底上げの必要性
古書の香りと柔らかなランプの明かりに包まれた一室。
壁一面の書棚の先、隠し扉の奥にあるその空間には、外の騒がしさとは別の時間が流れていた。
アンドリュー王子が机に手をつき、コーデリア、ユリウス、アレッサンドロを前に、少し真剣な面持ちで言葉を紡いだ。
「……君たちには、話しておきたいと思っていたことがある。ここは誰にも聞かれない、私が最も安心できる場所だからね」
全員が頷き、静かに耳を傾ける。
「今、この国は一見すると平和に見える。戦もないし、都市部は活気づいているし、王宮は祝祭の準備に明け暮れている。でも、その影にいる者たちのことを、誰も本気で見ようとしない」
アンドリューの目が窓の外に向けられる。そこには王都の灯がちらちらと瞬いていた。
「生まれた家によって未来が決まり、“そういうものだ”と誰もが思っている。貧しい家に生まれた子どもは、夢を語る前に、諦め方を覚える。……そんな社会が、本当に“平和”なんだろうか」
アレッサンドロが息を呑んだ。
「……確かに。私たちの領地でも、農民の中には冬を越せるかどうかで精一杯の家がある。それでも仕方ないってみんな言うんです。…俺もそういうものだと思っていました」
王子はうなずいた。
「“みんなが豊かに”とまでは言わない。でも……努力すれば状況を変えられる。少し先の未来を夢見て、歩き出せる…そんな国にしたいんだ」
コーデリアが、そっとつぶやいた。
「……希望があるって、すごいことです。たとえ小さな希望でも、それが“生きる力”になる……前の人生で、私はそう思っていたと思います。」
ユリウスも頷く。
「僕たちは、日本という国で人生を終えました。そこも完璧とは言えませんでしたが……義務教育という制度があって、すべての子どもに最低限の学びが保証されていました。病や失業で生活が困窮した人には援助の制度があり、誰もが医療を受けることができた。……生きるための“最低限の土台”が、用意されていたんです」
「教育、医療、そして生活の保障……か」
アンドリューが、その言葉をかみしめるように言う。
コーデリアが続ける。
「もちろん、そういった制度を整えるには、たくさんの税が必要になります。どこから集め、どう使うか……とても難しい課題です。でも、たとえば診療所を一つ増やすとか、子どもたちが文字を学べる小さな場所を作るとか。できることから始めるのも、ひとつの方法ではないでしょうか?」
王子は一度、目を伏せ、それから優しく彼女を見つめた。
「……そうだな。小さな“できること”の積み重ねが、やがて大きな変化につながる。まずは、そこからだ」
アレッサンドロが、胸の奥から声を出すように言った。
「……俺、これまで“剣を取って戦うこと”が唯一の国への奉仕だと思っていました。でも今の話を聞いて……もし自分にできることがあるなら、力になりたい。王子の描く未来を、俺も一緒に見てみたい」
そう言って、強く拳を握る。
「……そんな国を作る力に俺も…なりたいんです」
王子は微笑み、少し肩をすくめた。
「まさか…これほど心強い仲間が三人も現れるとはね」
ほんの一瞬の沈黙があった。
けれどその空気は、決して重苦しいものではなかった。




