
テーブルの上には数種の料理皿が並び、香ばしく異国の香りが室内をやわらかく満たしている。
「……これは、豆と玉ねぎ、そして……クミンの香りかしら?」
王妃クラリスがスプーンを口に運び、目を見開く。
「はい。庶民向けに工夫されたスパイス料理とのことです。子どもや年配者にも食べやすく仕上げてあるそうです」
レオポルドが静かに答える。
「貧民街の《学びの小屋》を中心に広がり始めており、レシピと衛生知識を兼ねた冊子も配布されているとか。……味も含め、かなりの完成度です」
国王は一口食べて、思わず感嘆の息をついた。
「これは……確かに旨い。だが、不思議だな。どこか懐かしい、心が和らぐような味だ」
「華やかではありませんが、整っているのです。口にする者の体と心を思って、工夫されている。そういう料理です」
レオポルドは淡く微笑んだ。
「アンドリューが現地で直接学び、その良さを認めました。これは彼の報告と試食をもとに、再現されたものです」
王妃が深くうなずく。
「“文化は民の手からも生まれる”――それを感じる一皿ね。
高貴な食卓では決して出会えない、温かさと誠実さがある」
「王国の片隅で、これほどの知恵と工夫が育っているとはな」
国王が感慨深げに言い、次いで視線を引き締める。
「だが、これをよしとせぬ者もいるだろう。伝統に縛られ、下々の声を軽んじてきた一部の貴族たちが……」
「ええ、きっと反発もあるでしょう」
レオポルドが静かに応じる。
「“庶民が勝手に知恵を持ち、文化を語るな”と、ね。だが私は、この流れを守りたいと思います。
これは民の手による、新しい王国文化の萌芽です。芽吹きを摘ませるわけにはいきません」
王が深くうなずいた。
「ならば、支えよう。王家として、この流れが健やかに育つように――見えぬ根を整え、余計な石を取り除こう」
「そのためにも、我ら自身が“古き価値”に縛られてはならないわね」
王妃が優しく言った。
「誇りとは、血筋や地位ではなく、いかに人を導くかで示されるべき。
この国が変わろうとしているなら、私たちこそ、その変化を喜び、先頭に立たなければ」
「……ああ。アンドリューの行動は、王族としてあるべき姿を思い出させてくれた気がする」
そう言って国王は再びスプーンを取り、目の前の“香る豆料理”を味わう。
その香りには、確かに未来の兆しがあった。
王族の私的執務室にて
王と王妃、王太子レオポルドは再び向かい合っていた。
目の前には、アンドリューから届いた詳細な報告書と、「庶民向けスパイス衛生手帖」の初稿が置かれている。
「冊子の完成度もさることながら、絵や文が非常に分かりやすい。貴族の子どもの教育にも応用できるわ」
王妃が手帖をめくりながら感心したように微笑む。
「読み書きができない者にも伝わるよう、図解を重視しているとのことです」
レオポルドがうなずく。
「これはもはや“救貧活動”ではなく、“啓蒙と衛生の基盤づくり”です。
王家がこれを後押しすれば、国の民意そのものが育っていくでしょう」
王は黙ってしばらく報告書を読み進め、やがて静かに言った。
「……やろう。王家の名で正式に支援する。
ただの慈善ではない。“知の普及と民の健康を守る公的活動”として、制度化するのだ」
レオポルドの目がわずかに見開かれる。
「本気で動かすおつもりですね」
「ああ。すでに貴族院の中には、変化を歓迎しない者もいるだろう。だが、もはや王国は“過去の栄華を守るだけのもの”ではない。
未来をつくる者を守り、邪魔する者を排する。王族の務めだ」
「賛成です」
王妃がすっと背筋を伸ばす。
「民が立ち上がろうとしているのです。手を差し伸べ、共に歩む。それが国の本来あるべき姿」
「では――まずは、以下の三つの動きから始めましょう」
レオポルドが手元の用紙に書き出す。
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ーーー王命による初期施策ーーー
1.「公認衛生冊子」の配布と支援
《庶民向けスパイス衛生手帖》を王立医療研究会と共同監修し、全地方に配布。
同時に、絵解きの読み聞かせ会を公的に支援。
2.「啓蒙活動支援金」の創設
小屋や読み書き教育の場に対する物資支援と講師費用の一部助成。
民間の活動家・協力者も申請可とし、信頼できる者には資格証を発行。
3.「特権乱用調査の強化」
民の足を引っ張る貴族に対して、王家直属の調査団を派遣。
強権ではなく監督の名目で行い、必要に応じて勧告・処分を行う。
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王が一言、結んだ。
「これは王家の矜持でもある。“身分”とは、民の先頭に立つ責任だ」
王妃が穏やかにほほ笑み、レオポルドも深くうなずいた。
「……さて。明日の朝には貴族院への提出書類をまとめよう。反発を恐れていては始まりませんから」
「アンドリューには、よくやったと伝えておきます。……弟ながら、頼もしい男になった」
王家の意志が固まったその夜、
静かに新しい風が、王都の高き場所から吹き始めていた。




