偵察?
市の一角にある学びの小屋。子どもたちの笑い声や年配者たちの穏やかな語り口は、今や近隣の街にも評判が広まりつつあった。
そんなある日、町外れの宿に一人の異国の青年が姿を現した。落ち着いた身なり、丁寧な所作、そして目の奥に潜む探るような鋭さーーその青年こそ隣国セレノア王国から密かに送り込まれた偵察役だった。
「情報にあった『学びの小屋』……本当にあるのか」
彼は“農園を装った軍事訓練場ではないか”“民を扇動する拠点ではないか”といった疑念を胸に、静かに町を歩き、噂を集めていった。
だが、現実は想像とはまるで違っていた。
納屋を改装したその小屋では、子どもたちが薬草の挿絵を見ながら文字を学び、おばあちゃんたちが笑いながら昔話や生活の知恵を語っていた。畑では年配者がびわの育て方を教え、子どもたちは泥だらけになって芋を掘っていた。
「……これは、教養や文化の共有?いや、教育か……?」
どれだけ見張っても、兵士らしき姿はない。物資のやり取りは、すべて透明で記録も丁寧。農園は民のため、薬草園も町の病人のため。どこにも不穏な影などなかった。
「まったく、何てことだ……馬鹿正直すぎるだろう、この国は」
そう言って笑った青年の背後で、ふと物陰が動いた。
「リュカ、どうする?尾行するか?」
「いや……まだ様子を見よう。コーデリアの顔を曇らせるような真似はしたくない」
隠れた茂みの中で、アレッサンドロとリュカは冷静に観察を続けていた。二人とも、異国の者が近づく以上、警戒は欠かさない。けれど、彼が暴力や支配の意図を持っていないことにも気づき始めていた。
数日後、その青年はとうとう学びの小屋の戸を叩いた。
「旅の者です。……ここで、読み聞かせをしていると聞きました」
コーデリアが顔を上げると、にっこりと優しく微笑む青年の姿。
「もちろん、どうぞ。今日は“柿の葉の包帯”と“栗の皮の染め物”についてよ。面白いですよ」
青年は、戸惑いながらも子どもたちの輪に加わった。そして、その時間の温かさ、純粋な学びの場に心を打たれた。
その夜、彼は日記にこう記した。
「彼らは本物だ。下心も、偽善もない。信じ難いほど純粋で、しかしだからこそ…強い。
世界を変える力とは、こういうものかもしれない」
その報告は国に届けられ、後に思わぬ外交の扉が開くこととなる。




