芋令嬢
「これが、“学びの小屋”……?」
セレノア王国からやって来た留学生、リオン・エリヴァンは、納屋を改装したという建物を前に立ち尽くしていた。
目に映るのは、粗末な木造の壁。揃っていない机や椅子。泥だらけの足で走り回る子どもたち。
――これが、国をあげて称賛されている取り組みだというのか?
「リオンさん、どうぞこちらへ」
声をかけてきたのは、控えめなグレージュのドレスに身を包んだ少女だった。飾り気はなく、髪も簡素に結い上げてある。
その第一印象に、リオンは心の中で思わず呟いていた。
(……まるで芋を抱えてあぜ道を歩いていそうだ)
他国の公爵令嬢に対して無礼だとは重々承知していたが、それでも思考は止められなかった。
「私はコーデリア。今日は来てくださってありがとう」
にこりと笑った少女に、リオンは一瞬たじろぎ、視線を逸らした。
(王命で学びに来いと言われたが……こんな田舎くさい芋令嬢から、一体何を学べというのだ)
そんな疑問と戸惑いを抱えながら渋々ではあるが彼はしばらく“学びの小屋”の様子を見守ることにした。
絵本の読み聞かせ、身近な薬草の使い方、木の枝を使った避難訓練のロールプレイ。
泥だらけの子どもたちは目を輝かせ、年配の講師たちは「先生」と呼ばれて誇らしげに語り、
そして――コーデリアは、誰一人取り残さぬよう、温かな声とまなざしで一人ひとりに寄り添っていた。
(……専門家でも貴族でもない。名もなき民たちが、共に教え合い、学び合っている……?)
ある日、ひとりの子どもが転び、服を破り、膝をすりむいて泣き出した。
「大丈夫、痛かったね。ほら、これを塗って……よし、少し冷やしてから一緒に乾かしましょう」
コーデリアがそう言って笑いかけると、泣いていた子は目を潤ませながらも、きゅっと唇を噛んで頷いた。
その瞬間だった。
リオンは、はっと気づかされた。
――地味だと思っていた微笑みが、人の心をそっと癒していたことに。
――この場には、誰かが上に立って教え込むのではなく、皆が自分の持つ知恵や経験を惜しみなく差し出し合い、共に学ぶ姿があることに。
――そして、そんな価値を表面だけで見下していた自分自身の、浅はかさに。
「……コーデリア嬢。私は、あなた方のことを誤解していたようです」
ぽつりと漏らしたその言葉に、コーデリアは目を丸くし、それからまたあの微笑みを浮かべた。
「気づいてくれて嬉しいわ。ここでは、誰だって“学び直す”ことができるのよ」
その笑顔は、華やかなドレスや磨き上げた礼儀作法よりも、ずっとずっと、美しかった。
リオンは心の中で、そっと認めた。
――この国の強さは、馬鹿正直なほどに人を信じ、寄り添い続ける“姿勢”そのものにあるのだ、と。
日が傾き、空に赤色が滲むころ。
リオンは静かな客間の机に向かい、筆を走らせていた。
『報告書:学びの小屋に関する所見』
『本国より派遣された目的に従い、王命の下ベルフィオーレ領内に存在する「学びの小屋」に関する観察を継続中である。
初見では、施設の質素さや運営体制に疑念を抱いたが、現地での日常的な活動に接する中で認識を改めた。
この取り組みは単なる慈善ではない。子ども、高齢者、身体に不自由を抱える者まで、あらゆる層が互いに「学び合い」「支え合う」ことを目的としている。
特筆すべきは、その柔軟さと実践力である。理論よりも経験、肩書よりも信頼。
地元民が主体となり、実際の生活に即した知恵や技術が惜しみなく共有されている。
特に印象的だったのは、公爵令嬢コーデリア嬢の働きである。
彼女の示す態度、言葉、振る舞いは、貴族のそれでありながら決して威圧的ではなく、すべての者に開かれている。
当初、地味とすら思われたその存在が、今や中心であり、象徴であると認識している。
現地の発展には、単なる物資援助ではなく、この姿勢を“共有する力”が必要とされているように思われる。』
筆を止め、リオンは小さく息を吐いた。
報告書は、使者を通じて王と宰相のもとに届けられる。すでにセレノアからは、同様の視察と学びを目的に、数人の留学生が追加で派遣されることが決定していた。
――そして翌日。
「わたくしはミリア・カストラン。セレノア王国より参りました」
「トーヴァル・イシェン。鍛冶と衛生管理を学びに来た」
次々と訪れる留学生たちに、コーデリアたちは嬉しさと同時に、ある種の戸惑いを覚えていた。
最初はひとりだった。それが今では、年齢も性別も異なる者たちが、領内の様々な場所で活動に加わるようになってきている。
その日の夕方、薬草乾燥小屋の片隅にコーデリア、ユリウス、アレッサンドロ、リュカが集まっていた。
「留学生が増えたのは嬉しいけれど、今のままだと受け入れる側も混乱してしまいそうだわ」とコーデリアが切り出す。
「言葉の壁や生活習慣の違いもある。受け入れ体制を整えないと、思わぬトラブルが起きかねない」とアレッサンドロが頷く。
「特に食べ物と衛生面。薬の使い方や処方も国によって違う。誤解が生まれやすいな」とリュカも静かに意見を述べた。
ユリウスが穏やかに言った。
「留学生専用の学びと交流の場が必要かもしれないね。“学びの小屋”の理念を伝えながらも、文化的背景に配慮した場を」
「うん、夜の梟みたいな“閉じた場”とは別に、“開かれた国際交流の小屋”みたいなものがあるといいのかもしれない」とコーデリアが頷く。
「ちょうど街の西の古い建物が空いていたはずだ。修繕すれば使えるかもしれない」とアレッサンドロが提案する。
「あとで確認してみる。それと、留学生たち自身の声も聞いた方がいいね」とユリウスがまとめた。
そうして彼らは、「学びの小屋」から派生する新たな“交流の芽”を育てる準備を始めることになった。
夜の梟――すなわち王家に属する者と信頼の置ける領民だけが関わる秘密の拠点――には、リオンを含む他国の者が立ち入ることはない。
けれど、その外で広がっていく「開かれた学びと交流の輪」は、確実に人と人を繋いでいこうとしていた。




