防犯教室
週末の午後。
学びの小屋には、いつもとは少し違う緊張感が漂っていた。
今日は「防犯と護身」の特別授業。椅子に座った子どもたちは、期待と不安が入り混じった眼差しで、前に立つアレッサンドロとリュカを見つめていた。
「みんな、今日はちょっと変わったことを学びます。戦い方じゃない。“どうすれば安全に逃げられるか”“誰かに助けを求められるか”を知る時間です」
アレッサンドロの声は、いつものように落ち着いていて、けれどどこか厳しさを含んでいた。
「この世界には、残念ながら、悪意を持つ人間もいます。そんな時、自分や仲間を守るには、まず“危険を避ける”ことが大事なんだ」
リュカが軽くうなずくと、小さな木のペンダントのようなものを手に取り、子どもたちに見せた。
「これ、ただの飾りじゃないんだよ。特別な魔道具でね、強く握ると――」
彼が力を込めると、キーン!と鋭い音が鳴り響いた。
「わっ!」
「びっくりした!」
子どもたちがざわつく中、リュカは説明を続ける。
「これは“音笛”。もし大声が出せない時でも、これを使えば誰かが気づく。そういう道具を身につけておくのも、立派な防犯なんだ」
コーデリアがそっと前に出て、手作りの冊子を開いた。
「次は、“もしも変な人に出会ったらどうするか”を考えてみましょう」
彼女はゆっくりと語りかける。
「まず、“一人で対応しない”こと。何か変だと思ったら、すぐにその場から離れる。そして、信頼できる大人に知らせる。とにかく、“自分だけでなんとかしようとしない”のが一番大切です」
すると一人の子が不安げに手を挙げた。
「でも……もし誰も近くにいなかったら?」
「そんな時こそ、さっきの“音笛”や、周囲をよく見る知恵が役に立つのよ。人通りの多いところへ行く、建物の中に逃げ込む、大声を出す――逃げる手段はいろいろあるわ」
ユリウスが少し考え込みながら、優しく補足する。
「いかに戦わず逃げるか、はとても大事なことなんだよ。子どもでも、大人でもね。『逃げるのは恥じゃない。生きるための強さだ』って、覚えておいて。」
アレッサンドロは子どもたちの前に立ち、ゆっくりと語った。
「もし誰かを助けたいと思っても、そのために自分が傷ついたら意味がない。だからこそ、“声を上げて知らせる”“逃げて仲間に知らせる”ってことが、大切なんだ。君たち一人ひとりが、守られるべき命なんだから」
子どもたちは真剣な顔で頷いた。
そのあとは、実践の時間。
アレッサンドロと警護隊の騎士が見本を見せ、リュカが補足しながら、「手を振り払う方法」や「腕をつかまれたときの逃げ方」を教えていく。
「よし、つかんでごらん」
「えいっ……あっ、ぬ、抜けた!」
「そうそう!腕じゃなくて、体全体をひねるんだ。力より“動き”で勝つんだよ」
子どもたちは楽しみながら、必死に練習していった。
最後は「逃げ道と通報の確認」。
リュカが用意した避難図を広げ、小屋から町の警備詰所、隠し通路の入り口まで、丁寧に説明がなされる。
「ここに魔導音管があるから、誰かに知らせたければ、ここからでも声が届くわ」
「ここの小道は、人通りが少ないから通らない方がいいよ。逃げるなら、明るくて開けた通りを選んでね」
授業の終わりには、子どもたちが自分のノートに今日の学びを書き込んだ。
「これ、お母さんにも教えてあげたい」
「弟にも言うね。逃げてもいいんだって」
その言葉に、コーデリアは胸がいっぱいになった。
夜。小屋を出た帰り道で、彼女はユリウスと並んで歩きながら、ふと思い出したように言った。
「ねえ、そういえば……前世の私たちが子どもの頃は、まだあまり言われてなかったけど……孫の世代になると、不審者に備える授業、あったわよね」
ユリウスもゆっくりうなずく。
「ああ、あった。『知らない人に声をかけられてもついていかない』とか、『見かけたら大人に知らせる』とか。……あれって、大人が必死に考えた“未来への備え”だったんだな」
「うん。あれがあったから、助かった命が、きっとあったはずよ」
コーデリアの目は、今を生きる子どもたちの姿と、前世の小さな孫たちの記憶を重ねていた。
「だから私たちも、ここでできることをしていきたいの。知恵を渡して、“自分の命を大切にする方法”を教えていきたいわ」
その言葉に、ユリウスは穏やかに微笑み、ただ一言――
「……君がそう言うなら、僕も全力で支えるよ」
風が吹いた。星空の下、小さな決意の灯がまたひとつ、灯った。




