ユリウスの決意
ユリウスは、ふと窓辺に立ち、庭に広がる初夏の景色を眺めていた。そよそよと爽やかな風の中深いため息が漏れる。胸の奥で何度も繰り返される思いが、またひとつ彼を揺らしていた。
「……神殿。やはり、早く離れた方がいい。」
彼は、生まれつき聖なる力を宿していた。そのため幼い頃から、神殿で学ぶことが当然とされてきた。力の制御と指導のため――そう言われ、疑いなくその道を歩いてきた。だが今、その当たり前が、もう彼の心に馴染まなくなっている。
「コーデリア……」
静かに名前を呟くと、胸の奥に温かな感情が広がった。前世でも共に過ごした彼女と再び出会い、婚約し、共に過ごした日々がユリウスの中に新たな価値観と未来を形作っていた。彼女の自由な発想と、誰かを本気で想う真っ直ぐさ――そして前世からも変わらぬ包容力や愛情深さ、そのすべてが、彼を変えていった。
神殿からの圧力は日増しに強くなり、決まりや規律がまるで心そのものまで縛ろうとしてくる。それはコーデリアと育んできた自由と希望とは、対極の世界だった。
「……もう、縛られるのは終わりにしよう。」
視線を遠くに向けると、庭の一角で誰かと笑い合うコーデリアの姿が目に映る。彼女の存在が、ユリウスに確かな決意をもたらした。
「俺は君を守る。神殿の力に振り回されるのは、もう終わりだ。」
その瞬間、長く続いた心の靄が晴れたような気がした。神殿の教えも規律も、彼にとってはもはや進むべき道ではない。彼には、コーデリアと共に歩む未来があるのだ。
「今こそ、自分の力を自分の意志で使う時だ。」
そう心に決め、ユリウスは静かに家族のもとへと足を運んだ。
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その夜、クラウゼン伯爵家にある書斎のような落ち着いた居間では、両親が各々の読書に耽っていた。父エドアルド・フォン・クラウゼン伯爵は、理知的で寡黙な男。母エリザベス・フォン・クラウゼン伯爵夫人は、病がちで体は弱いが、柔らかな笑みを絶やさない女性だった。
ユリウスは、二人のもとに歩み寄り、深く頭を下げるようにして座った。そして、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「……父さん、母さん。話があります。」
エドアルドが本を閉じ、眼鏡越しに息子を見つめる。エリザベスは手を止め、微笑みながら耳を傾けた。
「何だ、ユリウス。」
「僕は……神殿を離れたいと思っています。」
エドアルドの表情に、わずかに驚きが浮かんだ。エリザベスは静かに息を吸い、やや戸惑いながら問いかける。
「どうして……?聖なる力は、あなたにとっても大切なはずでしょう?」
ユリウスは、ゆっくりと頷き、まっすぐに母の瞳を見た。
「ええ、大切なものです。でも……コーデリアと出会って、気づいたんです。僕はずっと、誰かの望む“正しさ”に合わせて生きてきただけだった。けれど彼女と過ごすうちに、もっと自分の気持ちに正直になってもいいのだと分かった。神殿の教えは、僕を支えてくれた一方で、僕を縛ってもいた。今の僕には、別の生き方があると思うんです。」
エリザベスは少しの沈黙の後、静かに頷いた。
「……あなたの目を見ていると分かるわ。もう、迷っていないのね。」
エドアルドはしばし考え込むように顎に手を当てていたが、やがて静かに口を開いた。
「ユリウス、神殿を離れるというのは、ただ職場を変更すると言った類の変更ではないぞ。世間や…神殿内での扱いも変わる。それでも構わないという覚悟が、あるのか?」
ユリウスは真っ直ぐに父を見返し、はっきりと頷いた。
「はい。僕は自分の力を、自分の意志で使いたい。そして、コーデリアと共に歩きたい。それが、僕の選んだ道です。」
静かな沈黙の中で、エドアルドの口元がふと綻んだ。
「ならばいい。お前の道を歩め。私はそれを止めない。」
エリザベスも息子の手にそっと自分の手を重ね、優しく微笑んだ。
「ユリウス。私たちは、あなたが幸せであることを願ってるのよ。どんな選択も、あなたが信じたものなら、それが一番よ。」
彼は深く息を吐き、安堵と共に微笑んだ。
「ありがとう、父さん、母さん。僕は……必ず、自分の道を正しく歩いてみせます。」
その夜、ユリウスの心には、新たな自由が芽生えていた。家族に見守られながら、自らの意志で選んだ道。それは、神殿の中では決して得られなかった“生きた実感”に満ちていた。




